2010/01/11 鈴木邦男

43年ぶりの同級生交歓

①かつての早大全共闘議長を迎えて…

(左から)鈴木邦男、大口昭彦氏、布川玲子さん(12/21)
(左から)鈴木邦男、大口昭彦氏、布川玲子さん(12/21)

まるで、『文藝春秋』の「同級生交歓」だね。と思った。早大政経の同級生3人が集まったからだ。年末の12月21日(月)、山梨学院大学に集まった。この日、大口昭彦弁護士の特別講義「韓国人靖国訴訟について」が山梨学院大学で行われた。山梨学院大学教授の布川玲子さんが企画したのだ。

「同級生なんだから鈴木さんも聞きに来れば」と布川教授に言われて、「スーパーあずさ」に乗って山梨まで行った。「浜口君も誘ったけど、用事があって来れないって」と布川教授。去年、阿佐ヶ谷ロフトで砂川闘争のイベントをやった。その時、この浜口龍太氏と布川教授、そして私の3人が発起人になってやったのだ。浜口氏は現在、日本国際ボランティアセンターの仕事をしている。

大口、浜口、布川、鈴木。この4人は早稲田大学第一政治経済学部政治学科「1963年入学組」の同級生だ。でも、全員が「1967年卒業組」ではない。だって、大口、浜口氏は早大闘争の闘士で、逮捕され、大学を除籍処分にされたからだ。キチンと卒業したのは布川さんと私だ。あの当時、キチンと卒業した人間は、「闘ってないからだ!」と言われ、どうも肩身が狭い。

でも、弁解するわけじゃないが、布川さんも私も闘った。ストで、試験もやれないから、レポートを郵送するだけだった。かなりいい加減なレポートでも卒業させた。大学側は、やっかい者の学生たちを早く外に出したかったのだ。そのおかげで、私などは全く勉強せず、授業に出席もせず、学生運動ばっかりやってたのに、それでも卒業できたのだ。ストをやってくれた大口氏や浜口氏などのおかげだ。

講演する大口昭彦弁護士(12/21)
講演する大口昭彦弁護士(12/21)

大口昭彦氏は早大全共闘の議長だった。スターだった。東大全共闘は山本義隆議長。日大全共闘は秋田明大議長。そして早大の大口氏と、「三大議長」がいたのだ。スターだ。この中でも大口氏は異色だった。高校では剣道部で、すでに二段。早大に入っても剣道部に所属していた。「だから僕は体育会だったんですよ」と大口氏は言う。珍しい。

どこの大学でも、全共闘と体育会は対立していた。全共闘は、左翼だ。授業料値上げ反対、大学の不明朗経理を許すな、処分反対といった問題でストをやったが、彼らの叫んでいたことは〈世界〉に開かれていた。「ベトナム戦争反対」を言い、政府を糾弾し、中国文化大革命を支持し、フランス、アメリカなどの若者の反戦活動に連帯していた。学内でも、ストの中心になったのは、中核派、革マル派、社青同、社学同といった反日共の新左翼。それに日共系の学生だった。

これに対し、体育会系は危機感を持った。愛校心の強い連中だ。野球、柔道、空手、相撲、合気道…といった運動部の人々は、いつも「母校の名誉」をかけて対外的に闘う。応援団もそうだ。愛校心を背負っている。だから、「左翼に大学を乗っ取られてたまるか」と思う。そして大学側と一緒になって、「スト反対」「スト潰し」をする。早大でも、日大でも、「全共闘vs体育会」の血なまぐさい乱闘が何度もあった。

②早大に於ける「知性」と「肉体」の激突だ

(左から)布川玲子さん、浜口龍太氏、鈴木邦男(9/8)
(左から)布川玲子さん、浜口龍太氏、鈴木邦男(9/8)

全共闘が「左翼」「知性」「世界」だとすれば、体育会は「右翼」「肉体」「愛校心」だった。ここで、「右翼」といったが、心情的にそうだというだけだ。別に右翼的運動をするわけではない。大学側に頼まれて、スト破りのために突発的に体をかける。

