2009/10/19 鈴木邦男

冤罪と死刑について考えた

①足利事件の菅家さん、佐藤弁護士に会った!

足利事件の菅家利和さん(中央)、佐藤博史弁護士(右)。(10/10)
足利事件の菅家利和さん(中央)、佐藤博史弁護士(右)。(10/10)

やっと会えた。前から、会いたい、会いたいと思っていた。足利事件の菅家利和さんと佐藤博史弁護士だ。今や「時の人」だ。テレビにもよく出ているし、本も随分と出ている。でも実際に話を聞いたのは初めてだ。10月10日(土)、死刑廃止運動をやっている「FORUM90」主催の集会に2人が出て話すという。これは聞かなくちゃ、と出かけた。

冤罪で逮捕され17年も、獄中にあった菅家さんの話は、聞いてる我々も苦しくなる。「絶対に許せない」と何度も何度も言う。分かる。本当に酷い話だと思う。

取り調べの過酷さに、つい「自白」する。女の子を殺した容疑だ。さらに、その前に2件、同じような事件があった。「それもお前がやったのだろう」と責め立てられる。それも「自白」する。しかし、全ては冤罪だった。警察と検察の「作文」だった。裁判の場で、「実は、やってません」と言うと、(前の)弁護士は、「それはマズイ」と裁判長にあてて上申書を書かせる。「あれは死刑になるのが怖くて口走ったことです。すみません」と。DNA鑑定もあるのだし、自白もしている。菅家さんは犯人だと弁護士までが思い、決めつけたのだ。だから、裁判長の心証を悪くしないように、情状を求める作戦だったようだ。誰も助けてくれない。

集会の後、死刑廃止を訴えるデモに参加した(10/10)
集会の後、死刑廃止を訴えるデモに参加した(10/10)

救ったのは佐藤博史弁護士だ。初めて面会した瞬間から、「菅家さんは無罪だ」と確信し、弁護活動を展開する。調書を読み、「この自白は嘘だ」と見抜く。なぜ裁判官が見抜けないのか、それが不思議だ、と言う。そしてDNA鑑定をやり直させ、菅家さんを救出する。奇跡的な勝利だ。この問題では、過去の捜査、取り調べについて警察、検察は謝罪した。しかし、裁判所は謝らない。

10月10日の集会で、終わった後、主催者の人が2人を紹介してくれた。「大変でしたね。よく頑張りましたね」と菅家さんに行った。何と声をかけていいのか分からない。「いや、全ては佐藤弁護士のおかげです」と菅家さんは言う。その佐藤弁護士は、「あっ!鈴木さん。いろいろ読んでますよ」と言う。ありがたかった。「さっきのアジ演説、凄かったですね。学生運動をやってたんでしょう」と言ったら、「いやー、分かりましたか」と照れていた。でも、今、60才だ。全共闘世代ではないが、まだ学生運動が残っていて、闘ったのだという。やっぱりな、と思った。

集会の時の話を聞いて、ピンと来た。集会は1時から6時まで。4部構成で、2人はそのうち1時間弱だ。皆、椅子に座って喋るが、佐藤弁護士は立ち上がり話す。熱弁だ。冤罪を打ち破る闘いの報告だ。でも報告・説明だけではない。警察・検察・裁判所を徹底批判する。攻撃する。国家権力を糾弾する。うわー、アジ演説だと思った。

集会の後、死刑廃止を訴えるデモに参加した(10/10)
集会の後、死刑廃止を訴えるデモに参加した(10/10)

学生運動が盛んな頃、よく聞いていた。元気がいい。学生運動で培った情熱と技術をぶつけて、佐藤弁護士は勝利したのだ。この集会を主催した「FORUM90」代表の安田好弘弁護士も学生運動出身だ。一橋大学で闘っていた。今も、貫くものは「社会正義」だ。反権力だ。だから、「得にもならない闘い」も引き受ける。オウムの麻原彰晃、光市事件などの弁護だ。「なぜあんな極悪人を弁護するんだ!」と批判する人もいるが、それは、批判する人が間違っている。裁判制度があるのだし、悪人といわれる人も弁護しなければならない。いや、誰が見ても許せない人間こそ弁護士が必要なのだ。

