愛国心、天皇制、右翼。大杉栄、そして猫。について話をした。3回講演したんだよ。9月は。9月12日(土)、新発田で大杉栄について講演した。9月26日(土)、学生平和研究所で、「ボクがシンウヨクと呼ばれる理由(わけ)」を講演した。9月28日(月)はParc自由学校で「天皇と民主主義」について講演した。月に3回か。これが限度だ。あるだけの私を出し切った。
大杉栄の『自叙伝』は日本の伝記文学の中でも最高のものだろう。4才から14才までの最も多感な時代を新潟県新発田市で過ごす。「いつも新発田の自由な空を思い出した」という。ここが大杉の故郷だ。後にアナキストになる。愛と自由の人になる。3人の女性と自由恋愛を実行するが、その均衡が崩れ、1人の女性(神近市子)に刺される。さらには憲兵隊に拉致され、伊藤野枝と共に、虐殺される。「愛と受難の人」だ。
では子供時代も愛に生きた、優しい少年だったのか。そんなことはない。腕白少年だ。「悪ガキ」だった。よく喧嘩した。それも、口喧嘩や、素手の殴り合いではない。そんな「子供っぽい」ものではない。何と、竹竿を持って集団で叩き合うのだ。危ないじゃないか。さらに「石合戦」だ。集団で、石を投げ合うのだ。もっと危険だ。本当に石を投げるのだ。大怪我をした人間だっていただろうに。残酷なガキたちだ。敵の大将を捕獲した時の話だ。
〈とうとうみんなでそいつをおっ捕まえて、さんざんに蹴ったり打ったりして、そばのお壕の中へほうりなげて、凱歌をあげて引きあげた〉
これは、「戦争」だ。大人も戦ってるんだから、我々だって…と、子供も思ったのか。それにしても、「竹竿」のどつき合い。投石…。何かを思い出さないだろうか。そうだよ。全共闘だよ。竹や、ゲバ棒を持って機動隊と戦った。投石した。大杉少年、10才の時は1895年だ。今から114年前だ。114年前の新発田に全共闘の〈原点〉はあったのだ。
それに、大東亜戦争末期の「竹槍訓練」もあったな。これらも全て、新発田から始まった。
と思ったが、「竹槍」はもっと昔からあったか。戦国時代に百姓が逃亡武将狩りをやった時も竹槍だった。明智光秀が三日天下のあと、山中で百姓に刺し殺されたのも竹槍だ。いや、その昔からあった。ヤマトタケルの頃もあったんだろう。じゃ、日本における最も古い武器なのかな。「竹槍の精神」こそが「日本文化」かもしれない。よし、これで1冊、書ける。
それにしても子供は残酷だ。下村湖人の『次郎物語』を読んだときもそう感じた。弟ばかりが父母に可愛がられてることに嫉妬して、弟のカバンを便所に投げ捨てる。トンボをセーターにとまられて、いきなり引っこ抜く。頭だけがセーターにぶら下がる。それを何十個もセーターにつけて得意になる。子供って残酷だ、と思った。
大杉の『自叙伝』にも、そんな残酷な話が沢山ある。大杉は喧嘩ばっかりの毎日だった。
〈僕はこんな喧嘩に夢中になっている間に、ますます殺伐なそして残酷な気性を養っていったらしい。なんにもしない犬や猫を、見つけ次第になぐり殺した。そしてある日、例の障害物のところで、その時にはことさらに残忍な殺しかたをしたように思うが、とにかく一匹の猫をなぶり殺しのようにして家に帰った。自分でもなんだか気持ちが悪くって、夕飯もろくに食わずに寝てしまった〉
ひどい子供だったんだね。ところが、〈事件〉は、この夜に起きたのです。
〈母は何のこととも知らずに、心配して僕の枕もとにいた。だいぶ熱もあったんだそうな。夜なかに、ふいと僕が起きあがった。母はびっくりして見守っていた。すると僕が妙な手つきをして、「にゃあ」とひと声鳴いたんだそうな。〉