でも、日常的に、ビラを撒いたり、学生集会をやったりして、全共闘に対抗するわけではない。それは我々右翼学生がやった。

早大では昔から、右派的サークルも多く、又、日学同、全国学協、(そこから生まれた)楯の会、学生会議といった新しい右翼団体も生まれた。自民党や民社党、統一教会の学生部もあった。それらが時に協力し合い、時に揉めながら、全共闘と闘った。全共闘のバリケードを撤去するという荒っぽい仕事の時だけ、体育会と右翼学生は「共闘」した。しかし、それは稀なケースで、普段は余り接触はなかった。

その体育会の中にも、実は全共闘シンパはいた。だから、「スト破り」の時は、事前に全共闘に情報が洩れていた。又、バリバリの体育会の人間からも、全共闘に転身する人がいた。

大口昭彦氏などはその典型だった。他にも、副議長だった彦由(ひこよし)氏なども剣道が強かった。こんな人たちがゲバ棒を振るうのだから、強い。剣道の他にも、「ゲバ棒道」を工夫し、闘ったのだろう。又、社学同の荒岱介氏などのように、体のデカイ、武闘派が沢山いた。私ら、右翼学生の方がひ弱だった。

③奇妙な卒業アルバムが見つかったよ

さて、12月21日(月)の山梨学院大学だ。午後2時40分から、7号館202教室で行われた。学生たちに向けて、大口さんが、戦争のこと、「靖国訴訟」のことについて話す。学生にとっては「弁護士の話」を聞いてるつもりだろう。しかし私にとっては、「全共闘議長」の演説だ。40年前の過激なアジ演説がオーバーラップして見える。それに、大口さんは若い。40年前と全く変わらんじゃないか。とさえ思う。布川さんも変わらない。私だけが年老いた。その証拠として、早大の「卒業アルバム」の写真を見せてあげよう。

(左から)鈴木邦男、大口昭彦、布川玲子、久米浩(宏)。(1967年「早大卒業アルバム」より)
(左から)鈴木邦男、大口昭彦、布川玲子、久米浩(宏)。(1967年「早大卒業アルバム」より)

実は、この貴重なアルバムは、仙台の実家にあったものだ。兄貴が見つけ出して、去年、渡してくれた。ロフトで「砂川闘争」のイベントをやった時、浜口、布川さんに見せた。布川さんは、「うわー、懐かしいわね」と言って、見ていた。

驚いたことに、クラス毎の写真がない。個人の写真がズラーッと並べてあるだけだ。あとは大学の様子。ゼミの写真。大学の近所の風景などだ。それに、一人一人の写真も変だ。皆、学生服を着ている。それに、かしこまって、しっかりと正面を向いている。

あっ、そうか。これは学生証の写真なんだ。だって、大学はストライキで、一人一人を撮ることも出来ん。それで学生証の写真を並べたんだ。普段は、ブレザーとか、シャツの人もいるだろうに、千人近い学生が全員、学生服だ。そして、眼鏡をかけてる人も同じような眼鏡だ。ちょっと不気味だ。

全員、学生服です
全員、学生服です

「何だこりや、ポルポトに虐殺された人間の写真みたいだな」と浜口氏が言う。ひどい事を言う。彼は、ボランティアで、カンボジアにもよく行く。そこで虐殺された若者の写真がズラリと並べられた場所にもよく行く。それを思い出したという。私らもテレビで見たが、似てるかもしれない。

靖国神社の「遊就館」にある戦没学徒を思い出さずに、カンボジアで虐殺された若者を連想するところは、さすが国際ボランティアだからなのか。

「自分の写真がないから僻んでるのよ」と布川さんが言う。浜口氏は、「1963年入学」組だが、除籍されている。だから、写真が載ってないんだ。かわいそうに。「じゃ、私がかわってやるよ」と言ったんだけど、今さら無理か。

でも浜口氏、未練気にチラチラ、見ている。そして言う。「あれっ?どうして大口昭彦は載ってるんだ?」。卒業したんじゃないの。いや、あいつも除籍になったはずだ、と言う。「じゃ、退学だよ。アルバムを作る時は4年生の初めで、まだ学生だったんだよ。その後、捕まって、退学になった。だから、この写真は卒業見込者を皆、載せたんだよ、と私は言った。妥協案を出したみたいだ。「いや、そんなはずはない。大口も除籍になってるはずだ」と浜口氏。

④まるで全共闘アルバムだよ

それで、12月21日に大口氏に会った時に聞いてみた。果たしてどうだったのか。謎は解けるのか。「浜口の言う通りだよ。僕は除籍になったんだ。だから、アルバムに載る資格はないんだけどな」と言う。エッ?これも不思議な話だ。「アルバム編集委員会が勝手にやったんじゃないのかな」と言う。そんなことってあるのかよ。

