2009/09/14 鈴木邦男

今、ここが「猿の惑星」だ!

①論破されて楽しいのが「読書」だ

成毛眞『本は10冊同時に読め!』(三笠書房)
成毛眞『本は10冊同時に読め!』(三笠書房)

本を読むということは、「対話」だ。「討論」だ。いろんな人たちの考えを聞き、そして問う。反論する。単に知識を得る為だけではない。自分の「生き方」に関わる行為だ。実存的な行為だ。

学生時代や活動家時代は、「理論武装」の為に本を読んだ。左翼学生と闘い、彼らを論破する為に読んだ。敵の本(左翼の本)も読んだが、それも論破する為に読んだ。「敵」を知らなければ敵に勝てない。そういう理由で読んだ。功利的な読書だった。未熟だったし、邪道だったと思う。

「敵」に取り込まれてはならない。負けるもんか、と身構えながら読んだ。初めから〈武装〉して、その上で本を読んだ。「敵」に勝つものならば、どんな分野の本でも利用しようと思った。負けるわけにはいかない。勝たなくては。勝たせて下さい。最後のお願いです。アレッ、いかんな。選挙演説になっちゃった。こんな悲壮な絶叫調の演説をした人は皆、負けちゃったね。

そう、私も負けた。昔は、たとえ負けても、「認め」なかった。その事実を無視し、回避した。それが出来た。なぜなら、本を読むというのは個人的な行為だから、他人に知られることはない。オープンな討論とは違うからだ。他人に、多くの人々に、自分の〈恥〉をさらすこともない。〈恥〉や〈敗北〉を知られることはない。だから恥は隠した。そして、自分の好きな本、理論武装に役立つ本ばかり読んで、自分が「強くなった」と思った。錯覚した。

『超読書術』(かんき出版・1990年)
『超読書術』(かんき出版・1990年)
 

今は違う。いろんな本を読んで、「論破」されるのが嬉しい。「負ける」ことが楽しい。自分の長い間の思い込み、体験、思想が壊され、崩されるのが楽しい。うーん、そうだったのか。こんな考えがあったのか。これは気付かなかったな、と新しい〈発見〉があり、旧い自分が撃破される。それは又、多くの人の中で恥をかかされることではない。個人的、極私的な体験だから、腹も立たない。恥ずかしくもない。〈論破〉される為に本を読むのだ。〈論破〉される愉悦こそ読書の最大の目的だ、と最近は悟った。  

つまり、こうだ。自分の知ってることをただ、積み重ねる為の読書には何の意味もない。自分の思い込み、体験を覆してくれる本こそが、価値がある。そんな破壊的パワーのない本ならば、いくら読んでも意味はない。そう思う。

 

「本を読まない人はサルである!」と言った人がいる。お前だろう、と言われるだろうが、私はそんな失礼なことは言わない。「本を読まない人間は猫である」と言っただけだ。『罪と罰』も読んだことのない人は猫だ、と言ったのだ。ロフトで言った。そしたら、「猫でもいいニャン!」と最前列の女の子が言ってた。「私はかわいいから、十分生きていける。皆、チヤホヤしてくれる。本なんて読まなくていい」という意味らしい。  

でも、成毛眞は、サルだという。これは本屋で目に付いたので買った。なーに、こんな本は10分位で読めるさ。どうせハウツー本じゃないかと思って買った。ノルマを達成する為には、この手の簡単な本も読まにゃならん。そう思って買った。  

『闘う日本語』(エスエル出版会・1990年)
『闘う日本語』(エスエル出版会・1990年)

成毛眞の『本は10冊同時に読め!』(三笠文庫)だ。170頁の薄い本だ。題名からして、怪しい。すぐに読めるさ、と思った。サブタイトルに、「本を読まない人はサルである!」と書かれていた。  

でも読み始めて、驚いた。凄い本だ。深い本だった。人は(本は)、見かけだけで判断しちゃいけないと思った。たとえば…

〈本を読む、読まないという行為は、その人の品格に関わってくるのではないかと思う。品格に読書は関係ないと否定する人もいるかもしれない。だが、本を読んでいる人間が車の中に幼児を置いたままパチンコに興ずるとは思えないし、電車の中で平気で化粧をするとも考えづらい。なぜなら、本を読むには想像力が必要だからだ〉
 

