推理作家になろう。…と思ったことがある。国内外の推理小説を読み漁った。自分ほど読んでる人間はいないだろう。と思った位だ。何年間も、推理小説ばかりを読んでいたこともある。プロットも考えた。でもダメだった。ただ、小説には書かなかったが、「別な面」で使ったことはある。これは今は書けない。
推理小説は山のように読んできたし、推理映画、テレビは、主だったものは皆、見た。多くの「犯罪者」たちにも会っている。「殺人犯」だけで20人以上の知り合いがいる。さらに、自分自身も「多くの事件」に巻き込まれた。何度も捕まり、何十回もガサ入れ(家宅捜索)された。未解決事件で〈時効〉になった事件との〈接触〉もあった。だから、自分ほど、「推理小説」作家として相応しい人間はいない。そう自任するのだが、いかんせん、小説を書く才能がない。見沢知廉氏の苦悩・苦悶を見ていて、とても自分にはこんな修羅場を生き抜き、小説を書く覚悟も才能もないと思った。
ただ、推理的指向というか、方法論は使っている。『腹腹時計と〈狼〉』や『赤報隊の秘密』『愛国の昭和』などは、自分にとっては「推理的」な作品だと思っている。『証言・昭和維新運動』だって、戦前の維新運動に向き合った「謎解き」だと思っている。『夕刻のコペルニクス』だって、そんな側面はあると思う。
多くの「犯罪者」と会う中で、いろんな「やり方」を教わった。「こうやれば完全犯罪だ」という方法も教わった。でも使わなかったし、書けなかった。殺人もM作戦(マネー作戦)もこうしたら捕まらないという方法がある。でも、世の中には、ルパンのような人はいない。有り余る才能を持ち、時間と金をかけて「犯罪」を準備する。そんな人は小説の中だけだ。長年、刑事をやってきて、でも殺人を犯し捕まった人がいた。刑事時代、多くの犯行現場を見て来た。事故なのか事件なのか。今でも分からないものもある。単なる事故として処理したが、あるいは「巧妙な犯罪」ではなかったか。と、今に中って思うヤマもある。
「だったら、事故に見せかけて殺したらよかったのに」と私は言った。「そうなんです。そう出来た。でも時間がなかった。焦っていた。切羽詰まっていた。すぐに金が欲しかった、と元刑事は言う。だから失敗したと言う。そうなんだよな。長年の「刑事の知恵」を使えなかったのだ。犯罪は、そんな時に起きる。
私と同じように推理小説を読み漁っていた人がいた。でも、「犯罪」は、ある日、突然に起きる。カーッとなって、殴ってしまった。相手は打ち所が悪くて死んでしまった。飲み屋などでの喧嘩なら、多くの人がいるから、止める。あるいは、事件が起こっても、すぐに警察に捕まる。ところが、夜中、2人だけの時だったり、政治的事件の中だったり…。そんな時は、どうする。「こんなことで捕まりたくない」と思い、逃げる(私もそうだった)。あるいは「証拠」を消そうとする。死体をどこかに持って行って埋めるか。捨てるか。
そんな風にして事件は突然起こる。そんな時は、慌ててしまい、推理小説で読んだ知識などは役立たない。いや、断片的に思い出すのだ。査問をやって人を殺し、さてどうしようかと見沢氏は考えた。「富士の樹海に埋めよう」と思った。たしか、松本清張の本に、そんなシーンがあった。あそこなら絶対に見つからん。「念には念を入れて、顔を潰し、指紋を焼こう」と思い、実行した。これも推理小説で得た断片的な「知識」だ。情報だ。
今なら、携帯のナビや検索で、調べられるのだろう。「どこに埋めたらいいか」「富士の樹海までは何キロ。ここの地点が見つからない」と案内が出るのだろう。出ないか。でも、「ヤバ!殺しちゃった。どうしよう」と思った時、携帯は何ら〈情報〉を与えてくれない。そういう「裏グーグル」があればいいのに。「これは自首するしかない」「これは逃げ切れる」「これは処理した方がいい」と教えてくれる。何なら、「処理人」も派遣してくれる。そうした「人助け」サイトを作ったらいい。