帝銀事件の主任弁護士だった遠藤誠さんは、『私は「悪者」に味方する』(筑摩書房)という本を書いている。挑発的なタイトルだが、弁護士活動の本質を衝いてると思った。

「こんな悪党は弁護する必要がない。弁護士も必要ない。すぐ殺せ!」では、リンチだ。裁判ではない。遠藤さんは亡くなったが、安田弁護士の活躍を見ていると、遠藤さんのことをいつも思い出す。この安田さんに言われて私は、カレー事件の林眞須美さん支援に関わることになった。

②死刑囚の絵画、作品を見た

アレフ(元・オウム)広報部長の荒木浩さんと一緒に歩いた(10/10)
アレフ(元・オウム)広報部長の荒木浩さんと一緒に歩いた(10/10)

安田さんは港合同法律事務所に所属している。ここには大口昭彦弁護士もいる。早大全共闘議長だった。早大政経の同級だ。学生時代は毎日、激突していた。でも今は仲がいい。「昨日の敵は今日の友」ですよ。「あの頃はよくやられたよ」。「いや、こっちこそ殴られてたよ」と過去の闘いを懐かしく振り返っている。日露戦争後の乃木大将とステッセルのような感じかもしれない。

40年前、早大では毎日、左翼学生(全共闘や民青)と殴り合いをし、論戦をやっていた。そんなミニ〈戦争〉を体験したからこそ、皆、たくましく成長したのだ。弁護士になったり、政治家、学者になってる人が多い。早大だけでも、高野孟、大谷昭宏、高橋伴明、呉智英、宮崎学、立松和平…と、数え切れないほどいる。

では再び、「集会」の話だ。第1部は、「報告・政権交代と死刑廃止への道」。「死刑廃止を推進する議員連盟」会長・亀井静香さんのメッセージが読み上げられる。そして「議員連盟」事務局長の保坂展人さんが現状を報告する。保坂さんは衆院選で落選したが、「引き続き事務局長をやってくれ」と亀井さんに言われたという。民主党政権になり、死刑は「停止」という観測もあるが、それは甘いという。自民政権下では死刑を執行すると「よくやった。毅然としている」と、支持率が上がったという。不気味な話だ。周りから責められて法相がサインするかどうか。させないように国民の死刑反対の声が必要だ、という。

大川豊さん(左)、塩見孝也さん(右)。(イラクで。2003年2月)
大川豊さん(左)、塩見孝也さん(右)。(イラクで。2003年2月)

第2部は、「死刑囚の表現をめぐって」。大道寺幸子基金の発表とシンポジウム。2004年に亡くなられた死刑囚の母・大道寺幸子さんが残された基金により始められた死刑囚の作品募集(文芸作品、絵画、イラスト等)に寄せられた作品を展示・紹介しながら、選考委員の皆が語る。選考委員の太田昌国さん、加賀乙彦さん、川村湊さん、池田浩士さんが語る。評価する点は評価するが、厳しい批評もある。小説は、自分の事件を題材にしたものがあるが、自己弁護に陥っているものもある。それらには厳しく批判もする。又、俳句、短歌もいいものがある。絵画も、A4の紙しか中に入らないので、15枚を続けて大作を描いたものもある。大変だ。

それに驚いたのは、ミッキーや名探偵コナンを描いたものがある。以前なら、こんなことはあり得なかったと太田さんは言う。以前は、写経をするとか観音像を描くとか。それ位だったという。多分、「死刑囚だから」という(見えない)圧力があったのだろう。自分でも、そう思ったのだろうし、外部の眼も、「殺した遺族のことを考えろ」と迫ってくる。だから写経や観音像しか描けなかったのだろう。太田昌国さんとは最近、よく会う。終わってからもいろいろ話をした。蓮池透さんとの対談本を出してるし、私も勉強になった。加賀乙彦さん、川村湊さんとは久しぶりに会ったのでお話をした。

