2月2日(火)、阿佐ヶ谷ロフトのイベントは大成功でした。超満員でした。ありがとうございました。『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)のトークセッションです。宮台真司さん、斎藤貴男さんと、ゲストも豪華でしたし、この本を基にして、右翼・左翼・ナショナリズム・天皇・愛国心…について大いに語り合いました。森達也さんはお父さんの急病で、来れなかったのですが、月刊「創」の篠田博之編集長が急遽、司会をしてくれました。それで11時まで、熱いトークが展開されました。終わってからも、斎藤さん、篠田さんを囲んで夜中の1時過ぎまで皆と語り合いました。私も嬉しくて、興奮し、生ビール(中ジョッキ)を2杯も飲んでしまいました。私としては珍しいことです。それも、焼きソバをつまみにして飲んだのです。(あっ、いけない。枝豆を食べるのを忘れてた)。
この日は朝から気分が良かったんです。今日(2月2日)は、いい事が起きるという予兆がありました。前の日(2月1日)、夜は雪になり、その中を講道館に行って、柔道の稽古をしました。なまってタスポ(メタボかな)になった体が引き締まった感じがしました。
翌2月2日(火)は、嬉しくて早朝、外に出てみたら、白一色の世界でした。「うわー、あの日と同じだ!」と思い、血が滾る思いでした。雪の日の2.26事件を思い出したのです。あの日も雪だった。いや、こんなもんじゃないな。大雪で、東京全体が雪でスッポリ包まれた感じだった。あれは凄い事件だったなーと思い出しました。つい昨日のように覚えています。
でも、2.26事件って、いつだったんだろう。昭和11年(1936年)2月26日か。あれっ、74年前か。じゃ、それを覚えている私は75才以上か。知らなかった。そんな筈はないな。本当は2.26事件の記憶はない。でも、映画やテレビや当時の写真を沢山見ている。2.26事件関係の本も、厖大な量、読んでる。それで、私も「見たような」気がしたのだ。
いや、自分の遺伝子の中には父親、母親、その父母、さらにその父母の遺伝子が入っている。その中の「何人」かは2.26事件の時代に生きていた。現認したかもしれない。その遺伝子が、「2.26事件を見た」「あの日と同じ雪の日だ」と囁いているのだ。その声が私には聞こえる。
三島由紀夫は、2.26事件の時、11才だった。小学6年生か。多感な少年時代だ。雪の日の叛乱は生涯、眼に焼き付いて、離れなかった。雪の日の叛乱から「由紀夫」とペンネームをつけたのだろう。静岡県の三島から雪の富士山を見て、「三島由紀夫」のペンネームを思いついたという人もいる。でも、この「雪」は富士山の雪と共に、大雪の日の叛乱があったに違いない。
子供時代に東北の雪国に暮らしていた。だから雪を見ると嬉しい。子供の頃を思い出し、童心に戻って、ウワーと叫んでしまう。犬だった前世に戻って、ワンワンと吠えながら、駆け回ったりしてしまう。(前世は猫だったという人もいるが、まぁ、どっちでもいいだろう)。
吹雪は寒いけど、しんしんと降る雪は温かいのです。雪が止んで外に出る。1メートルも雪が積もっている。家がすっぽりと雪に囲まれている。それがかえって温かいのです。気分的にそう思えるのです。
雪の明かりで夜も白々と明るいのです。ポツンポツンと建っている電柱の灯も幻想的です。小学生のクニオ少年は、そんな雪明かりの道を通ったのです。夜、人通りのない雪道を、1人で通ったのです。私はアンデルセンの童話の世界を生きている。今から見ると、そう思います。でも、昼は学校に通います。じゃ、夜はどこに通ってたんでしょう。塾です。算盤塾です。習字の塾です。そして英語の塾です。こんな子供の時から勉強してたんですね。学校では相撲ばっかり取っていて、本なんか余り読まなかったのに(この辺の事情は「マガジン9条」に書いたな)。
夜の塾通いのおかげで、今も助かってます。算盤は4級をとったし、足し算・引き算だけでなく、かけ算、割り算も算盤で出来ます。毎年1月に報告する「読書統計」も算盤の力です。3月の確定申告も、全て算盤です。又、習字だって大いに役立ってます。4級です。東北書道会の4級だから、権威があります。
そして英語も…。と書いてきて、ハッと思いました。まさか? あの人が…。いや、そんな筈はない。…と頭が混乱しました。