エッ?関係ないだろうと思ったが、次を読んで、なるほど!と感心した。こう続くんだ。

〈たんなる活字の並びを目でなぞり、そこから遠い異国の情景を思い浮かべたり、目に見えない哲学や理論を構築したりするのだ。想像力が欠如している人間には、到底味わうことができない媒体なのである。
 そうした想像力があれば、暑い車内に幼児を置き去りにしたらどのような結果を招くか、電車内で化粧をしたら周りの人間がどう思うのか、ということに思い至るはずだ。それができないような人間には、本は読めないということなのである〉

②読書道は「聖なる行」ですね

『読書大戦争』(彩流社・1986年)
『読書大戦争』(彩流社・1986年)
 

そうなのか!と真理を発見した。本を読むから賢くなるのではない。賢いから本を読むのだ。他人への思いやり、想像力があって、はじめて読書という「行(ぎょう)」が出来るのだ。読書は人格を作る「行」なのだ。自分勝手な人や、思いやりのない人。想像力のない人は、本なんて読めない。うーん、凄いことを言う。「本を読む」という行為は崇高な行為なのだ。聖人の道だ。だから、本を読み、その世界に没頭できる人は、想像力があり、思いやりがあり、平和で自由なユートピアを心に思い描ける人なのだ。  

だから、本を読む人に悪い人はいない。本を読む人に車内で化粧する人はいない。本を読む人に、幼児を置き去りにする人はいない。うん、本当だ。実に分かりやすい。  

本を読んでる人に、覚醒剤をやってる人はいない。そんなクスリに頼らなくても想像力ひとつで「聖なる世界」にポンと入れるんだから…。警察は町でよく、挙動不審の人を呼び止めて、荷物検査をしている。これも酷い話だが、何を根拠にやっているか。元刑事の北芝健さんに聞いたら、「目の動き」と「体の動き」だそうだ。瞳孔が開いている、目がやたらキョロキョロする。これは覚醒剤じゃないかと怪しんで止める。又、動作に落ち着きがない。同じ動作を何度も繰り返す。これなんかも怪しいと思う。北芝さんは、「ヤクをやってるかどうかは一目で分かる」と言う。  

でも、もっと簡単に見つける方法がある。本が読めるか、どうかだ。クスリをやっている人は本を読めない。活字だけが並んでいるものをゆっくりと目で追って、さらに、何もないところに「別の世界」をつくることができない。クスリの力を借りないと「別の世界」にトリップできない。だから、活字を見てもイライラし、落ち着かない。怪しい人間には本を読ませてみるんだ。尿を調べるよりも確実だ。  

『行動派のための読書術』(長崎出版・1980年)
『行動派のための読書術』(長崎出版・1980年)

反対に、本を読める人は、クスリをやってない。だから、電車の中で、本を読んでる人は正常だ。本を読んでない人は怪しい。その怪しい人の何割かはクスリをやっている。  

成毛は言う。本来、想像力を持たなくてはならないはずの大企業のトップでも、ロクに本を読まない人がいる。そんなのはコネで出世した人間だ。そういう人は、何をやっても、中味がないからつまらない。「本を読まない人との会話は、本当に苦痛だ」という。

〈人間の品格や賢さに地位や年収は関係ないのだと、つくづく思う。話せばすぐにわかるが、人は中身まではごまかせないのだ。
 どんなに偉い人でも、本を読まない人間を尊敬する必要はない。人によく似た生き物、サルに近い人じゃないかと思えばいいだろう〉
 

おっ、凄いことを言う。ということは、我々は「人間社会」に生きてると思ってたが、違うんだ。人間なんて、あんまりいないんだ。周りは猿や猫や犬や豚ばかりだ。電車に乗っても、猿や猫が(生意気にも)服を着て、座っているんだ。そして、(生意気にも)携帯なんかやっているんだ。つまり、我々は、巨大なサファリ・パークに住んでいるんだ。  

「我々」といって、ちょっと不安になった。本を読んでる「生き物」だけが「人間」だとすると、「人間」はこのサファリ・パークの中に何割いるんだろう。2割か。1割か。怖い話だ。

③本を読まない人とは絶交しなさい!

