だから、急いでたんですよ。焦ってたんですよ。4月3日(土)、「よど号40周年」の集会が京都である。1時から5時までだ。それから急いで東京に戻り、「大西ゼミ」の同窓会に出る。早稲田の政経のゼミだ。43年ぶりだ。京都があるんだから、「行けない」と言えばいい。普通ならそう言う。
でも、二度と会えないかもしれない。それに、はじめは「3月28日(日)でどうだ」と言われていた。その日は、「よど号」の40周年の集会がある。だから、無理を言って、4月3日(土)にしてもらった。「じゃ、忙しいクニオの予定に合わせよう」と、4月3日になった。ところが、「よど号」40周年が、急遽、3月28日から4月3日に変更になった。
ギャ、どうしよう。もともと、「大西ゼミ」は私の日程を優先して決めてくれたのだ。じゃ、これに出て、「よど号」を欠席するか。でも、「あれから40年。よど号集会」は、次は、「あれから50年。よど号集会」だ。もう、ないかもしんない。何とか両方でる方法を考えなくてはならない。
「大西ゼミ」は午後3時にホテル・リーガル早稲田に集合。早大キャンパスや鶴巻町を散策し、学生時代の思い出にふける。5時から金城庵という蕎麦屋で二次会。午後7時まで。それで散会。「そのあと、どこかに行って三次会をやって下さいよ。馬場でも新宿でも。そこには必ず行きますから。43年ぶりだし、ぜひ、皆さんにも会いたいし」と懇願した。「クニオが言うんだからしょうがねえな。皆も会いたいだろうし」と言う。「じゃ、東京に着いたら携帯してくれや」。「ハイ」ということになった。
「よど号40周年」は、大勢の人が来て、超満員だった。入りきらない。マスコミも多かった。第1部は、「よど号」関係者の挨拶。池口恵観さんの記念講演。そして、山中さん、川口弁護士の報告。
それから第2部がシンポジウムで、青木理さん、柳田健さん、それに私も出た。これが5時までで、それから「懇親会」だ。「5時までに部屋を撤収しなくてはならないので4時半には終わります」と会の世話人の人は言う。それからタクシーに乗って、飛行場へ。「いえ、京都に飛行場はあらへらへん」と言う。じゃ、新幹線だ。5時の新幹線に乗って、東京着は7時半。それから高田馬場に行って8時には「大西ゼミ」に合流できるだろう。慌ただしいけど、これしかない。
ところが、計画通りには行かないものだ。よく、交通機関の時刻表を丹念に研究して、アリバイを作る犯罪がある。昔は私もやったが、これは不得意科目だった。松本清張の『点と線』のようにはいかんかった。急ぎ、焦ってやった犯罪は皆、失敗した。それ以来、時刻表犯罪はやらない。その点、「あの人」は凄かったな。いつも冷静に、確実にやり遂げた。その話は又、いつか。時効になったら、本に書こう。
「よど号」集会は、5時過ぎまで延びた。「大西ゼミの同窓会がありますから」と中座できる雰囲気ではない。「馬鹿野郎。どっちが大事なんだ!」「同窓会だなんて、プチブル的だ!」と糾弾され、総括されかねない。なんせ、赤軍派の人たちだから、それで、我慢してシンポジウムに参加してました。怖い。それに、かなり活発な話になったし。そして5時過ぎて、すぐに出ようとしたら、新聞記者に挨拶されるし、知り合いの過激派の人たちとも挨拶するし。5時半近くなった。まいったな。本当なら、もう新幹線に乗ってる時間なのに…。
ダメだ。行こう、と、慌てて会場を後にした。「鈴木さん、待って!」と実行委員会の人が追いかけてくる。包丁を持っている。「ダメじゃないの。商売道具を忘れちゃ」と言う。
いや、そんなことはない。これは植垣康博さんの『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)の一シーンだ。アジトを出て、「M作戦」のために銀行強盗に行く時だ。「ダメじゃないの、商売道具を忘れて」と言って女子学生が包丁を渡す。いいシーンだ。当時は、ピストルじゃなくて、包丁一本で銀行強盗できたんだ。「根性が座っていれば出来ますよ」と植垣さんは言っていた。偉いね。