ヒャー、凄いですね。猫の祟りですね。怪談ですね。私も昔、この『自叙伝』を読み、肝を潰した。それ以来、「猫殺し」をやめました。いや、元々、猫は殺しちょらんです。
しかし、看病してた母親も驚いたでしょうね。息子が急に猫になったんだ。でも、偉いんですよ。お母さんは。
〈母はすぐにすべてのことがわかった。「ほんとうに気味が悪いのなんのって、私あんなことは生まれてはじめてでしたわ。でも私、猫の精なんかに負けちゃ大変だと思って、一生懸命になって力んで、『馬鹿』と怒鳴るといっしょに平っ手でうんと頬ぺたを殴ってやったんです。すると、それでもまだ妙な手つきをしたまま、目をまんまるく光らしているんでしょう。私もうたまらなくなって、もう一度、『意気地なし。そんな弱いことで猫などを殺すやつがあるか。馬鹿!』と怒鳴って、また頬ぺたを一つ、ほんとうに力いっぱい殴ってやったんです。それで、そのまま横になってぐうぐう寝てしまいましたがね。ほんとうに私、あんなに心配したことはありませんでしたよ」
母はよくそう言って、その時のことを人に話した。そして僕は、その時以来、犬や猫を殺さないようになった〉
お母さんが「意気地なし!」と殴ったんですね。それがなかったら、大杉少年は、ずっと猫のままだったでしょう。でも、大杉の写真を見ると、眼だけは、ランランと光り輝いているし、猫の眼だ。
私は猫を殺したことがない。ひっかかれたことはある。被害者だ。それなのに、時々、寝ていて、「ニャオー」と叫ぶことがある。自分の声で目が覚めてしまう。どうしてなんだろう。
以前、ネットの古本屋で見つけて、『猫と愛国心』という本を買った。5万円もする高価な本だ。私なりに、今度『猫と愛国心』を書いてみたい。
「古本を買ってはいけない!」って親父に言われたんだろう。と「朝日新聞」(9月27日付(日))の「おやじのせなか」を読んだ人に言われた。たしかに、親父にはそう言われた。「古本は貧乏で泣く泣く売った人の怨念がこもってるから買ってはいけない」と。昔はそんな人もいたのだろう。今はいないさ。それで安心して買っている。
そうだ。これは私のことだ。かなり高い本を持っていた。しかし、金に困って、随分とブックオフに売った。泣く泣く売った。だから、それを買った人は、今も私の怨念に苦しめられているだろう。
私の父は、税務署の署長だった。でも、小学校しか出てなかったという。兄貴から聞いた。中学に合格したんだが、家が貧しくて、行かしてもらえなかった。その時の苦しい思い出が「古本」にあるのかもしれない。でも、小学校出で、いわば、丁稚奉公のような形で税務署に入り、だんだんと本採用になり、一つ一つ、階段を登り詰め、そして署長になった。
こんな話は新聞社でもある。小学校しか出てない子供が、「給仕」として新聞社に入る。お茶を配って回るだけだ。そのうち皆に認められて、文章の書き方を教わり、記者になっていく。そんな方法、道があったのだ。
今は、そんなことは絶対にない。大学を出なければ、入社試験も受けさせてくれない。昔の方が、「チャンス」があった。ソーシャル・モビリティがあった。「敗者復活戦」もあった。今の方が不自由だよ。
「おやじの教え」のもう一つ。「本をまたいではいけない」。子供の頃、邦男少年は、本をまたいで叱られたんだそうな。本は大事にしろ、ということだ。これは今も守っている。いや、守るつもりだが、狭いアパートだ。あの映画撮影以来、部屋中がごった返している。本も畳の上に散らばっている。つい、つまづいて、蹴飛ばしたりしている。でも、すぐに、「ごめんなさい!」と謝っている。本に。狭いアパートで、本に気を遣って、生きている。
それにしても、「おやじのせなか」は、よかったですね。まとめ方がうまいし。カメラマンもうまいし。
