2009/11/30 鈴木邦男

野分祭で、一水会創設の頃を思い出した

①厳粛に野分祭。そして西部先生の講演

三島由紀夫氏
三島由紀夫氏

三島由紀夫・森田必勝追悼三十九年祭・平成21年度野分祭が執り行われました。11月24日(火)午後6時半。ホテルサンルート高田馬場です。全国から先輩、そして多くの同志が駆け付け、厳粛な中にも熱気のある野分祭になりました。

秋田から来た「楯の会」一期生の伊藤邦典氏は、会場に入るなり、「若い人が多いね」と驚いてました。確かに、若い参加者が多い。若い人たちが大勢、精力的に手伝っておりました。野分祭実行委員長の伊藤好雄氏(楯の会)、一水会代表の木村三浩氏らが中心になり、それに横山孝平氏たちや、藤本隆之氏、それに若者たちが準備し、執り行いました。それに斎主の島田康夫さん、本当にありがとうございました。厳粛で、とてもいい野分祭でした。身が引き締まりました。

一般の人も随分と参加しておりました。「レコンキスタ」や一水会のHPを見て来た、という人も沢山おりました。私のこのHPを見て来たという人もおりました。ありがたいと思いました。

森田必勝氏
森田必勝氏

又、この追悼祭のあと、西部邁先生(評論家)の追悼記念講演「私の憂国論」がありました。驚きました。火を吐くような演説でした。今まで何度も先生の講演は聴いておりますが、これほど激しく、熱のこもった講演は初めてです。世界の近現代史から話を説き起こし、何と、「アメリカは左翼だ」と喝破しておりました。だから、「親米」は保守ではない。「親米」は左翼なのだ!と言います。そして、現代の保守派批判をします。さらに、三島由紀夫の決起について語ります。西部先生の憂国論を語ります。そして、白洲次郎の人物論を語ります。

この日は、座りきれない人も多く、後ろでは立ってる人も多くおりました。皆、水を打ったようにシーンとなって、先生の話を聞いておりました。やはり西部先生は深いと思いました。世の「保守派」とは違う。60年安保闘争の修羅場を体験した人は違うと思いました。

西部邁先生(中央)を囲んで(野分祭で)
西部邁先生(中央)を囲んで(野分祭で)

西部先生は昭和14年生まれ。今年70才です。元気です。北海道出身で、東大に入り、60年安保を闘います。「唐牛(かろうじ)健太郎さんは同じ年代ですか」と聞いたら、「唐牛の方が少し上だ」と言ってました。60年安保の時の全学連委員長が唐牛さんです。縁があって、晩年には、何度もお会いしました。一水会の勉強会にも来てくれました。「60年安保は壮大なゼロだった」と言ってました。そんな話を西部先生としました。

第3部は、近所の店に場所を移して、直会(なおらい)です。西部先生は三島さんへの熱い想いを語っていました。又、「朝まで生テレビ」では野村秋介さんともよく出てましたし、野村さんについても語ってくれました。

②「森田の精神を恢弘せよ」と三島は言った

フォークシンガーの三上寛さんと(11/24)
フォークシンガーの三上寛さんと(11/24)

そして、ヒョイと横を見たら、フォークシンガーの三上寛さんがいる。驚きました。青森出身で、阿部勉氏(故人・楯の会)とは昔から親しく、そのおかげで僕らも知り合いになりました。何度もコンサートに行きました。さらに、右の奥を見たら、何と、秋山祐徳太子さんがいる。えっ、どうして?と思ったが、西部先生とはテレビで一緒に出ているとのこと。そこに木村氏も出ている。秋山さんは不思議な人物だ。左翼にも右翼にも友人が多い。赤尾敏さんにも可愛がられた。右翼の人に、「太子とは何事だ!」「不敬だ!」と攻撃された時は、赤尾さんが庇ってくれたそうです。

