花人・川瀬敏郎さんの話は衝撃的だった。と思い出していた。新神戸に向かう新幹線の中で。それまでは本を読んでいた。12月20日(日)だ。眼は活字を追っているのだが、頭に入らない。前日の川瀬さんの話が頭の中を占拠していて、他の情報や思索が入るのを阻止している。
前日、12月19日(土)。松岡正剛さん主宰の連塾「JAPAN DEEP4」に参加した。午後1時から8時までだ。最後のゲストが川瀬さんだった。お花の話だから、礼儀作法だとか、人を大切にする、文化伝統だ…という話を予想した。しかし、その予想は見事に覆された。「花を活ける」とはこんなに激しいことなのか。驚いた。過激だ。生死を賭けた実存的な戦闘だ。と思った。
野に咲いている花。それだけで美しい。仲間の花々と共に平和に幸せに咲いている。自らの美を主張し、競っている。人間は、それを見て、感嘆し、愛でればいい。しかし、その最も美しい花に眼をつけ、その花を摘み、家に持ち帰り、活ける。殺すことによって、生かす。「殺人者のようだ」と川瀬さんは言う。エッ、まるで「血盟団事件」の井上日召ではないか。「一人一殺」だ。そして、 それは、殺すことによって、その人間を生かす。さらに多くの人を生かす。「一殺多生」だ。川瀬さんの言葉を私が勝手に拡大解釈しているのだろう。でも、活ける事の〈怖さ〉と〈激しさ〉を感じた。
下手な花人に拉致された花はかわいそうだ。活ける時もあちこちを切られ、汚され、殺されてしまう。悪い男に持て遊ばれた女のようだ、と言う。ズバリと殺せる人が、生かせる人だ。よき花人は、厳かな殺人者だ。だから、社会面に出るニュースを見ても、私は加害者にこそ興味が引かれると川瀬さんは言う。
花を活ける事には、「エロス」がある。花こそ最もエロスだ。と同時に、花を活ける行為には「タナトス」があるという。死の衝動だ。美のためならば死んでもいい。いや、死ぬべきだという衝動だ。
花を立てる、という。これは男性原理だ。一方、花をいける、いれる、という。これは女性原理だと言う。なるほど、エロスの世界だ。生け花の先生から、こんな深遠な話を聞こうとは思わなかった。そして、その作品を見れば、その思想が如実に分かる。連塾の帰りに、慌てて川瀬さんの本を3冊ほど買った。『別冊太陽』では何度も特集されている。『芸術新潮』では自らの花の原点を問う「たてはな神話」を連載中だ。
花、生け花に対する考えが一変した。コペルニクス的転回だ。川瀬さんの作品を眼にし、話を聞いた人は皆、衝撃を受ける。「たてはな」は、ただ花をさす、置くのではない。その花が「大地を持ち上げる」のだ。その気概がないと、花は立たない。と言う。凄いな。大地を持ち上げるのか。だからこそ、白洲正子や三島由紀夫をも魅了したのだ。
日本の生け花の流派は何千とあるという。川瀬さんは、流派に属さず、生け花の原型である「たてはな」と千利休が大成した自由な花「なげいれ」をもとに、花によって「日本の肖像」を描くという独特の創作活動を続ける。そうか、〈日本〉を描き、〈日本〉を活けているのだ。〈日本〉を投げ入れているのだ。
これは日本を大局的に見れるということだ。日本だけにしがみついていては出来ない。世界の高みから日本を見ている。川瀬さんは1948年京都市生まれ。日本大学芸術学部を卒業後、パリ大学に留学。演劇、映画を研究するかたわらヨーロッパ各地を巡る。日本に帰ってからは、全国を回り、実演し、講演している。ニューヨークのメトロポリタン美術館を始め海外の美術館や大学などでも実演を行っている。
連塾では、スライドで川瀬さんの作品が次々と紹介される。生け花の概念を打ち破るものだ。といって前衛ではない。アブストラクトでもない。むしろ、生け花の〈原点〉だ。原点回帰だ。そう思った。12月19日(土)の連塾は、ゲストが3人だった。もう2人は、ダンサーの勅使川原三郎さん。そして、翻訳家の高山宏さんだ。3人とも天才だ。ダンスや翻訳・文学の概念、思い込みが吹き飛ばされた。3万円も惜しくないと思った。
