2010/03/01 鈴木邦男

今甦る、50年前の義挙

①熱く語る宗男さん。一水会フォーラムで

一水会フォーラムで講演する鈴木宗男さん(2/17)
一水会フォーラムで講演する鈴木宗男さん(2/17)

2月17日(水)の一水会フォーラムは超満員でした。「時の人」鈴木宗男さん(衆議院議員)が来てくれました。「昨今の政治動向を語る」と題し、2時間、熱く語ってくれました。与党には宗男さんがいてくれてよかったと思いました。キーマンになります。超多忙なのに、二次会まで付き合ってくれました。そして、皆のテーブルを回って、飲み、語り、議論しておりました。本当に精力的な人です。「話を聞いて、印象が変わった」「好きになった」と感想を言ってる人が多くいました。バッシング、逮捕という地獄を体験しただけに、人間のスケールが大きくなった気がしました。

昨年の12月5日(土)には札幌で一緒にトークさせてもらいました。『日本の品格』(柏艪舎)の出版記念トークでした。あの時も、熱く語っておりました。日本の品格、政治家の品格について、語り合いました。

宗男さんの一水会フォーラムの講演要旨は次の「レコンキスタ」に載るでしょう。ぜひ読んでみて下さい。

では続けて、グリーンピースのお話です。

②グリーンピースの集会で反捕鯨の話を

鈴木宗男さんを囲んで
鈴木宗男さんを囲んで

グリーンピース・インターナショナルの事務局長が替わった。去年の11月から南アフリカ出身のクミ・ナイドウさんが就任した。2月12日(金)午後7時より渋谷のレストラン「アンカフェ」で、「平和・公正・環境のために立ち上がろう—クミ・ナイドウさんを囲む夕べ」が開かれ、私も招待された。

クミ・ナイドウさんとは初めて会った。15才で反アパルトヘイト運動に身を投じ、人種の壁の撤廃など、草の根の活動を展開する。教育や開発、女性や子どもの人権問題など、さまざまな分野で南アフリカ社会の民主化に尽力している。

この日は、クミ・ナイドウさんのスピーチが主で、その他、星川淳さん(グリーンピース・ジャパン事務局長)の挨拶があった。又、例の「鯨肉裁判」の被告となった佐藤さんの報告もあった。

クミ・ナイドウさんと話したいと思ったが、僕の英語じゃ心許ない。「じゃ僕が通訳しますよ」と買って出たのが菅原秀氏だ。先週のHPにも紹介したが、東北学院榴ヶ岡高校の出身だ。私の6年後輩だ。菅原氏は国際ジャーナリストとして世界中を駆け回っている。だから英語はペラペラだ。

それで、クミ・ナイドウさんと色々話をした。南アフリカ出身のグリーンピース・インターナショナル事務局長は初めてだという。又、アフリカの現状、捕鯨の反対運動、環境保護の運動などについて聞いた。有意義だった。

超満員の会場
超満員の会場

星川淳さんとも話をした。菅原氏に通訳してもらって。いやいや、日本人同士だから通訳は必要ない。星川さんはフリーのジャーナリストで屋久島に住んでいた。12年ほど前、ピースボートのジャパン・クルーズに私は乗った。ピースボートは世界を回って現地を見、勉強するのだが、「ジャパン・クルーズ」は例外的に、日本だけを回る。晴海を出航し、鹿児島に行き、屋久島に行く。そこで屋久杉を見たり、色々見学した。その時、星川さんと初めて会った。穏やかな人で、いろんなことを聞いた。

その後、2000年(平成12年)、沖縄サミットがあった年だ。喜納昌吉さん(ミュージシャンで今は民主党の国会議員になった)が、「反サミット」という集会を沖縄でやった。そこに私も呼ばれて、世界の代表と共に国際会議に出た。アメリカの先住民(イロコイ族)の人やヨーロッパ、アジアの人たちが来ていた。星川淳さんも来ていた。その時、辺野古にも行った。そこの砂浜で喜納さんのコンサートをやった。

