そうは言っても、もう昔には戻れない。携帯のない時代、パソコンのない時代には戻れない。そう思う。先週の「主張」に反論してるんですよ、私は。いろんな弊害はあるが、技術の改革は必要だし、ツールの進化は楽しいし、夢を追うことも大事だ。『百年後の日本』を読んで、そう思った。これは、およそ百年前に、百年後の日本(つまり、今だよ)を予測したものだ。
当時の代表的雑誌である『日本及日本人』(大正9年春季増刊号)を、最近復刊したものだ。技術的、道具的なものは思い切った夢を描いている。それが又、ほとんど実現している。これは凄い。例えば、地球の裏側の人と電話で話せる。地下や地上の高い所を走る車が出来る。他の星に行ける。…と、百年前の〈夢〉は皆、実現している。しかし、政治思想や哲学においては、夢はない。古くさい。人間そのものや思想は変われないくせに、技術だけは猛スピードで変わったのだ。
技術においては「回顧」や「古への復帰」はない。「車をやめて駕籠に乗ろう」と言う人はいない。「カラーテレビは目に悪いから白黒テレビに戻そう」と言う人もいない。
でも人間だけは、目標が全て、「過去の人」だ。坂本龍馬だし、「坂の上の雲」の秋山兄弟だし、松陰だし、西郷だし、土方歳三だ。「クニオ新党」の鳩山邦夫も、「龍馬になりたい」と言う。「未来人になりたい」「ロボットになりたい」とは言わない。もっとも、兄貴は「宇宙人」と言われているが…。
『百年後の日本』は楽しい本で、時々、手に取って読んでいる。何百人という人が書いてる。漫画家も「百年後の日本」を描いている。これが、的中している。ウーン、凄いなと思う。
そう思ってる時、柳田邦男の『石に言葉を教える=壊れる日本人への処方箋』(新潮社)を読んだ。新刊かと思ったら、2006年に出た本だ。図書館から借りてきて読んでた。あっ、この人も「邦男」だ。じゃ、「クニオ新党」に入る資格がある。ネットを見ていたら、鳩山邦夫の「クニオ新党」では、「クニオ」という名前の人だけを集めて新党をつくるという。ネットに書いてることだから、きっと嘘だろうが、発想は面白い。
それによると、「クニオ」というのは、親が「クニのために尽くせ。国のために死ね」と願ってつけた名前だ。つまり、生まれる前から「龍馬になれ!」と言われて、この世に生まれたエリートだ。だから、全国の「クニオ君」を集めて新党をつくったら、この日本は素晴らしい国になる。というのだ。面白いですね。楽しいですね。きっと実現するでしょう。百年後に。
ところで、柳田邦男の『石に言葉を教える』だ。これを読んでたら、さっき私が読んでた本のことが出ている。エッ?と驚いた。こんな偶然があっていいのか。私の念力が呼び寄せたのか。「クニオの魔力」か。ともかく、柳田邦男は、こう言っちょる。
〈かつて大正時代に、当時多くの読者を集めていた総合雑誌『日本及日本人』が『百年後の日本』という増刊号を出したことがあった。政治家、官僚、学者、言論人、芸術家などにアンケートを出して、その回答を編集したのだが、これに対し漫画家は「百年後の日本」の姿をいくつもの一コマ漫画で表現した。
例えば、飛行機でハワイに新婚旅行に行くようになるという予測を、小型プロペラ機に一組のカップルが乗っている漫画で表現している。大型ジェット旅客機の登場までは予測出来なかったにしても、飛行機でハワイへという予測は、百年も経たないうちに実現したわけで、漫画家の予測は当たっていたことになる。あるいは、都会に煙突が林立して、黒い煙が空を覆っている漫画を描いて、公害が問題になるだろうと予測している〉
そして、こう結論付けている。私と同じことを言ってると思い、驚いた。
〈興味深いことに、政治家、官僚、学者はまるで今日の日本を予測出来ていなくて、想像力の貧しさを露呈しているのに対し、漫画家のみがみごとに現代日本の姿を予測していたのだ〉