(左から)畑中純さん、つげ義春さん、鈴木邦男(9/5)
(左から)畑中純さん、つげ義春さん、鈴木邦男(9/5)
 

成毛は更に、「本嫌いの人とつき合う必要はない」と言う。

〈よく、人生相談で「隣近所の人とうまくつき合えない」「上司にイヤな人がいる」と悩みを打ち明ける人がいる。なかには思い悩んでうつ病になる人もいるようだが、私が回答者なら「イヤならつき合わなければいい」の一言で終わりである〉
 

明解だ。今、ウツの人が多い。ほとんど全部、「人間関係」だ。それで悩み、自分を傷つける。この成毛の言うように、「付き合わなければいい」。1人で住めばいい。「分かってもらいたい」「愛してもらいたい」と一緒に住むからウツになる。1人で住めばいい。会社にも行かなければいい。大体、「人間関係」だと思うから悩む。本を読まない人は「人間」じゃないんだ。だから、「人間関係」ではない。「動物」との関係だ。犬や猿がいくら気ままでも、自分の責任だとは思わない。「私の口の利き方が悪いからかしら」「私は生きる資格がないのかしら」と悩まないだろう。同じことだ。

〈もちろん、職場や住んでいる地域が同じ人であれば、関係性を完全に断つことはできないだろう。だが、仕事の話以外はしないとか、挨拶しかしないとか、つき合い方を選ぶことはできるはずだ〉
畑中純さんと。作品の前で(9/5)
畑中純さんと。作品の前で(9/5)
 

そうだよね。「人間」だと思うから悩む。猫や猿だと思えば、腹も立たない。「あらあら、いけないわよね、おいたして」と笑って見てられる。たとえ、お尻を触ろうと、上司がいきなりキレようと、その辺でオシッコしようと、笑って、優しく見てられる。猫や猿なら、いつもしてることだし…。  

私たちは巨大なサファリ・パークに生きているんだ。そこの保育係なんだ。仕事が終わり、そこを出たら、はじめて「人間=本を読む人」と話をしたらいい。猫や猿相手に、悩むだけ損なんだ。

〈誰とでもうまくつき合おうと思うのは、相手から好かれたい=自分が悪者になりたくないという気持ちのあらわれである。他の人からどう思われようとかまわなければつき合う人は自然と選べる。
 本を読む人かどうかでつき合う人を選ぶのは、会話の質が違うからだ。本を読んでない人たちの会話とは、上司のグチ、会社の待遇への不満、女房のグチ、しょうもない自慢話など、生産性のない話ばかりだ。知識ゼロの人が何人集まっても、ゼロ。2倍や3倍になることはないのである〉
 

そうか。ゼロは何十人、何百人集まってもゼロなんだよね。だったら、1人で、本を読んでる方がずっと有意義な「対話」ができる。レクチャーが受けられる。

④ともかく本を読みなはれ!

砂川事件についての映画とトーク(9/8阿佐ケ谷ロフト)
砂川事件についての映画とトーク(9/8阿佐ケ谷ロフト)
 

この本は、ともかく驚きの本だ。見くびって、すぐに読めるさと思った私が愚かだった。こういう風に、「思い込み」をひっくり返し、逆襲してくれる。そこに読書の醍醐味がある。「すみません、悪うございました」と自己批判する。謝る。それが又、心地いいんだ。  

成毛は、こうも言う。

〈「使える金」はすべて本に注ぐ!〉
 

これも、思い切りのいい言葉だ。私なんて、とてもここまでは言えない。

〈若いころに貯金をするといっても、せいぜい年間で50万円か100万円ぐらいしか貯められないだろう。20代から毎年100万円ずつ貯金していったとしても、60歳になったとき貯まっている金は4000万円。一戸建てを買う値段にも満たない。
 そんなお金のために40年をムダにするぐらいなら、今もらっている給料の半分を本代に費やすべきである。
 頭の中に知識を貯金しておけば、いずれ億単位のお金を稼げるようになる。毎年1億円ずつ貯金するのも夢ではない。知識や教養があれば、5億円や10億円を稼ぐのはそれほどむずかしくないのである〉
 