二次会で
二次会で

その時、沖縄の教会の牧師だ、という人に声をかけられた。何と、榴ヶ岡高校の卒業生だ。私の後輩だ。ヘエー、牧師になった人もいるんだ、と驚いた。もっと驚いたのは、高校在学中に洗礼を受けたという。洗礼を受けた人は他にも何人もいるという。

これは知らなかった。だって、ミッションスクールではあるが、皆、宗教には関心のない生徒ばかりと思っていた。

だって、50年前に「大学進学」を目指し、急遽つくられた高校だ。キリスト教なんか関係ない。県立を落ちた人の「受け皿」だった。キリスト教に関心があって入った人はいない。2、3年の間に、キリスト教を本当に信じ、洗礼を受けた人なんていない。私はそう思っていた。ところが、いたんだ。

「鈴木さんと同期の人でもいますよ」と、この牧師さんは何人かの名前を挙げる。エッ?そうなのかと驚いた。学校ではそんな話は一切しない。そんな素振りも見せない。隠れて入信し、洗礼を受けていたのか。まるで「隠れキリシタン」じゃないか。と思ったが、この比喩も変だね。キリスト教の学校なんだから。

③例の「鯨肉事件」の真相

挨拶するクミ・ナイドウさん(2/12)
挨拶するクミ・ナイドウさん(2/12)

この沖縄の「反サミット」の時は、アメリカのイロコイ族という先住民の人々が来ていた。先祖の平和の教えを大切にし、侵さず、侵されずを実行している。その平和の思想が、アメリカ独立のジェファーソンらに影響を与え、「独立宣言」はその基に生まれたという。さらに、その「独立宣言」の精神が日本国憲法に反映されているという。星川さんは著書の中で、その辺のことを詳しく書いている。

2月12日のグリーンピースの集まりでは、星川さんとその時の思い出を話した。「そんな昔から知り合いなんですか」と菅原秀氏も驚いていた。

この集会には、例の「鯨肉裁判」の佐藤さんも来ていた。新聞にも大きく出たから知ってる人も多いだろう。日本は「調査捕鯨」の名のもとに鯨を捕獲しているが、内部では不正が行われ、利権構造があると言われてきた。

2008年1月
グリーンピースに内部告発があった。「乗務員が大量の鯨肉を船から勝手に持ち出し、一部を売りさばいている」と。以後4ヶ月。グリーンピースは調査を開始。
4月16日
グリーンピースの調査員が、前日、東京港に寄港した日新丸の荷物の輸送状況を追跡。一部が青森で積み替えられたのをつきとめ、内部追跡どおりの中身であるかどうか確認すべく1箱持ち出して開封。
5月15日
グリーンピースが東京で記者会見を開催。持ち出した箱に入っていた鯨肉等を提示し、乗組員による鯨肉横領が常態化していることをつきとめたと発表。同日、東京地方検察局に日新丸の乗組員12名に対する告発状を提出。
佐藤さん(左)、菅原秀さん(右)と(2/17)
佐藤さん(左)、菅原秀さん(右)と(2/17)

…と、ここまではグリーンピースが攻めている。ところが、検察は捜査打ち切りを発表し、さらに何と、告発したグリーンピースの佐藤、鈴木の2人を逮捕。建造物侵入と窃盗の罪だ。「証拠の鯨肉」を盗んだというのだ。そして裁判が行われている。2010年2月15日が、第1回公判だ。その3日前に、グリーンピースの集会は開かれた。そして被告人の佐藤さんが裁判の今後について報告していた。僕も佐藤さんに会って、詳しく聞いた。調査のためといいながら、捕獲した鯨肉を「お土産」としていたり、「売りさばいていたり」。不正が行われていることは常態化している。確かに、「建造物侵入」と「窃盗」の罪をつけられたことは、脇が甘いのだろう。しかし、写真を撮ったり、告発者の「証言」だけでは検察に告発できなかったのだろう。肉を斬らせて骨を断つ、という捨て身の戦法だったのかもしれない。でも、これで、調査捕鯨の欺瞞が暴かれることだろう。「勇気があるね。頑張って下さい」と私は激励しました。

