そうか、これだったのか!謎が解けた。何故だろう。ナゼだろう…とずっと思っていたが、これが原因だったのか。これが日本の若者を襲い、蝕んでいる元凶だったんだ。日本の若者が危ないということは、日本が危ないということだ。これこそが現代の〈日本病〉だ。
だって皆さんも気付きませんか。若者のくせに、やたらと「物忘れ」する人が多い。「ほら、あれだよ、あれ」「えーと、何だったかな。あれなんだけど…」と言って思い出せない。
記憶ができないし、記憶が保存できない。見かけは「若者」だが、脳年齢は確実に「老人」化している。そんな〈現場〉を私もよく目撃する。
居酒屋にありますよね。「血液型占い」とか、「クイズ」とか。その中で、問題を出して、答える時間によって「脳年齢」を判定する。若者たちが、キャーキャー言ってやっている。
私も目撃した。どう見ても20代前半にしか見えない女の子が、「ゲッ!私、脳年齢60才だってよ!」と叫んでいる。「年、ごまかしてんじゃないの。本当は60才なんじゃないの?」と皆にからかわれている。そのからかっている若者も、やってみたら、「俺は55才かよ」と嘆いている。逆に、60過ぎのオッサンが、「脳年齢30才」と評価されて喜んでたりして…。
「これは居酒屋の謀略だ」と言ってた若者がいた。金を払うのはオッサンだ。だから、オッサンをヨイショして、気分良く金を払わせようというゲーム機と居酒屋の「陰謀」だという。
じゃ、20代の女性に冷たい訳は?ウーン、きっと、この機械を作ってるのが40代の女性で、若い女性に嫉妬してるんだろう。あるいは、作ってるのはオッサンだから、オッサンに同情的で、(自分たちを相手にしない)若い女性には冷たいのだろう。
しかし、〈原因〉はそんな所にはない。もっと大きな、グローバルな、陰謀が進んでいるのだ。それは何と…。(以下次号)
これじゃ、読んでる人が怒るな。でも、私も忘れたんですよ。この「原因」が。この「陰謀」が。ウーン、思い出せない。何だったっけ、ほら、あの人が言ってたじゃないか。ほら、あの本だよ。あの本に出てたじゃないか。ヤダナ。私も若者のように物忘れが酷くなった。ということは、私も「若者化」してることか。バンザーイ!と喜んでいいのか、悲しんでいいのか、分からんち。
では本題だ。これだ!これで謎が解けた!と思った本だ。小形真訓の『迷ったときの聖書活用術』(文春新書)だ。新書だからといって馬鹿にしてはいけない。こんな凄い新書もある。著者は「おがた・まさのり」と読む。漢文からとったような名前だ。でも本人はクリスチャンだ。そして会社勤めの時、困った時、迷った時には聖書を開いて、聖書に聞き、答えを得てきた。私と同じだ。
ただ、私らは困った時に、ちょっと聖書を開いて、なるほど、「キリストはこう言ってるよな」と思って励まされる。その程度だ。でもこの小形さんは、それじゃ満足できなかった。自分で教会を作ってしまう。そして毎日曜日に、牧師の代わりをやっている。20年以上も。凄いね。
小形さんは1939年、横浜生まれ。慶應大学を出て、積水化学工業に入社。東京、仙台などで営業マン。そして広報部長。2000年、定年退職。定年退職してから、教会を作ったのかと思ったが、違う。在職中から「二足のわらじ」だったのだ。ウィークデイはバリバリと営業をやり、土、日曜日は教会の仕事。いや、「仕事」じゃないな。といって「趣味」でもないな。ともかく、土、日は「宗教生活」だ。神のためにボランティアだ。だから、週末の「家族サービス」なんかはない。家族で、教会の仕事をする。偉いね。
小形さんは、1970年、日本長老教会で受洗。74年、交野キリスト教会を設立。20年以上にわたり、毎日曜日に牧師の代わりに聖書のメッセージを伝えている。(でも牧師にはならない。牧師になるには、学校に通って資格を取り、教団から束縛される。それでは自由はない。だから教会を作るが、自分は牧師ではないのだ)。