そうなんだ。政治家、官僚、学者、それに言論人たちだね。想像力が貧困だったのは。それに、うかうか予想なんかしていられない、という恐れがある。「外れたら」大変だと思い、臆病になる。だから、「夢想も及ばざる處」「勤儉に、忠実ならば」「邦人今後の努力如何」「何處へ往くやら」「根本思想に揺らぎはない」…と、全く面白くも何ともない。予想する勇気もない。大正という時代の制約もあるのだろうが、根本的に、そこから飛べないのだ。だから、こんなものが多い。
「新東洋文化の中心」「帝政日本の光輝昭々」「完美完善の立憲君主国」「日本天皇は世界盟主」「全世界に日本神政復古」…と。
時代の雰囲気、時代の制約を抜け切らない人々だ。皇室に頼り切っている。その為に〈自分〉がない。そうとも思う。
「皇室を大切にする」のと、「皇室に頼り切る」のとは違う。これは最近の天皇論議についても言える。天皇に、ああやってほしい、こうやってほしい、と注文ばかりつける。「どうしても男子を産め」「女性が天皇になったら天皇制は終わりだ。日本は終わりだ」などと言う。
皇室はあるだけでありがたい。それなのに、注文ばっかりつけている。文句ばっかり言っている。皇室に頼り切っているのだ。自主的・自律的な日本人が生まれないのも、そのせいかもしれない。
私は皇室があってこその日本だと思う。ただ、皇室を利用しようとした人々も歴史上、多くいた。これも事実だ。さらに、「皇室があるのだから」…と日本人の自主性がそこなわれ、依頼心が強くなった面もあるかもしれない。それは正直に見つめ、考えてみる必要があるだろう。
そんな私の持論を耳にしたのでしょうか。その女性記者は聞いてみたんだそうな。勝間和代さんに。
日本人が依頼心の強いのは、天皇制への依頼心と関係があるんですか、と。なかなかいい質問だし、勇気がある。私だって、その場にいたら、聞けない。ところが勝間さんは、「皇室はコストの問題」と意外なことを言っちゃった。それで、「週刊文春」(3月4日号)に書かれちゃった。
2月15日に、日本外国特派員協会で、勝間さんの新著『チェンジメーカー』(講談社)のPRを兼ねた講演会の席だ。質問コーナーで、ある女性記者が質問した。
〈この日、参加者の注目をもっとも集めたのは、次の発言だった。
「勝間氏が、“日本人は受け身だ”と発言したのに対し、日本の女性記者が“日本人の依頼心は天皇制への依存心と関係があるのか?天皇制についてどう考えるのか?”と質問した」〉
勇気ありますね。20代の若く美しい記者だそうだ。きっと民主的、進歩的な傾向の雑誌社の記者に違いない。私なら、「大いに関係ありますよ。でも…」と言うでしょうね。勝間さんはどう言ったのか。
〈勝間氏は、『ロイヤルファミリーが外交上に与える好影響を考えると、日本にロイヤルファミリーがあっても悪くないと思うが、コストの問題だと思う。国民がコストを払ってまでロイヤルファミリーを維持したいのであれば、(現状は)ある意味中途半端』〉
ウーン、誤解されかねない発言だ。「大切だ」と言ってるが、「コストの問題」だという。コストでは語れないと思う。万が一、コストにしても、日本の皇室があることで、日本がどれだけ他国から見直されているか。計り知れないと思うけど。さすがに、ちょっと舌っ足らずだと思ったのか…。
〈発言の真意について、勝間氏サイドはこう説明する。「“コスト”というのは純粋に経済学的な意味でのコスト(予算措置であり、“国民が天皇制を負担に感じている”といった意図ではない。国民や外国からの権威としての信頼度が高いのであれば、むしろもっと予算を増額すべきだということを説明した) それにしても、皇室の存在までも、「コスト」とは——。何でもカネに置きかえる。人ぞ淋しき。〉