ヒャー、いきなり、成金伝説だ。でもこの人は、マイクロソフト(株)の社長だった人だ。今は、投資コンサルティングをやっている。だから、説得力がある。もっとも、私は、金の問題じゃないと思うけどな。でも、そうなるのも夢じゃないということだ。  

発起人の早大63年入学同級生3人。(左より)布川玲子さん、浜口龍太さん、鈴木邦男
発起人の早大63年入学同級生3人。(左より)布川玲子さん、浜口龍太さん、鈴木邦男

私は貯金は一切ないし、「知識」を金にかえようともしないし、出来なかったが、ただ、学生時代、産経時代と、ムチャクチャに本を読んだ。今、本を書いたり出来るのも、その当時の読書の「貯金」があったからだと思う。その点ではこの成毛に共感する。  

産経の時は、ビルの1階に本屋があって、社員はサインで本を買えた。なんか、ただで買ってるつもりになって、毎日、やたらと買っていた。全部、給料から引かれるんだが、マイナスになった時もある。その時は、夏・冬のボーナスから引かれる。「給料の半分」どころじゃないな。ほとんどを本に使っていた。だから、猿から人間に「進化」出来た。産経ビルの本屋さんのおかげです。感謝しております。

 

でも、1日は24時間。これは誰にでも平等だ。その中で、どうやって本を読む時間を作るか、だ。

〈面白いデータがある。
1974年、フランスのブルターニュ半島のテレビ塔が過激派によって爆破され、その後1年間にわたりその地方にあった130万台のテレビが見られなくなってしまったという事件があった。
 その1年間、この地方ではどんな変化が起きたのか。みんな本を読むようになったので、本屋の収入が増え、子どもは外で遊ぶようになったので健康になったそうである。村の人々のコミュニケーションも増え、つながりが親密になったらしい。今の日本で起きている現象と、まったく逆のことが起きたのである〉

⑤「想像力を奪うもの」を打倒せよ!

映画「砂川の熱い日」監督の星紀市さんと
映画「砂川の熱い日」監督の星紀市さんと
 

そうなのか。いいことづくめだ。もっと子供だって増えただろうよ。日本の過激派は何をしている。テレビ塔を襲え!とハッパをかけてるようだ。そんなことはないのだが、テレビがなくなっても、ラジオやパソコンがあると思うが、違うと言う。

〈パソコンや漫画、ゲームがあるので、そちらに走るかもしれないが、それでも、毎日何時間もテレビの前にボーッと座っている習慣はなくなるだろう。
 テレビをみているとき、番組の内容や情報の裏を考えながら見ている人は少ない。タレントがバカなことをやっていれば爆笑し、陳腐なドラマでは涙を流す。流れる映像をそのまま脳で受け止めて反応しているだけなので、考えるという過程が抜けてしまっているのだ〉
 

恐ろしいことだ。「想像力」を奪うのだ。猿になるんだ。その点、ラジオは違う。自分で「情景」を、「絵」を想像する。脳の力をフルに使う。だから、ラジオを聞いている人はボケない。  

テレビでも、いい番組はあるが、主体的に情報を選びとるのは難しい。「うまくコントロールする自信がないのであれば、真っ先に切り捨てていい時間だろう」と言う。  

さらに、本を読む時間の「作り方」だ。〈お金で時間を買う発想〉を提案している。  

これは、和田秀樹も『大人の勉強法』の中で言ってたよね。本を読む、勉強する時間を作るためには、金惜しみするな、ということだ。  

砂川事件元被告、弁護士の方々と
砂川事件元被告、弁護士の方々と

人間が猿ではなく、人間でいれれるのは、唯一、本を読むからだ。だったら、〈人間〉を維持するためには全てのお金を使うべきだ。そういうことになる。  

たとえば、1時間半も満員電車で通勤している人は、特急のグリーン車を利用すればいい。そして本を読む。この積み重ねは大きい。疲れているのに無理をして電車で立っているより、タクシーを利用したらいい。安いラーメンを食うために行列に並んだりするのも愚かだ。それで倹約して、その金を下らない遊びに費やしているのだ。あるいはデートの金を捻出しているのだ。でも、本を読まないメス猿といくら話をしても、交配しても、人間には戻れない。どんどん猿に退化するだけだ。猿だけが増えていくのだ。  