「鈴木さん、新発田に行ったんだって。ありがとう」と言われた。新潟県新発田で毎年やっている「大杉栄メモリアル」のことだ。今年は私が講師だったが、以前、秋山さんも講師で行った。佐高信さんも行っている。来年は又、凄い人を呼ぼうと計画している。斎藤徹夫さんという人が世話人をしている。学生時代は全共闘で暴れたらしいが、今は、地域に密着して運動をしている。普段は長距離トラックの運ちゃんをやっている。

野分祭の直会で
野分祭の直会で

「斎藤さんは偉いよな。よく頑張っているよな」と秋山さんも言っていた。

今さら説明するまでもないだろうが、「野分祭」の名前は、森田必勝氏の辞世からとった。

今日にかけて かねて誓ひし
我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは

という辞世だ。又、三島由紀夫氏は自決当日、「命令書」を残している。その中に、こういう部分がある。

〈今回の事件は、楯の会隊長たる三島が、計画立案、命令し学生長森田必勝が参画したものである。三島の自刃は隊長としての責任上、当然のことなるも、森田必勝の自刃は、自ら進んで楯の会全会員及び現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範を垂れて、青年の心意気を示さんとする。鬼神を哭かしむる凛洌の行為である。三島はともあれ、森田の精神を後世に向かって恢弘せよ〉
秋山祐徳太子さんと(11/24)
秋山祐徳太子さんと(11/24)

この最後の言葉だ。「三島はともあれ、森田の精神を後世に向かって恢弘せよ」。この言葉に応えたのが「野分祭」だ。森田必勝氏は、「現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して」自決した。我々の代表として自決したのだ。一緒に学生運動をやってきた人間として、申し訳ないという気持ちがあり、疚(やま)しさを感じた。そして、追悼祭をやり、昔の学生運動仲間が集まってきた。その中で、一水会は生まれたのだ。

三島・森田事件がなかったら、一水会は生まれなかった。又、森田氏の自決がなかったら、やはり一水会は生まれなかっただろう。

③次のフォーラムでは「一水会誕生秘史」を語ります

笹井宏次郎氏の音頭で「昭和維新の歌」をうたう
笹井宏次郎氏の音頭で「昭和維新の歌」をうたう

12月14日(月)に第100回の一水会フォーラムがある。私が講師だ。だから、「一水会誕生秘史」について話そうと思う。実は、「一水会フォーラム」の前も、いろんな名前で毎月、講演会をやっていた。「一水会勉強会」「一水会現代講座」といった名前だ。だから、今まで38年の間に、何と通算で456回もやっている。

それに、1972年に一水会が出来て、それですぐ、「新右翼」といわれた。そう思ってる人もいるだろうが違う。僕らも、そう言われて戸惑ったのだ。だって、その前から、民族派学生運動を長くやってきた。又、一水会をつくる前から、中村武彦先生、白井為雄先生、毛呂清輝先生、片岡駿先生を初め、多くの先生方、先輩方のお世話になり、ご指導を頂いた。これらの先生方は、戦前の神兵隊事件の関係者だ。そして、戦後は、民族派運動の第一線で闘い、大きな運動をつくってきた先生方だ。

元「楯の会」の伊藤好雄氏(中央)、伊藤邦典氏(右)と
元「楯の会」の伊藤好雄氏(中央)、伊藤邦典氏(右)と

その点では、「旧右翼」から断絶した所から「新右翼」が生まれたわけではない。その辺のところも、当日(12月14日)は、話してみたいと思う。できたら、その前に、お世話になった先生方について何かレジュメを書いてみたい。それを読みながら、聞いて下されば、分かりやすいと思う。私も、こうした話は、今までしてこなかった。心して、講演してみたい。

だから、

「一水会運動・38年の原点。
 =特に、戦前の維新運動の関連から=」

といったテーマでやろうと思っている。

『総括せよ!さらば革命的世代』(産経新聞出版)
『総括せよ!さらば革命的世代』(産経新聞出版)

11月24日の野分祭に参列しながら、そんなことを思った。又、この日は、いろんな出会いがあり、因縁が会った。この日、私の『日本の品格』(柏艪舎)が入口で並べられた。発売は11月30日だが、一部、この日に間に合うように、持ってきてくれたのだ。この本は、前に書いたように、田村司氏(楯の会)のおかげだ。

