ピストルだけじゃない。ライフルも機関銃も撃てるんだ。iPhoneのことですよ。リアルな音も出る。それに「時限爆弾」まである。ついつい遊んでしまう。時間を忘れてしまう。それに、ゲームも一杯ある。昔懐かしい「インベーダー」や「ブロック崩し」もある。猫を積み上げて楽しむ「積み猫」ゲームもある。私は得意だ。今まで誰にも負けたことがない。
「たまごっち」もある。たまごを温めて、ヒヨコにし、鳥にして、ある日、首を締めて、食べてしまうゲームだ。「さよくっち」というのもある。地球上で絶滅したサヨクの卵を温めて孵化させて、育てる。左翼は翼があるから、鳥類だ。だから卵だ。哺乳類とは違う。卵が孵化したら、子供のうちからマルクス、レーニン、毛沢東の本を読ませ、アジ演説、オルグの練習をさせる。そして世界同時革命だ。権力に捕まったら、リセットのボタンを押す。自爆テロだ。その他、「連合赤軍ゲーム」や「ハイジャック・ゲーム」もある。
ウヨク向けのゲームもある。「刺殺ゲーム」「一人一殺ゲーム」もある。「赤報隊ゲーム」もあるし(来週やってみる予定だ)、「例の未解決事件」ゲームもある。〈追体験〉も出来る。ちょっと怖い。
ゲームの攻略法を盗み見て警察が、「あっ、これは犯人しか知らない事だ。こいつが真犯人だ」と思われたら困る。だから、やばいゲームはもうやめよう。得意な「積み猫」ゲームだけをやってよう。と、ここでメールが来た。「犯罪大好き」のミクトモのハンドルネーム・吉野家神戸牛さんだ。思いっ切り自虐的なハンドルネームだ。でも、本当は小柄で、プリティな少女だろう(あるいは太った中年男か)。
「さよくっち、見つかりませんでした!」と書かれている。変だな。同じiPhoneだし、探せるはずだ。アプリケーションの検索の仕方が分からんようだ。検索のための本が何冊も出てるから、それを買ったらよかでしょう。それでもないなら、自分でゲームをつくったらいいでしょう。革命家の「生前葬ゲーム」とか。あっ、これは現実にあるんだ。参るよな。〈現実〉の方が、ゲームを超えてしまった。あれこれ理由を言わず、消えるなら、本当に消えてほしい。近所迷惑だ。
最近、「携帯衝突事故」が多い。歩きながら皆、携帯してるから、のろい。すぐ、ぶつかる。話してて突然、大声を出したり、立ち止まったりする。だから、ぶつかる。車や自転車に乗ってる人も携帯をかけてるから、よく、ぶつかる。たまらんち。さまらんち。IOC会長だ。
『日本の品格』を書いた人がいたけど、それよりも、今や、『携帯の品格』が必要だね。『携帯のエチケット』とか。携帯の使い方を見ると、その人の〈品格〉も分かる。
図書館で、『政治とケータイ』という本を借りて読んだ。私と同じ問題意識を持って書いたんだ。そう思ったからだ。政治家はどのように携帯を使っているのか。どのように秘密を守っているのか。ツイッターをやっているのか。そんな本だろう。自民党と民主党、共産党では、当然、携帯の使い方も違う。イデオロギーも違う。
たとえば右翼の人は携帯を右手で持つ。左翼の人は左手で持つ。右翼の人で、こんな人もいる。右手で持って、顔の前でさらに手を伸ばし、左耳に当てて、話している。右翼のくせに、右翼だけでなく、左翼も制覇した気分なのだろう。「超翼の携帯」と言われている。私もそうだ。
…と思ったが、この本は違う。ちゃいまんねん。最近は関西によく行くので、脳が関西弁になってしまった。『政治とケータイ』は、政治家がどうケータイを使っているか、の本ではない。政治の世界にいた著者が、ケータイの世界に転身し、大活躍する話だ。
著者は、嶋聡(しま・さとし)。『政治とケータイ』(ソフトバンク新書)で、サブタイトルは、「ソフトバンク社長室長日記」。
この嶋さんは、松下政経塾を2期生として卒業。38才から47才まで民主党の議員として活躍。
ところが、2005年の郵政選挙でまさかの落選。でも、ちょっと待ってりゃよかった。すぐに民主党ブームが来る。そして政権奪取だ。でも、嶋さんは、2005年の挫折で政治家に見切りを付けた。潔いというか。勿体ないというか。ここからは大変身だ。「政から市民へ」「回転ドア」人生だ。ソフトバンクの孫正義社長の即断で、「社長室長」に迎えられる。
〈ケータイ事業に参入したソフトバンクを陰で支えた著者が綴る、政界とビジネス界の軋轢、進化し続けるIT界の素顔。豊かな人生を歩むための「進化」論も大公開!〉
