新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
去年は忙しかった。何冊も本も出したし、地方にも随分と行った。原稿も随分と書いた。しかし、基本は「自分の勉強」だと思っている。月に最低30冊は読書する。考える。いろんな人に会って、分からない事を教えてもらう。入力だ。その時間を取ることだ。それさえあれば、出力は気にしなくてもいい。とさえ思っている。
もっともっと本を読み、もっともっと勉強しなくっちゃと思う。劇団再生の高木尋士さんに忘年会で会ったら、去年は12万ページ読んだという。凄い。一体、何冊読んだんだろう。近いうちに話を聞いて、この内容をこのHPに載せよう。
年末に新宿のジュンク堂に行ったら、『日本の品格』(柏艪舎)が目立つ所に、平積みになっていた。嬉しかった。そういえば、関口和広氏(ポストマン。脚本家志望)は、この本を池袋のジュンク堂で買ったと言っていた。郵便配達のついでに寄って買ったのだろう。柏艪舎は札幌の出版社だが、よく頑張っている。東京まで営業にも来ているし、出版記念トークを何回もやってくれた。売れるだろう。
忘年会で岸田秀さん(和光大学名誉教授)に会ったら、『愛国と米国』(平凡社新書)の話になった。岸田さんは米国論を何冊も書いている。黒船に脅されて日本は開国した。その心理学的な分析から始まる米国論だ。私も随分と影響を受けたし、『愛国と米国』を書く動機にもなった。岸田さんは私より10才上だ。大東亜戦争開戦の時は小学校6年生だ。子供ながらに興奮したという。「じゃ、終戦の時は悔しかったのですか」と聞いたら、「いや、解放感を味わった」という。それだけ戦争が辛く、悲惨だったのだ。
しかし、その後の「アメリカ文化」は受け入れる。映画、テレビ、音楽…などは全て、アメリカのものだった。それなりに素晴らしいものだったし、楽しかった。その中で、日本人としてのアイデンティティを考えた。模索した。そんな話を岸田さんとした。
「じゃ、2人で対談して本を出そうか」と言う。いいですね。「じゃ、椎野さんに言っておきます」と応えた。椎野礼仁さんは編集プロダクションをやっている。川本三郎さんと私の対談を纏めてくれた人だ。頼んでみよう。これを見てたら、連絡下さい。
新宿の紀伊国屋に行ったら、新刊コーナーに蓮池透さんの対談集『拉致2』(かもがわ出版)が平積みにされていた。私も対談している。なかなか書店に出ないなと思っていたので嬉しかった。どこの店でも、新書はそのコーナーがあるから、目につくが、単行本はどこにあるか分からない。だから、書く人間としては、皆、新書ばかりをやりたがる。単行本は、探すのが大変だ。どこにあるか分からないし、すぐに返される。そう思っていただけに、単行本を目にした時の感動は大きい。新宿ジュンク堂では、『「蟹工船」を読み解く』もあった。08年の末に出したのに、もう随分、昔のような気がする。それだけに書店で見つけると嬉しい。自分の本を見ると、「パパだよ!」と、つい声を掛けてしまう。写メをした。
新宿ジュンク堂の7階には「事故・事件」のコーナーがあり、その隣りが、「右翼・左翼」コーナーだ。重信さん、植垣さん、塩見さん…と知ってる人の本ばかりだ。だから、本に向かって、「お父さん、お母さん達にはいつもお世話になってますよ」と言った。その時、携帯が鳴った。塩見孝也さんだった。「今、塩見さんのお子さんに会ってます」と言ったら、驚いていた。コンピューター技師の息子さんの事だと思ったらしい。「違います。塩見さんが書いた本ですよ。塩見さんが産んだ子供でしょう」と言った。「それよりも葬式のことだけど」と言う。
あんたの息子(=本)と話してる時に、葬式の話かよ。縁起でもねえ。
「いや、生前葬をやろうと思っているんだ」と言う。そうか、本を何冊も出したし、人民に対し、もう伝えたいことは伝えた。だから死ぬのか。面倒だ。「生前葬」と言わず、本物の葬儀にしたらいい。と思ったが、そんな失礼なことは言えないよ。
話を聞くと、沖縄の人間に来てもらい、沖縄問題で集会を開くのだが、金がない。だから「生前葬」をやり、カンパを集めるという。「本葬の時はいらんから。まあ、香典の前払いだな」と言う。だったら、「沖縄集会で金がいる。カンパしてくれ」と堂々と言ったらいいだろう。と言ったんだが、塩見さんに言いくるめられた。「分かりました。塩見同志の言うことには全て従います」と言った。