では又、ITの話だ。この前、テレビでITの「未来予測」の話をしていた。もう実現間近で、実験中のものもある。たとえば、「絶対にぶつからない車」。何のことはない。鳥や魚の群れは何千、何万と大群をなして飛び、泳いでいる。でも、ぶつからない。それにヒントを得て、ぶつからない車をつくる。何メートル以内に近づいたら止まるとか。ITを使って出来るだろう。でも、〈自由〉はなくなるね。他にも、一杯あったな。その中で、「これだ!」と思ったのが一つ、あった。「フューチャー・ライフ・ウォール」だ。
未来の生活の壁だ。何の変哲もない壁だ。みやま荘でも、さつき荘でもいい。ガランとした壁がある。家に帰って、さて本でも読もうかと思う。携帯のボタンを押す。あらら不思議。壁一面に本箱が現れる。「IT書棚」だ。
その中の本を取り出し、読む。ページもめくれる。壁に大写しされた本を読むのだ。「大活字」本よりも、さらに大活字だ。これはいい。読み終わったら、本箱に戻す。部屋中の壁が全て書棚だ。そして必要なら家中の壁を本箱にする。いや、画面を切り換えればいいのか。そうしたら、中野図書館が丸々入る。そして必要な時には本を読める。これはいい。
家には1冊の本もない。ガランとした家だ。でも、ボタンを押せば、本箱が広がり、何十万冊がある。そしていつでも読める。そして外に出る時は、iPodや電子書棚で読む。4月にはいい機種が出るそうだ、それを買おう。週刊誌、月刊誌、それに新書なども、それで読めばいい。買う必要はない。
本や本箱だけではない。身につけるものも全てITになる。靴にも服にも時計にもセーターにも全て、極小コンピュータが入る。
つまずかない靴。寒くなったら自動的に温度が上がる服。病気で倒れたら、靴のITが異常を察知して、救急車が自動的に来る。そういう社会になる。パソコンや携帯だけではない。着るもの、身につけるものが全て、「コンピュータ付き」になるのだ。何も「百年後の世界」ではない。今、もう試作品を作っている。そう。板生清の本が言うように、『コンピュータを「着る」時代』(文春新書)になっているんだ。
例えば、1台の車には数十個のコンピュータが働いて、エンジンはもとより、カーナビ、エアコン、メーターなどいたるところを制御している。だが、このような車載の、あるいは持って運べるコンピュータを中心とする情報機器は、まもなく人が着装(ウェア)する時代になる。まさに「ウェアラブル(着られる)」となる。
〈着る情報装置つまりウェアラブルの時代に入ると、人が着ている衣服やめがね、シューズ、ベルトを通して情報をやりとりすることが想定される。情報のやりとりというと、人と人のあいだを考えがちであるが、ウェアラブル時代になると、ちょっとちがう。
たとえばヘルスケアである。私たちは年に一、二度、健康診断を受けているが、ウェアラブル機器を使うと、一年365日、一日24時間を通して、フルにケアされることもできる〉
時計やメガネ、服、靴にコンピュータが入っており、それを身につけることで、健康管理は出来る。異常があったら病院に通報し、救急車も来る。凄い時代だ。
〈心臓に不安のある人は、心臓の状態をとらえる各種センサー(たとえば心電計)やコンピュータ、通信が一体化したウェアラブル機器が見守ってくれる。異常が感知されると、自動的に医療機関に通報され、必要とあれば救急車も出動…。これはまさに技術の福音ではあるまいか〉
心臓病など病気を抱える人には、確かに〈福音〉だ。「でも、監視されるのは嫌だ」と思う人は、そんなものを「着なければ」いい。それだけのことだ。足元が覚束ない人は、「転ばない靴」を履けばいい。又、IT仕込みの腕時計で、徘徊老人をチェックし、防止することも出来る。
脳梗塞なども、サインがある。小渕首相も倒れる前日は、ロレツが回らなくなっていた。他の人でも数分から数時前に「サイン」が出ている。そんな「サイン」を見逃さずに「身につけたコンピュータ」が病院に通報する。「コンピュータをドレイ」にして使うのだ。「暖房服」「冷房服」も思いのままだ。
〈超小型の発電機を生かした軽量の冬のオーバーもつくれる。そのための「マイクロ熱発電素子」の開発もすすんでいる〉