そうそう、京大会館から出て、タクシーを拾おうとしてた時に、実行委員の人が追ってきたのだ。「これ、おみやげ」と紙袋を渡す。「八ッ橋です」という。「えっ、北朝鮮にも八ッ橋があるんでっか?」とつい聞いちゃった。
だって、店の名前が紙袋に書かれてたが「京乃ぴょんやん」だ。違いますよ。よく見て下さい。「京乃ぴょんや」です、と言う。あれ?「ん」が足りない。印刷ミスかな。「隣りにウサギのマークがあるでしょう。ウサギはぴょんぴょん飛ぶから。ぴょんやです」。ウーン、紛らわしい。きっと偽装だろう。それでタクシーに乗った。
ところで、タクシーが進まない。渋滞だ。京都駅に着いた時は6時10分になっている。ヤバ。それで6時18分の新幹線に飛び乗った。東京駅着は8時30分。携帯で大西ゼミの人に電話した。すんません。8時半に着きますから。待ってて下さい、と。
それで、ホッとして座席に座った。今日は、やたらと忙しいな。今朝は早く起きて、かなり時間的余裕を持って、京都に来たのにな。
「よど号40周年」は午後1時から京大会館で行われた。「その前に、食事をしましょう」と岩井さんが言う。だから早めにと思い、11時半に京都に着いた。岩井さんと吉本さんが迎えに来てくれた。「おもろいラーメン屋があるんですわ」と岩井氏。「炎のラーメン」らしい。食べる前にラーメンに火をつけ、ボーッと燃やすらしい。フーン、「話のネタに行ってみまひょか」と私も応じた。
きっと、高田馬場の「炎のオムレツ」のようなもんやろう。オムレツにワインをかけて、火をつける。ボーッと炎が出る。あるいは「ヒレ酒」に火をつける。ポッと、アルコールが燃える。そんなもんやと思った。車で行った。人が並んでる。丸太町にある「めん馬鹿一代」だ。12時開店だ。
ラーメンが来る。「机の上には何も置かないで」「後ろに体を引いて」と、注意される。そして、ネギ油に火がつく。ともかく驚いた。ビックリした。あんなに炎が出るとは思わなかった。よく店が燃えないものだと思った。終わってから、ラーメンを食うとこは写真に撮った。でも、炎攻撃の時は、とても撮れんかった。でも、ネットを見たら、勇敢にも、撮った人がいた。だから、それを紹介させてもらうわ。「ギャーッ!」と3人とも叫んだ。「恐かったね!」「ほんまやね!」「赤軍派よりも恐いわ!」と言い合ってました。
ラーメンを食べるのが、こんな大ごとになるとは思ってもみんかった。ハッと気が付いたら、もう1時になる。ヤバッ!「よど号」集会は1時に始まるのに!タクシーを拾って、慌てて京大会館へ。1時10分過ぎだ。
でも、まだ始まっちょらん。受付中だ。ホッとした。時間に寛容な赤軍派のおかげで助かったんだ。40年前のよど号ハイジャック事件の時もそうだった。1回目に同志の半分が「時間に遅れて」中止している。列車と同じで、ギリギリに駆け込んでも乗れると思ったのに、「もう手続は終了しました」と言われた。「そんな!」「何なら次の便に」「次の便じゃダメなんじゃ!これでなくては…」というやりとりがあったそうな。半分のメンバーは乗っているが。人数が揃わないので中止。その半分は福岡から空しく引き返し、その4日後、再びやる。そして今度は成功。
「時間に寛容」な赤軍派だ。彼らは「世界同時革命」といってたが、これも不可能だね。皆が時計を合わせて、さて、全世界で同時に革命をやるといっても、「ヤバ!遅刻した!」「ゲッ、時差があったのか。知らんかったよ」…と、なるだろう。スッキリ、「世界同時革命」なんて出来へんよ。
しかし、いかんね。自分が遅刻しといて、他人の遅刻を責めるなんて。天に唾する行為だ。すんませんどすえ。自己批判します。