この日(2月12日)は、このあと9時から渋谷のユーロスペースで、映画「おやすみアンモナイト」を見て、その後トークをした。そして次の日、2月13日は、グリーンピースの集まりの行われたすぐ上の東京ウィメンズプラザで、「もう、ごめん! 石原コンクリート都政」の集会があったのだ。

④東北学院榴ヶ岡高校のルーツを教わった

「鯨肉事件」についてのブックレット
「鯨肉事件」についてのブックレット

それから、4日ほど経って、菅原秀さんが本を贈ってきてくれた。彼の書いた『ドイツはなぜ和解を求めるのか』(同友館)と、彼が翻訳した『アメリカ・力の限界』(アンドリュー・J・ベイセヴィッチ著・同友館)だ。今、読んでいる。なかなかいい本だ。勉強になる。わが東北学院の仲間で、これだけ活躍している人がいるのは嬉しい。

もう一つ、面白いコピーが送られてきた。月刊『公評』(08年11月号)で、特集は「継承」だ。そこで菅原氏は、高校の話を書いている。タイトルは「受け継がれる榴ヶ岡高校の精神」だ。私のことも出ていてビックリしたが、東北学院榴ヶ岡高校の歴史、継承について、詳しく書かれている。

明治時代、アメリカ人宣教師たちは大変な苦労をしながら日本で布教した。アメリカ人のプロテスタント宣教師たちは日本各地に青年を中心としたグループを形成していて、それらは、横浜バンド、札幌バンド、熊本バンドと呼ばれた。

札幌バンドは「少年よ大志を抱け」で有名なクラークの下に学んだ。内村鑑三、新渡戸稲造などだ。熊本バンドはキャプテン・リロイ・ジョーンズに感化された人間たちで、海老名弾正、徳富蘇峰などを生んだ。

最後の横浜バンドだが、ヘボン夫妻などを中心とする人々によってつくられ、植村正久、島田三郎、押川方義たちがいた。この押川方義が仙台に来て、東北学院をつくる。この押川方義の息子に、小説家・押川春浪がいる。押川春浪(本名・方存)は、「武侠の世界」「新日本島」などの軍事愛国冒険未来小説を沢山書いている。私も図書館で借りて何冊か読んだ。押川春浪は長男で、次男は押川清だ。この男はプロ野球の生みの親だ。日本最初のプロ野球チームである日本運動協会や中日ドラゴンズの前身「名古屋軍」の創設者として、野球殿堂入りしている。では、父親の押川方義の話に戻る。

「鯨肉事件」についての本
「鯨肉事件」についての本

仙台は、昔からキリシタンに寛容な土地だ。伊達政宗は臣下の支倉常長をローマに派遣し、ヨーロッパとの交易とキリスト教の導入に着手した。クリスチャンには理想の街だ。さらに、学生を大切に扱うのも仙台人の気質だった。だから押川方義は仙台に学校を作る。しかし、まだ1人では心許ない。それで。…(菅原さんの文だ)

〈自分ひとりでは心もとなかった押川は、来日したばかりのドイツ改革派アメリカ教会の宣教師・W・E・ホーイにも加わってもらい、1886年、小さな家を借り仙台神学校と命名した。
 また二人の女性宣教師も仙台に着任することになり、女子を対象とした宮城女学校(のちの宮城学院)を併設している。数年後、同じドイツ改革派から来日したD・B・シュネーダーも加わり、1891年には仙台神学校を東北学院と改称している〉

ホーイさんも、シュネーダーさんも、本当に久しぶりに聞く名前だ。シュネーダーは本名はSchneiderと綴るが、来日してからは、Schnederと綴るようになった。

〈私たちが在学していた頃の月浦利雄高校長は、それを引き合いに出しながら、「シュネーダー先生は、I、つまり自分を捨てる覚悟でこの地に骨を埋めようとした。だから名前をシュナイーダーからシュネーダーに改名したのです」とよく語っていた〉