だから、そのうち皆のところにも「生前葬」の案内が行くだろう。その時は、ぜひ来てあげて下さい。と、ここで、携帯をポケットにしまった。ジュンク堂新宿店の「右翼・左翼」コーナーだ。懐かしい人、左右の知り合いの本が並んでいる。私の古い本もある。数えてみたら、15冊あった。都内で一番あるだろう。他に、新書で出てるのが5冊ほどあるから、計20冊か。ありがたいですね。
それから、新刊コーナーに行き、佐藤優さんの『日本国家の神髄』(産経新聞社)を買った。「禁書『国体の本義』を読み解く」と、サブタイトルがついている。凄い。右翼の人だって、この本に真っ向から立ち向かってこなかった。それなのに…。この本を買おうと思ったのは、12月28日付の産経新聞に佐藤さんが出て、インタビューを受けてたからだ。見出しに、「排外主義排除し、社会強化」と出ていた。エッ?と思った。「国体の本義」は、旧文部省が発行した精神的な国家主義の本で、排外主義を煽ったのではないか。そう思っていたから、産経を読んでみた。佐藤さんは、こう言う。
〈だが、佐藤さんは同書について、国体明徴運動に理論的な裏付けを与えるとともに、運動の中で吹き出した極端な日本主義を一定の枠内に抑える目的を持った「官僚文書」だったと見る〉
これは知らなかった。こんな見方をした人はいないよ。さらに続けて言う。
〈執筆に携わったのは哲学的トレーニングを受けた、一流の知識人だ。そこに人種主義の排外主義はなく、むしろ「欧米の自由主義、民主主義、社会主義については、その成果を取り入れ、日本的伝統とのからみでどう消化するかという問題意識が一貫している」という。佐藤さんはこの意識に、現代でも変わらない意義を見いだす。
同書のイデオロギーとしての完成度について佐藤さんは「コミンテルン(国際共産党)と五分で渡り合える思想」と高く評価する〉
これは面白そうだ。そうか。『国体の本義』は悪者と思われていたが、過激なナショナリズムや排外主義を抑止する効果があったのか。
〈「日本の政治エリートが『国体の本義』の立場にきちんととどまっていれば、少なくとも負け戦に突入するようなことはなかった」〉
これは又、大胆な発言だ。さらに、「ナショナリズム」について、その危険性をこう指摘する。
〈ナショナリズムというのは、二流のエリートが一流にのし上がるための登竜門なんです。自分は愛国者だと名乗るには何の試験も資格もいらない。ただ過激な主張をするだけでいいんですから〉
まさに、その通りだ。これは是非、読まなくちゃと思ったのだ。それから、8階の新書コーナーに行って、香山リカさんの『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)を買った。もの凄く売れてる本だ。読んで、売れてる秘密を研究しよう。その上で、香山さんと対談してもらおう。12月25日(金)の「アエラ」の忘年会で姜尚中さんに会った時も、いつかは姜尚中さんと対談して下さい、と言った。「タイトルは何にするの?」と言うから、勿論、『しがみつく生き方』ですよ、と答えた。
でも、これは僕から見たらそうだが、香山さん、姜さんからの見方ではない。『すがりつかせない生き方』になるのかな。12月28日にロフトで、ホリエモンさん、宮台真司さんに会った時も、頼んじゃったな。やっぱり、『しがみつく生き方』だし、『ぶら下がり(健康法)の生き方』だ。
だから、今年は、対談本を出すかもしれない。そう思いながら、家に帰ってきた。年末年始は、ちょっと時間があったので、たまってたビデオを集中的に見た。特に、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を、纏めて見た。いいよな、この頃の人達は。大きな目的があって。皆、坂を登って行き、雲を見ていた。又、当時の日本人は勇気、戦闘性と共に、〈優しさ〉も持っていた。敵の捕虜は優遇するし…。又、身分に関係なく、優秀な皆、人間は軍人になった。なれた。だから、優秀な軍隊が出来た。
又、陸軍はドイツに習い、海軍はイギリスに学んだ。それに、お雇い外人に、学び、どんどん吸収したから強くて、優秀な軍隊が出来た。司馬は、「日清・日露まではよかった。それ以降がダメになったのだ」と言う。しかし、保守派の間では、これに満足できない人が多い。「日清・日露はもとより、大東亜戦争も正しかった」と言う人が多いのだ。そして増えている。
明治以降、日本は驚くべきスピードで西欧の人間と技術を受け入れた。大学も、軍隊も、「お雇い外人」教師ばかりだった。東大なんて、経費の半分以上は、お雇い外人への給料だったという。又、国防の最も大切な部分をドイツ、英国から学んだ。「まるで猿真似だ」とアジアの他の国々は嗤った。でも、自虐的にでも外国の技術を受け入れ、習った日本のみが生き残った。