1時から8時まで、3人の話(松岡正剛さんとのトーク)を聞くだけで会費が3万円だ。でも、それだけ知的刺激が得られる。最大の贅沢な楽しみだ。2年ほど前までは、会費が5万円だった。それでも(年に2回)、毎回300人以上の人が参加する。九州や北海道など、地方からも来る。懇親会費、旅費、ホテル代もかかるから、10万円以上だ。それでも〈安い〉と思わせる知的満足感がある。松岡正剛さんの魅力だ。又、松岡さんがこれぞと思った人を呼び、話を聞き出し、さらに観客に向けて発信し、化学反応を引き起こす。
松岡さんは日本最大の読書家だ。そして編集者だ。自ら、「編集工学」と名乗っている。これはもう革命だ。実際、松岡さんは学生運動をやっていた。革命家だった。その運動は辞めたが、さらに大きな〈革命〉をやっている。いや、偉大な革命家は偉大な編集者だ。激動する世界を適確に整理し、料理して、人々の目の前に見せる。分類し、見出しをつけ、理解させる。まさしく〈編集〉だ。
今回の「連塾」の案内状には、「花と体と言葉の劇場へ」と題し、松岡さんはこう書いている。
〈さすがに日本もゆっくり軌道転回を始めてきたようですが、それで何かが大丈夫というわけではありません。土地の噂も文学講義も、遊芸の香りも身体言語も、音楽事情も資本主義も、神仏たちも精神医療も、まだまだいろいろ、戸惑ったままのところが少なくない〉
こんな日本だからこそ、今、この3人だと言う。
〈そこで三人三様。いずれが「殺め」か「描きつばた」。「ジャパン・ディープ」の最終回はいよいよ切り札の登場で、斯界名人たちによる表現ぞっこんの至芸のお披露目です。川瀬敏郎さんの花は体を縛って真行草で襲い、勅使川原三郎さんの体は柔らかな空気で言葉を切り裂いて、高山宏さんの言葉が花をメタフォリカルに黒々と染めていくという。そんな一日一夜をお届けします。
これはなんといっても格別の胸騒ぎ。覚めても胸の騒ぐなりけり、です。ぼくはおそらく見聞役で堪能するのでしょうが、せめて「方法日本」のための一献三歌くらいは捧げたい〉
うまいですね。花のアヤメ、カキツバタに絡めて、「殺(あや)め」「描きつばた」と3人を表現する。いいね。さすがに松岡さんだ。
今、丸善の丸の内本店では、松岡さんプロデュースの「松丸本舗」をやっている。私も何回か見に行った。凄い。何冊も買っちゃった。思い切ったテーマ分けをしている。松岡流の革命的編集だ。ぜひ、見た方がいい。気に入ったらその場で買える。「書物、着脱自由」と書かれている。「本に入って百代の過客となる」。いいねー。
1年かけて編集し、本を並べている。本箱作りから始めている。大変な苦労だ。「お疲れ様でした。でも、素晴らしい本屋でしたね」と私は言った。こんなことを出来るのは松岡さんしかいない。
「今度の本はよかったね。気合いが入ってますね」と言われた。私の新しい本のことだ。読んでくれているのだ。ありがたい。
と、ここまでをノートパソコンに打っていた。新幹線の中だ。昨夜は、ほとんど寝てない。でも、「たてはな」のことを思うと興奮し、眠れない。本を読んでも、うわの空だ。仕方がないので、ノートパソコンを取り出して、川瀬さんの「たてはな」の感想を書き始めた。うん、凄い体験だったな。と思い出した。又、会ってみたいな、と思った。さらに、じっくりと話をしてみたい。もうすぐ新神戸だ。パタンとパソコンを閉じた。カバンに入れた。降りる用意をしなくっちゃ。その前にトイレだ。前方には、トイレのマークがない。後方だ。歩いて行った。まだ頭がボーッとしている。朝早いから、客も少ない。
その時、左手に坊主頭の人が見えた。アッと声を出してしまった。川瀬敏郎さんだ。まさか。でも本当だ。私の想念が川瀬さんを呼んだのだ。私の「魔法のパソコン」が呼んだのかもしれない。(前にも何度かこんなことがあった。嬉しいが、怖いパソコンだ。だから、普段は手書きにしている)