③死刑反対のデモに出た

「砂川闘争」の現場を訪ねて(10/13)
「砂川闘争」の現場を訪ねて(10/13)

第3部は足利事件の菅家利和さんと佐藤博史弁護士が登場する。司会は岩井信弁護士だ。いかに冤罪がつくられたかが詳しく報告される。取り調べの厳しさに菅家さんは「自白」する。しかし、裁判官がなぜ「自白の嘘」を見抜けないのか。弁護士は見抜いたのに。検察、裁判官が「劣化」しているのだ。だから裁判員制度で民間人の「普通の視線」を取り入れようとする。全共闘出身者で弁護士になり、闘っている人は多い。全共闘という権力との闘いをやってきた戦士たちだ。だから優秀だし、闘いの覚悟も実践スキルもある。それに比べ、検察、裁判官はそれがない。劣化するのも当然だ、と思った。

第4部は「裁判官の証言」。元裁判官の井垣康弘、生田暉雄、木谷明さんが出席。司会は安田好弘弁護士。これに先だって、元裁判官の方々に「裁判員制度と死刑に関するアンケート」を広く行った。回答者の8割は「誤判は避けられない」と答えていた。これも驚きだが、さらに木谷さんの発言が驚きだった。「私は残り2割の人が、避けられると答えたことが驚きだ。そこまで断言できるのか」と。なるほどと思った。「一生懸命やったが、自分だって誤判がなかったか、いつも考えている」と言う。謙虚な人だ。少しでも誤判を避けるような方法をとるべきだろう。

青木市五郎さんのお孫さん(中央)、布川教授(右)。(10/13)
青木市五郎さんのお孫さん(中央)、布川教授(右)。(10/13)

アンケートでは、死刑については真っ二つに分かれていた。現行法下では死刑があるから、判決しなくてはならない。しかし、本当はやりたくないのだ。死刑さえなければ死刑判決を下さなくてもいいのに。…といった苦悩が現れていると思った。

1時から始まった集会は、5時半に終わる予定だったが、延びて6時に。それからデモだ。なんか、デモというと不安になる。デモ→機動隊との衝突→逮捕と。条件反射的に連想してしまうからだ。でも、弁護士さんが多いし、そんな「危ないデモ」にならんだろう。と思って参加する。しかし、デモなんて久しぶりだな。2003年(平成15)2月15日〜24日に開戦直前のイラクに行った。反米デモをした。あの時以来かな。じゃ、6年ぶりだ。いや、小田実さんが亡くなった時、追悼デモに出たな。その時は、小熊英二さんと一緒に歩いた。そうだ。日教組の人達とデモに出たこともあったな。

と回想しながら歩いていたら、隣りにオウム真理教の荒木浩さんがいた。あっ、久しぶり。見たら、アムネスティの旗を持っている。私も、ペンライトを持っている。皆、いろんなものを持たされる。そのうち、お年寄りから「かわってくれ」と言われ、横断幕を持たされた。いつも、「オウム」と言ってるが、今は「アレフ」になったんだ。安田さんは麻原の弁護をやってるし、その繋がりかもしれない。荒木さんとは、いろいろ話しながら歩いた。

阿豆佐味天神社で。ここに集合し、「砂川闘争」は始まった
阿豆佐味天神社で。ここに集合し、「砂川闘争」は始まった

死刑廃止を訴える静かなデモだ。交通整理の制服警官は仕方ないが、沿道には公安が大勢いて、写真を撮っている。なんでこんな大人しい集会やデモに公安が大挙して来てるのだろう。アッ、荒木さんがいるからか。「いや、鈴木さんがいるからでしょう」とお互い、譲り合いました。美しい光景です。新宿のビル街を歩いていると、ビルの巨大なスクリーンに、「オウム真理教逃亡犯!目撃情報をお寄せ下さい!」と逃亡犯の写真がデカデカと出る。あっ、荒木さんがデモしてるんで、意図的に出したんだ。「そんな!偶然ですよ」と謙遜していた。

