2010/04/19 鈴木邦男

一寸先は闇ではない。光だ!
=これは、「失敗学」のバイブルですよ=

①「暴れん坊将軍」のような人だ

谷口貴康さんの『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)
谷口貴康さんの『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)

一気に読んだ。実に感動的な本だった。勇気のある本だと思った。なかなか出来ることではない。自分の過去について、失敗について書く時、これほど赤裸々に、素直に書けるものではない。必ず自己弁護が入り、自己を正当化する。誰かのせいにしたり、運命のせいにする。いや、そう思いたいが為に本を書く。そういう人が多い。他人の事は言えない。私だってそうだ。

ところが、この本には、そうした「責任転嫁」も「自己正当化」もない。かえってキツかっただろう。自分を追いつめ、見つめる。脱出路はない。なんせ、10代後半で交通事故を起こし、友人を死なせる。自責の念から自殺ばかりを考える。さらに、再び、交通事故を起こす。そして交通刑務所に入れられる。その、「地獄の日々」のことを書く。

よく書いたものだと思う。普通なら書かない。書いたとしても、「若い時には無茶をして、失敗したこともあるが、それを乗り越えて、今はこんなに幸せだ」と、サラリと書くだろう。事故のことだって、あれこれと理由をつけて、「自分のせいではない」「巻き込まれたのだ」「自分も被害者だ」と書くだろう。その方が楽だ。そう書くことによって、自分が「救われる」。そう思う。

でも、この本は違う。そんな安易な「救い」に逃げ込まない。全ては自分の責任だと、引き受ける。そして、事故のことも、自分の今までの歩みも赤裸々に、正直に書く。そして、その先の「大いなる光」について書く。とても出来ることではない。

谷口雅春先生とお孫さんの貴康さん
谷口雅春先生とお孫さんの貴康さん

それに、著者は、「一般の人」ではない。多くの人々から仰ぎ見られる「聖家族」の一員として生まれ、愛と祝福の中で育ち、その教団のトップに立つことが約束された人なのだ。エリート中のエリートだ。

「生長の家」の初代総裁・谷口雅春先生のお孫さんだ。谷口貴康さんだ。お父さんは谷口清超先生(「生長の家」2代目総裁)だ。

谷口貴康さんが最近書いた本、『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)が、その「勇気ある本」だ。

「谷口貴康さん」と書いて、ちょっと躊躇した。本来ならば、「貴康先生」と書かなければならない。実際、交通事故のあとも、ずっと「生長の家」本部の先生だったし、その時なら私も、「貴康さん」とは呼べなかった。今は、大きな決断のもと、本部を辞め、長崎で整体治療院をやっている。いわば、「普通の人」になった。だから、縁あって、私のような人間でもお会い出来るし、お話し出来る。将軍家の若殿様でありながら、庶民と一緒に生活している「暴れん坊将軍」のような人だ。そんな気がする。

②雅春先生の『自傳篇』を読むようだ

谷口貴康さん(右から2人目)、右は村上正邦さん
谷口貴康さん(右から2人目)、右は村上正邦さん

この本は平成22年4月5日発売だ。書店に出る前に、3月末に送ってくれた。驚いた。こんな大変な苦労をされたのか。自殺まで考えていたのか。さらに、それを全て書いている。何もそこまで書かなくても。そこまで自分を苛めなくても…と思った。

そして、「自傳篇」のようだと思った。谷口雅春先生の書かれた『生命の実相』(全40巻)は、「生長の家」の聖典だ。大ベストセラーだ。この第19巻、20巻が「自傳篇」だ。雅春先生の自伝だ。しかし、世の宗教者のように、「苦労しながらも道を求めて清く正しく生き、そして神の啓示を受けた」という、きれいなサクセスストーリーではない。失敗に次ぐ失敗の連続だし、女性関係の過ちも赤裸々に書く。実に人間的だ。先生は早稲田に入り、勉強するが、かわいそうな女性に同情し、大学を中退する。本当の恋なのか。ただの同情なのか。あるいは文学的に、「恋に恋した」のか。さらに、もっと、どろどろした展開は続く。さらに道を求めて、さまよい、大本教に入る。そこでも大変な苦労をして…。と「生長の家」をつくるまでは、山あり谷ありで、平坦な道は一つもない。