「卒業アルバム」より、右上が大口昭彦氏、左下が大浜総長
「卒業アルバム」より、右上が大口昭彦氏、左下が大浜総長

でも、このアルバム、変わってる。学生運動の写真が多い。あるページなど、学生運動の集会をはさんで、左に大浜総長、右に大口議長が対峙している。又、デモの写真も多い。「大学側」が作ったのなら、こんなことはしない。「大学側」の「恥」だと思って、〈大学紛争〉のことなど載せない。

ところが、この「アルバム編集委員会」は大学側から自立したものだろう。これ自体が運動体のようだ。だから、たとえ除籍されたとはいえ、全共闘のスター・大口氏を外せないと思ったのだろう。私はそう推理しましたね。

ところで、退学と除籍は大いに違う。大学を追われるんだから同じように思えるが、違うんだ。たとえば、3年生で退学になったとする。そうすると、早大に入学し、3年までいた〈事実〉は残る。だから、他大学に学士入学は出来る。つまり、1・2年の教養課程は終えてるのだから、他の大学の3年生になれる。たとえ試験があったとしても易しい。

ところが、3年で除籍になったとする。そうすると、大学に入学し、在籍した〈事実〉も消える。早大に入ったことはないし、そんな人がいたこともない。そうなるのだ。何か、ヤクザの破門状のようだな。破門と絶縁との違いとか。学問の府で、そんなことをやっちゃいけんだろう。

穴のあいた壁

大口氏は早大を除籍になったあと、勉強をし直して、京都大学に入り直した。そして司法試験に合格し、1981年に弁護士になった。以来、30年近く弁護士をやっている。私は、大口氏は「退学」だと思ってたから、京大の3年に学士入学したのだと思ってた。しかし、除籍だ。だから、高卒なんだ。そんで一から受験勉強をやり直し、京大の1年生入ったんだ。凄い。頭がいいんだ。早大に入った時も、実は北海道大学を受かってた。どっちに行くか迷ったが早大にしたという。じゃ、国立向けの勉強もしてたんだ。私だったら、除籍されたら、早大政経だって入れない。高校だって入れないだろう。大体、英語が出来ない。それなのに大口氏は数学、物理などもやって、京大合格だ。偉い。

⑤「ニュースステーション」のあの人も同級生なの?

大本営八俵さん(右)と(12/31)
大本営八俵さん(右)と(12/31)

大口氏は山梨学院大学で学生に話してる時も、元全共闘の誇りなのか、決して学生に妥協しない。無理に易しく話して分からせようとしない。毅然として演説する。学生に媚びて笑いを取ろうともしない。これは立派だ。

靖国訴訟については、私も知らないことが多く、とても勉強になった。終わって、学生との質疑応答。私も入って質問した。それから、近所のお蕎麦屋さんで、お酒を飲みながら、打ち上げをした。学生運動の話、あの頃の同級生のことなども聞いた。私は布川さん、大口氏とは、時々会っていた。しかし、布川、大口氏は卒業以来初めてだとという。じゃ、43年ぶりか。凄い。43年ぶりに講演を頼んでも、憶えているから凄い。

実は、大口、浜口氏、布川さんは「社思研」(社会思想研究会)のメンバーだった。社思研は社青同解放派の拠点サークルだった。大口、浜口氏は解放派の同盟員、布川さんは全共闘のシンパだったという。

高須甚仁さん(右)と(12/31)
高須甚仁さん(右)と(12/31)

早大は政経学部の自治会は社青同解放派が握っていた。だから、解放派は多いのだ。文学部は革マルで、法学部は民青…と、各セクトがひしめいていた。中核派もいた。社学同(荒岱介さんたち)もいた。アナキストやノンセクトも多くいた。ともかく、あの時代、ものを考える学生は皆、全共闘に入った。そして、よほどひねくれたヤツが右翼学生になった。

「前の名護市長の岸本。彼も同級生だよ」と大口氏。「それに、ニュースステーションをやってた久米宏。彼も同級生だよ」。エッ?違うだろう。オラは殴ったことはないよ。「だって運動には入らないで演劇ばっかりやってたんだよ。田中真紀子なんかと一緒に」。ヘエー、知らなかった。