1970年に受洗か。よど号ハイジャック、三島事件の年じゃないのか。それに何か影響を受けたのかもしれない。私は70年に新聞社に入り、72年に一水会をつくつた。「二足のわらじ」だった。ウィークデイは会社員。アフター5と、土、日は「右翼」をやっていた。同じだ。でも私は4年でクビになる。小形さんは、ずっと営業畑でやり、定年までいた。仕事ができるから、会社も理解してくれた。だって、「土日は教会」だ。この日に会社の旅行や親睦会があっても、出れない。上司、同僚、後輩の結婚式、葬式があっても出れない。最も怖いのは「転勤命令」だ。だって、教会を造ったんだから、その土地から離れるわけにはいかない。それで、「ここで自分必要だ」と思われるように必死で働いた。凄いですね。ここも私とは全く違う。
右翼の中で私と似たケースの人がいた。「二足のわらじ」で、大手企業に勤めていた。ウィークデイは会社員。土、日は街宣だ。でも街宣の時、うるさく野次を飛ばす男がいた。車から降りて口論し、殴った。それで警察に捕まった。私と似ている。私は「事件」を起こし、即刻クビだ。
彼も、クビだと思って、辞表を出した。ところが会社は受け付けない。そんなこと位で、こんな優秀な男を辞めさせたくない。そう思ったのだ。それで必死に慰留した。だから、彼は今でもその会社にいる。温かい会社だ。それに、優秀で、その会社に必要な人間なら、絶対に会社は手放さない。ということだ。
私なんて、即、クビだ。「待ってました」とばかりにクビだ。本当に待ってたんだろうな。ダメ社員で、使い物にならなかったから、何とか辞めさせようと思ってたんだろう。そんな時に、「事件」だ。だから、クビ。(事件だって会社の「陰謀」かもしれない。そんなことはないか)。
この本の著者・小形さんも、会社にとって必要な人間だった。だから、「転勤なんかさせない。どうしても、ここで必要だ」と上の方も思ったのだ。
それに、変な宗教ではない。カルトではない。だから、理解もされた。小形さんが言ってるが、聖書は実生活、会社生活にも役立ったという。実際に、人間が生きる知恵なんだから、そうだろう。「生きる上でのバイブルだ」。聖書だからバイブルだ。(たとえにならんな)
目次を見ると、こんな項目がある。「ビジネスと聖書は歴史的に深い仲」「会社も教会も顧客が第一」「聖書と情報検索」「人類最古の『契約』は旧約聖書にある」…。
なるほど、会社と聖書は無縁ではない。むしろ、近代の勤勉な資本主義はキリスト教徒が作ってきたといえる。そうだ。学生の時に読んだよ。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』だ。
ウェーバーは言う。近代の資本主義をもたらした精神は、貪欲、金銭欲ではない。中世においては、世俗から離れて修道院で祈りに専念することが、神に喜ばれると考えられた。労働はこの世のわざわいとしていやしまれた。
これに対し近代の新しい倫理観は、世俗の真っ直中で、聖潔な生活を送ることが神の意志にかなうというもの。人は神によってその職に呼び出された。だから職業は神が与えたもの。すなわち天職である。(ドイツ語で「職業」はBeruf、「呼び出す」rufenが下敷き)。
さらに英語のcallingは「呼ぶこと」「神のお召し」から。それが「使命」「職業」の意味になっている。ドイツ語と同じだ。
確かに、これは言えるだろう。小形はさらにこう言う。
〈初期株式会社の成立にプロテスタント思想が影響したことも考えられる。聖職者の専制支配から教会が開放されたように、王権と結ぶ少数資本家の支配から脱して多数の出資者(横並びの立場)によって運営される株式会社(カンパニー)が育った。英国ではピューリタン政権の支援のもと、東インド会社などで民主的な総会が行われ、経営情報が公開され、株式は初めて売買可能な証券となった〉
資本主義の大国アメリカだって、キリスト教徒によって作られた。1620年、メイフラワー号に乗って清教徒(ピューリタン)と呼ばれる英国プロテスタント約百人が、迫害を避けて、アメリカに渡った。Pilgrim Fathers(巡礼の父祖)と呼ばれる。しかし、これは合衆国独立に先立つこと150年前だ。それまでには開拓は困難をきわめた。又、アメリカに行ったのは、「一旗揚げよう組」も多くいた。それでも困難の中で地域社会を形成できたのは、彼らの多くに共通する聖書信仰のおかげだったという。又、優れた信仰上の指導者がいたのだ。