成毛は、自分の子供にも、ともかく本を読め、と言う。本さえ読めば、あとはいい…と。

〈私は、自分の娘には一流大学に行くことも、一流企業に入ることも、親孝行も望まない。自分の頭で考える人間になってほしいと願うだけである。
 本さえ読んでいれば、政治家や医者になろうが、泥棒やテロリストになろうが、一向にかまわないと思っている。ただし、泥棒なら『オーシャン11』に出てくるような知的な泥棒がいい。テロリストもチェ・ゲバラのように思想を持ったテロリストならいいだろう(どんな革命もテロから始まった)〉
 

思い切ったことを言う。偉い! 私も、そういう子供を育ててみたい。でも、本当に泥棒かテロリストになったらどうすればいいんだろう。「親孝行な奴だ!」と大喜びするのか。この娘さんの感想も聞いてみたいものだ。

 

では、皆さんも、猿にならないように本を読みませう。それで床が落ちて怪我をしても、猿のままで生き延びるよりはいい。オチマイ。

【だいありー】
主催者を代表して締めの挨拶をしました
主催者を代表して締めの挨拶をしました
  1. 9月7日(月)11:00p.m. 打ち合わせ。そのあと取材が1件あって、新宿のジュンク堂で本を探す。8階のティールームはいい。静かだし、明るい。本を買った人が、家まで待ち切れずに読んでる。という感じが、実にいい。猿や猫はいない。「人間」だけがいる。ただし、時々、数人で来て、お喋りしたり、打ち合わせしたりしてる人がいる。困るよな、本屋の中のティールームなんだから、皆、静かに本を読みたい人ばかりだ。注意してほしいよな。
  2. 9月8日(火)昼、打ち合わせ。夜、6時に阿佐ヶ谷ロフトに行く。
    〈「砂川の熱い日」〜米軍立川基地拡張阻止闘争の記録。上映会&トーク〉
     早大(政治経済学部)1963年入学同級生の3人が主催者だ。布川玲子(山梨学院大学教授)、浜口龍太(日本国際ボランティアセンターJVC会員)。そして私だ。学生時代、各々立場は違っていたが、40年ぶりに再会し、結集して、主催したのだ。
     まず、6時半から2時間10分の記録映画「砂川の熱い日」が上映される。貴重な映像だ。砂川闘争の映像と、その後、闘った人々を訪ねて、星紀市さんが撮ったインタビュー映像が入っている。歴史的証言だ。
     それから休憩をはさんで9時からトーク。星紀市監督の他は、次の3氏。坂田茂さん(砂川事件元被告、当時日本鋼管川崎製鉄所労働組合執行委員)。土屋源太郎さん(砂川事件元被告、当時明治大学学生、都学連委員長)。吉永満夫(弁護士)。
     この4人から、報告があり、当時の生々しい闘いが話された。さらに、最後、早大の3人の主催者の挨拶があって、終了した。ご苦労さまでした。
  3. 9月9日(水)急ぎの原稿があったので朝まで原稿を書いていた。1時間ほど寝て、出かける。11時に打ち合わせ。なのに相手は来ない。カゼでダウンして来れなかったらしい。こんな時は携帯がないと不便だ。私だけで先方に会いに行く。午後、取材。夜、柔道。
  4. 9月10日(木)午前中、図書館。3時から河合塾コスモ。「現代文要約」。5時から「基礎教養ゼミ」。今週は、私の選んだ本で、辛淑玉と野中広務の『差別と日本人』(角川新書)を読む。感動的な本だ。辛淑玉さんとは昔、対談本を出した。それも紹介した。
    『こんな日本 大嫌い!』(青谷舎・1500円)だ。何か、挑発的なタイトルだ。1999年11月発行だ。10年前か。6回ほど対談をやって、かなり時間をかけて、話し合った。
     『SAPIO』(9月30日号)発売。小林よしのりさんの「ゴー宣スペシャル 天皇論」に「レコンキスタ」のことが出てました。ありがたいですね。
  5. 9月11日(金)午後、対談。夜、たまってた原稿を書く。朝まで。
     この日発売の「週刊読書人」(9月18日号)に書評を書きました。ローレンス・ライト著『倒壊する巨塔=アルカイダと9.11への道=』(日水社)です。上下巻で900ページもの大作です。読むだけで10時間かかりました。でも、その価値はありました。凄い本でした。あの事件の背後にある論理と心の軌跡が詳しく書かれています。
  6. 9月12日(土)朝の新幹線で新潟県へ。そこから乗り換えて新発田へ。午後1時より、「大杉栄メモリアル2009=映像とことばで日本の近現代史をふりかえる」。新発田市生涯学習センター講堂。
    第1部 映画「鶴彬=こころの軌跡」。
    第2部 講演。鈴木邦男「大杉栄と三島由紀夫=私が魅かれる理由」。
     会場は満員だった。教育委員会が後援してくれた。200人集まった。大杉豊さん(大杉栄の甥)にもお会いした。終わってサイン会。
     新発田は大杉栄が少年時代の10年を過ごしたところで、大杉栄の最も好きなところだ。そこで毎年、「大杉栄メモリアル」をやっていて、今年は私が呼ばれた。光栄です。
     終わって、地元の人たちと打ち上げ。郷土史研究家もいるし、大杉栄を愛する人々が多い。私の方が、教えられ、とても勉強になった。
  7. 9月13日(日)朝早くから、大杉栄ゆかりの地を主催者の斉藤さんに案内してもらう。又、新発田は、「よど号」の田宮高麿さんの故郷でもある。お寺に行き、お墓参りをしてきた。
     又、大倉財閥の大倉喜八郎の故郷でもある。見るところが多い。昼、新潟市に移動して、ジュンク堂書店でのトークライブに出る。それが終わってサイン会。それから地元の新聞社のインタビューを受ける。スケジュールがびっしりだ。夜、東京に帰る。
【写真説明】