政治の世界の方が圧倒的に面白いだろう、と思ったが違うようだ。ビジネスの方が面白い。大体にして、変化のスピードが違う。未来学者アルビン・トフラーは言う。
「政治は時速3キロだが、ビジネスは時速100キロで動いている」
ほー、そういうものなんか。
携帯業界は、ずっとビッグ3社がおさえてきた。それまで、NTTドコモ、KDDI、ボーダフォン日本法人だ。そのボーダフォンをソフトバンクが買収し、参入する。それからは、ビジネスの闘いでありながら、政治的だ。いや、今の日本政界なんていうチッポケなものではない。もっと壮大な『三国志』の闘いなのだ。自民・民主といった、チャチな政争ではない。はるかにスケールの大きな世界的闘いなのだ。嶋さんは書いている。
〈入社前のイメージでは、ソフトバンクは、チャレンジ精神あふれるIT企業のパイオニア、まさに(坂本龍馬の)海援隊というイメージを持っていましたが、中に入ってみたら、それに加えて梁山泊でした。
実にさまざまな個性の人材が集まっている。さらに情報通信業界は『三国志』の世界です。魏は歴史あるNTT、呉は新しい強みを持つKDDI、それに玄徳率いる蜀が入っていく。豊富な人材と活力、ソフトバンクはまさに蜀の国のようです〉
凄いな。本当に『三国志』だ。「三国志ゲーム」をやってるのではない。生活・仕事そのものが『三国志』なのだ。人生そのものがロールプレイングゲームだ。蜀の劉備玄徳が孫正義か。じゃ、嶋さんは玄徳を助けて戦う軍師、諸葛孔明ではないか。次の文を読むと、孔明になり切っている。ボーダフォンを買収し、『三国志』に打って出る時の話だ。
〈ボーダフォン買収に関して私の思いは『三国志』の中で諸葛亮が、劉備に進言した「天下三分の計」に似たようなものであった。天下三分の計とは、魏の曹操と対抗し漢王朝を再興するには、呉の孫権と同盟し、益州と荊州とを占領し、そこを根拠地にせよというものである。
巨大な独占企業NTTに対抗し、デジタル情報革命という志を成し遂げるには、まず根拠地が必要である。ソフトバンクグループが情報通信産業の3大勢力の一角に食い込むことが第一である。それがボーダフォン日本法人買収である。その後、あるときはライバルKDDIとも連携し、巨大なNTTに対抗する。これが後述する光ファイバーの戦いである〉
そして、光ファイバーは「五丈原の戦い」であるという。諸葛孔明と魏の司馬仲達の闘いだ。なるほどと思った。私も『三国志』ファンなので、この辺は実によく分かった。
又、白戸家の人々「ホワイト家族」編のCMの裏話なども面白かった。タレントはCM界の仁義上、「一業種一社」しか出演できない。SMAPをはじめ大物タレントは先発ケータイに押さえられていた。残っていない。だから窮余の一策で、「犬」と「外国人」に頼ったという。それで、「CM好感度1位」になった。何が幸いするか分からない。大国アメリカに勝利した小国ベトナムのようなものかもしれない。
さらに面白い予測をしている。携帯は「音声通話」の機器としてスタートしたが、今は、メールをやったり、ブログを見たり、ゲームをしたりの方が多い。電車に乗ってても、「喋ってる人」が1人とすると、メール、ブログを見てる人の方が20人だ。つまり、今や、携帯は「音声通話の機器」ではなく、「インターネットの端末」として利用されてるのだと言う。
これは画期的なことだ。ミクシィだって、パソコン経由よりも携帯経由のアクセスの方が圧倒的に上回っている。もはや携帯「電話」ではない。ボイスマシーンではない。だから、通話が出来ない「携帯」も出る。
iPadの出現で、本も本屋もなくなるかもしれない。又、新聞やテレビもなくなるだろう。パソコンだって必要なくなる。皆、携帯で出来るようになる。
今、テレビは液晶だ、大型だ、3Dだと言っている。しかし、先行きは明るくない。何故か。ソフトがないからだ。ロクな番組がない。スポンサーが付かないから、「サンプロ」のように硬派な番組は潰れていく。皆、「お笑い番組」になる。ブルーレイや大型、3Dで、そんなものを見たいか。
又、テレビの映る携帯も、同じだ。テレビ携帯が出ても、今は飽きられた。テレビがつまらないのだから。今やってるテレビをただやってるだけだ。だったら、携帯向けに「独自のテレビ局」を立ち上げたらいい。嶋はこう言う。