さて、「あれから40年、よど号問題を語ろう」集会だ。少し紹介しよう。まず開会の挨拶。そして、よど号事件を振り返る(ビデオ上映)。記念講演。池口恵観さん(高野山真言宗大僧正、最福寺法主)。偉いお坊さんだ。ロシア、北朝鮮にも行っている。よど号の田宮高麿さんが亡くなった時も、池口さんがお葬式をやっている。
でも決して左翼的なお坊さんではない。「むしろ私は右寄りだ」と言う。だって、1961年にクーデターを起こそうとして逮捕されている。5.15事件の三上卓さんや川南豊作さんなどと共に、捕まっている。「三無事件」だ。税金、失業、戦争をなくすという「三無」だ。あっ、あの事件かと思い出す人もいるだろう。前からこのお坊さんには、会ってゆっくり話をしたいと思っていた。だから、この機会に会えたのは幸いだった。記念講演も、とてもよかった。よど号問題、今後の日朝問題について、示唆に富む話だった。
そのあと、帰国問題報告で、山中幸男氏(救援連絡センター)、それに川口和子弁護士が報告する。山中氏の話は衝撃的だった。「よど号」の子供は20人。全員が帰ってきた。今、北朝鮮にいるのは「よど号」の4人と奥さんの計6人だ。この6人も帰国するといっている。「今年中には帰国させたい」と山中さんは言う。これには驚いた。この「山中発言」が火をつける形で、後半のシンポジウムは行われた。
シンポジウムの進行が佐々木直博氏(京都総合研究所)。パネラーは青木理さん(ジャーナリスト)、柳田健さん(政治犯にたいする不当な弾圧に反対する会)。そして私だ。
青木さんたちは先月、北朝鮮に行き、「よど号」の人たちと会ってきた。その話をまず、する。「僕らよりも、「よど号」グループに1番シンパシーを持っている鈴木さんが行くべきだった。行けなくて残念だった」と言う。「これはもう言っていいんですよね」と念を押す。
いいんですよ。実は、3月に、私も青木さんたちと一緒に北朝鮮に行く予定だった。日程も空けておいた。ところが、私だけが、断られた。去年に続いて、又もやだ。去年は北京まで行って断られたが、今回は、その前の段階だ。何とも残念だった。
進行の佐々木さんが、ピョンヤンの「よど号」グループに電話をつなぐ。私も出て話をした。「又、ダメでしたね。でも必ず行きますから」と言った。それから、望郷の思いは分かるが、帰ってきたら15年から20年も刑務所だ。「今、帰りべきではない」と私は言った。
シンポジウムでは、その「帰国問題」を中心に議論は展開した。「でも、帰ってきて初めて言えることがあるのかもしれない」と言う人もいる。それはあるだろう。しかし、捕らわれた上での「面会」では自由な話は出来ない。それに、日本の人民は「温かくない」。政治犯に限らず、全ての犯罪に対し、どんどん重罰を科せ。時効も廃止しろ。死刑はなくすな!という厳しい風潮だ。冷静に「よど号」問題を語れる雰囲気ではない。
あるいは民主党政権で、自民の時よりはいいという人もいるだろう。でも、それも甘いと思う。又、裁判員制度だって、きっとマイナスに働くだろう。
「よど号」グループを迎える日本の人民は「冷たい」。私はそう言った。
又、「よど号」グループが関与したとされる「拉致」事件についても話し合った。いわゆる「拉致」はやってない。でも、日本やヨーロッパで「同志獲得」のオルグ活動はやっていただろう。その「一環」として、「オルグ」はあったのではないか。「いや日本ではオルグ活動はしていたが、ヨーロッパでは一切ない」という。例の、「失踪した人と一緒に写した写真」でも、「外国にいて、日本人同士が会ったら、声をかけ、写真ぐらい撮るでしょう」と言う人がいた。それは説得力のある話だ。
ただ、その一瞬の「遭遇」だけだったのか。あるいは高沢皓司氏の『宿命』で書かれた〈拉致物語〉が本当にあったのか。高沢氏の話も、余りに出来すぎた話で、にわかには信じられないが、日本の警察やマスコミは、その〈物語〉に飛びついている。それを突き崩す〈真実〉、あるいは〈物語〉は出て来ない。この点は、私も聞いてみたい。