佐高信さん、香山リカさん、斎藤貴男さんたちと(4/8)
佐高信さん、香山リカさん、斎藤貴男さんたちと(4/8)

これは、尾崎士郎の『人生劇場』のようでもあり、五木寛之の『青春の門』のようでもある。早稲田に入り、社会問題、政治問題に目覚め、悩み、闘い、女性問題にも葛藤する。雅春先生のこの「自傳篇」だけでも独立して、どこかの文庫として出したらいいのに。と私は思っている。「自傳篇」は『生命の実相』に入っているおかげで、多くの人に読まれた。『生命の実相』全40巻で2千万部近くが売れている。とすると、19、20巻の「自傳篇」で100万部近く出てることになる。しかし、〈聖典〉にされてることによって、かえって一般の人には縁遠くなってる面もある。これは勿体ないと思う。だから、独立して、どこかの文庫にしたらいいではないか。そう言ってるのだ。これだけで屹立した〈文学〉だ。

谷口貴康さんの『一寸先に光は待っていた』も、まさに「自傳篇」だ。そう思った。「はじめに」で書いてるが、去年の5月、『劇団四季』のミュージカル「春のめざめ」を見た。ピストルをくわえ、自殺しようというモリッツを見て、思わず舞台に駆け上がって止めたい衝動に駆られた。

「塩見孝也のラスト・トーク」より(4/10)
「塩見孝也のラスト・トーク」より(4/10)
〈なぜならば私自身も十代の頃に大変な事件を起こし、友達の死に直面して夜も昼も自殺ばかりを考えていた過去があったからだ〉
〈私であれば゛彼の傍(かたわ)らに寄り添い自分自身の「自殺を取りやめ生きた」体験をそのまま包み隠さず語って聞かせるしか無いのかも知れない。失敗と挫折を繰り返し「恥多き人生」をおくってきた私の“生き続けてきた意味”がつけられ、大きな失敗に直面して困難な状態にあった時に学び取ってきた「コトバ」を伝える“役割”がまことに勝手ながら自分にあるのではないかと思い立ち、二十年以上も前に断片的に書きためていた「自分史」をまとめてみようと思った〉

③「夢だろう」「夢であってほしい」…と

アーレフ元代表の野田成人さんと
アーレフ元代表の野田成人さんと

本当に苦しかっただろう。辛かっただろう。死んだ人に申し訳ない。それに、周りの人に大変な迷惑をかけてしまった、という悔恨と自責の念。それに、何百万という信徒から仰ぎ見られる「聖家族」の一員だ。その一員が、こんな事を起こすはずがない。ありえない。あってはいけない。「それなのに…」と思ったことだろう。

事故の瞬間、ハッと気が付き、事態が信じられない。「そんな馬鹿な。嘘だろう。これは夢だよな」と思う。おい、夢だよな。早く醒めてくれよ、と思う。でも、醒めない。夢ではない。「そんな馬鹿な! 夢であってくれ!」と絶叫したことだろう。貴康さんのその気持ちが分かる。だって、私も、事故の瞬間、そう思ったからだ。これからは、私のことだ。初めての告白だ。

その時、私は急いでいた。信号は青から黄に変わろうとしていた。右にハンドルを切った。勿論、左右は確認した。しかし、右は、なだらかな坂になっていた。そして、バイクは「死角」に入っていた。全く気が付かなかった。右に大きく曲がり直線車線に入ったと思った時、「ボーン」という大きな音がした。そして目の前に、信じられない光景が現れた。バイクに乗った若者が、大きく弧を描いて、宙を飛んでいた。それも映画のスローモーションのように、ゆっくり、ゆっくりと宙を飛び、そして、グシャッと嫌な音を立てて、地面に叩きつけられた。

信じられなかった。こんなこと、現実に起きるはずはない。夢だ。俺は夢を見てるんだ、と思った。呆然としていた。人が集まってきた。誰かが110番をしたらしい。パトカーが来る。救急車が来る。それでも〈現実〉だと信じられなかった。