私の「念」が強いのだろう。興奮した。気を取り直し、挨拶した。「昨日のお話には感動しました」と。「『花を殺して生かす』というのは凄いですね。血盟団の井上日召のようですね」と言った。花の「殺し方」「殺(あや)め方」について聞いた。昨日は、実際に「たてはな」の実演も見せてくれた。花を殺すのも大変だという。300本の花を摘み、その中で使えるのは、たった1本だ、という。花を殺すところから、「たてはな」は始まっているのか。「じゃ、選び抜かれた素材さえよければ、誰でも花は活けられるのですか」と聞いた。どうも愚かな質問だった。「そんなことはありません」と花道の神髄について説明してくれる。他にも、川瀬名人に直に質問し、教えてもらった。贅沢な時間だった。持っていた私の本を差し上げた。「読ませてもらいます。その上で又、お話しましょう」と言って下さった。ありがたいです。
席に戻って、うつらうつらとしていた。新大阪だ。「ここで降りますので、お先に失礼します」と川瀬さんが、わざわざ挨拶に来られた。恐縮した。新大阪でお仕事だという。私も付いて行って話を聞こうと思ったが、神戸で講演会だ。
思い出した。そういえば、1年ほど前にも、新神戸に来た。その時、新幹線でバッタリと日野原重明さん(聖路加病院名誉院長)に会った。1970年に「よど号」ハイジャック事件の人質になった人だ。それまでは病弱だったのに、極限状況を体験し、あとは余生だと悟った。それで健康で生き延び、98才だ。この時も声をかけた。「ぜひ対談をさせて下さい」とお願いした。そして数ヶ月後に、月刊「創」で対談が実現した。去年会った時は、日野原さんも新神戸で降りた。女性秘書が、「これから先生は講演会です。鈴木さんもいらっしゃいませんか」と言う。「じゃ」と答えたが、考えてみたら、この日は友人の結婚式だ。その為に来たんだった。それを思い出した。「残念ですが」と、言った。
回想シーンが終わって、現実に戻る。12月20日(日)、午前11時に新神戸に着いた。主催者の岩井正和さんと、落語娘が迎えに来ていた。食事をご馳走になった。そして会場に着く。「私らは準備してますので、鈴木さんは喫茶店で本でも読んどって下さい」と言う。好意に甘えて、2階の喫茶店に行って、本を読んでいた。鈴木信一の『文才がなくても書ける小説講座』(ソフトバンク新書)を読んでいた。その時、「鈴木さん」と声を掛けられた。マズイと本を隠した。「小説を書こうとしとるんでっか?」なんて思われたくない。てっきり岩井さんが迎えに来たのかと思ったら、違った。飛松五男さんだった。「あっ、わざわざすみません」と挨拶した。来てくれたのだ。申し訳ない。飛松さんは元刑事で、11月の「たかじん」で一緒だった。北芝健さんと一緒にゲストで出ていた。最近の残忍事件について解説していた。終わって挨拶をしたら、「鈴木さんのことはよく知ってました」と言う。「今度、ゆっくり話をしましょう」となった。
飛松さんは姫路だと思った。神戸からは近いだろう。「少しでも時間があったら、いらっしゃいませんか」と手紙を出した。でも、忙しい人だから来れないだろう。案内をして失礼だったかなと思っていた。でも来てくれた。「鈴木さんに会いたかったんで。ちょうどよかったですわ」と言う。嬉しかった。
「そうだ。1週間前、北芝健さんと島袋修さんに会いましたよ」と言った。飛松さんは北芝さんとは仲良しだ。それで、公安と刑事の違いや、最近の犯罪がなぜ捕まらないのか、などについて聞いた。叩き上げの刑事だったし、何でも知ってる。それに飛松さんは私と同じ年だ。だから、60年の山口二矢の事件、70年の三島事件も生々しく覚えていて、ショックだったと言う。「あの時はNHKで相撲中継を見てたんです。鶴ヶ嶺が出てました。その時、臨時ニュースになって、山口二矢が浅沼社会党委員長を刺殺するシーンが飛び込んで来たんで驚きました。ショックでしたね」と言う。又、三島事件の時は既に警察官だった。27才だ。その時も全身が震えたという。ウーン、同時代を生きた人は体験も共通する。2人で夢中で話していた。