小形は又、貴重な指摘をする。大体、資本主義の基になっている「契約」という発想自体が、旧約聖書にある。又、現代の資本主義、そしてコンピューターの基礎になっている、「情報検索」という概念。これも、「聖書」から始まるという。検索機能まで持った「機械」。それがパソコンだ。そのルーツは「聖書」であり、「聖書学」なのだ。小形は言う。
〈膨大なデータの中から必要なものを選び出す。その元祖はなんといっても聖書だ。語句検索二十五万以上、そこからめざすフレーズ(聖句という)、あるいはボキャブラリーを一発で探し出す。大量で、まちまちな形態の情報の断片を、集積し分類し目的に応じて取り出す、この作業はおそらく「聖書学」から始まったのではないか〉
〈なぜ聖書において、語句検索という仕事が早くから発展したのだろう?理由の一つは、多国籍性と互換性だろう。多国籍ということでは聖書の右に出る本はない。原典はヘブル語とギリシャ語、これがなんと二千二百の言語に翻訳され出版されている(意外に思われるかもしれないが、部族語などマイナーな言語を含めると、世界中で六千の言語が使われている)〉
凄いな。国家は200もないが、言語は6000以上もあるのか。そのうち2200の言語に聖書は翻訳されてるのだ。
〈またカバーしている年代がBC二十二世紀からAD一世紀ときわめて広く、内容が深く関連しあっているので、ある箇所の意味を精査するには同じ語句を全体からひろい上げる必要がある。例えばイエス・キリストの生誕について旧約聖書のどの部分でどう預言され、それが他の部分にどう影響しているか、というようなことだ〉
聖書を学び、より多くの人々に神を知らせるために「検索機能つきの機械」は発明されたのだ。それを基にして、パソコンも携帯も急速に普及したのだ。
〈多国籍性、互換性といった聖書の独特の性格は、現代経済社会になじみやすいのではないだろうか。また物事のマニュアル化が発達したのも、聖書信仰とかかわりがありそうだ〉
逆にいえば、この情報洪水の中で、流されず、検索し、使いこなせるのは、信仰を持った者のみができるということだ。私はそう読んだ(小形はそこまでは言ってないが)。
今の時代、1日は24時間しかないのに、そのうち何時間もパソコンに向かって無為に人生をムダ使いしている人が多い。これでは「麻薬」だ。心身を蝕んでいる。信仰のない人が、この巨大な「検索機械」に向かっているからだ。呑まれているからだ。これは自分にとって「必要な情報」だと思い、次から次と必要な「情報」を求めている。しかし、そのほとんどは単なる「広告」なのだ。パンを得ようと思って、石を与えられているのだ。今からでも遅くない。悔い改めなさい。聖書に帰ることです。イエス・キリストの言葉を聞くことです。そうでないと、あなたは死後、裁きに会い、罪の業火で焼かれるでしょう。
あっ、いけない。街頭で叫んでいるキリスト教の言葉になっちゃった。でも、聖書のために生まれた「検索機械」が、聖書を忘れ、暴走している。聖書だって気分が悪いだろう。こんな人類ではダメだ。人類を滅ぼして、新しく作り直そうとされるのかもしれない。勿論、小形はそんなことは言ってない。小形の本を読んで、私が拡大解釈をしたのだ。
「若者の物忘れ」だって、「神の警告」かもしれない。小形の次の文章を読んで、私は勝手にそこまで読んでしまいましたね。では、小形の文だ。「ITの落とし穴」について書いている。「脳年齢60才」の20代OLたちはしっかりと目を見開いて読んでほしい。
〈「ぼける年齢でもないのに、生活に影響の出るほどひどい健忘症の若者が最近増加しているらしい。専門家によると、他人と会わずに生活でき、ものを覚える必要のないIT化社会で脳が『苦労』してないことが一因だという。社会を豊かにさせるはずの技術が人を退化させているとしたら--」(毎日新聞「IT記者の目」内田陽介記者)