それに、さすが朝日ですね。全国で見た人が多くて、電話やメールをくれました。中には、「写真が大きく出てるんでビックリしましたよ。又、捕まったのかと思ったよ!」と。もう捕まりません。これからは、もう悪いことはしません。例の事件は、あれもこれも全て、時効になりましたし…。
では、講演の話です。9月26日(土)は、「学生平和研究所」主催ですから、学生ばっかり50人でした。卒業生も若干いました。そして、結婚し、子供のいる人もいました。入場時のテーマソングはモー娘。の「ザ・ピース」でした。私の好きな曲だと聞いて、かけてくれたのです。
だから、話も「ピース」なものにしました。
タイトルがいいんで、私も、燃えましたね。「生ウニ・生ゴミ・生くにお」でした。ちょっと違ったかな。「生麦・生米・生くにお」ですね。早口言葉でやってみませう。
右翼」といったら怖い。と思ったのでしょう。いつも身構えている、鎧を着ている。コロモをつけている。そう思ったんで、「生」のくにおを聞いてみたい。それで呼んでくれたんでしょうね。
そして、「生くにお」の講演です。普段は「生」じゃないのか。では、「生」じゃないくにおには、どんな種類があるのでしょうか。「フライドくにお」「味噌煮込みくにお」「つけ麺くにお」…と、いろいろあるんでしょう。
楽しいイベントで、お世話になりました。
9月28日(月)はParc自由学校でした。3年ぶりでした。「連帯のための哲学—生きる場のことばと実践から」というシリーズです。菅孝行さんや、鈴木宗男さん、松本哉さんたちが出ます。全体の責任者というか、コーディネーターは大岡淳さん(演出家)です。実は、この人、河合塾コスモでも教えています。学校にいた時に頼まれたんですね。私の講演「天皇と民主主義をめぐって」の時も、来てくれました。そして、始まる前に挨拶をし、私の紹介をしてくれました。とても詳しいのです。又、コスモの先生は皆、左翼かと思ったら、大岡さんは、右翼の本も随分と読んでるし、葦津珍彦さんの本も読んでるし、須藤久さんの本も読んでいる。久しぶりに私も、この名前を聞きました。
話しやすかったですし、受講生の中にはプロレス・ファンもいて、「ジャーマン・スープレックスは誰が一番うまかったですか?」といった質問も出ました。
そうだ、「学生平和研究所」の講演の時も、学生が私の紹介をやってくれた。「鈴木さんの本は全部読んでるし、全てを知ってる」という。「じゃ、君が講演してよ」と言ったんだが、ダメでした。だから、「生くにお」については余り知らない私が喋りました。
講演のレポートを2つやったところで、最後は猫ですね。9月23日(水)、新宿のTSUTAYAにビデオを返しに行った。そしたら、凄い騒ぎだった。人がウワーッとたかっている。TSUTAYAのちょっと手前、高野ビルの前ですよ。地図板(というのかな)がある。近所の地図、「新宿区役所はこっち」「新宿御苑はこっち」と表示してある。その板の上に猫がいたのだ。幅は5センチあるかないか。かなり高いし、そこに、ビッチリと子猫が5匹、とまって、寝ている。
それを見守る一千人の観衆。どんどん人は増える。皆、カメラでパチパチと撮っている。高いところに、どうして猫が登ったのか。何の目的で?と皆、話し合っている。「これは愉快犯の犯行だ」と私は見抜いた。猫は自分で、こんな高いところに登れない。登る足場がない。誰かが、「ウケよう」と思って、猫を、ビッチリ並べておいたのだ。猫は怖いし、でも降りれない。それで、ヤケになって、寝てるのだ。私はそう分析した。
「そんなバカな」という人もいた。しかし、私の「推理」は間違いない。ダテに国内外の推理小説を読み漁ったのではない。