それにしても、かなり歩いたな。万歩計を見たら、2万歩も歩いていた。2日分の「徒歩ノルマ」を達成した。人生は全て、ノルマですよ。デモだって、今までに一生分のノルマを達成したから、もういいだろうよ。

④安田弁護士の孤独な闘い

60年安保。全学連副委員長の篠原浩一郎さんと(10/13)
60年安保。全学連副委員長の篠原浩一郎さんと(10/13)

そのあと新宿の居酒屋で打ち上げ。安田さん、太田さん、加賀さんたちとお話ししました。「鈴木さんは太らないね。節制してるの?」と安田好弘弁護士に言われました。「いや、太ってますよ。メタボ鈴木と言われてますよ」「そんなことないですよ。運動してるんでしょう?」。

そうか。最近、バンドエイドを買った。違った。ブルワーカーを買った。8千円だ。テレビを見ながら、やっている。そのせいかもしれない。「そうですか。私はロデオ・ボーイで失敗しました」と言う。あっ、そんなのあったな。馬の格好をした器具で、乗ると動く。それだけで痩せる。手軽でいいじゃないか。「と思って使ったら、さっぱり痩せない」と言う。それどころか、馬(ロデオ)から落ちて怪我をした、と言う。

「じゃ、ロデオ・ボーイをくれた人が犯人です。相手側が裁判に勝とうとして、ロデオを贈ったんです。訴えたらいい」とアドバイスしました。「いや、自分で買ったんです」。3万円で買った。乗ってるだけなら楽だと思った。酔っ払って家に帰り、ロデオに乗り、裁判調書を読んでいた。そんなことをするからだ。もっと、真面目に取り組まなくちゃ。ロデオもムッとしたんでしょうな。暴れた。それで振り落とされた。落ちたら受け身をとればいいのに、板の間だ。それに家が狭いから、落ちる前に壁に激突した。額を切った。二次被害だ。じゃ、ロデオを訴えて、裁判闘争をやったらいいじゃないか。でも、多分、「酒を飲んで乗らないで下さい」とか注意書きが書いてあるんだろうな。訴えても、弁護士の敗訴だよ。困ったね。敏腕弁護士も太刀打ちできない。

旧・砂川町役場で決起集会(10/13)
旧・砂川町役場で決起集会(10/13)

でも、どうしてロデオ・ボーイなんか買ったんだろう。「それで痩せた人がいたんです」「何人?」「1人です」。1人じゃ「実証例」にならんよ。千人位、アンケート調査をして、何割の人が、それで痩せたかを調べて、それから買えばいいんだ。裁判官に大々的なアンケートを実施したんだから、その時、一緒にやってもよかった。「ついでですが、ロデオ・ボーイを使ったことのある人は答えて下さい」とか。裁判官は使わないか。じゃ、ネットで広く、訴えて、回答をもらってもいい。それで、8割が痩せたという。よし、じゃ、買おうと思えばいい。

甘いよ。弁護士のくせに。それに「痩せた1人」は、そんな馬に乗らなくても、痩せたんだよ。酒も飲まず、ストイックに生活してたんだよ。たまたま、馬に乗ったかもしれないが、覚悟が違う。酒に酔って、ちょっと馬に乗って痩せようなんて甘いんだ。と、敏腕弁護士に説教してやった。

⑤遠藤誠先生の本を読んでたら、アララ…

竹田恒泰さん(中央)、木村三浩氏(一水会フォーラム。10/13)
竹田恒泰さん(中央)、木村三浩氏(一水会フォーラム。10/13)

家に帰って、遠藤誠弁護士の『私は「悪者」に味方する』(筑摩書房)を本箱から取り出した。これこそ弁護士の原点だ。読み返していたら、「逮捕は他人事ではない」と書いている。そうだよな。足利事件のように、普通の人が突然、逮捕され、「犯人」にされてしまう。恐ろしい世の中だ。

〈1984年(昭和59)の話です。ゲリラか何かをやったというので、警察は縁もゆかりもないところでいっせいにガサ(捜索)をはじめました。その一環として、私の知人である鈴木邦男氏の自宅と、当時彼が代表を務めていた新右翼の政治団体・一水会が、その関係のないゲリラ事件で捜索、差し押さえを受けました〉