警察に連れて行かれ、朝まで、取り調べられた。しかし逮捕はされなかった。信号無視でもないし、スピードの出し過ぎでもない。ただ、死角とはいえ、注意不十分だ。そして、バイクは大破。青年はピクリとも動かない。死んだのかな。俺は人殺しになったのか、と思った。

(左から)中村明彦さん、鈴木邦男、宮城星治さん
(左から)中村明彦さん、鈴木邦男、宮城星治さん

後で聞いたが、腕を折ったが、助かった。ホッとした。取り調べが終わって病院にかけつけた。ひたすら謝った。保険で全て払った。「保険だけでは足りない。新しいバイクを買ってくれ」と言われ、そのお金を出した。見舞金も払った。「自分はミュージシャンをやっている。元気なら1日、これだけ稼げる。今は、腕を折ってこうやって吊っているから、出来ない。その賠償と、休んでる間の仕事と生活保障をしてくれ」と言われて、ともかく、言われるままに払った。相当の金を払った。

警察は、「事故だし、お互いに不注意だったんだ。そこまでやることはない」と言ってくれた。しかし、こっちが撥ねたんだ。責任は全て自分にあると思った。そのうち「要求」はエスカレートする。「もっと出せ」「これじゃ足りない」という。そして凄いことを口走った。私のことを、ただのサラリーマンと思ったのだろう。

「俺の知り合いに右翼団体の人がいる。ちょっと恐い人だ。その人が交渉を代わって、大金を取ってやる、と言ってる」。

これには内心苦笑した。「じゃ、出て来てもらおうか」と、よほど言おうかと思ったがやめた。「何も、そんな恐い人に相談しなくてもいいでしょう。出来るだけのことは誠意をもってやりますから」と必死に頼んだ。そして、時間はかかったが、何とか解決した。

「あの瞬間」は、事故を起こした人間でなくては分からない。「現実のはずがない」「嘘だろう」「夢だろう」と、必死に自分に言い聞かせていた。あの時のことを今でも思い出す。

貴康さんは、私とは違い、もっと大きな事故だ。それも二度も起こす。そして交通刑務所に入る。「夢であってくれ!」「時間よ戻れ!」と叫んだことだろう。

④「反省」と「後悔」の間

『アエラ』(4/19号)
『アエラ』(4/19号)

ちょっと話を変える。百才を超えた人が、テレビで、「長寿の秘密」を聞かれていた。「好き嫌いなく何でも食べる」とか、「体をよく動かす」という。さらにこう言っていた。

「過ぎ去ったことを、クヨクヨと考えない」

うーん、これは真理だと思った。

又、別な人は、同じことを、こう表現していた。

「反省はしても、後悔はしない」

これも深い言葉だ。

「反省は、明日につながる。自分はここが弱いから、ここを直して、強くして、明日から頑張ろう。と、「前向き」だ。

ところが、「後悔」には、「明日」がない。「あの時、ああしていれば」「あの時、何故、あんな馬鹿なことをしたんだろう」と、繰り言、愚痴ばかりだ。余りに大きな痛手で、もう立ち上がれない。「明日」がないのだ。

変な表現だが、死刑囚の「後悔」もそうだ。確かに、自分がやったんだ。死刑を宣告された。もう助からない。それにしても、何故、あんなことをしたのか。何故、殺してしまったのか。ちょっと考えたら分かるじゃないか。あんな所に包丁があったのが悪い。こっちは金を盗んだだけだ。それなのにあいつが追っかけてくるから、必死で逃げようとした。私は追い払おうとして包丁を振り回しただけだ。いや、あの時、観念して逃げなければよかったのだ。…と、考える。今さら考えても仕方のないことを考える。何度も何度も。それも朝から晩まで考える。これは地獄だ。

他人のせいには出来ない。全ては自分の責任だ。明日につながる「反省」ではない。明日のない「後悔」だけが、毎日毎日、繰り返される。

劇団再生の打ち上げで(3/27)
劇団再生の打ち上げで(3/27)