〈ケータイ放送も一つの視点である。ワンセグ放送の普及率はまだ13%である。ただ、現在は普通のテレビ放送を流しているだけであるので、ほとんど見ない人も、4割もいる。ケータイ放送独自の番組をつくり、改善を進めていけば2兆円の市場規模になるという予測もある〉
多分、嶋の言う通りになるだろう。では次の話題だ。インドだ。インドが何故、IT産業で大躍進を続けているのか、だ。「後進国だし、人件費が安いからだろう」「社会主義的政策で、一つのことに国力を集中できるからだろう」と言う人が多い。漠然と私もそう思っていた。ところが大間違いだった。大体、インドは後進国ではない。つい200年前までは世界の最先進国だった。中国だってそうだ。かつての、あるいは、「本来の大国」が力を取り戻しただけなのだ。それに、ITはインドにこそ相応しい産業だったのだ。榊原英資の『インドIT革命の驚異』(文春新書)を読んで、そのことを感じましたね。
日本人の心の故郷・仏教はインドから来た。数学上の大発見、「ゼロの発見」もインドでなされた。日本の九九と違い、一桁多い「九九」を子供時代から教えている。数学ではグンと進んでいる。
アメリカは大国だと威張っているが、建国してたった200年だ。ヨーロッパがヘゲモニー(主導権)を握ったのも、たかだが200年だ。インドや中国は、少なくとも18世紀まではずーっと、世界の先進国だったし、大国だったのだ。
又、インドは製造業でも18世紀までは世界の先頭を走っていたし、その意味では21世紀に再びインドが浮上するための文化的蓄積=インフラストラクチャーは整っていたのだ。
又、イギリスの植民地にされていたことは不幸であったが、その不幸をバネとしている。つまり、知識層の共通語が英語になったいた。又、しっかりとした行政機構が残されたことだ。これがIT産業を担う上で、大きなプラスになった。さらに、世界中に散らばっている印僑(華僑に対して、そう呼ばれる)の存在だ。その強力なネットワークだ。彼らのインド人としての強烈なアイデンティティの表現は大変なものがある。
数学の話だ。吉田洋一の『零の発見—数学の生い立ち』(岩波新書)によると、ユークリッド幾何学は、ギリシャのアラビア語翻訳によって再生したのだが、アラビア数字、記数法は、インドからもたらされたものだった。だから、インド記数法なくしては、こんにちの科学文明はもたらされえなかった。とさえ言える。現代文明のルーツであり、現代文明の母がインドだった。
でも、古い宗教がインドを支配し、それで国家が停滞したのではないか。そう思う人も多い。実は、私もそう思ってきた。宗教の古い戒律、身分制度…それがあったので近代化できなかったのではないか…と。ところが、榊原英資は、全く逆のことを言う。
〈宗教と数学というと、表面上は正反対の要素をもっているようにも思われますが、双方とも現実を一歩離れた、高度で抽象的な思考を必要とするという意味で非常に類似した側面をもっている。宗教、数学、そしてそれは現在のITと文化的にどこか一つの糸で結ばれている〉
そうか。宗教の「抽象的な思考」が役立っているのか。
〈これについて、インド経営大学のS・クリシュナ教授は、次のように述べている。
「この急成長を可能にしたのは、ソフト産業自体の特殊性と、インド固有の社会的、歴史的条件がうまくマッチしたからだと私は考えています。
例えば、インドでは伝統的に知的、精神的な活動を尊ぶ一方で、肉体労働を嫌う傾向があります。そのため従来は技術系の大学の卒業生もなかなか工場などでは働こうとはしなかった。しかし、ソフト産業は純粋な頭脳労働であり、優秀な人材が抵抗なく次々と参入しています〉
これは私らも考えつかない死角だった。宗教・哲学とコンピューターの結びつきについて、「サンスクリット研究所」を主宰するM・A・ラクシュミタッタチャー教授は、「AERA」でこう言っている。
〈サンスクリット哲学は、古代インドの膨大な聖典をシステマティックに分類し、活用するために発展した。そこで培われてきたのが、『知識の工学』とも言うべき高度に論理的な思考方法だった。それは現代のコンピューターにそっくりそのまま応用できる。コンピューター工業はインド人の遺伝子の中に元々組み込まれていた〉