ピョンヤンとの直通電話では、「拉致とは一切関係がない」と断言していた。
この日は、会場に鳥越俊太郎さんがいた。「もったいない。ぜひ、パネラーとして喋って下さい。私と交換しましょう」と言ったが、断られた。カメラマンを連れていたし、取材で来たらしい。又、映画監督の足立正生さんも来ていた。鳥越、足立さんにも発言をしてもらった。
そして会場からの質疑応答があり、5時過ぎにシンポジウムは終わった。この日は「たかじん」のカメラも来ていたので、ネットで配信するかもしれない。
シンポジウムが終わって、皆に挨拶をして、私はアタフタと会場を後にした。その時「鈴木さん、待って!」と呼び止められた。「はい、包丁!」じゃない。「はい、おみやげ」とピョンヤンの生八ッ橋をもらった。いや、「ピョンヤの生八ッ橋」だ。いかんな。同じ所に戻ってきて、同じ所をぐるぐる回っている。永続革命じゃなくて、永続回帰だ。
エーイ、話は飛んで東京だ。6時18分の新幹線に飛び乗って、ハイジャックだ。いや、違う。そんな元気はなくて、新幹線の中では、疲れて眠りこけていた。
8時半に東京駅に着き、地下鉄で高田馬場へ。いかんな、急がなくちゃ。と階段を走って降りていたら、あら不思議。奇妙な看板が目についた。「あなたの隣りに過激派が!」。いや、これじゃない。こんなのは別に珍しくない。過激派なんか、いくらでもいる。隣りにも、私の中にもいる。
そうじゃなくて、「誘拐ラプソディ」という看板だ。「拉致」の看板かな。違う。どうも、映画らしい。ラプソディとは「狂詩曲」のことらしい。そこに大きく書かれている。
〈誘拐犯vsヤクザvs警察〉
あれっ?似てる。人のアイデアをパクったな、と思った。でもそんな筈はない。この「三すくみ」は偶然だ。こっちだって、今まで全く発表してなかったんだ。じゃ、こっちもいきなり映画にすればよかったかな。
〈探偵vs殺人犯vs警察〉
…と。
ちょっと違ったな。「探偵vs容疑者vs刑事」だ。その「三つどもえ」というか「三すくみ」の恐怖の激突対談をやったんだ。去年から、かなり時間をかけてやった。
そして、いよいよ、この4月末に出る。『右翼の掟・公安警察の真実』(日本文芸社・1400円)だ。北芝健さん(元公安警察の刑事)と私の対談だ。だだ、それだけでは終わらない。
これを企画したのが日本文芸社の金田一さんだ。本名だ。じっちゃんは探偵だという。子供の頃は「金田一少年」と呼ばれ、いろんな事件を解決したという。だから「探偵vs容疑者vs刑事」だ。
ともかく凄い本になっちゃった。北芝氏も、思い切って暴露する。「そりゃ、マズイですよ」と言って、それらを伏せ字にしてもらった。でも、追いつかない。
それどころか、私も北芝さんに乗せられて、ヤバイ話を随分としたらしい。「こんな本、危なくて出せませんよ」「そうだね」と言ってたんだが…。
でも、出しちゃうんだよね。私は知りませんよ、どうなっても…。表紙だけは出来てきたので紹介しよう。もしかしたら、表紙だけで終わるかもしれない。だから、ちゃんと紹介しておこう。
「誘拐ラプソディ」から北芝氏との対談本を思い出したんだ。そんな連想ゲームをしてるうちに高田馬場に着き、三次会をやっている「天一房」に急ぐ。
おっ、いたいた。3時から始まって、同窓会は、6時間も経っている。何人かはすでに帰ったが、残って待ってくれてた人もいた。ありがたい。やっ、懐かしい。顔は覚えているが、名前が出て来ない。皆、自己紹介をしてくれた。早稲田の政経の3年、4年にはゼミがある。その時の人たちだ。21人いたそうで、この日、集まったのは12人ほど。4人ほどは亡くなっている。
「大西ゼミ」は、比較憲法学の大西邦敏先生だ。政府の憲法調査会にも呼ばれていたし、(当時としては珍しく)改憲論者だ。早大では風当たりも強かった。でも、気骨のある先生で、自らの信念を貫いていた。