「キャー、かわいい!」「でも、どうやって登ったの?」と皆、口々に言い合っている。野原で、ミステリー・サークルを発見した人々のようだ。
そのうち警察も来た。さあ、どうする。どうなる。私は、じっと見守っていた。2時間も、この「新宿騒乱」を見ていた。乱闘になったら、私の出番もある。猫を助けてやんなくちゃならん。そう思っていたら、「犯人」はとうとう現れた。「私が上に登って猫を並べました」と自供した。「何でそんなことをしたんだ!」と警察官に叱られている。「食事に行こうと思って。猫連れだと店に入れないと思って…」と弁解している。自分は食事に行ったのに、猫は、腹を空かせて、フテ寝してたんだ。猫のことも考えてやれよ。
そして、小言を言われて、男は釈放。3匹の猫はカバンに入れ、もう2匹は自分の肩に登らせる。そして、その場を去る。一体どこへ行くんだと思い、私は、つい好奇心で付いて行きました。まるで「ハーメルンの笛吹き男」に付いて行く子供のようですね。
そして、着いた所は、「猫の共和国」でした。ここも多くの見物客がいて、猫と遊んでました。私も、「ニャー」と鳴いて、猫に戻ってしまいました。どこまで来たのか分かりません。でも、後ろに港が見えるので、横浜でしょうか。あるいは晴海埠頭かもしれません。晴海埠頭というと見沢知廉氏ですね。あの悲劇的な査問事件があった現場ですね。怖いですね。でも、そんなことは全く思い出さず、私は猫に戻り、遊びました。猫に癒されました。オワリ。
①9月26日(土)、オリンピックセンターで、ボンバイエをしました。午後7時から、「学生平和研究所」主催の講演会です。「生麦、生米、生くにお」です。いやー、楽しい講演会でした。生くにおの好きな歌ということで、入場の時はモー娘。の曲がかかりました。
⑤Parc自由学校の講演で。9月28日(月)、午後7時から、「連帯のための哲学」というシリーズの中の1つとして、私は「天皇と民主主義をめぐって」の講演をしました。この「連帯」シリーズの責任者の大岡淳さんが挨拶し、私の紹介をしてくれました(写真左)。(写真右)はParcのスタッフの内田さんです。お世話になりました。
⑥「朝日新聞」9月27日(日)付朝刊です。「おやじのせなか」に載りました。写真がうまいですね。ありがとうございました。結構、見た人が多かったようで、電話やFAX、メールがありました。風見さんのお母さんも見たと、手紙をくれました。
⑦〜⑧9月23日(水)、凄い騒ぎでした。まるで「1968年の新宿騒乱」のようでした。新宿の高野ビルの前です。1Fは果物屋、上がフルーツパーラーの建物です。その前は、1000人もの人が集まって、騒いでいる。地図(案内板)の上に、5匹の子猫がいる。5センチ位の幅のところに5匹だ。うまく乗っかったもんだ。「どうやって乗ったの?」「キャー、かわいい!」と人々が写メしてました。
これは「愉快犯」の仕事だと私は見破りました。「そんなことはない」と周りの人は言います。ついに「群衆整理」のために警官も動員されました。私は、ずっと見てました。2時間も。忙しいのに、こんなことをしていいのか、と思いながら…。でも、何か〈事件〉が起きそうで、気になって…。
⑨やっと、その「仕掛人」を警察は捜し出したんですよ。「仕掛人」は渋々、5匹を降ろし、カバンに入れて、立ち去りました。別に逮捕はされない。私は、興味を持って、すぐ後を付いて行きました。「ハーメルンの笛吹き男」に付いて行った子供のようですね。
⑩「ハーメルンの笛吹き男」に付いて行った子供たちは海に落ちて死んでしまうんですが、この「猫だき男」も、やはり海に着きました。私も、そこまで付いて行きました。何と、そこは「猫の共和国」でした。何百万匹という猫がいました。