柏艪舎の代表は山本光伸氏で、田村氏の従兄弟だ。この出版社からは、鈴木亜繪美著、田村司監修の力作『火群のゆくへ=楯の会会員たちの心の軌跡』が発売されている。とてもいい本だ。「その後」の楯の会会員たちの心情、悔しさ、動きなどが書かれている。全国の会員たちを取材して、まとめたのだ。その力作・名著のあとを継いで、私の本も出してもらった。ありがたい。感謝したい。

④防衛庁に一緒に突入した原氏が亡くなった

坂手洋二さん(中央)、小中陽太郎さん(右)と(11/21)
坂手洋二さん(中央)、小中陽太郎さん(右)と(11/21)

そして、出会いもあれば、別れもある。残念なことだが、38年前、一緒に一水会を作った同志だった原正寿氏が、野分祭の前日に亡くなった。野分祭のあとの直会でも、その悲報が伝えられた。

原氏には本当に申し訳ないことをしたと今でも思っている。「私の事件」に彼を巻き込み、彼の人生を狂わせたのだ。そのことについてロクに謝罪もしなかったし、償いもしていない。

昭和45年に三島・森田事件があり、これに衝撃を受けて、一水会は出来る。昭和47年だ。初めの勉強会は白井為雄先生、次は中村武彦先生に講演してもらった。私はまだ産経新聞に勤めていた。勤めながら、勤務の後と、日曜に〈運動〉をやっていた。ずっと、そのつもりだった。ところが昭和49年(1974)3月25日、私が運動で逮捕され、産経新聞をクビになる。それから私はプロ的に運動をやり、一水会も単なる「勉強会」から、「運動体」になったのだ。

この逮捕の時、実は、捕まったのは私だけではない。原氏も一緒に捕まったのだ。私の後を追うようにして、突入したからだ。私に付き合ってくれたのだ。そして彼も会社を辞める。

『新右翼』(彩流社)の「年表」にはこう書かれている。

卒業アルバムの表紙
卒業アルバムの表紙
〈昭和49年(1974)3月25日、一水会、自衛隊千歳不祥事件で防衛庁への抗議活動。鈴木邦男ら初の逮捕者を出す〉

この時、私と一緒に逮捕されたのが原正寿氏だったのだ。この年表では、名前を出しては迷惑かと思い、出さなかった。「不祥事件」とは、千歳駐屯基地で「基地祭り」をやった。その時に、ストリッパーを呼んだ。「ふざけてる」と私らは反撥した。今ならそうは思わないが、当時は私らも真面目だったし、カッとなって反撥したのだ。その日は陸軍記念日だった。基地の責任者が週刊誌のインタビューに答え、「我々自衛隊は軍隊ではない。旧軍の記念日なんか関係ない」と言った。それに又、我々は反撥し、防衛庁に行った。街宣車で行き、ビラを撒き、糾弾演説をした。出勤する防衛庁の職員に向かって訴えたのだ。

⑤巻き添えにしてしまい、申し訳ありません

高校3年生のクニオ君です
高校3年生のクニオ君です

私は産経新聞社員。でも出勤時間は遅いから、ここで演説をし、終わって出社する予定だった。原氏は全貌社に勤めていた。その他、4、5人いたと思う。訴えるだけではダメだ。「防衛庁長官に会わせろ!」「出て来い!」と叫んで、小競り合いになった。その時、カッとなって、「出て来ないなら、こっちから会いに行く!」と叫んで、鉄の柵によじ登り、中に入った男がいた。私だ。カーッとなってやったのだろう。他の仲間たちは唖然としていた。「何をバカなことを」と思っただろう。その時、「バカな行為」に付き合ってくれたのが原氏だ。私に続いて、柵を乗り越えて入った。そして2人で防衛庁の中を駆けた。

