2010/05/03 鈴木邦男

なんと、全生庵で講演しました
=夢か現実か。「赤報隊」体験ゲーム=

①経済エリートの前で講演した

谷中政経塾で講演(4/19)
谷中政経塾で講演(4/19)

4月26日(月)、「谷中政経塾」で講演してきました。「松下政経塾」と名前が似てますね。こちらも、政治家を目指す人もいる。でも、もっと幅が広い。大手銀行、証券会社の人。若手官僚。…など、普段、私が付き合いのない人だ。日本経済を支えるエリートたちの集団だ。そこに呼ばれた。そして、「愛国心」の話をした。

場所は谷中(やなか)の全生庵だ。初め、全生庵と聞いた時に、ギクッとした。でも、もう時効だ。大丈夫だ。それに好奇心もあった。

全生庵は由緒あるお寺だ。幕末、国に殉じた人々を弔うために山岡鉄舟が開いた。だから、鉄舟のお墓もある。又、三遊亭円朝のお墓もある。玄洋社の頭山満、田中清玄などもよく訪れていた。右翼・民族派とは関係の深い寺だ。元血盟団で、その後、「政界の黒幕(フィクサー)」「歴代首相の指南役」といわれた四元義隆とも縁が深い。四元はよくこのお寺で座禅を組んでいた。

又、その四元の勧めで、中曽根康弘元首相もよくここに来て座禅を組んでいた。

あるテロリスト集団が、どこでこの話を聞きつけたのか、「よし、座禅中の中曽根を殺(と)ってやろう」と思った。赤報隊だ。朝日新聞阪神支局を襲撃し、記者1人を殺し、1人に重傷を負わせたグループだ。その後、朝日の支局や社員寮などを執拗に狙い、爆弾を仕掛け、ライフルを発砲している。しかし、捕まらない。なぜ、捕まらないのか。

全生庵の講堂で
全生庵の講堂で

「それは鈴木さんが庇ったからです」と元刑事の北芝健は言う。ギクッとしたが、私にそんな力はない。買い被りだ。ただ、捜査の眼をこちらに引きつけた(結果的にそうなった)。そして、その隙に赤報隊はマンマと逃げのびた。そういうことはある。私は何もしていない。無実だ。

赤報隊は、さらに事件を重ねる。リクルートの江副の家に発砲し、中曽根元首相を殺そうとした。谷中の全生庵で中曽根を殺そうとした。しかし、厄介な事がある。「政界の黒幕」「首相の御意見番」の四元義隆もいる。どうする。「その時は2人とも殺る」と赤報隊は言っていた。いや、言っていたらしい。元血盟団の四元をも殺ろうと思ったのだ。

テロリストの先輩(四元)に対する尊敬の念すらない。「一人一殺」「一殺多生」の血盟団に対しても、何とも思ってないのだろう。だから、赤報隊を庇った男は思った。「乾いたテロリスト」だと。

そして思った。「こいつは右翼ではない」とピンと来た。

②前に来たことがある。ような…

全生庵の門前で
全生庵の門前で

でも私は、ずっと「赤報隊」の容疑者にされていた。何度も別件逮捕され、何十回もガサ入れされた。マスコミからも何百回も取材された。「お前だろう」「お前に違いない」「実行犯でないとしても黒幕だろう」と言われた。ずっと言われ続けると、段々とそんな気になってきた。どっかで関係あるのかもしれない。あるいは、記憶は霧の彼方に消えてしまったが、本当は私がやったのかもしれない。

「犯人は犯行現場に戻る」と言われている。見えない手に導かれて、私は全生庵に来たのかもしれない。そういえば、この門も、その玄関も見覚えがある。裏手のこの狭い階段を昇って私は中曽根を殺しに来たのだ。と、記憶が甦った。馬鹿な。そんな筈はない。幻覚だ。幻視だ。それに、「その日」は私にアリバイがある。「この日、中曽根を全生庵で殺ります。だから鈴木さんはアリバイを作っておいて下さい」と言われたのだ。いや、そんな筈はない。これも幻覚だ。

しかし、赤報隊が中曽根を殺しに来たのは、いつだったのか。調べてみた。『赤報隊の秘密』(エスエル出版会)という本だ。赤報隊の全てが書かれている。誰が書いたのか。きっと〈黒幕〉だろう。

山岡鉄舟居士の墓で
山岡鉄舟居士の墓で

年表を見てみる。昭和62年(1987年)5月3日、朝日新聞阪神支局を襲った赤報隊は記者1人を射殺、1人に重傷を負わせて逃走した。23年前だ。それ以来、名古屋の社員寮、静岡支局などを襲っている。そのたびに我々がやった。こういう理由でやったと犯行声明文を出している。そして、昭和63年に奇妙な「犯行声明文」を出す。