貴康さんも、そうだったのだろう。そんな絶望的な状況の中で、『生命の実相』を読む。そして、〈光〉を見出す。「一寸先は闇」という諺があるが、そうではない。「一寸先は光」だった。諺や常識を破るのが〈宗教〉なのだ。そして雅春先生、清超先生の大いなる愛を感じる。雅春先生の手紙も感動的だ。

「貴康君を愛する詩」と題し、

「わがいとしき孫よ
貴康君よ。
君がせめて執行猶予になって貰いたいと思って努力してみたけれども
横川裁判長の前には効果がなかった」

…と始まる。

初めて公表する手紙だろう。「生長の家」総裁として、又、可愛い孫を持ち、その刑を心配する祖父としての愛情あふれる手紙だ。こんな手紙をもらえるなんて世界中で唯1人だ。

途中、こういう箇所がある。

眼力(めじから)あゆちゃんに負けじと、私も…
眼力(めじから)あゆちゃんに負けじと、私も…
「君のは過去にせよ、二度にわたって
交通事故を起こして
一人は殺し、数人に重傷を負わせて
二度交通事故を繰り返しているところに、
このまま釈放してしまったら
人生はヘイチャラだと、
君は人生を甘く見て
静思して、じっと内省してみなければならぬ時に
また雑踏の中にとび出して
静思の機会を失ってしまうと君は
一生涯を台なしにしてしまうかも知れない。
今は、君を監房の中に静思させて
真理の書を読み、何を為すべきかを
反省させるのが生涯の事を考えると君の為だと、
裁判長は、こう思って判決を下したのだと私は思う。
君は失望することはない
君の父も、君の母も、
祖父も、祖母も君を愛している。
実刑を課せられようと
執行猶予になろうと
君を愛する感情の深さはかわらないのだ
変わらないどころか
一層いとしくなって抱きしめたい感じがする

⑤世界一の幸せ者ですよ、貴康さんは

「眼力強化メガネ」をかけて…
「眼力強化メガネ」をかけて…

感動的な手紙だ。こんな手紙をもらえるなんて貴康さんは世界一の幸せ者ものだ。99匹の羊は放っておいても、迷える一匹の羊を探しに行ったイエス・キリスト。その姿を見るようだ。

この本にはさらに、子供時代からの腕白な話。男気の話。勉強の話…と、いろいろ出ている。小学生の時から、本を読むのが好きで、学校の図書カードの利用はいつも学年トップの人と競っていた、という。

シートン、ファーブル、ホームズ、ルパンそして戦国時代から明治維新の頃までの歴史物や戦記物が特に好きだったという。

〈6年生で『徳川家康』を全巻読破して先生に褒められた〉

とある。

小学6年といえば12才か。ゲッ!スゲー。私なんて『徳川家康』を全巻読んだのは46才の時だよ。それも警察に捕まって23日間、勾留されていた時に読んだ。前に入ってた人が置いていったんだ。20巻以上あったな。家康は子供の頃、今川家の人質だった。囚われ人だった。「あっ、俺と同じだ」と思いながら勾留中の私は感情移入して読んだ。

そのことは最近出した『鈴木邦男の読書術』(彩流社)にも書いた。貴康さんにも送ったので、きっと、そこを読んで、「何だ46才で読んだのか。勝った!」と思っていることでしょう。

貴康さんのこの本は2部構成になっている。

第1部
失敗の遍歴
第2部
谷口雅春先生からの愛のメッセージ
講話「人間はこうして新生する」に学ぶ
「IPhone」ピストルで皆殺しじゃ!
「IPhone」ピストルで皆殺しじゃ!

どちらも素晴らしい。第1部の「失敗」の体験があるからこそ、光を有難く感じられるのだ。ワイルドは言う。「悔い改められたる罪ほど世に美しきものは無し」。「失敗」の連続だったからこそ、雅春先生のお言葉が身にしみて分かるのだろう。

「失敗の遍歴」か。これだけ「失敗」を赤裸々に書き、見つめるのは本当に勇気がいる。「失敗学」だ。私の知り合いで、右翼に目覚めて以来失敗の連続で、ヤケになって、『失敗の愛国心』という本を書いた人がいた。でも、まだ反省が足りない。絶望が足りない。貴康さんに比べたら、中途半端だ。私は、そう思いましたね。