でもすぐに警務隊に捕まり、赤坂署に渡され、逮捕された。2人とも初めての逮捕だ。3日間勾留され、出てきた時はクビだ。私と違い原氏は、全貌社の優秀な社員だ。「こんなことで辞めなくていい」と慰留された。でも、「会社に迷惑をかけたので責任を取る」と言って辞めた。そしてフリーになり、『日本の動き』などの雑誌の編集をやる。そして5年後に、全貌社に戻り、編集長になる。時代の波で、硬派反共雑誌『全貌』も振るわなくなり、退社。埼玉県春日部で焼き鳥屋をやっていた。もったいないと、皆が思っていた。文章は書けるし、編集の能力も抜群だ。いろんな出版社から誘いもあったが、彼は頑として応じなかった。頑固だった。男の美学だったのかもしれない。

朝の朝礼
朝の朝礼

11月25日、お通夜に行った。知らなかったが、1年以上、入院していたという。「誰にも言うな」と家族にも口止めしていたという。彼の美学だと思った。私が彼の人生を狂わせたのに…。一度だって、私に文句を言ったことはなかった。お通夜では、奥さん、子供さんたちに会った。子供は2人とも大きい。原氏との付き合いについて子供さんに説明した。義の人だった。私ごときに付き合って防衛庁に突入した。私がお父さんの人生を狂わせたのだ、と謝った。

お通夜には、久しぶりに会う人も多かった。猪野健治先生も来られていた。久保内薫、山本敏明、武藤好茂氏といった昔の仲間たちもいた。犬塚哲爾、笹井宏次郎氏も来ていた。皆、久しぶりで顔も分からない人もいた。皆、昔から運動をやり、戦ってきた。それはキチンと書いて、残すべきだろう。笹井氏が、「原さんが好きだった歌を皆で歌いたい」と、「昭和維新の歌」を歌った。僕らも原氏も一緒に歌っていた、と思った。