エッ、私のことが出てるよ。

〈その時、鈴木氏は「令状を見せろ」といい、それをゆっくり見てると、「もういいだろう」と警察はひったくり、その時、ビリッと令状は破れた。ヤバイと思った警察官は、自分の責任になるのを恐れて、いきなり「お前が破った!」と鈴木氏を逮捕。典型的な「転び公妨」です。自分でわざと転んで、「お前が突き飛ばした!」と言って、難癖をつけて逮捕する手口です。鈴木氏は、あぜんとなり、警察に行って説明したら分かると思ってパトカーに乗せられた。しかし、いくら説明しても分かってくれない。検事も分かってくれない〉
一水会フォーラムの打ち上げで。(左から)木村三浩氏、竹田恒泰さん、堀辺正史先生
一水会フォーラムの打ち上げで。(左から)木村三浩氏、竹田恒泰さん、堀辺正史先生
〈以来、毎日毎日、朝5時にたたき起こされ、夜の12時まで取り調べが続きます。調べるほうは入れ替わり立ち替わりです。「おまえが令状を破ったんだろう。警官は破ったときの様子を事細かに述べているぞ」と、執拗に責め立てるのです。
 そのうちに、勾留期間が切れる時期になりました。検事は10日間の勾留延長請求を裁判所に出したのです。これで合計22日間です。21日目になり、激しい取り調べを受けているうちに、鈴木氏はだんだん自分が本当に令状を破ったような気持ちになり、破っている様子までが目に浮かぶようになってきたそうです〉
〈自分が破ったと思いかけたときに勾留期間が切れたからよかったものの、あと二、三日勾留が続いていたら、偽の自白調書をとられていたに違いありません。
 鈴木氏のような武道の有段者でさえ、過酷な取り調べの前では、偽の自白をしそうになったのです。毎日毎日「おまえがやったのだろう」と責められると、次第に自分がやったような気になってしまうのが人間であると、自身の体験から鈴木氏は私に語ったことがあります〉

思い出しましたよ。恐怖の勾留体験が。本当に、そう思ったんですよ。こんな時、武道なんて何の役にも立ちません。だから、他の事件で、「お前が殺したんだろう」と責め立てられたら、半年もしないうちに、何でも「自白」するでしょうね。
 じゃ、「この事件もそうだろう」「SPA!に書いてるじゃないか」と言われたら、「すみません。私です」と「自白」するだろう。そうしたら私は死刑にされていたでしょう。もうこの世にはおりません。
 恐ろしい話です。皆さんも気をつけて下さい。でも、どうやって、気をつけたらいいんだろう。いつも誰かと一緒にいて、アリバイを証明できる人を確保するとか。難しいな。そんなことをしてたら、気分が滅入って、つい酒を飲む。でも、酒を飲んでロデオ・ボーイに乗るのだけは止めて下さい。