「あっ、飛松さん」とその時、若い女性の声。「あれっ、どうしてここへ」と飛松さん。その女性は私を見て、「あれ、鈴木さん。どうして飛松さんと?」と聞く。去年、神戸で結婚式を挙げた女性だ。でも、「どうして飛松さんと?」と聞いた。何でも1週間前に、裁判員制度の裁判があり、傍聴に行った。その時、飛松さんと女性は隣り合わせに座ったんだそうな。奇遇だ。
奇遇といえば、今日、新幹線で「川瀬敏郎さんに会ったよ」と話をした。去年、神戸に来た時は日野原重明さんに会うし。しかし、正確な日付は忘れた。1年位前だよねと、女性に聞いた。「確か1年前よね」と言いながら、手帳を見ていた。アッと叫んだ。「去年の11月20日やわ! ちょうど1年前や」と。しかし、ひどいね。自分の結婚記念日じゃないか。それを忘れていたなんて…。「いかんじゃなかとね。結婚記念日を忘れるなんて」と言ってやりました。
そして、「鈴木邦男を囲む会」を1時半から始めました。まず、皆の自己紹介。それから私が1時間話し、休憩。第2部は、せっかくだから飛松五男さんに話してもらいました。最近の日本の治安、警察などについて。警察を辞めた今でも、いろんな人に頼まれて、捜査している。偉い。そのあと、質疑応答。そして5時から、近くの居酒屋に移って2次会。そうだ。鹿砦社(エスエル出版会)の松岡利康社長も来てくれました。以前、ネットによく書き込んでくれた人も。又、下中忠輝氏のお父さん、お母さんも。岩井さんの同僚の方も。実に、内容の濃い集まりになりました。
打ち上げが終わって、夜の新幹線で帰りました。新神戸から乗る飛松さんと女性陣2人と、さらに駅の喫茶店でお茶しました。
帰りの新幹線では、酔って寝ていたら、ドドドーッと10人位の集団が乗り込んで来ました。和田アキ子さんでした。そこに、ゆっくりと大股で歩いて来る人がいる。誰かと思ったら、デューク更家さんでした。今日は、行きも帰りも豪華な人を見ちゃいました。
②この日のゲストの高山宏さんと。高山さんは翻訳家であり、明大の教授。厖大な著作がある。超難しい話しをする。天才だ。とても近寄りがたい人だと思ったが、怖々挨拶した。そしたら、私の耳に口を寄せて、「例の写真、見ましたよ!」と言う。ギクッとした。何のことだろう。あのことかな。マジ、ヤバイかも…。 (この話は、「マガジン9条」に続く)
⑧12月16日(水)練馬文化センター大ホール。桂文珍さんと春風亭昇太さんの落語を聞く。終わって楽屋に訪ねました。文珍さんとは随分久しぶりです。「10年ぶりですかね」「いや、15年ぶりかもしれませんね」。家に帰って調べてみたら、『サンデー毎日』(1990年4月29日号)で対談していました。19年ぶりです。「文珍の美女美男丸かじり」という連載対談でした。私も〈美男〉なんですかね。〈善男〉ではあるけど。その対談が単行本にまとまり、『浪花、友あれ』になって出た。又、私の対談集『右であれ左であれ』(エスエル出版会)にも入っている。文珍さんは19年前と変わらない。若いし、元気だ。楽しかった。
⑫12月22日(火)、新宿おもいで横町の「鳥園」で。鹿砦社の忘年会。60人以上が集まっていた。賑やかだった。懐かしい人々にも会った。
鹿砦社社長の松岡利康さんの隣りは板坂剛さん。フラメンコダンサーであり、又、三島論、プロレス論の著書も多い。
⑭鳥肌実さんは、11月から12月にかけて、全国を回って「時局講演会」を開いていて、九段会館では、12月18日(金)〜23日(水)。最後の日に見に行ったが、超満員。やってることも超過激。「ダメ。ガッカイ」というタイトルで挑発している。凄い人だ。終わって、いろいろ話しをした。
今年も残すところ、3日ですね。お世話になりました。いいお年を。最後に「お知らせ」の続きです。