これからは戦争はないと思う。又、あってはならない。そのためにも、日清、日露、大東亜の戦争のことは研究しておく必要があるだろう。戦争の時は最も優秀な人間から死ぬ。これも事実だ。あの明治維新ですら、松陰、龍馬、晋作…と優秀な人間から先に死んで行く。「坂の上の雲」を見たら、首相の伊藤博文がつぶやく。「ワシは今でも高杉さんに叱られている夢を見る」と。伊藤は高杉の使い走りだった。優秀な人間は先に死に、二流、三流の人間が生き残って明治政府をつくった。いや、二流、三流でも、あれだけの政府をつくれたということだ。
内村鑑三は、「反戦主義」で、戦争ばかりやり、国防に金を使ってきた国は全て滅びたという。又、戦争になると、最も優秀な人間が国のために戦い、死んでゆく、と言う。これは『坂の上の雲』を見ても分かる。優秀な人間は、皆、軍人を志願する。そして死んでゆく。国家の大いなる損失だ。
〈一時は大詩人、大哲学者、大美術家、大政治家を続出してやまざりしギリシャが、今日のごとくに衰えしは、全く戦争によって人物を消費しつくしたからであると言います。ローマの滅亡もまた同一の理由をもって証明することができます。一時は世界の半ばを握りしスペインが、三百年後の今日、世界の第三等国とまで下りましたのも、全く引き続く戦争によって、国の第一の宝たる人才を消費し去ったからであります〉
なるほどと思った。「国家の第一の宝」を失ってまで栄える「国家」があるのか。内村はそう言う。これは1908年8月に書かれた『聖書の研究』の中の言葉だ。
実は、内村の本は何冊も読んでいた。だから、これは知っていた。驚いたのは、この次だ。こう書いている。
〈国民の精華はことごとく軍人となり、その屑(くず)のみが残って、教師となり、文人となり、美術家となり、実業家となるのであります。それで国の衰えない理由(わけ)はありません。社会の道徳の日々衰え行くは決して怪しむに足りません。徳性涵養の任に当たる教育家、宗教家のほとんどすべてが国民の渣滓(かす)であるからであります。聖賢、君子のなすべき業が小人、愚物にゆだねらるるからであります。軍人たるは貴くして宗教家たるは卑しき国に、道徳が盛んになりようはずはありません。戦争によって国威は顕揚されますが、それと同時に国力は減退します。そうして顕揚が虚学となり、減退が空乏となって、ついに亡国となるのであります〉
なるほど。確かにそうかと思った。「国の危機だ」となったら、優秀な人は皆、軍人になる。命をかけてこの国を救おうとする。それは貴いことだ。しかし、軍人になれない「クズ」「カス」は軍人へのコンプレックスから、やたらと過激なことを絶叫する。これはいつでも言えることだ。今だってそうだ。
日露戦争が終わり、領土や賠償金などの戦利品が取れなかったと怒って、日比谷で暴動を起こし、焼き討ちを起こしたのは、戦争に行ってない人々だった。軍人になれない人々が、かえって絶叫し、暴走したのだ。これはよくかみしめてみる教訓だ。
他人にしがみつき、ぶらさがろうと思う卑劣な人間もそうなのだろう。いけないな。と自己批判をしながら、新しい年の第一回目は終わる。
今年はツイッターをやろうと思います。時代は、リアルタイム・ウェブですよ。それと、「マガジン9条」の他に、もう一つ、ネットの連載が始まります。又、忙しくなるな。
①12月25日(金)6時半より、「アエラ」の忘年会で。左は藤原帰一さん(東大教授)。右は姜尚中さん。藤原さんとは初対面。姜さんとは久しぶりでした。このあと、姜さんと写真を撮りたいという人が、ズラリと並んでいました。
⑧12月26日(土)岸田さんの忘年会を途中で抜けて、北芝健さんの忘年会に行きました。駒込駅前の北芝さんの空手道場で。100人近くおりました。空手を習ってる人、自衛官、警察官、そして出版社の人、ライターと。様々な人が参加してました。
⑨12月26日(土)この日、3軒目の忘年会です。東武東上線・東武練馬の居酒屋で。劇団再生の忘年会です。(左より)大浦信行さん(見沢知廉氏の映画を作ってる人)。鈴木(その映画に出た人)。設楽秀行さん(見沢氏の戦旗派からの同志)。高木尋士さん(「劇団再生」代表)。
⑫12月22日(火)鹿砦社の忘年会。2次会で富久町の「スタジオ101」に行きました。その地下がスナック「猫目」でした。挨拶に寄ったら、奥の方から、「鈴木さん!」と呼ぶ声が。近づいたら、作家の島田雅彦さんでした。久しぶりです。本を沢山出して、忙しいのに。お酒飲みに来ることもあるんですね。