という。
つまりだな。昔はテレビも電話も、「一家に一台」だった。ところが今は、テレビも電話も一人に一台だ。「冷房」「暖房」も〈個人用〉になる。夏、冷やしすぎるオフィスでは、自分の所だけ、暖かくすることも出来る。喫茶店でうるさくて仕方ない。じゃ、自分の所だけ、音をシャットアウトして、「静かな読書空間」をつくることも出来る。うん、出来るだろう。フォログラフで本が目の前に出てきて、読書する。ITメガネをかけてると、それが自分にしか見えない。そうすると、会議に出ていたり、人と会話してる時も、自分にしか見えない本が出てきて、読書することも出来る。きっと、そうなるだろう。私は期待してますね。この「ウェアラブル」な未来に。
〈足腰が弱ったら、転倒防止のシューズがあれば助かる。心臓に不安のある人は、胸についたセンサーが、つねに血圧や脈拍、心電図を測定して、情報センサーに送信してくれれば心づよい〉
もうそんな社会になりつつある。〈未来〉ではなく、現実だ。日本人の医療費は、年間30兆円を超え、そのうち、40%は老人医療費だ。特に、転んで骨折し、それで寝た切りになる人が多い。階段から落ちて、気付かれずに、手遅れになったり…と。入院すると、リハビリがきついので、ついつい動かない。それで「寝た切り」になる。だから、「転ばない靴」は日本を救うITだ。又、階段で転んだりしたら、身につけたIT時計で、病院に直結する。
「ITシューズ」は体のバランスを保ち、転ばない工夫がされている。又、万が一の転倒があれば、ただちに助けに行ける。さらに歩行パターンから、高齢化、痴呆化の進み具合もわかる。又、自分がどこにいるかわからなくなるアルツハイマー病の患者の対策にもなる。位置測定装置GPSを靴のつま先部分に配置してあるからだ。幼女の誘拐や、北朝鮮の工作員への予防にもなる。
又、知らなかったが、老人の死因は、「入浴中の事故」が多いという。女性がサービスするお風呂に行って興奮し、死ぬのではない。普通の入浴中の事故だ。
〈日本の高齢者においては、「不慮の事故」による死がじつに多い。一般に死因として「不慮の事故」とあると、交通事故死を連想しがちだが、高齢者のばあい、その大半は「入浴中の事故」なのである。
まず、溺死率(75才以上)が、日本は異常に高い。スペイン人の10倍、イギリス人、スウェーデン人の40倍というWHOのデータがあるが、これは、日本人がおぼれやすい民族ということを示しているのではない〉
では、何故なのか。何故、「老人」が、それほど溺れ死んでいるのか。アメリカの陰謀か?違う。
〈高橋龍太郎先生(東京都老人総合研究所)は、「事故の背景として、『浴槽に張ったお湯』という条件が大きく影響しているのではないかと考えられます。シャワー浴だったらたぶん死ぬまでには至らなかったのではないか、とみたうえで、入浴のためのヘルスケアの必要性を指摘している〉
そうか。兇器は「お湯」だったのか。こいつが犯人なんだ。なみなみとお湯を入れて、首まで浸かり、「おっ、極楽、極楽!」と言ってると、本当に、極楽に行っちゃう。健康な人はいいが、心臓などに病気を抱えている人は、倒れるだけでなく、ズルズルとお湯の中に沈み、溺死する。お湯さえ張ってなければ助かったケースも多いのだ。
だから、指輪でもいいし、ITを身につけておいて、血圧、心臓、呼吸器などに異常があったら、すぐに家族や病院に連絡出来るようになっていれば、助かったのだ。又、倒れた時も、自動的に(兇器の)お湯を抜くようにITが指示していれば、助かるのだ。
〈ここで注意すべきことは、他者による救急処置がとられるだけでは足りない、という点であろう。センサー作動に応じて、バスタブの水が抜ける装置が救命につながる、ということだ。このセンサーとしては、前述の「指輪型パルスオキシメーター」が役に立つと考える。つぎの課題はこの場合、センサーと浴槽の水抜きをどうつなげるかということになる〉