【だいありー】
授業風景
授業風景
  1. 11月23日(月)一日中、家で原稿を書いてようと思ったが、いろんな打ち合わせ、取材で、呼び出される。仕事が進まなくて、焦る。
  2. 11月24日(火)昼、対談。夜6時半、野分祭。身が引き締まる思いだ。式典は、厳粛で、よかった。西部邁先生の記念講演も感動的だった。テレビ局も数社、取材に来ていた。柏艪舎の本『日本の品格』も、この日に刷り上がり、入口に並んだ。買ってくれた人には感謝したい。それから、近くの店で、「直会」。地方から来た人も多く、懐かしかった。
  3. 11月25日(水)2時間ほど寝て、すぐ原稿を書く。〆切の原稿で、必死にやる。夕方4時、久保内氏が家まで迎えに来てくれた。今はタクシーの運転手だ。かつて、「やまと新聞」の記者で、随分とお世話になった。戦前の維新運動の活動家たちを訪ねて、連載をした。又、〈狼〉事件を取材して連載した。その時、全ての手筈を整えてくれた。久保内氏の尽力があったから出来た。その2つの連載は後に単行本になっている。『証言・昭和維新運動』と、『腹腹時計と〈狼〉』だ。
     久保内氏は途中、上野で山本敏明氏、武藤好茂氏を乗せて、春日部に向かう。原正寿氏のお通夜だ。原氏は61才。まだまだ若い。昔の仲間が大勢駆け付けていた。「残念だ」「悔しい」と皆、言っていた。
このバラックが校舎です
このバラックが校舎です
  1. 11月26日(木)テレビの仕事をしてる人に取材される。午前11時。午後から河合塾コスモ。早かったので、自習室で勉強。3時、「現代文要約」。5時、「基礎教養ゼミ」。今週は私が選んだ本。産経新聞出版の『総括せよ!さらば革命世代』(産経新聞出版)を読む。全共闘世代の牧野剛先生も出ている。本人からも詳しい解説を聞いた。
     その後、急いで文京シビックセンターに。民主党の今野東さんがやっている「難民支援チャリティー寄席」を聞く。途中からだったが、面白かった。浅野祥さん、それに岩手県出身の川野目亭南天さん、仙台出身の今野さんが、おのおの、方言で落語をやる。面白いし、懐かしかった。忘れていた言葉も思い出した。江田議長も聞きに来ていたので挨拶した。秋田県から出ている民主党の参院議員・松浦大悟さんとも話をした。「鈴木さんのブログに湯沢中学校同窓会の話が出てましたね」と言われた。「秋田市にもいて、保戸野小学校に通ったんですよ」と言った。秋田の話も、もっともっと書いておかなくては。
     この日、『SAPIO』(12月16日号)を買ったら、小林よしのりさんの『天皇論』に一水会フォーラムのことが出ていた。竹田恒泰さんが講師の時だ。
  2. 11月27日(金)昼、取材。記者が、「高校の月浦校長の挨拶が凄いですね」と言っていた。先週のHPの話だ。じゃ、期待に応えて今週は月浦校長の写真も載せよう。あとは家に帰って、ずっと原稿を書いていた。
この人が例の「名演説」をした月浦校長です
この人が例の「名演説」をした月浦校長です
  1. 11月28日(土)朝一番の飛行機で札幌へ。甥っ子と合流し、姉の見舞いに行く。姉は札幌の西野二股に住んでいる。私が高校を退学になった時、心配して仙台に来てくれた。そして、懺悔のために教会通いをした時に、ずっと付き添ってくれた。迷惑のかけっ放しで申し訳ない。父母や、兄弟や、親類の人たちにも本当に迷惑のかけ通した。『失敗の愛国心』にそのことを書いたと思う。
     夜の6時から、「かでる27」で、「北海道青年フォーラム」。木村三浩氏と私が講師。それに伊藤邦典氏(元「楯の会」)も話す。柏艪舎から本が出たのを記念して、地元の田中清元氏と前田伏樹氏が開催してくれたのだ。ありがたかった。久しぶりに会う人も多い。高校の修学旅行は札幌だった。産経をクビになったのは、千歳の自衛隊への抗議だった。経団連事件のあと、釧路の「日ソ友好会館建設反対闘争」に来て捕まった。寒い中、1か月、ぶち込まれていた。だから、北海道には随分と縁がある。そんなことを思い出しながら話をした。一水会38年の歴史。そし、これからの民族派運動の展望などについても話した。終わって、皆で飲んだ。余り寝てないのですぐに酔った。
  2. 11月29日(日)朝一番の飛行機で帰る。10時半から始まる「無門関勉強会」に出る。少し遅れたが、夜の5時半まで。とてもいい勉強会だった。もっともっと本を読み、勉強しなくては、と痛感した。
【写真説明】

①昭和45年11月25日。市ヶ谷自衛隊バルコニーで演説する三島由紀夫氏です。
辞世
益荒男が たばさむ太刀の鞘鳴りに
幾とせ耐へて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも さきがけて
散るこそ花と 吹く小夜嵐

②森田必勝氏
辞世
今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の
思ひを知るは 野分のみかは

③野分祭の第2部で「追悼記念講演」をして下さった西部邁先生(中央)を囲んで。(11月24日)

④野分祭の「直会」で。西部邁先生(中央)と、木村三浩氏(左)

⑤何と、三上寛さんも駆け付けてくれました。「楯の会」一期生の阿部勉氏とは大の仲良しでした。

⑥元・都知事候補で、アーチストの秋山祐徳太子さんも来てくれました。

⑦直会で、笹井宏次郎の音頭で、「昭和維新の歌」をうたいました。

⑧元「楯の会」の伊藤好雄氏(中央)、伊藤邦典氏(右)と。直会で。いささか酔ったようです。

⑨これは面白い本です。ぜひ、読んでみて下さい。『総括せよ! さらば革命世代』(産経新聞出版)。私もコメントしています。

⑩11月21日(土)、燐光群の芝居「ハシムラ東郷」を見に行きました。面白かったです。歴史の勉強にもなりました。作・演出の坂手洋二さん(中央)、そして、バッタリお会いした小中陽太郎さん(右)と。小中さんの娘さんがデジカメのシャッターを押してくれました。