読者の中には「あ、やっぱり」とうなずく人が多いのではないか。ITでなければ夜も日も明けぬほどはやしたてたマスコミ界。それも専門記者からこのようなレポートが出てきたことには驚かされる〉
そうですね。これは大問題ですね。小形はさらに言います。
〈「近頃の若者は、という決まり文句。便利なのでよく使うが、脳を遊ばせているのは若者ばかりではない。考えてみれば相手の電話番号を機械に記憶させるようになって久しい。こうなると覚えていた番号さえ忘れていく。そのうちに自宅の番号も忘れてしまうかもしれない。使わなければ脳の働きはどんどん低下していく。加齢によるよりもIT化による健忘症が広まると、電脳なんて言葉もうっかり使えなくなる。補聴器、ペースメーカーと同じように脳の働きまでエレクトロニクス技術の世話になるのかもしれない〉
そう、これなんですよ。一番大きな問題だ。人間の身体機能は使わなければ、どんどん退化する。急速に退化する。脳もそうだ。「覚えなくていい」となると、「覚える努力」をしなくなる。自分の携帯の番号を知らない人だって、一杯いる。
以前なら、分からないことがあったら、人に聞く。あの人に聞くのは嫌だな。どう切り出そうか、などと考え考え、おずおずと聞く。「図書館で調べろ」と言われるかもしれない。それでも分からないことが多い。私なども、ずーっと「分からないこと」を抱えてきた。それが脳には良かった。ところが今は、すぐに分かる。ネットで分かる。政治討論会でも、すぐに反応し、「これが答えだ!」というひとばかりだ。皆、「即答式」、「即応式」だ。デジタルだ。
これは、パブロフの犬だ。一見、「情報」を得てるように見えるが、違う。脳を使ってないことにおいては同じだ。だから、どんどん退化している。もう何も記憶できない脳になりつつある。
「電脳社会」というと、進んだ社会のようなイメージがある。脳が賢くなって、電化され、電子脳のようになった気分だ。でも違う。脳の外のツール(パソコン)が、脳にとって替わったのだ。脳は機械の中にある。肉体の脳は、単なる「抜け殻」なんだ。
恐ろしい社会だ。だからそれを阻止するためには、IT化を、どこかで阻止することだ。たとえば、即効性はなくても、分かんないことがあったら、図書館に行って百科事典をひいてみるとか。その近くのページも見てみる。結構、面白い発見がある。今、「自分が探している」ものだけでない。関心のない所も、読んでみたらいい。面白い発見がある。又、アトランダムに図書館の中を歩いて、よし、今月は、この棚の本を読んでみようと、決めてもいい。デジタルではなく、広くアナログ思考で調べ、本を読み、考えたらいい。それこそが脳を老化させないのだ。小形の言うように、「脳を遊ばせない」ことだ。
私が生学連の運動をやっていた頃、生長の家本部には、電話番号を全部、覚えている人がいた。生学連で活動している人の番号は皆、覚えている。電話帳を取り出すよりも早い。だから、「誰々君の番号は?」「○○さんの番号は?」と、皆、彼女に聞いていた。とても重宝されていた。でも今なら、「それがどうした」と言われるだろう。皆、携帯に入ってるからだし、番号を覚える必要もない。でも、40年前の彼女の方がずっと脳は進化していた。
ある先生が言っていた。「これからの国語教育では、もう漢字を教える必要はないんじゃないか」と。つまり、パソコンがあるから、漢字を書く必要はないし、漢字を覚える必要もない。「まぁ、大体、こんな感じ」と読めればそれでいい。それで余った時間を他のことに使えばいい、と。一見合理的なようだ。しかし、確実に脳は退化するね。
パソコンで原稿を書いてる人も、最近は、「手書き」に戻ってる人もいる。井上ひさしさんもそうだ。又、最初の何枚かは、キチンと考え、苦労して手書きで書いた方が格調高い文が書ける。と思って、部分的に「手書き」にする人も急増している。私もそうだ。と思ってたら、この本を書いた小形さんも実行していたんだ。驚いた。