「でもネットで検索しても大西先生は出てこないんだよ」と言う。「それなのに、邦男、お前は随分と出てくんだよな」と言う。「すみません」と謝った。恩師を差し置いて、出来の悪い私が…。大西先生は、近所の書店で教科書を何冊か作って、私らはそれを買って勉強した。他に大学の『紀要』などへの原稿を執筆していた。でも、商業出版はなかった。それで、ネットのウィキペディアには出て来ないのだ。
「でも、クニオは、載ってんだよな」「すんません」「本を一杯出してるからだよね」。他の人が、「いや、殺人事件の容疑者だからだろ。赤報隊って言ったっけ。その真犯人は時効で逃げ切ったんだよな」「なんでも、クニオが犯人を知ってて、逃がしたと警察は見てんだよな」…。
ウワー、皆、よく知ってる。詳しい。中には『右翼は言論の敵か』を持って来た人もいる。「読んで質問しようと思ったんだけど…」。ヤダな。ゼミの優等生がゼミの落ちこぼれ(私)に何を聞くだか。何せ、皆、エリートだ。卒業後はNHKやら、大銀行、大商事会社に勤めている。新聞社にコネで入ったはいいが、無能でクビになったなんて、私だけですよ。その後も、ずっと日陰の人生だし。何度も捕まってるし。犯罪者だし。
「いやいや、波瀾万丈で面白かったんじゃないの」「いい人生だったよ」と言う。もう終わったような言い方だ。そうか、皆、大企業の幹部になって、定年退職した人ばかりなんだ。
俺は俳句を作ってんだ、といって披露する人もいる。今日は、京都で「よど号」の集会があって、と言いかねて、「作家の集まりがあって」と言っちゃった。見栄を張って。「でも、どうしてピョンヤンのお菓子を持ってんの?」と言われた。「だから、ピョンヤンじゃなくて、ウサギのピョンヤですよ、ヤダナ-」と言っちゃった。
そして、夜、遅くまで、お酒を飲み、43年前の昔話に花が咲きました。卒業して43年か。そしてその間、一度も会ってないんだ。「あの頃は大学進学率が14%だったんだよ」と言う。「これは旧制高校と同じだ」とも言う。フーン、そうなのか。そう考えると、申し訳ない気持になる。そして、馬場の夜は更けて行ったのでありんした。オワリ。
〈これは破天荒な本だ。
思い切り真面目であり、思い切りふざけている…。
僕の運動してきた過去も、人生の歩みも考えも、未来も、〈全て〉はここにある〉
①「あれから40年、よど号問題を語ろう」集会。4月3日(土)午後1時〜5時。京大会館。1F講演室。第2部のシンポジウム。左から進行の佐々木直博氏(京都総合研究所)、パネラーの青木理さん(ジャーナリスト)、柳田健氏(政治犯にたいする不当弾圧に反対する会)、鈴木。
⑥これが衝撃の「炎のラーメン」です。凄い炎が上がります。私も、巻き込まれ、あやうくチャーシュー(焼豚)になるとこでした。京都・丸太町の「めん馬鹿一代」です。恐かったです。心臓が止まるかと思いました。赤軍派よりも恐かったです。
そうだ。日野原重明さん(聖路加病院理事長)は、「40年前、ハイジャックに遭って、怖くて、もうダメだと思った」そうです。それで助かった。あとは余生だと思ったら健康に長生きでき、もうすぐ100才です。じゃ、この「炎のラーメン」に誘ってみよう。赤軍派より恐いラーメンだ。「死ぬかと思った」。で、さらに100年、寿命が延びるよ。
⑩これが今月末に出る衝撃の対談本です。北芝健さんと対決しました。『右翼の掟・公安警察の真実』(日本文芸社・1400円)です。恐ろしい内容です。いいんでしょうか。こんな本を出して。 「炎のラーメン」と、どっちが怖いか。競争です。
⑫4月1日(木)平早勉さん(カメラマン)の写真展を見に行きました。新宿東口の(地下)改札から出てすぐです。ビアカフェ「BERG(ベルグ)」でやってます。とてもいいです。ぜひ、見て下さい。まだやってます。