①畑中純さんの「マンガ生活35年。大混浴展」を見に行ったら、つげ義春さんにお会いしました。感激です。「鈴木さんのこと、知ってますよ」と言って下さいました。嬉しいです。9月5日(土)、5時、調布の「ギャラリーみるめ」です。大勢の人が詰めかけました。出版社の人に、「畑中さんとはどこで知り合ったの?」と聞かれました。「さあー」と口ごもっていたら、畑中さんが、説明してくれました。
〈『コミック・ボックス』に鈴木さんが漫画評を連載していて、その雑誌で15年前に対談しました。それから、ロフトで宮沢賢治について対談し、私の『まんだら屋の良太』の単行本に解説を書いてもらいました〉
 そうかー。古い付き合いなんだ。
 『まんだら屋の良太』後期選集全5巻の2巻目「愚か者の楽園」に私は「解説」を書いていた。これこそ、「マルクスやレーニンが夢みたユートピア」だ、と書いたんだ。ただのエッチな漫画じゃない。〈思想〉として、厳正に見てたんだ!

②畑中さんの作品の前で。かなりエキサイティングな絵が多い。「モデルはいるんですか?」「いませんよ。全て想像です」。でも、女性の顔は皆、奥さんに似ている。「まァ、手近にいるから、どうしても似るのかな」。「ポーズを取らせるんですか」「しません。言うことききませんよ!」。
 娘さん2人も来ていた。1人は結婚し、子供もいる。畑中純さんもおじいさんか。

③今回、集中的に取り上げた本ですよ。成毛眞さんの『本は10冊同時に読め!』(三笠文庫)。ショッキングな本でしたね。又、猿に戻ったら大変だと焦りました。

④今まで私も「読書論」を6冊位、出してるんですね。まず、『本が面白くなる!超読書術』(かんき出版・1200円)。1990年発行です。19年前ですね。これが一番完成した本だと思います。「朝生」の「日本の右翼」の直後に出た本なので、帯に「朝生」のことも書いている。

⑤『闘う日本語』(エスエル出版会・1500円)。現代の「奇書」です。これも、19年前か。1999年の「復刻新版」では、何と呉智英さんが「解説」を書いてくれてます。目次を見たら、「日本語もセクシーに闘っている」「愛と革命の読書道」なんて項目もある。一体、何を書いてるのでせう。

⑥『読書大戦争=日本語の楽しい遊びと現代の読み方』(彩流社・1500円)。読書を通して、マジメに日本を語ってます。世界を語ってます。1986年発行です。随分前ですが。エッ!23年前に書いたのか。完全に忘れてた。読んでみよう。