この『コンピュータを「着る」時代』は、こうした医療面の話が多い。しかし、一般人向けの〈夢〉も多く紹介されている。
その一つとして、ネットで「匂い、香り」も送れるようになるという。リンゴやミカンなどの香気成分を分解し、それを送って再生させる。例えば12の香気成分に分解したら、その香気成分によって電気抵抗が違うのを利用して、香り分析器で、特徴的な香気成分を割り出し、そのデータをインターネットで送る。送られたらそのデータをもとに、合成装置で香気成分を合成する。という仕組みである。
なるほど。出来そうだ。じゃ、映画でもすぐ使われるだろう。映画、テレビはこれからどんどん3Dになり、飛び出してくる。匂いもついてくる。振動も伝わる。リアルだ。
じゃ、初めに紹介した「フューチャー・ライフ・ウォール」も、飛び出したらいい。本箱が「出現」し、本のページがめくることができ、読める。さらに3Dで、手元に来る。今までの3Dと違い、質量がついた、「手に触れられる」本にもなるだろう。そして、飽きたら、ボタンを押せば、本箱は消える。
じゃ、「レンタル家族」も、これでやればいいな。一人暮らしのオッサン向けだ。一人淋しく家に帰ってきても、リモコンを押すと、家族が現れる。(家に帰る前に、電話からレンタル家族に連絡しておいてもいい)。「パパ、おかえり!」と妻や子供たちが、抱きつく。その人間の質量も感じる。人間のぬくもりも伝わる。そして次は、「本箱」を出して、本を読む。レンタル家族は読書の邪魔だから、消えてもらう。
そうだ。前にここで書いたな。本に殺された人の話を。漫画本を何千冊と持っていて、地震の時に、その本の下敷きになって死んじゃった人だ。何人もいたらしい。不審死だ。フロによる老人の「溺死」、本による若者の「圧迫死」。これも、ITが解決してくれる。漫画本は全部、パソコンに読み込んで、いつも壁に映し出しておいたらいい。四方の壁に全部、映し出して、満足していたらいい。どんな地震でも絶対に崩れない。本は人間様を襲ったりしない。コンピュータをドレイにするんだ。バンザーイ。
①これが今回、取り上げた『百年後の日本』です。100年前に雑誌「日本及日本人」が特集して出版したものです。ジェーアンドジェー・コーポレーションが復刊しました。6800円と高価な本ですが、それだけの価値はあります。表紙は「百年後の新婚旅行」です。
②この本の中には文章だけでなく漫画も沢山入っています。「対面電話」。テレビ電話として実用化されてますよね。「芝居も寄席も居ながらにして観たり聴いたりできる」と書かれてます。テレビ、CD、ビデオ、DVDの出現も予測してます。
⑧勝又ボクシングジム「リング清祓直会」で。3月14日(日)、西小岩のニューオークラで。勝又ボクシングジム前会長・勝又行雄氏(元東洋フェザー級チャンピオン)が引退され、勝又洋氏が新会長になった。勝又洋氏は25年以上前からの知り合いだ。この日はボクシング関係者を初め、多くの人々がお祝いに駆け付けてた。中央が勝又洋氏。右は亀田史郎氏。
⑫3月12日(金)夕方、若松孝二監督と会いました。若松監督の「キャタピラ」で、寺島しのぶが最優秀女優賞を取った。ベルリン国際映画祭で。日本では夏に公開だという。快挙だ。これが話題になり、次の作品(「山口二矢」を撮る)に取りかかるだろう。
⑬『死刑の基準 =「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)の著者、堀川恵子さんに、3月13日(土)会いました。アジア記者クラブのジャーナリズム講座で。取材の時の苦労など詳しい話を聞き、とても勉強になりました。
⑮芸人の「冷蔵庫マン」さんも面白いですね。冷蔵庫になり切って、いろんな芸をやります。去年の年末も一緒に出ました。久しぶりに会ったので、「あっ、ダンボールマンさん」と言っちゃいました。間違ってすみません。