これを読んで、「アレッ?」と思い出さないだろうか。前にも聞いたことがあるぞ、と。そうなんだ。前に、このHPで書いた。でも、それはキリスト教の話だった。聖書の中から、資料を分類し、整理し、活用するために、昔は大変な努力、苦労をしていた。それを手早く、易しくやるためにコンピューターが生まれた。そういう話だった。ということは、キリスト教、仏教の違いはあれ、神が、自らの必要性のためにコンピューターを作ったのだ。宗教なくして、現代のIT社会はないのだ。
ここまで読んで、分かるだろう。だから、「IT社会」は終わっても「宗教」は残る。ということだ。〈親〉だから残る。今のIT社会において、分類や分析が得意だと威張っていても何にもならない。それはITの奴隷になっているだけだ。ITを使いながら、ITを作った〈親〉を考え、親に対面する営為。すなわち宗教や哲学・思想だけが大事であり、〈実在〉である。
ここまで読んできたら、インドでは小学校からいかに〈暗記〉に力を入れた教育が行われているか。そこに触れ、さらに九九の話が出ていた。
〈たとえば、われわれ日本人は、かけ算の9×9までを暗記しているが、インドでは小学校終了時までに19×19まで暗記させる。重複を排除した暗記数9×9までで45個。19×19までになるとその4倍強の190個になる。九九だけではなく、その他の分野でも暗記することがきわめて多いという〉
小学生の時からの〈基本〉からして日本とは、こんなに違うんですね。日本の教育も考え直す時でしょう。
①「没後50年。浅沼稲次郎とその時代」展が早大キャンパス2号館で開かれていたので、見に行きました。早大の偉大な先輩です。感動的でした。
〈その衝撃的な死から半世紀を迎える。政治家浅沼稲次郎60年の生涯を歩んだ時代を追い、「人間機関車」と呼ばれた大衆政治家の実像に迫る〉
と、案内板には書かれていた。又、中の説明文にはこんな一文も。
〈早稲田で社会主義思想に目覚めた浅沼稲次郎は、以来40年、その持てる時間のすべてを貧しき人々の解放のために捧げた。度重なる検挙で、死を覚悟したこともあった。
政治によって蓄財するなど全く無縁で、亡くなるその日まで、東京下町のアパートに住みつづけた。政治家になるために早稲田に入り、まさに「早稲田精神」を体現した一生だった〉
本当に偉い人だった。靴も擦り切れていたし、服もヨレヨレだ。名刺は「社会党書記長」の書記長のところに線を引いて「委員長」と書いていた。もの凄い倹約精神だ。早稲田の誇りだ。社会党の委員長なのに下町のボロアパートに住んでいた。政治運動をヤル人は、皆、浅沼を見習い、ボロアパートに住むべきだ。
②この大隈講堂が受験雑誌によく載っていた。それに憧れて、仙台から早稲田に入った。でも入ってからは、ここで全共闘と毎日、殴り合いをしていた。ビラを配り、アジ演説をやり、集会をした。でも、乱闘の方が多かった。ここは「私の戦場」だった。
③4月17日(土)京橋で、御厨貴さん(東大教授)と内海信彦さん(アーチスト)の対談を聞きに行きました。「東大に芸術学部がないのは、なぜ?」。面白かったです。バックは内海さんの作品です。生徒を「画材」がわりにして、ボディペインティングした壮大な絵もありました。
⑤新宿「フィナボッチ」で。4月15日(木)。開店4周年記念だそうだ。犬塚哲爾氏(中央)、中村明彦氏も来ていた。犬塚氏は何故か、足にギブスを嵌めている。足を骨折したそうだ。「えっ、写真を撮るの?」と、ビックリしてましたが、「記念に撮っておきましょう。もう、二度とありませんから」と言って、撮った。
⑨田原総一朗さんは乾杯の音頭をとってました。その前に、激越な演説をしました。3月一杯で「サンデー・プロジェクト」が終わった。さぞかし、ガッカリしてると思ったら、元気だった。一番激しい演説だった。ますます過激だ。
⑩4月18日(日)、新神戸に行きました。午後6時から、兵庫県私学会館で「原和美さんを囲む座談会」に出るためだ。飛松五男さん(元刑事)も来てくれた。皆、「たかじん」で会ったメンバーだ。「左翼・右翼と刑事」だ。この日は、飛松さんとは3時頃会って、「座談会」の前に、警察の内情をじっくり聞く予定だった。だが、緊急の事件で、福岡に飛び、それから参加。来たのは、「座談会」が終わる頃だった。空港からタクシーを飛ばして来たのだ。申し訳ありません。
その後は、「たかじん」のネットテレビの取材に応じたり。二次会で皆で、飲み会に行ったり…。気が付いたら最終の新幹線がなくなっていた。仕方ない。ここに泊まって、明早朝に帰ろう。