「経済評論家の三鬼陽之助の息子もいたじゃないか」。あっ、三鬼孝三郎だろう。彼は私のクラスだった。それと、元全共闘の闘士で、その後、医者になって、天皇陛下から勲章をもらった人もいる、という。「そんなのいらん!」と言わなかったのかな。「学生じゃあるまいし、大人だから、もらったらしいよ」。フーン。

⑥不思議だ。見沢知廉君までいたよ

家に帰って、「卒業アルバム」を見た。おっ、確かに久米宏はいた。久米浩だが、これが本名だろう。ホントだったんだ。(間違っていたらゴメン)。その他にも、いろんな人がいる。

あっ、宝島社の社長もいる。それと牧太郎さん。この人、元「サンデー毎日」の編集長じゃないのかな。「鈴木邦雄」という人もいる。ほとんど同じ名前た。「お前がススギ・クニオだな」と全共闘によく襲われて殴られたらしい。かわいそうに。黒沢英樹君もいた。この人は、仙台の実家の傍のお医者さんの息子だ。二中では一緒だが、その後、二高に行って、早大に入った。頭がいいんだろう。二高を落ちて、ミッションに入った私とは違う。

あれっ、高橋哲夫君もいる。あの作家・見沢知廉の本名だよ。ということは、見沢君は本当は私と同級生だったのかな。それにしては若いな。もしかしたら、同姓同名なのかな。

あれっ、天野孝一郎氏もいる。国策研究会で、とても頭のいい右翼学生だった。てっきり先輩だと思って、いつも「天野先輩」と言ってたのに。なんだ、同級生だったのか。

「卒業アルバム」
「卒業アルバム」より

それにしても、革命的な卒業アルバムだ。デモをしたり、ストをしたり、学生集会をしてる写真がふんだんに入っている。ヘルメットをかぶって、ゲバ棒を林立させて行進している写真。いや、それどころか、ゲバ棒で殴り合いをしている写真まであるよ。凄いな−。と、アルバムに見とれながら、この文章も終わる。

そうだ。12月21日に、山梨学院大学に行った時は、終わって大学の傍の蕎麦屋でお酒を飲み、蕎麦を食べた。そして最終の電車で東京に帰ってきた。電車の中でも3人で飲んでいた。大口氏は靖国訴訟の他、左翼の裁判も引き受けている。でも今は少ない。民事もやる。この前なんて、エロビデオを売った人の弁護をしたという。

「別に他人に迷惑をかけたわけじゃない。裏ビデオを見た人は喜び、解放感を味わったのだ」と言う。革命的な弁護だ。そうだよね。エロビデオを買った人は、それによって射精し、解放感を味わったんだ。さすが、社青同解放派だ。国家がとがめることではない。堂々の弁論ですよ。でも、無罪にはならなかったそうだ。大変だ。ご苦労さまです。

【だいありー】
乾太一氏(左)と(12/31)
乾太一氏(左)と(12/31)
  1. 1月4日(月)今日からいろんな店も開く。食べもの屋も、本屋も、学校も開く。嬉しい。だから、学校の自習室で、ずっと原稿を書いてた。正月なのに原稿をせかされているし…。
  2. 1月5日(火)昼、打ち合わせ。夜、忘年会。違った、新年会だ。一緒にやりゃいいじゃないか、と呟きながら出席する。
  3. 1月6日(水)昼、雑誌社の人と打ち合わせ。原稿を渡す。それから、中野図書館へ行く。6時、新宿の焼肉屋さんで新年会。久しぶりにお肉を食べました。ベジタリアンなので、普段は全く食べないのです。
ロフトプラスワンのトーク(12/31)
ロフトプラスワンのトーク(12/31)
  1. 1月7日(木)学校に行って勉強。原稿書き。
  2. 1月8日(金)取材で人と会う。新年会。
  3. 1月9日(土)雑誌の対談。新年会。
  4. 1月10日(日)シンポジウムに出る。難しい話ばっかりだ。
【写真説明】

①12月21日(月)、山梨学院大学で大口昭彦弁護士の特別公開講義が行われました。企画したのは布川玲子教授です。私も聞きに行きました。3人とも早稲田大学政経学部(1963年入学組)の同級生です。43年前は早大のキャンパスで闘っておりました。今は仲良しです。