『失敗の愛国心』男は高校で教師を殴って退学になったが、私憤だ。貴康さんは中学2年で、公憤で青山学院を退学している。偉い。1970年の三島事件の時だった。でも、学校では、教師も生徒も、そのことをチャカし、笑いものにしている。黒板には、「右翼三島のカッコツケふざけんな」と書かれていて、皆が騒いでいる。

「実は、その当時、姉の婚約者が『楯の会』に入っていたこともあり、三島由紀夫がすでに割腹自決したことを家のテレビで知っている私は怒りが頂点に達した」

「おいカッコウ付けて腹を切れるのか、テメーふざけんじゃねえよ」

と黒板消しを投げつけ、「おい!谷口…」と言う教師の声を背に教室を飛び出し外のロッカーを蹴り上げた。それっきり、青山学院には行かなかった。

おお、立派だ。偉い。ついでに教師も殴っちゃえばよかったのに…。いかんな。それでは『失敗の愛国心』になっちゃう。

そのあとは、何とか玉川学園に入り…と、これからが又、波瀾万丈だ。「自傳篇」の中の「青春篇」だ。これから「再起篇」「壮年篇」と始まるのだろう。楽しみだ。皆さんも是非、読んでみたらいい。

【だいありー】
「サムライの会」で講演(4/12)
「サムライの会」で講演(4/12)
  1. 4月12日(月)昼、取材。夜、6時から飯倉のレストラン「ル・パン」を借り切って私の講演会。毎月1回、ライターやデザイナーの人などが集まって、講師を呼んで勉強会をやっている。6年目らしい。初めは隔月にやっていた。2月、4月、6月、9月、11月で、「西向く士(さむらい)の会」と名付けていた。面白い。ところが、人も多くなり、リクエストも多くなり、毎月やることになった。だから「西向く」は取った。「サムライの会」にした。とたんに「右翼の会か」と誤解されるようになったそうだ。じゃ、「反戦サムライの会」にすればいい。あるいは龍馬にならって、「刀を抜かない士の会」とか。
     主催者は日新報道の倉内慎哉さんだ。社長の遠藤留治さんも来ていたので、「あの時はお世話になりまして」と挨拶をした。実は、この出版社から17年前に、『これが新しい日本の右翼だ』という本を出した。(「恐い右翼」から「理解される右翼へ」)とサブタイトルがついている。今年、ちくま新書から出した『右翼は言論の敵か』の原点になった本だ。
     さらに、この日新報道は、凄い本を出している。『森田必勝・わが思想と行動』だ。これは実に素晴らしい本だ。森田必勝氏の高校、大学の日記、活動日誌が収められている。又、政治論文も入っている。森田氏の「肉声」が伝わってくる唯一の本だ。1970年の事件後、少し経って出された。何度も版を重ね、2002年には「新装版」が出ている。この本を出してる出版社だということで、私も、出してもらった。
     歴史的な本だ。高野悦子の『二十歳(はたち)の原点』にも比肩しうる本だと思う。「20万部くらい売れたでしょう」と聞いたら、「とても、とても」と言っていた。余り知られてないのか。三島は有名だが、森田必勝は余り知られてないのか。じゃ、どっかで文庫本にしてもらったら、と言った。筑摩の人が来てたので、「ちくま文庫でやって下さいよ」と頼んだ。でも、そうしたら、日新報道の本が売れなくなるか。「いや、そうしたら、うちは豪華本を作りますから」と言う。これはいい。「これで決まった。お願いします」と私は言った。きっと実現することだろう。
     私の『これが新しい日本の右翼だ』を出した時は、この主催者の倉内さんはまだ入社していない。でも、当時お世話になった遠藤さんも来てくれてた。懐かしかった。この場所からすぐそばに日新報道はあるという。「あの頃、よく本社に来たじゃないですか。この坂を上がってすぐですよ」「そうでしたっけ?」。全く記憶がない。いかんな。この「ル・パン」は昼はランチ、夜は飲み屋になり、日新報道の人はよく昼ご飯を食べに来る。それで、月に1回、ここで貸し切りで勉強会を開くことにしたそうな。
     他にも、懐かしい人が沢山来ていた。昔、『ゴルゴ学』を出した時、さいとうたかをさんとインタビューさせてくれた人。20年前、『自民党につける薬。社会党につける薬』を出して、取材された記者。さらに驚いたのは、「やまと新聞」の記者が来ていた。私は、35年前に「やまと新聞」に〈狼〉のことを連載し、それがまとまって、『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書)になった。又、戦前の維新運動の人々を訪ねて、連載し、それが、『証言・昭和維新運動』(島津書房)になった。「やまと新聞」がなかったら私はものを書く仕事にはつかなった。ありがたいです。
     それにオウムをやめて最近、『革命か戦争か』(CYZO)を書いて売れている野田成人さん(オウム真理教元幹部。アーレフ元代表)。さらには、元統一教会の人。私も出た映画を撮ってくれた映画監督、元演歌歌手…などが来てくれ、ギュウギュウ詰めだった。「こんなに集まったのは初めてです」と言っていた。ありがたいです。
     最近私の出した『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)をテキストにしながら話をした。終わってサイン会もしました。『愛国と米国』や、『左翼・右翼がわかる!』などを持って来てくれた人もいて、嬉しかったです。『宗教なんかこわくない』を読んだんですけど…と質問する人もいて、懐かしかったですわ。
     そうだ。この日発売の『アエラ』(4月19日号)に私の原稿が載った。松本健一さんの『わたしが国家について語るなら』(ポプラ社)の書評だ。この本は実は中学生向けの本だ。「未来のおとな」向けだ。しかし、表現は易しいが、内容は高度だ。むしろ、
〈混乱した世界に住む「現在のおとな」を叱る〉