〈余談だが、私はこの原稿をキーボードで入力していた。書いたり消したり引用したり、便利ではある。けれども各章の初めの部分、十ないし二十行は、必ず原稿用紙のマスに万年筆で一字一字ていねいに書く。行き詰まったときも同じようにする。不思議にもこれで、霧の中から文章を手繰り寄せるような気持になるのである〉
同じことを考えている。やはり、「手作業」ですよ。原稿を書くというのは、あくまでも家内制手工業だ。それを機械化しようとしたら、便利で、量産はできるが、必ず品質は落ちる。部分的にでも「手作業」の良さを生かすべきなんだ。そのことによって、あなたの〈脳〉を救うこともできる。「脳年齢60才」の若者たちに、特にそのことを言いたい。
〈あとがきから読んではどうか。鈴木の興味深い一文がある。〈約二百年前、議会を見て「これは鳥だ」と思ったフランス人の思いつきに人類は支配されてきた。この「鳥史観」から脱却する必要がある(要約)〉。右左なんて区分けは何の意味も持たない。僕は鳥から人間になりたいだけなのに—と。
対談の全体で、佐高と鈴木にスタンスの大きな違いは感じられない。主張の過激さで既存右翼を乗り越えてしまった「市民団体」(ネチズン)の考察などを通し、今昔のトンガッタ人々の流れがよくわかる。(桐)〉
①余りにも有名な、三島事件(1970年)の写真です。でも、よく見るとビミョーに違います。世界的アーチスト・森村泰昌さんが三島になり切って、演じているのです。3月11日(木)から5月9日(日)まで東京都写真美術館(恵比寿)で行われている「森村泰昌・なにものかへのレクイエム」のプレス内覧会の時です。3月1日(水)です。
⑤坪内祐三さん、秋山祐徳太子さんも来てました。『美術手帖』(3月号)と『ユリイカ』が同時に、〈森村泰昌特集号〉です。『美術手帖』では私は森村さんと対談しましたが、坪内さんも森村さんと対談しています。坪内vs森村対談はテーマが「ズレとブレ=後ろ向きで前へ進む」です。芸術的な対談です。「我々二人を対談者に起用するなんて『美術手帖』も味なことをやりますよね」と坪内さんは言ってました。私はこんな凄いアーチストと対談できただけでも光栄です。
⑥森村さんの展示会を見て、新宿のロフトプラスワンに行きました。左から、居島一平さん、私、村西とおる監督、プチ鹿島さん。プチさんは元「大川興業」で、私も何度も会ってました。村西監督とは初対面です。「息子ともどもお世話になってます」と言ったら、笑われました。62才だそうですが、若いです。元気です。体もガッシリしてるし、「格闘技をやってるんですか」と言ったら、「ニンニクを食べてます」と言われました。「政治」の世界と「性事」の世界の両方のハードな話を聞かせてもらいました。
⑦ロフトプラスワンは超満員でしたよ。このあと、休憩。そして、居島さん、プチさんと3人でトーク。さらに、お笑い芸人のオンパレードのライブでした。楽しかったです。面白かったです。殿方充さんは、かなり危ないネタをやってました。「でも私は鈴木さんの『創』の連載を読んでますし、佐高さんとの本も買いました」と言ってました。だからと言うわけじゃないが、ロフトは何をやってもいいでしょう。私は楽しみましたし、面白かったですよ。
⑧この本が、今回のHPのテーマとなった小形真訓さんの『迷ったときの聖書活用術』(文春新書)です。とてもいい本です。そうだ。私もこういう本を今度、書いてみたいな。『私の「聖書」入門』でもいいし、『「生命の実相」と私』でもいいな。『日蓮と私』とか。
⑩3月1日(月)河合塾コスモの「人間関係ゼミ」(阿木幸男先生)で、「非暴力平和隊」(Nonviolent Peace force)の事務局長 ティム・ウォリスさんが来て、講演してくれました。ウォリスさん(中央)、阿木さん(右)。全く知らなかった話なので、とても勉強になりました。
⑭終わって帰ろうとしたら、帝国ホテルの玄関のところに雛人形が飾ってました。見とれていたら、他のパーティに参加したのでしょう。五月みどりさん(歌手)が通りかかりました。「ファンです」と言って厚かましくも写真を一緒に…。