⑤あの教師のことが出てたよ

「二つのアカオ事件」
「二つのアカオ事件」

ヘエー、そうだったのか。それは知らなかった。私らが入った時も、月浦校長だ。もしかしたら、その話もしたのかもしれない。私がボーッとしていて聞き漏らしたのか。私は一期生で、1959年に入学した。それまでは中・高一貫で、高校からは入れない。でも仙台は、いい私立高がない。県立一高、二高を落ちると、仕方ない浪人しよう、となる。それではかわいそうだ。「15の春を泣かせるな」の合い言葉で、「中・高一貫」以外に、高校だけの校舎をつくった。それが榴ヶ岡だ。菅原氏は6期生だ。そのことをこう書いている。

〈私は榴ヶ岡高等学校が出来て6年目に入学している。仙台一高を落ちて入学した一人だ。ここに来る生徒たちは中学時代はトップクラスだった連中ばかりだ。しかし志望校を落ちたことで打ちのめされ、劣等感と悔しさにさいなまれている。しかも丸坊主で、個性ゼロの学生服を着せられ、まるで囚人のような気持ちだった。そうした生徒に向かって教師たちはこう励ました。
「この悔しさを3年後に必ず晴らすのがお前らの務めだ。がむしゃらに勉強して、世間を見返してやれ」〉

うわー、同じだよ。私ら1期生もこう言われた。モロに復讐心を煽った。キリスト教なのに。ともかく東北大に入れ、それがダメなら、東京の私立を狙え!と言われた。だから、1期、2期と、かなり優秀な成績だったようだ。それで又、いい生徒が入る。でも、一高、二高を落ちた人がほとんどだ。

〈その生徒たちへの激励は自分たちへの激励でもあったようだ。「東北学院の新しい教育作戦を成功させなければお前らの未来はないぞ」と月浦校長に言われ続けていたのである。大部分の教師はとても若かったが、がむしゃらに働いた。がむしゃらに生徒を叱り、時には体罰を加えた〉
「赤尾の豆単」事件
「赤尾の豆単」事件

このあと、〈ひとりだけ悪質な教師がいた…〉と菅原氏は書く。その部分を読んで驚いた。普通、40年も50年も昔のことなら、叱られても殴られても、「昔そんなこともあったな」「恐い先生もいたなー」と思い出す。懐かしい思い出だ。実際、菅原氏の言うように体罰をふるう先生もいた。でも、教育熱心で、その余りのことだろうと思っていた。しかし、「ひとりだけ悪質な教師がいた」という。40年以上経った今でも、恨みは残っているようだ。一体、誰なんだろう。

〈ひとりだけ悪質な教師がいた。生徒を椅子の足で殴るなどの極端な体罰に快楽を感じるらしい聖書の教師だ。その教師は相撲部の巨漢だったので、私たちの中で殴り返す者はいなかった。キリスト教を説きながら、血だらけになるまで生徒に暴行を働いたこの教師だけは許せないというのが同級生のおおむね一致した意見だが、それ以外の教師に対しては、憎まれ口を聞きながらも、ある程度の尊敬の念を抱いていた〉

間違いない。あの教師だ。キリスト教の愛を説きながら、生徒を殴り、血まみれにしたサディスティックな教師だ。私らの時もいた。それから、ずっといたのだろう。皆に恐れられ、嫌われながらも。

でも、たった1人だけ、歯向かった生徒がいたんだよ。こいつの暴力にたまりかねて、1人で職員室に乗り込んで、その教師を殴ったのだ。勿論、その生徒はその場で退学。しかし、その「正義のテロル」は長く伝えられ、その少年は義士、烈士と讃えられた。そうです。私ですよ。

そんなに、嫌われていたのか。じゃ、私は人民のためにいい事をしたんだ。義挙だよ。これからは「1960年 榴ヶ岡義挙」と呼ぼう。

⑥同窓生には、権力志向の人間がいない

17才のクニオ少年です(右上)
17才のクニオ少年です(右上)

あの「義挙」のあと、私は退学。しかし、転校手続をしてくれないし、半年間、教会に通って「懺悔の生活」。そして、やっと「1人だけの卒業式」だった。月浦校長が一言、「やけになるなよ」。その言葉が忘れられない。