と書いた。いい本です。ぜひ、読んでみて下さい。

国民新党の下地幹郎さん(中央」と(4/13)
国民新党の下地幹郎さん(中央」と(4/13)
  1. 4月13日(火)昼、打ち合わせ。夜7時から、サンルートホテル高田馬場。一水会フォーラム。講師は、下地幹郎さん(国民新党国会対策委員長)で、「流動化する政治」。初めて話を聞いたが、正直で、情熱的な人だ。沖縄の問題、民主党の問題など、実に分かりやすく話してくれる。とても勉強になった。タレントのオスマン・サンコンさんも聞きに来ていた。
     今朝の新聞を見て驚いた。ばばこういちさんが亡くなった。残念だ。とてもお世話になった人だ。知り合いが次々と亡くなって淋しい。
  2. 4月14日(水)午前中、新宿で取材があり、帰り、紀伊国屋書店に寄ったら、『鈴木邦男の読書術』が、もう出ていた。平積みになっていた。嬉しかった。
     午後3時、日本文芸社の金田一さんに会う。北芝健さんとの対談本『右翼の掟・公安警察の真実』(1400円)の見本誌が出来たのだ。うわー、嬉しいですね。これは、4月26日(月)に全国書店で発売だそうです。ともかく過激な本です。
オスマン・サンコンさんと
オスマン・サンコンさんと
〈新右翼の重鎮と元刑事が明かす右翼と公安、その攻防の最前線!
右翼組織の謎、公安捜査官の覚悟…。
命を懸けた者たちの暗闘の実態が明かされる〉