実はですね。2月2日(火)は6時半集合で、打ち合わせをやりました。急いで阿佐ヶ谷ロフトに向かいました。駅に降りて、急ぎ足になったその時です。奇妙な人がいます。大きな幟を持ってする。救世軍かなと思ったが違う。「死後、裁きにあう」と言ってる人でもない。宗教ではない。革命だ。赤軍派か?中核派か?違う。何と、「英文法革命」と幟には大書きされている。「500円で英語が話せる!」「日本を啓蒙する島田英会話研究所」と書いている。フーン、この寒いのに偉いこっちゃと思いました。
そしたら、「鈴木さん!」と声を掛けられた。その英文法革命家に声を掛けられたんだ。「いやー、久しぶり。これからロフトに行くんですか」と聞く。さすがは革命家。人の心も読めるのか。でも、「久しぶり」って言ったぞ。「えっ?どこかで会いましたか?」と聞いた。「やだな。忘れたんですか。よく英語を習いに来たじゃないですか」と言う。
大雪が降った日だ。雪国の少年時代を思い出した。そうか。小学生の時、英語を習いに行ったのは、この人の所か。それで英語と共に「革命」も習ったんだ。そして革命家クニョニョンが生まれたのだ。
「いやー、お懐かしい。小学生の時はお世話になりました。55年ぶりですね!」と思わず島田さんの手を握りしめた。「思い出してくれたのか」と、55年ぶりに師弟は、抱き合い、涙を流したのでした。オシマイ。
と、なるはずだった。でも、ならなかった。「何言ってるんですか。鈴木さんが習いに来たのは大学生の時ですよ」と言う。場所を教えてもらったが思い出せない。「それで、私は英会話はモノになったんでしょうか」「ダメだったね。どう、その後、喋れるようになった?」「いえ、全然」。「じゃ、このテキストを買って勉強しなよ」「ハイ」。
『緊急出版 英文法革命』という本だ。「日本を啓蒙する島田英会話研究所 島田裕之著」と書かれている。島田裕之さんというのか。初めて名前を知った。それから、ずっと読んでいる。おかげで少し話せるようになった。
阿佐ヶ谷ロフトでは7時半からトークが始まった。超満員で、気分もよかった。私も、真面目に、頑張って話しました。それ以上に、ゲストの斎藤さん、宮台さんの話がよかったですね。このゲストを目当てに、皆さんも来たのでしょう。私が33年前に出した『腹腹時計と〈狼〉』(三一書房)から始まり、新右翼と呼ばれるようになった経過。戦前の昭和維新運動への関心・傾斜などについて、たっぷりと話しました。私の『がんばれ新左翼』(激闘編)の「解説」を宮台さんが書いてくれた。それに関連して「左翼と右翼の違い」について宮台さんが学問的・歴史的に解説してくれる。とても勉強になりました。
斎藤さんは、主に「言論の自由」と「言論の覚悟」について話してくれた。かつて、社民党から選挙に出る話があって、「男気ですね」と私が励ました。それが嬉しかったと言う。いろんな事情があり、葛藤もあっただろう。「それだけ書いてるんだから、選挙にも出るべきだ」と言われたんだろう。全てを引き受けた斎藤さんの決断が清々しいし、私は感動した。それで、「男気ですね」と言ったんだ。又、斎藤さんは、「空手バカ一代」の梶原一騎が好きで、『梶原一騎伝』も書いている。又、『ゴルゴ13』(さいとう・たかを)も好きだ。『ゴルゴ13』の作者とは同姓同名だ。そのことに誇りを感じているという。作者にあった時、サインしてもらった。そして「同姓同名です」と言った。「同じことを今まで6人の人に言われました」と言う。それだけ同姓同名が多いのだ。
ロフトでは、天皇制、テロ、クーデター、三島由紀夫、野村さんの話もした。小沢一郎のことも質問されたので答えた。「言い方は無礼で、下手くそだけど、小沢一郎は天皇陛下に頼り、すがっている」と言った。中国は日本にとって大事だ。だから、是非、副主席とお会いしてほしい。臣一郎として土下座してお願いする、と言えばいいのだ。それだけ天皇陛下に頼っているのだから。そうしたら、国民も、小沢の忠義の心を分かってくれるだろう。
確かに小沢はダーティかもしれないが、これだけの政治家はいない。国外を見たらいい。アメリカ、ロシア、中国、北朝鮮、韓国…と、したたかな国ばかりだ。したたかな政治家ばかりだ。それに対抗するのに、クリーンで、ひ弱な人物じゃダメだ。小沢は必要だ。と私は言った。
「そういえば、鈴木さんは前から小沢一郎を評価してましたね。朝日新聞に出てましたよ」と言う。ロフトで言われたんじゃないか。岡山の「レコン読者の集い」(1月23日)の時、神戸から来た岩井さんに言われたんだ。
「エッ?朝日に喋ったかな」と言った。全く覚えてない。そしたら、図書館で探して、コピーを送ってくれた。新聞ではない。本だ。朝日新聞政治部がまとめた本で『小沢一郎探検』(朝日新聞社)だ。1991年10月5日発行になっている。えっ、19年も前なのか。