【だいありー】
保坂展人さんと(阿佐ケ谷ロフトで)
保坂展人さんと(阿佐ケ谷ロフトで)
  1. 10月12日(月)12時、打ち合わせ。今週やる対談の打ち合わせだが、打ち合わせの方が内容がある。高度だ。夕方まで、びっちりと難解な話をする。疲れたので、夜は、焼肉パーティに行った。「焼肉・小倉優子」。優子を食うわけではない。優子ブランドの焼肉店だ。でも、優子はいない。混んでいた。これに気をよくして、次々と同じような店が出来るのでせう。「しゃぶしゃぶ・酒井法子」「ホルモン・塩見孝也」「焼き鳥・鳩山由紀夫」とか。あまり行きたくないな。
  2. 10月13日(火)午前中、打ち合わせ。1時、立川駅集合。53年前の「砂川闘争」の現場を歩く。70〜80代の方々ばかりが40人。「古戦場」を歩くツアーだ。3万歩あるいた。これは、土地を守る反米闘争だ。本当なら民族派が支援すべき闘いだった。でも、その時は、私は小学生だ。自分が日本人だということも知らなかった。愚かだった。すみません。いろんな跡地を見、話を聞いて勉強になった。
     夕方、途中から抜けて帰ってきた。7時から、一水会フォーラム。竹田恒泰さんの「我が国体の本義」。とてもいい話だった。骨法道場の堀辺先生も来られていた。終わって、打ち上げに。打ち上げの途中で抜けて、阿佐ヶ谷ロフトへ。保坂展人さんのトーク。100人以上が集まって大盛況だった。今も、大忙しで、「明日から沖縄に行くんです」という。実力のある人だから、又、議員に返り咲くだろう。勿体ないよ。
  3. 10月14日(水)午前中、取材。午後2時半。週刊誌の対談。5時半まで。難しいテーマなので疲労困憊だった。そのあと、神田で打ち合わせ。
    7時半から、別の週刊誌の記者たちと「土風呂」へ。あの時はお世話になりました。これからの仕事について打ち合わせをした。珍しく生ビールを2杯も飲んじゃった。酔った。家に帰ってきて、ロデオ・ボーイに乗ろうとしたが、やめた。(そんなの、ないか)
「焼肉・小倉優子」で(10/12)
「焼肉・小倉優子」で(10/12)
  1. 10月15日(木)午前11時、サンルートで打ち合わせ。仕事がはかどらない。
     昼から、河合塾コスモ。授業の前に自習室で勉強。3時、「現代文要約」。
     5時、「基礎教養ゼミ」。今週は牧野剛先生の選んだ本を読む。内山節『怯えの時代』(新潮社)。なかなか面白い本だった。
     6時に中座。6時半から四谷のスクワール麹町。福島みずほさんの出版パーティ。福島さんの『娘たちへ』(岩崎書店)と、湯浅誠さんとの対談本『反貧困と派遣切り』(七つ森書館)の2冊の出版だ。はじめ、湯浅誠さんとトーク。そのあとパーティのはずだったが、パーティは無し。大臣になったので、パーティを自粛したのだ。偉いですね。大臣になって、ますます話がうまくなった。自信がついたのだろう。
     終わって、福島さんとそんな話をした。湯浅さんとは初対面だが、いろんなところで、お世話になっている。阿部とも子さん(社民党・衆院議員)は「おやじのせなか」よかったねと言ってた。阿部さんのお父さんも明治生まれで、似てるといってた。
  2. 10月16日(金)、日中、必死で原稿を書いていた。午後5時、河合塾コスモに行く。女子プロレスラーを呼んで公開講座があった。大畠美咲さんと吉田万里子さんだ。「鈴木さんもプロレスは詳しいんでしょう。来なさいよ」と言われたので。「でも、闘いたくない」と言ったら、「そんなことさせませんよ」。女子プロは技が切れるし、スピードが凄い。私なんて、とても受け身がとれない。すぐ死ぬよ。冤罪で捕まって死刑になるのも嫌だが、プロレスで死ぬのも嫌だな。
     でも、とても楽しい集まりでした。終わって、プロントで一緒に飲みました。
  3. 10月17日(土)午前中、雑誌の対談。午後3時、日本青年館。今年は青思会の高橋正義議長の17回忌でもあり、「物故者を偲ぶ会」が開かれた。高橋議長にはとてもお世話になった。昔の活動仲間にも随分と多く会って、昔話をしました。
  4. 10月18日(日)朝早くから、対談の仕事。一日中かかった。
【写真説明】

①10月10日(土)、午後1時〜6時。新宿区四谷区民ホールで。「FORUM90」主催の「響かせあおう 死刑廃止の声 2009」の集会が行われました。足利事件の菅家利和さん、佐藤博史弁護士も来て、講演しました。とても感動的な話でした。よくぞここまで闘ったと思いました。勇気を与えられました。終わってから、お二人と話をしました。