でも、今は、同窓会にも呼んでくれるし、嬉しい。1期生は皆、あの義挙を知っている。「あれは凄かった」「俺たちも続くつもりだったのに、やれなくてごめん」と言う。ほう、全校規模の暴動、革命になったかもしれないんだ。凄い話だ。「佐倉惣五郎のようだ」「天誅だよ」と言う人もいる。あんな血気にはやった時代もあったんだ。

今なら、何があっても耐え忍ぶだろうに。卒業までもう1ヶ月もない時だ。ちょっと我慢したら卒業し、大学に入れる。完全な自由が手に入る。それなのに決起して、教師を殴りつけたんだ。バカだよ。いやいや、それだけ純心だったのかもしれない。

菅原氏は、ウィキペディアで「東北学院榴ヶ岡高校の主な卒業生」を見たら、各方面で活躍してる人が載ってるので、ビックリしたという。勿論、菅原氏もいる。有名な漫画家の荒本飛呂彦さんもいる。映画監督の田代廣孝さんもいる。さらに、病院の院長、市長、市議会議長、ライター、…などがいる。プロサッカー選手もいる。丹野研太氏だ。FCみやぎ→セレッソ大阪だ。そして言う。

〈このリストを見て嬉しいのは、権力志向の人が見当たらないことである。逆にクリエイティブな立場に関わっている人が多い。おそらくこのリストはある程度、榴ヶ岡高校の気風を反映しているのである〉

そうなのか。それはいいことだ。きっと、3年間、「日の丸」「君が代」がなかったからだよ。その強制がなかったから、皆、自由な、クリエイティブな仕事についた。あるいは、束縛が強いほど、「自由への希求」は大きいのか。もし、日の丸・君が代を強制されてたら、あのテロ少年などは、真っ先に日の丸を破いただろう。

この文章の中で、菅原氏は私のことも書いてくれてる。「ウィキペディア」で私は卒業生のトップに出ている。1期生だから、それだけの理由だ。では「鈴木」の紹介だ。

〈筆頭に鈴木邦男さんの名前が出ていた。榴ヶ岡高校の出身と聞いてビックリした。スパルタ式のキリスト教教育は、こんな優れた人材を生んでいたのである。先輩に私たち後輩が誇れる人物がいるのは嬉しいことだ。
 知らない人のために彼のことを書いておくと、大学紛争の中で右翼の立場で論陣を張って、マスコミに登場したのが、鈴木邦男さんだ。右翼と言っても、国旗掲揚、北方領土返還と叫びながら街宣車で騒ぎまくる右翼とはまったく違うタイプの人だ。あらゆる差別に反対して正義の立場から論陣を張る人々で、左翼の人々からも信頼されている。どんな立場の人をも包み込むパワーを持った人であり、こうした人物がどんどん増えれば世界の紛争はなくなる〉

そこまで言われちゃ、恥ずかしいです。オワリ。

【だいありー】
『失敗の愛国心』です
『失敗の愛国心』です
  1. 2月22日(月)昼、仕事の打ち合わせ。6時、「週刊金曜日」に行く。近くのソバ屋さんで、『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)の打ち上げ、お疲れ様会をやった。佐高信さん、編集してくれた鈴木耕さん、白井基夫さんだ。本当にお世話になりました。「売れ行きがとてもいいです。もうすぐ増刷になります」と言っていた。八重洲ブックセンターの1階フロアでは「10位に入りました」という。凄い。
  2. 2月23日(火)午後、取材。夜、柔道。
  3. 2月24日(水)午前中、原稿。午後3時、新橋で打ち合わせ。
  4. 2月25日(木)昼、取材。午後3時、河合塾コスモ。午後5時、基礎教養ゼミ。今週は私が選んだ本を読む。長山靖生『テロとユートピア=5.15事件と橘孝三郎』(新潮選書)。終わって生徒とカレー屋で食事会。二学期は今日で終わり。
  5. 2月26日(金)午後、対談。6時、ジュンク堂新宿店に行く。6時半より『ポスト学生運動史』(彩流社)の出版記念トーク。著者の中川文人氏、聞き手の外山恒一氏のコンビで作った大作だ。この2人に司会の私が聞く。法大黒ヘルと白ヘルの闘い。バブルに浮かれた時代の裏側で本当にあった革命と戦争の話だ。当事者の生々しい話を聞けた。
     ジュンク堂では、この本が「イデオロギー部門」の第1位だった。ところが、佐高・鈴木の『左翼・右翼がわかる!』に替わられてしまった。という。40人定員なのに、100人以上が集まって、熱いトークになった。
     このあと、急いで文京区民センターに行く。シンポジウム「『小沢対検察』にみる検察と報道のあり方」。三井環、鈴木宗男、上杉隆、青木理、元木昌彦、安田好弘さんらが出ていた。終わり頃に着いたが、私も喋らされた。450人が集まって大盛会。そのあと、二次会に行く。
  6. 2月27日(土)1日、図書館に行ってた。原稿が出来上がらないし、調べてるのが分からない。
  7. 2月28日(日)東京マラソン。寒かったです。疲れました。ヘトヘトです。見てるだけで疲れました。
     昼、図書館。夜、雑誌の対談。
【写真説明】
一水会フォーラムで講演する鈴木宗男さん(2/17)