警察OBがそういうサイトを立ち上げてもいい。どうしたらいいかと相談されたら、過去のデータを見せて、「絶対に捕まる。逃げるよりは、早く自首した方が罪が軽くなる」とアドバイスしてあげたら、犯罪も減る。事件の前の段階で阻止も出来る。「もう殺すしかない」と思ってる人間に対し、過去の事例を紹介し、いくつかの選択しうる「道」を示す。「道順」を示す。殺したら、捕まって無期か死刑だ。逃げおおせたとしても、こんな過酷な逃亡者の道だ…。と、いろんな道をナビしてあげる。相談者も、ハッと気付き、犯行を思い止まるだろう。そういう、「人生ナビゲーション」をやってもらいたい。
私も、ない頭で必死に考えた。「こんな手はどうか」「こうやったら完全犯罪だ」と提案した。実際に使った人もいた。「鈴木に教えられた」と自供したら、私は終わりだ。しかし、犯人は自供しない。それに捕まってない人が多い。そして時効だ。悪人は、枕を高くしてゆっくりと眠っている。
前に紹介したが、何人かの推理作家にはネタを提供した。斉藤栄さんは、作品中に私のネタを使ってくれた。他にもいる。
ただ、絶対に言えないネタもある。又、「犯罪者」たちから教えられた驚異の殺人メソッドもある。ウーン、これなら完全犯罪だと、舌を巻いた。でも、書けない。書いたら、その人の犯罪がバレてしまう。世の中には凄い人がいるもんだと思った。一体どこでそんなことを学んだんだろう。左翼運動の中か。ヤクザ社会か。あるいは外人部隊に入っていた時か。
ネタはあるし、プロットもある。しかし公開できないものが多い。あくまでも、それはヒントにして、全く状況も方法も変えて、書けばいいのかもしれない。あるいは推理小説の形で。でも、小説はやはり難しい。どうしたらいいのだろう。携帯を手に取ったが、こんな時、アドバイスしてくれる〈情報〉はない。「近くにおいしいパスタ屋がありますよ。そこを右に曲がって…」といった〈情報〉しかない。こんなのはただの〈宣伝〉だ。情報なんて言うなら、本当に困っている時に助けになるサイトだ。それがない。情報がない。
横溝正史の推理小説は全部読んだ。推理小説家になろうと思ったら当然だ。金田一探偵の活躍する小説だ。日本の第一人者だ。この人の小説を読んで、諦めた。とてもこんな凄いものは書けないと思った。
どうしてこんな「巨人」が生まれたんだろう。その「謎解き」に挑戦した。横溝正史は、子供の時、自閉的な少年だった。だから家で本ばかり読んでいた。又、けっこう〈合理的〉に考える子だった。又、親の金を盗んで買い喰いをしたり、小学校6年でオナニーを覚え、「罪の意識」に苦しみ悩んだ。自閉的で、臆病な性格のくせに、好奇心だけは強かった。それが後に、推理作家になる「土壌」になったのだろう。この点は私も似てるか。
それに、横溝少年は、神戸市で生まれた時から「愛国者」だった。横溝正史著『横溝正史自伝的随筆集』(角川書店)に、こう書かれている。
〈明治35年5月24日の、楠公神社のお神輿(みこし)がわが家のまえへさしかかったとき、母が産気づきオギャーと生まれたのが私だったそうである。それで父が(楠木)正成にあやかって、マサシゲのマサシまでをいただいて、正史と命名したのだそうだ〉
ほう、凄いですね。楠木正成にあやかって名付けられたのか。そういえば、似たような話を聞いたな。誰だっけ。福島県郡山市で生まれた人だ。何でも、外では近所の愛国婦人会の人たちが竹槍訓練をしていた。「鬼畜米英」「撃ちてし止まん」で、「エイ!」「エイ!」と竹槍を突き出していた。その声で母親が産気づき、子供が生まれた。こんな時に生まれたんだから、「反米救国」の愛国者になるだろう。国を救う男になるだろうと、「クニオ」と名付けられた。名前で人間は一生を支配されるのだ。
この横溝正史は5才で母親を亡くす。かわいそうだ。お母さんを慕って泣いてばかりいる正史少年を不憫に思って、父は姉と正史少年を「神降ろし」の所へ連れて行った。その巫女は、母の霊が降りてきて、すぐに母とそっくりの言葉つきで、「もうひとりの子はどうしてきてくれなんのじゃぞいの」と言った。
実は、もう1人の兄がいたのだが、兄は遊びほうけていて、この神降ろしの時、家にいなかったのだ。でも、正史少年は、それを指摘されて畏れ入る子供ではない。変だと思う。
〈いまから思えばその巫女は、あらかじめわが家の事情をしっており、また抑揚にとんだ岡山弁は、まねしやすかったのであろう〉