⑦『行動派のための読書術=よりよい〈知的生活〉のために=』(長崎出版・1200円)。これが読書論のスタートですね。古典的な存在ですね。古本屋でも、あまりないでしょう。1980年に初版が出てます。29年前か。こんな昔から、読書論を書いてたんだ。それに、「月30冊のノルマ」を宣言している。「メシは食わなくても本は読む」「金があったらともかく本を買う」「無償の行為こそが実を結ぶ」と書いている。成毛眞さんと同じことを言っている。
 さらに、第二章は、「書くこと」。第三章は「考えること」に言及している。懐かしいですね。ストイックな「読書道」ですね。今、パラパラと読んでも感心します。痛々しい読書道です。涙が出ます。  他にも読書の本を書いたと思う。そうだ。遠藤誠さんと『行動派の整理学』(現代書館・2575円)という本を出してるよな。1994年だ。さらに何冊かあったと思う。思い出したら紹介しよう。それにしても、全て20世紀だ。21世紀になってからは全く書いてないね。ウーン、書くべきか、書かざるべきか。それが問題だ。

⑧9月8日(火)6:30p.m.から阿佐ヶ谷ロフトで、砂川闘争の映画とトークの夕べをやりました。映画が終わってから、砂川事件のトークをしました。映画監督・星さん(右)、砂川事件の元被告、坂田さん、土屋さん。左が吉永弁護士。下で立ってるのが主催者で司会の布川さんです。

⑨主催者の3人です。早大政経の63年入学同級生です。布川玲子さん、浜口龍太さん、私です。

⑩映画「砂川の熱い日」の監督の星紀市さんと。砂川で闘った人々を訪ね歩き、当時の話を聞いてます。貴重な記録です。その時、星さんは豆腐屋さんでした。だからこそ、皆、安心して取材に応じてくれたといいます。

⑪トークが終わって、元被告のお二人(両端)、坂田さん(左)、土屋さん(右)。それに弁護士の吉永さん(中)です。とても貴重な証言を聞かせてもらいました。

⑫最後に、我々主催者の3人が挨拶しました。『早大政経67年卒業アルバム』を持って行って、皆に見せました。主催者3人は63年入学で、同じクラスでした。アルバムには布川さんも私も載ってます。でも坂口さんは学生運動で暴れて、除籍。だから載ってません。3人は、あくまでも「63年入学組」の3人なんです。

【お知らせ】
  1. 『週刊金曜日』(9月4日号)の「小林拓矢が選ぶ3冊」のコーナーに、私の『愛国と米国』(平凡社新書)が取り上げられてました。ありがたいです。
    〈国民や軍部が戦争を望み、天皇は空気を読んだ—精神論が戦争を招き、その構造を世界中から見抜かれた。
     新右翼から左右両派に受け入れられる思想家に変化した鈴木邦男氏が、自身の経歴も交えながら、日米関係と戦争について考える〉
     鋭い分析です。ありがたいです。
  2. 9月14日(月)午後7時より、一水会フォーラムホテルサンルート高田馬場。講師は高野孟さん(ジャーナリスト)。
  3. 9月17日(木)午後1時〜3時半。日比谷公会堂。「あの戦場体験を語り継ぐ老若の集い」。元兵士たちが語ります。ぜひ参加して下さい。
  4. 9月28日(月)午後7時、Parc自由学校で講演します。「天皇制と民主主義」です。「Parc自由学校2009」の受講案内のパンフレットが送られてきた。「連帯のための哲学=生きる場のことばと実践から」のコーナーで私は講義します。パンフレットには、私の「天皇と民主主義」の講義の紹介が書かれている。
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉
  1. 10月3日(土)午後1時から、阿佐ケ谷ロフト。「三鷹事件」についてのトークイベントを行います。60年前に起きた事件の真相に迫ります。無実を訴え、獄中で亡くなった竹内景助さんの無念。アリバイが成立していたのになぜ再審が実現しなかったのか。
     「三鷹事件の真相」(30分)の貴重な映像を上映します。その後、トークイベントを行います。高見澤昭治さん(弁護士、『無実の死刑囚・三鷹事件、竹内景助』著者)、小林正弘(三鷹事件60年集会実行委員長)、鈴木邦男、その他がパネラーです。