②③集会は6時に終わり、それから1時間、デモ行進をしました。私も参加し、「死刑廃止」を訴えました。

④隣りには荒木浩さんが歩いてました。オウム真理教。今はAlephの広報部長です。とてもいい人です。誰に対しても、誠実に話してくれるし。一度、キチンと話を聞かせて下さいとお願いしました。高橋和巳の『邪宗門』は読みましたか?と聞いたら、学生時代に読みました、と言ってました。私も「生長の家」にいて、この国のために死のうと思っていた時だったので、あの小説を読んで、「これは俺たちのことだ」と思いました。そんな話を荒木さんとしてみたいと思います。

⑤それにしても、デモなんて久しぶりだな、と思いました。2003年2月に、イラクに行って「反米デモ」をやった。あれ以来かもしれない。木村三浩氏が団長で、大川豊さん、塩見孝也さん、雨宮処凛さん、PANTAさんなどが行きました。

⑥砂川闘争から53年。その現場を訪ねるツアーがあり、参加しました。当時、20代、30代の若者は今、70〜80代です。そんな人たちが40人。「うん、ここで警官隊と乱闘になったんだ」「ここで“夕焼け小焼け”を歌ったんだ」と懐かしがってました。団結小屋(跡)も見ました。「団結じいさん」のお墓にもお参りしました。

⑦当時の行動隊長・青木市五郎さんのお孫さん・栄司さん(中央)が米軍基地跡を案内してくれました。隣りは布川玲子さん(山梨学院大学教授)。布川さんは「砂川闘争」にはずっと関心があって、ロフトでも集会をやった。この日も、布川さんに誘われて私も参加しました。

⑧阿豆佐味天神社で。ここに農民たちが集まって、決起集会を開き、闘いに出かけて行ったのです。

⑨60年安保の全学連副委員長・篠原浩一郎さんも来てました。当時の委員長は唐牛健太郎さんで、もう亡くなってます。しかし、晩年、私はとてもお世話になりました。一水会にも来て講演してくれました。そんな話を篠原さんともしました。

⑩当時は、ここ砂川町役場で作戦会議を開いたそうです。今は、「立川市砂川町学習館」になってます。そこで、53年前の闘士たちが次々と闘争報告をやりました。立って話しているのは、青木市五郎さんのお孫さんで、栄司さんです。砂川闘争の時は、生まれたばかりだったそうです。

⑪砂川町は立川市にあります。夕方、急いで帰り、7時から一水会フォーラムへ。旧皇族・竹田恒泰さんが講師で「我が国体の本義」。中央が竹田さん。右が木村三浩氏。そうだ。2003年2月にイラクに行った時は、竹田さんも行ったんだ。勇気があると驚きました。現地では、「プリンス・タケダ」と大歓迎でした。

⑫一水会フォーラムの打ち上げで。竹田さん、木村氏、堀辺正史先生と。

⑬阿佐ヶ谷ロフトで保坂展人さんと。残念ですね。こんな有能な政治家を落とすなんて。こんな有能な人は「勅撰議員」にしたらいいのに、と言っちゃいました。でも、それでは保坂さんが嫌がるかな。

⑭「焼肉・小倉優子」で食べました。でも、ゆうこりんはおりませんでした。10月12日(月)。

【お知らせ】
  1. 中島岳志さんと対談しました。「マガジン9条」にアップされております。中島さんは最近、『朝日平吾の鬱屈』(筑摩書房)を出しました。なかなかの力作です。対談でも、その話をしました。
  2. DVD「たかじんのそこまで言って委員会・超国防論」(5,040円)が発売されました。田母神さんをゲストに、放送ではカットされた未公開トークも復活しています。
  3. 10月20日(火)7時、阿佐ケ谷ロフト。漫画家の山田玲司さんとトークをします。「絶望に効くクスリ」です。
  4. 11月1日(日)「政権交代! 日本の選択を語る。(第1回)〈左右対談〉八名見江子vs鈴木邦男」
     午後1時半から4時半。場所:アイプラザ豊橋小ホール(愛知県豊橋勤労福祉会館)。
  5. 11月24日(火)三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼の「野分祭 」です。午後6時半。サンルート高田馬場。第1部・式典。第2部・記念講演。西部邁先生で「我が憂国論」です。