この前の年(1990年)のNHK紅白で長渕剛が「親知らず」という歌を激唱した。そこから始まる。「親知らず」の中にこんな言葉がある。
〈俺の祖国 日本よ! どうかアメリカにとけないでくれ。
誰もが我が子を愛するように
俺の祖国 日本よ! ちかごろふざけすぎちゃいねえか
もっともっと自分を激しく 愛しつらぬいていけ〉
〈鈴木邦男氏は、「みんな、漠然とそういう気持ちがあるんだな」と感じた。
鈴木氏は「親米反共」の既成右翼にとらわれない独自の主張で知られる新右翼の旗手のひとり。今回は「民族主義」からの「小沢像」を聞く。
「一、二年前には、自衛隊の海外派遣が国会審議の場にのぼることは絶対なかった。世界の新秩序づくりに日本も何かしなければ、というあせりからだと思うが、あえて問題をだした勇気は買います。これまで、政治家は選挙民にこびへつらい、戦々恐々としていると思っていた」
「『九十億ドルの法案が通らなければ自民は下野すべきだ』なんて言葉は、久し振り。『征韓論が敗れたら鹿児島へ帰る』と言った西郷と同じだ。政令で自衛隊機を海外派遣するやり方はおかしいが、時間がないし、おれたちが指導しなければ、という明治維新の感覚だ」
しかし、米国寄りの外交姿勢を評価できますか。「亡くなった右翼の赤尾敏さん(右翼の指導者)は星条旗を振ったこともあるが、心の中は反米。『米国を利用すべきだ』と言うリアリストだった。小沢もとてもリアリストなのだろう。米国にくっついて恩を売る気持ちではないか。今は米国を敵に回すことはできない、という現実論というべきか」
小沢氏は右からの熱い視線を浴びる
「小沢は骨があって、これまでにない政治家だが、対米追随が限りなく続くようだと、僕らの敵になる可能性を持っている人だと言える」
小沢氏に本物のナショナリズムがあるのか、どうか。じっと目をこらしている〉
それから6ページほど、一水会、新右翼の紹介がある。なかなか詳しい。19年前というと小沢は自民党の幹事長の時か
〈結果的に、鈴木氏は小沢氏を高く評価した。「政治家というのは、政治に関係のないことばかり言うものだと思っていた。小沢氏は明治時代の政治家と言うか、自分で国政に責任を負おうとする珍しい政治家だ」〉
どうしても海外派兵すべきというのなら、憲法を改正してからやればいい。しかし、「自衛」は別だ。
〈「憲法より日本の方が大事だと言う人もいる。元寇の乱(13世紀後半、二度にわたって蒙古の帝国「元」が九州を襲った)の時は憲法や自衛隊はなかったが、それでも国家の自衛の方が大事だということで戦ったのですから。今の憲法ができて四十数年でしょ。天皇制は二千年です」〉
右翼の人の中では小沢について、「よくやってる」と言う人が多いと、断言している。確かに19年前はそうだった。でも今は、「国賊だ!」と言われ、弾丸を送りつけられたりしている。誤解されることの多い人だ。でも、本当に〈政治力〉のある人間だ。小さなことで追放すべきじゃない。検察の横暴とも必死に闘っているし。
①2月2日(火)7時半より阿佐ヶ谷ロフト。私の『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)のトークセッション。超満員でした。ありがとうございました。(左から)司会の篠田博之さん(月刊「創」編集長)、宮台真司さん、私、斎藤貴男さん。
⑥新大阪駅で山田五郎さんと久しぶりに会いました。山田さんはライターであり、タレントでもあります。軽いものを多くやってますし、「お尻の研究家」で、女の子のお尻研究を以前、テレビでやってました。私は古くからの知り合いで、何と、遠藤誠さん(弁護士)のパーティで知り合いました。山田さんは、遠藤さんに、テレビの仕事で法律のことを聞きに行った時が最初だそうです。
1月29日(金)、大阪読売テレビの「たかじん」に出て、帰ろうとした時です。事故があって、新幹線が遅れに遅れたのです。「二度も切符を買い換えました」と山田さん。初め、人身事故だと思ってたら、パンタグラフのボルトとナットの締め忘れが原因だそうです。困るなー。PANTAさんが納豆を食べ過ぎて事故を起こしちゃ。
⑦月刊『WiLL』(3月号)です。この中で、小林よしのりさんが「本家・ゴーマニズム宣言」を書いてます。その第3話です。〈日本的「世間」と、わしの個人主義〉。良かったです。面白いです。小林さんのポリシー、スタンスも分かるし。他の人たちのスタンスも分かります。これは考えさせられました。