②講演する大口弁護士。43年前の早大闘争でアジ演説をしている大口・全共闘議長の姿が彷彿としました。

③浜口龍太氏を囲んで。この3人も同級生です。9月8日、阿佐ヶ谷ロフトで、「砂川闘争」のイベントをやりました。布川、浜口、鈴木はその発起人です。昔は敵でしたが、今は一緒にやってます。

④これが「1967年、早大政経学部卒業アルバム」に載っていた各人の写真です。私はすぐにわかりました。
(左から2番目)大口昭彦氏です。若いですね。今も変わりません。でも、千人近い卒業生の中で、大口氏だけがジャンパーです。闘士です。
(左から3番目)布川玲子さんです。英語も同じクラスでした。
(左から4番目)久米浩さん。今の久米宏さんでしょう。

⑤「卒業アルバム」より。早大闘争の写真がずっと続いてます。これは学生集会の時でしょう。右上が、早大全共闘議長の大口昭彦氏。左下は大浜総長です。

⑥凄いですね。ゲバ棒を持って集まってる学生。ゲバ棒で殴り合う写真もあります。「卒業アルバム」に載せていいんでしょうか。驚きです。

⑦「卒業アルバム」の第一頁がこれです。闘争の後の虚脱です。穴のあいた壁からのぞいて見たキャンパスです。大隈さんの銅像、大隈講堂が見えます。

⑧やはり、「卒業アルバム」から。皆、学生服です。こんな学生が千人近くずらっと並んでいます。今から見ると、ちょっと異様かもしれません。

⑨12月31日(木)新宿のロフトプラスワンの「年越しスペシャル」に出ました。午後7時から、極右芸人・大本営八俵さんとトークしました。「日本人論」とは何か。開始前に、控え室で。傷痍軍人の格好をしてました。

⑩傷痍軍人のネタから入り、東條英機の真似、「大本営発表」の真似…。うまいです。さらに靖国神社、戦争論などをマジでやりました。私よりもずっと真面目に考えているし、私よりもずっと右翼です。「極右芸人」と言われるのも分かります。楽しかったです。

⑪「8時半からも出てよ」と言われて、高須基仁さんとトークしました。「LOFT公式海賊版リリース記念!高須基仁、プラスワン事件を語る!!」。かつて客席にマイクを投げつけ、客に大怪我をさせた問題のシーンも上映されました。恐ろしい人です。私も、いつ襲われてもいいように、身構えながら話をしました。ロフトは何があるか分からん。自分の身は自分で守るしかない。でも幸か不幸か、暴力事件はありませんでした。

⑫乾太一(いぬい・ふといち)氏が聞きに来てました。久しぶりです。昔は統一教会の活動家でしたが今は、脱会し、普通の人です。今は布教活動もなく、「食う。寝る。太る」で、今、120キロです。身長も120cm、ウエストも120cm。立法型です。巨大なサイコロです。顔もサイコロに似てます。小銭もたまり、最近は、映画作りをしてるそうです。

【お知らせ】
  1. 1月14日(木)夜7時、一水会フォーラムサンルートホテル高田馬場。講師は深見東州先生(ワールドメイトリーダー)です。凄いですね。よく来てくれますね。演題は、「中村武彦とワールドメイト。そして人生の本義」です。
  2. 1月23日(土)午後1時より、「岡山レコンキスタ読者の集い」。岡山市民会館305号室です。木村代表と私が行きます。誰でも参加できますので、お近くの方はどうぞ。
  3. 2月2日(火)阿佐ヶ谷ロフトで、私の『右翼は言論の敵か』の出版記念イベントをやります。夜7時から。
  4. 2月9日(火)午後6時。八重洲ブックセンターで佐高信さんとトークをします。
  5. 2月13日(土)午後6時から8時半。渋谷の東京ウイメンズプラザホールで、「もう、ごめん! 石原コンクリート都政」と題する集会があります。宇都宮健児さんが実行委員長。斎藤貴男さんたちが講演します。司会は何と、上原公子さん(前国立市長)と私です。面白い集会になりそうです。
  6. 3月26日(金)、27日(土)阿佐ヶ谷ロフトで劇団再生のお芝居「演劇機関説・空の篇」があります。又、両日とも開演前にトークがあります。劇団「再生」の高木尋士さんと私で「読書の暮れ方」です。