⑪東北学院大学の鶴本教授が東北学院榴ヶ岡高校の「卒業アルバム」を送ってくれました。そうです。同窓会で、ハモニカを取り出して讃美歌の伴奏をしてくれた人です。男だけの荒ぶれた校舎でしたが、アルバムの表紙はこんなに清純で可憐なものだったんですね。驚きました。

⑫高校3年生のクニオ君です。ということは、「卒業アルバム」が出来上がって、もう卒業式を待ってる時に、「あの事件」が起こり、クニオ少年は退学になったんですね。じゃ、一緒に卒業させてやればいいのに。かわいそうな話です。

⑬朝の礼拝です。男のガラガラ声だけで讃美歌をうたうのです。表紙のイメージとはかなり違います。この中に私もいます。探してみて下さい。

⑭授業風景ですね。大泉先生の国語の授業です。私もいますね。下には皆の寄せ書きが。私も清らかな文を書いていますね。

⑮米軍兵舎をそのまま使って学校にしていました。左の手前が礼拝堂です。

⑯この人が名演説の月浦校長先生です。入学式の時、「おめでとう、は言わない」と挨拶した人です。私の「たった1人の卒業式」の時は、「ヤケになるなよ」と温かく声をかけて下さった先生です。

【お知らせ】
  1. 11月30日(月)。私の『日本の品格』(柏艪舎・1300円)が発売です。よろしくお願いします。
  2. 12月1日(火)、この日、蓮池透さんの『拉致2・左右の垣根を超える対談集』(かもがわ出版)が出来ます。池田香代子さん(作家)、森達也さん(映画監督)、そして私の3人が、蓮池さんと対談しております。衝撃的な本です。又もや、論議を呼ぶでしょう。ただ、書店に並ぶのは15日頃とのことです。
  3. 12月4日(金)この日発売の「週刊金曜日」に私の原稿が載ります。「三島由紀夫と高橋和巳=すべて二人に学んだ=」です。頑張って書きました。「週刊金曜日」では、10月から(月1回)特集。「70年代の光と影」シリーズをやってます。10月の第1回は「神田川」で、第2回が私の「三島由紀夫と高橋和巳」です。この2人に随分と影響を受けました。民族派学生運動をやる上で、この2人が、指針になり、励ましになったと思います。
  4. 12月4日(金)午後7時、中島岳志さん(北大准教授)と紀伊國屋書店札幌本店トークをします。
     定員150名。お早くいらして下さい。
  5. 12月5日(土)午後1時、衆議院議員の鈴木宗男さんと札幌のホテルオークラ2階フォンテーヌでトークをします。会費2800円(『日本の品格』1冊付き)。お申し込みは電話011(219)1211。または、FAX011(219)1210へ。定員(150名)になり次第締め切らせて頂きます。
  6. 12月9日(水)6時から武蔵野美大で講演します。2日の予定でしたが、9日に変更になりました。「グレート・ジャーニー」の関野吉晴さんに呼ばれました。
  7. 12月10日(木)竹書房ムックの『最後の格闘技』発売。この中で、ターザン山本さんたちと座談会に出ています。
  8. 12月14日(月)一水会フォーラム。7時、高田馬場サンルートホテル。「一水会フォーラム100回記念」で私が話します。1972年に一水会を結成した頃の話を中心に、民族派運動の歴史について大局的に話したいと思います。公開講座ですから、一般の人も、誰でも参加できますので、おいで下さい。
  9. 12月20日(日)午後1時、神戸市勤労会館で私の講演会があります。主催は、「鈴木邦男ホームページの会」です。誰でも入れますが、部屋が狭いので、担当の岩井さんまで連絡を下さい。080(5702)8405です。
  10. 12月28日(月)午後7時。新宿ロフトプラスワン。「創」主催トークです。ホリエモンと宮台真司さん、そして私が出ます。
  11. 1月23日(土)午後1時より、「岡山レコンキスタ読者の集い」。木村代表と私が行きます。