⑧2月1日(月)の夜、東京は雪が降っておりました。「ジングルベル」を歌いながら帰ってきたら、みやま山荘の周りは、きれいに雪化粧されてました。思わず写メしました。右に「みやま」の字が見えますね。明日はビン、カンの分別ゴミを出す日です。それを入れるカゴが下にあります。
⑨私の部屋に向かって歩いてきたら、きれいに足跡が出来ました。記念にと写メしました。最近、これと似た写真を見た気がする。鳥取の砂丘で自分の足跡を撮ってた人がいた。あっ、下中忠輝君か。若くして自殺してしまった人だ。
⑩1月30日(木)午後7時から、駒込にある北芝健さんの空手道場に行きました。新年会です。その前に、空手の組み手や演武を見せてくれました。短刀で斬りつけられた時の対処法を北芝師範が教授しています。参考になりました。
⑫新年会には沢山の人が来てました。ライター、編集者、それに、警察、自衛隊の関係者も。ベストセラー『マインドコントロール』(ビジネス社)を書いた池田整治さんも来てました。一緒に写真を撮りました。でも、池田さんは現役の自衛隊幹部だ。「写真をブログに載せちゃマズイですよね」と聞いたら、「大丈夫です」と言う。それで載せました。いい本です。皆さんも買って読んでみて下さい。
⑬「産経新聞」(1月29日号)に、ミッキー安川さんの追悼記事が出てました。ミッキーさんの『ふうらい坊留学記』は痛快な本で、高校生の私は感激して読みました。そのことは『愛国と米国』(平凡社新書)に詳しく書いてます。『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)で対談した佐高信さんは、「実は僕も夢中になって読んだ」と言ってました。
⑭「産経新聞」(1月31日付)の「読書」のコーナーで、私の『日本の品格』(柏艪舎)が紹介されていました。嬉しかったですね。
日本にも、日本人にも品格がない。政治家にも保守派にも品格がない。自分だって品格がない。なのに、なぜこの本を書いたのか。
〈「自分の過去の反省を含めて、現在を、未来を語ることは義務」と覚悟を決めた。それは、愛し続け、励まし、教えられ、時には怨み言を言い、失望した〈日本〉との対話にほかならない。また、自身の生きる意味を考えることでもあった。「謙虚さこそが品格」〉
〈例えば一水会の名誉顧問鈴木邦男氏は、逆に「世間(コネ・付き合い)」を際限なく拡大しているように見える。
「鈴木さんは朝起きて、今日は左翼になるか、右翼になるかと決めてるから」。
後輩である木村氏がそう冗談言うほど、右から左まで付き合いが広い〉
〈人々は鈴木氏をこう評価する。「鈴木邦男は左右の対立を超越している。度量が大きい」。まったくうらやましい。わしなど相当「度量が狭い男」だと思われていることだろう。そりゃあ、わしだって、左右を超えてあらゆる人に好かれたいものだ。だが左右を超えて「世間」を拡大していけば、コネに絡めとられて誰も批判できなくなるではないか!〉
〈多分、鈴木氏は、わしのように個人名を出して批判すると、民族派〈右翼〉ゆえに恐がられ、議論が成立しにくいと考えているかもしれない。それならば、「世間」を逆利用して相手の懐に入って説得しようという作戦ではないのか?〉
驚きました。その通りです。小林さんの洞察力にはビックリしました。小林さんは本当に勇気がある人です。今まで親しかった人でも、皇室に対する思想や大東亜戦争に対する評価が合わないと猛然と批判する。西尾幹二、西部邁氏らとの論争はその典型だ。私はとてもそんな勇気がない。だから「世間」に甘え、それを拡大してるだけかもしれない。反省します。
又、この号では堀辺正史先生、木村三浩氏のことも取り上げてます。その思想と個性がよく出ていて、素晴らしいと思いました。〈世間〉と〈個人主義〉。そして、論争はどうあるべきか。について深く考えさせられるものでした。皆様も是非、読んでみて下さい。さらに欄外には私の本も紹介してくれてます。叱咤激励も含めて、好意的に紹介してくれました。お忙しいのに私ごときの本を読んで頂き、本当にありがたいと思いました。
〈正月を利用して、鈴木邦男氏の『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)を読んだ。鈴木氏の著作で一番面白かった。ただこの人はいまだに慰安婦問題や南京問題などで、左翼の自虐史観から抜け出ていない。そこが左翼「世間」に染まった証拠だろう。左右の本を読んで誠実に検証してみる気がないのが寂しい〉