と、本の帯には書かれています。この言葉に嘘はありません。ともかく、北芝さんの話が凄かった。こりゃ、出せないよ!と思いましたが…。

  1. 4月15日(木)11時、週刊誌の人と打ち合わせ。午後、早稲田大学に行く。2号館で特別展示。「浅沼稲次郎とその時代」をやっていた。あの事件から、ちょうど50年だ。とても感動的だ。その後、早大キャンパスを歩いた。懐かしかった。
     それから、河合塾コスモに行く。授業は来週からだが、今日は、自習室で勉強。夜、新宿のフィボナッチに行く。今日で、20周年になる。違ったかな。10周年かな。3周年かな。(正解は4周年でした)。お祝いに駆け付けた人で、超満員だった。
  2. この日発売の『週刊新潮』(4月22日号)に「追悼・井上ひさし氏が遺した『遅筆』の伝説」が載っていた。その中に何と、20年前、私が井上さんを「不敬だ!」と言って脅迫した話が紹介されていました。
  3. 4月16日(金)午前中、原稿書き。午後、図書館で勉強。夜、市民運動の研修会に出る。
  4. 4月17日(土)午後1時から5時。京橋で、御厨貴さん(東大教授)と内海信彦さん(アーチスト)の対談を聞きに行く。「東大に芸術学部がないのは、なぜ?」。なかなか面白かったし、刺激的だった。終わって、二次会、三次会に。お二人にいろいろ教えてもらい、とても勉強になりました。
     その後、駒込に行って、「浪花の歌う巨人」パギやん(趙博)のライブ。「百年目のヤケクソ」を聞く予定でしたが行けませんでした。すみませんでした。
  5. 4月18日(日)朝の新幹線で神戸へ。1時に着く。兵庫県私学会館(神戸市元町駅前)で午後6時から行われる「原和美さんを囲む座談会」に出るためだ。随分、早く着いたが、主催者の岩井さんと吉本さんが、「神戸で一番高いとこで料理をご馳走しますから」というので1時に行ったわけだ。それに、一番「値段が高い」高級神戸牛のステーキかと思ったら、一番高いタワーにあるラーメンだった。又、炎が出た。ちょっと違ったかな。ともかく、ご馳走様でした。
     そして、神戸観光をして、6時から、原和美さんをメインにして、飛松五男さん(元刑事で「たかじん」によく出てる人)と私と3人で話をしました。「キャー、たかじんに出てるひとが3人も出て、豪華やわ」とお客さんも喜んでました。でも、私が一番喜んでたんです。飛松さんには警察の話を、原さんには社会党、そして今の社民党の話をたっぷり聞きましたし、日本の戦後史の勉強にもなりました。
     夜遅くまで、皆と話して、最終列車に乗り遅れてしまいました。それで、神戸で一泊しました。
【写真説明】
谷口雅春先生とお孫さんの貴康さん

①「生長の家」総裁・谷口雅春先生に抱かれた、お孫さんの谷口貴康さん。この本に載ってた写真です。

谷口貴康さんの『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)

②そのお孫さんの貴康さんが書いた本です。こんな赤ちゃんに書けるのでしょうか。書けるのです。天才です。でも、よく見たら、①の写真は昭和30年頃だそうです。とすると、この赤ちゃんは今は50才位でしょうか。『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)です。

谷口貴康さん(右から2人目)、右は村上正邦さん

③09年12月24日(木)「村上正邦さんを激励する会」で。右が村上さん。その左が谷口貴康さん(元赤ちゃんの)、そして四宮正貴さんと私です。

佐高信さん、香山リカさん、斎藤貴男さんたちと(4/8)

④4月8日(木)、社会文化会館に福島みずほさんの講演を聞きに行きました。その帰りに、ゲストの皆さんと飲みました。(左から)佐高信さん、私、香山リカさん、斎藤貴男さん、早野透さん。

「塩見孝也のラスト・トーク」より(4/10)

⑤4月10日(土)午後1時より、ネーキッドロフト。「塩見孝也ラスト・トーク」より。4月24日(土)に「生前葬」をやる。その後は会えない。だから、その前に、「言い残したこと」を言いたいと。だから、開いてあげました。椎野礼仁さん(司会)、平野悠さん、塩見孝也さん、私(介錯人)。

「サムライの会」で講演(4/12)

⑥4月12日(月)午後6時半より、飯倉。「サムライの会」で講演をする。テーマは「右翼とは何か」。満員でした。

アーレフ元代表の野田成人さんと

⑦元オウム真理教幹部で、アーレフ元代表の野田成人さんも聞きに来てました。いろいろお話をしました。今度、ロフトで2人でやりましょうと言いました。

国民新党の下地幹郎さん(中央」と(4/13)