やはり違う。後に推理小説の大家になる人は、子供の頃から違う。それに、「母」ならば、「もうひとりの子」などと言わない。誰々と、ちゃんと名前を言うはずだ。そこまでは分からなくても、「おかしい」と5才の正史少年は思う。その「おかしい」と思う気持ちに確信を与える事件があった。「神降ろし」の日から数日して、家に帰ったら、母親の声がする。「あっ、おかんが帰ってきた!」と大喜びで障子をあけた。ところが遠い親戚のおばさんだった。母親と同郷人だし、年も似てるし、母と同じ岡山弁だ。全く同じ話しっぷりに聞こえる。だから、あの「神降ろし」はインチキだと確信するのだ。頭のいい子供だ。
この「合理的精神」と「好奇心」だ。それと、いい人たちに引き上げてもらったという。たとえば8才上の江戸川乱歩とか。そんな人たちがチャンスをくれた。決して、自分から切り拓いた運命ではないという。又、戦争によって岡山に疎開した。それもよかった。いろんな因襲めいた話を聞く。言い伝えを聞く。そして、大作が次々と生まれる。『八つ墓村』『本陣殺人事件』『犬神家の一族』『悪魔の手鞠唄』『悪魔が来たりて笛を吹く』…等々だ。
しかし、次第に作品発表は散発になってゆき、ついに1964年には筆を折ってしまう。
〈ちょうどその頃、松本清張氏を旗手とする、社会派リアリズムを基調とした推理小説なるものが台頭してきて、私の書く謎解き探偵小説のごときは、絵空事としてジャーナリズムから葬り去られ、雑誌の注文はいうもおろか、単行本の売れ行きさえも先細りの状態となってきた。そのとき私の収入を支えてくれたのが、人形佐七捕物帖のテレビ化であった〉
何の気なしに横溝や乱歩を推理小説と書いたが、正確には「探偵小説」なんだ。松本清張やら森村誠一らが現れて「推理小説」になったのか。でも今では、横溝に敬意を表して〈推理小説〉と言ってるよ。そして、横溝の10年間の沈黙時代だ。60年代半ばからの10年間だ。普通なら、それで終わる。ところが、10年後の昭和50年(1975)。73才で横溝は長編『迷路荘の惨劇』を発表。又、『病院坂の首縊りの家』を書く。77才では『悪霊島』を書く。それと同時に、かつての作品が次々と文庫化され、映画化される。
75年には「本陣殺人事件」が、76年には「犬神家の一族」が封切られ、角川文庫版の著作は1200万部を突破した。70才を過ぎての一大ブレイクだ。77年には「悪魔の手鞠唄」「八つ墓村」が封切り。79年には「悪霊島」などが封切り。映画を見て、角川文庫を買う人も多く、「横溝ブーム」になった。そして、ブームの只中で、昭和56年(1981)、横溝は逝去する。79才だった。実に幸せな晩年だった。
60代半ばで、「もう古い」とあきられ、筆を折った。私と同じだ。ところが、73才から横溝は、再びブレイク。やる気も猛然と起こり、再び長編を書き始める。映画にテレビにと大ブームになる。私も、そうなりたいものだ。
〈民主も自民もウンザリ、永田町スキャンダル。
前田日明、怒りの独占激白。
鳩山民主に裏切られた〉
そして、こう書かれている。「政策そっちのけでいきなり金の話。お粗末すぎる「参院選候補者選び」の内幕をすべてブチまける」
うーん、凄いですね。そして、「政界はプロレス界に似ている」と言ってます。
①横溝正史『犬神家の一族』(角川文庫)です。角川文庫からは30冊以上が出ています。どれも面白いです。読まなくちゃ日本人じゃなか、です。他にも、『八つ墓村』『本陣殺人事件』『女王蜂』『悪魔の手鞠唄』などは、必読書ですね。
〈生前葬の元赤軍派議長「塩見孝也」はゲバ棒と白装束〉
〈学生運動以来、地に足がついたためしのない「天上人」塩見氏が、「地上人」に生まれ変わる生前葬なのです〉
〈発起人に当たる「葬儀委員」は、新右翼「一水会」最高顧問・鈴木邦男、ミュージシャンで参議院議員の喜納昌吉、社会学者・宮台真司、政治家らの相談相手として知られる鹿児島の池口恵観師ほか多士済々だ〉
あらまあ、私が発起人になっていた。知らなかった。でも、いいんです。尊敬する塩見同志のためなら何だってやりますよ。
でも、白装束でゲバ棒を持って現れるんでしょう。そのゲバ棒で襲われたら大変だな。その時は「正当防衛」で戦いますよ。柔道三段、合気道三段だ。ゲバ棒くらいに負けませんよ。断固粉砕して、「天上」に追い返してやりますよ。(と、妙に興奮しているクニオ君です)。