①先週のHPで紹介しましたが、2月17日(水)、一水会フォーラムに鈴木宗男さん(衆議院議員)が来てくれました。熱弁でした。質疑応答も熱かったです。

鈴木宗男さんを囲んで

②講演のあと、鈴木宗男さんを囲んで。(①②④はカメラマンの平早勉さんに撮ってもらいました。ありがとうございました)。

超満員の会場

③超満員の会場です。後ろの人は立って聴いていました。

二次会で

④二次会で。忙しいのに最後まで付き合ってくれました。

挨拶するクミ・ナイドウさん(2/12)

⑤2月12日(金)、7時より、渋谷のレストラン「アンカフェ」で。「平和・公正・環境のために立ち上がろう—クミ・ナイドウさんを囲む夕べ」。昨年11月にグリーンピース・インターナショナル事務局長になったクミ・ナイドウさんを迎えてのレセプションです。挨拶するクミ・ナイドウさん。ナイドウさんと一緒に写した写真は先週載せました。

佐藤さん(左)、菅原秀さん(右)と(2/17)

⑥「鯨肉事件」の佐藤さん(左)、右は国際ジャーナリストの菅原秀さん。東北学院榴ヶ岡高校の6期生です。(私は1期生です)

「鯨肉事件」についてのブックレット

⑦「鯨肉事件」についてのブックレットです。グリーンピース・ジャパン編『刑罰に脅かされる、表現の自由』(現代人文社)

「鯨肉事件」についての本

⑧グリーンピースが「鯨肉事件」について報告した本。「クジラ肉裁判、『調査捕鯨母船・日新丸』での鯨肉横領行為の究明に向けて」

「二つのアカオ事件」

⑨「二つのアカオ事件」。山田玲司さんの「ウサラッチ」より。(『FLASH』09年11月24日号)。これは面白い漫画でした。ズバリと本質を衝いてます。

「赤尾の豆単」事件

⑩『失敗の愛国心』(理論社)に載っている「赤尾の豆単」事件。

17才のクニオ少年です(右上)

⑪17才の時の私です(右上)。左上は山口二矢さんです。浅沼稲次郎さんを刺殺し、17才で自決しました。左下は森田必勝氏。25才で割腹自決しました。

『失敗の愛国心』です

⑫私の『失敗の愛国心』(理論社)です。この本の中に⑩と⑪の写真は入ってます。

【お知らせ】
  1. 3月1日(月)「週刊アエラ」発売。原稿(書評)を書きました。
  2. 3月18日(木)7時、サンルートホテル高田馬場一水会フォーラム。松本健一さん(作家)が講師で、「日本のナショナリズム」(仮題)について語ってもらいます。
  3. 3月19日(金)7時、阿佐ヶ谷ロフト。佐高信さんとトークです。八重洲ブックセンター(2月9日)に続いて、『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)の発売記念トーク・第2弾です。
  4. 3月26日(金)、27日(土)阿佐ヶ谷ロフトで劇団再生のお芝居「演劇機関説・空の篇」があります。又、両日とも開演前にトークがあります。劇団「再生」の高木尋士さんと私で「読書の暮れ方」です。