⑧4月13日(火)、一水会フォーラムに国民新党の下地幹郎さんが来て、講演してくれました。分かりやすいし、とてもいい話でした。左は木村三浩氏(一水会代表)。

オスマン・サンコンさんと

⑨あのオスマン・サンコンさんも聞きに来てくれました。右は木村三浩氏。

(左から)中村明彦さん、鈴木邦男、宮城星治さん

⑩フォーラムの後の打ち上げで。左は中村明彦さん。右は元「創」の宮城星治さんです。お父さんが野球好きで、「星野」と「川上哲治」からとって星治にしたそうです。じゃ、これからプロ野球に入ったらいい。

『アエラ』(4/19号)

⑪『アエラ』(4月19日号)です。松本健一さんの『わたしが国家について語るなら』(ポプラ社)の書評を書きました。松本さんのこの本は、とてもいい本です。とても勉強になりました。考えさせられました。

劇団再生の打ち上げで(3/27)

⑫3月26日(金)、27日(土)、阿佐ヶ谷ロフトで劇団再生のお芝居『演劇機関説・空の編』が上演されました。芝居の前に「劇団再生」代表の高木尋士さんと私がトークをしました。この写真は27日(土)の打ち上げの時です。左から2人目が高木氏です。女優さん達に捕縛されてるのが私です。

眼力(めじから)あゆちゃんに負けじと、私も…

⑬「メジカラ」あゆちゃんと。本名はあべ・あゆみというそうですが。メジカラ(眼力)が凄い女優さんです。私も負けずに小さな目を見開いております。大浦信行監督の映画「見沢知廉」には2人も出ております。

「眼力強化メガネ」をかけて…

⑭「メジカラ」をつけようと、「メジカラ」矯正メガネをかけて、トレーニングをしちょります。

「IPhone」ピストルで皆殺しじゃ!

⑮「iPhone」に替えました。何と、ピストルにもなるんです。ピストルの絵が出て、引き金を引くと「バーン!」と大きな音がして、弾が飛び出すのです。(「弾が飛び出す」はなかったかな。私の夢です)。それで、ロフトにいる客を全員撃ち殺してやりました。最近、「月蝕歌劇団」の「津山30人殺し」を見たので、乗り移ったんですわ。決起者の魂が。そんで、殺しまくりました。「ロフト30人殺し」ですわ。

【お知らせ】
  1. 4月24日(土)午後6時15分、総評会館。塩見孝也さん(元赤軍派議長)の「生前葬」です。香典を持って、皆で駆け付けましょう。立派に成仏して下さるようお祈りしましょう。成仏できずに、この世に迷い出ないように、しっかりと送り出しましょう。
  2. 4月26日(月)北芝健さんとの対談本『右翼の掟・公安警察の真実』(日本文芸社・1400円)が発売です。
  3. 4月27日(火)夜7時半より、渋谷のアップリンクで、新右翼・一水会のドキュメント映画「ベオグラード1999」の凱旋上映があります。木村代表を追ってカメラはイラクに、そしてベオグラードに…。衝撃的な映画です。この上映後、監督の金子遊さんと私のトークがあります。
  4. 4月28日(水)午後6時。神田神保町の東京堂書店で、佐高信さんとの3度目のトークです。『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)の出版記念トークです。さて今度はどんな話が飛び出すでしょうか。4月4日(日)の「たかじん」の話から始めましょうか。
  5. 5月8日(土)6時半、ネイキッドロフト伊勢崎賢治さんとトークをします。
  6. 5月23日(日)午後1時45分。東京ウィメンズプラザホール。「5.23第二言論サミット=世界は周辺から変わる」。ネットメディア、ブロガー、街宣、ビラまき、ミニコミについて考え、訴える集会です。私も参加して、発言します。  急遽、木村三浩氏(一水会代表)の参加も決定しました。力強い演説が聞けるでしょう。
  7. 6月2日(水)午後6時30分。ジュンク堂新宿店。『鈴木邦男の読書術』(彩流社)が4月中旬に発売されました。その刊行記念トークです。佐藤優さんと私が行います。読書を通じての「知の形成」について。「情報蒐集について」「情報活用術について」「日本の現状について」…などを話し合います。
  8. 6月13日(日)午後1時、阿佐ヶ谷ロフト。中野ジロー氏(作家)の出版記念と激励の集いがあり、私もゲストで出ます。