中曽根前首相に脅迫状を送り、「62年2月27日に座禅中の中曽根を狙ったが、果たせなかった」と書いている。これは、衝撃的だった。今までは事件の直後に声明文を出している。

ところが、これは脅迫状だ。そして、「実は1年前、お前を狙った。殺そうと思えば殺せたんだよ」と言っている。そして、「殺されたくなかったら、これこれの事を実行しろ」と脅迫している。では、その脅迫状を紹介しよう。昭和63年3月11日に中曽根に届いたものだ。

プロレスラーのサスケさんと
プロレスラーのサスケさんと
〈拝啓 わが隊は日本民族の裏切りものを処刑するためにある。貴殿は総理であったとき、靖国参拝や教科書問題で日本民族を裏切った。英霊はみんな貴殿をのろっている。
 わが隊は去年2月27日のよる 全生庵で貴殿をねらった。うしろのかいだんからのぼってあとすこしで殺せたが 警官がおおかったので 中止した。
 今日また朝日を処罰した。つぎは貴殿のばんだ。わが隊は処刑するまで追いつづける。貴殿が病気で死ねば むすこをねらう。
 もし処決リストから はずしてほしければ 竹下に圧力をかけろ。貴殿のあやまちとおなじことをさせるな。竹下のやりかたをみて はずすかどうか決める。日本人であることを忘れるな。
2648年 3月11日
赤報隊一同〉

③黒幕と黒幕の暗闘があった!

塩見孝也氏(右)の「生前葬」で宮台真司さん(中央)と(4/24)
塩見孝也氏(右)の「生前葬」で宮台真司さん(中央)と(4/24)

「2648年」というのは皇紀のようだ。右翼でも使わない。皇紀をワザと使っている。何か意図的なものを感じる。それに、これは赤報隊の声明文の中でも〈異例〉だ。「一年前に狙った」と言っている。何故、1年も前のことを、わざわざ言っているのか。殺ろうとしたが、わざと殺らないで、恐怖だけを与えて、「言うことをきかせよう」としたのか。あるいは、暗殺に失敗したのか。それが悔しくて、1年も経ってから、「実は」と言っているのか。

事実は後者だ。赤報隊の実力ならば、殺せた。ただ、脱出路がない。赤報隊は常に「脱出路」を用意した上で、全ての犯行を行っている。まるで「ゴルゴ13」のように。だから「乾いたテロリスト」であり、いわゆる「右翼」ではない。従来の右翼なら、当然にやっている。たとえ、それで自分が捕まり、あるいは警察官に射殺されても本望だと思う。そういう人生のオワリ方こそ、「男の本懐」だと思う。

ところが、赤報隊には、そうした〈右翼的心情〉がない。いや、そんなウェットな世界を超えている。又、赤報隊の「指南役」「黒幕」に止められた。という説もある。殺人者とはいえ、これだけの事が出来る人間は今までいなかった。この人間を捕まらせたくはない。黒幕はそう思った。「中曽根なんかよりも君の方が大事だ」と、テロリストに肩入れした。「少しでも危なかったら中止しろ」と言った。

若松孝二さん(中央)と
若松孝二さん(中央)と

又、「現職中の首相を殺る。そのことの効果は大きい」と決意していた赤報隊に、「いや、それではリスクが大きすぎる。首相をやめて、ガードが少しゆるんだ所を狙え」とアドバイスした。

この「声明」の中で、「今日また朝日を処罰した」と書いている。この日は、朝日新聞静岡支局に爆弾を仕掛けていたのだ。だからこそ、この「声明」はリアリティのある、不気味なものとなった。又、「貴殿が病気で死ねば むすこをねらう」という。こんな発想は「右翼」にはない。それにもかかわらず、公安は「右翼だ」「新右翼に違いない」と、その方面だけを捜査した。何十回と別件逮捕し、何百回とガサをかけ…。その中で必ず赤報隊は見つかると思った。ところが全く手掛かりもない。新右翼に公安の眼を引きつけて、赤報隊はマンマと逃げのびた。

もう一つ、この「声明文」について重大なことがある。昭和62年2月27日に座禅中の中曽根を狙ったという。実は、朝日新聞阪神支局を襲い、記者を殺したのは、昭和62年5月3日だ。つまり、記者を殺す前に、中曽根を殺そうとしたのだ。つまり、中曽根を殺せなかったので、ターゲットを移して、朝日の記者を殺した、とも言える。朝日の記者にとっては不運だった。

雨宮処凛さんと
雨宮処凛さんと

赤報隊は、10件近くの事件を起こしている。しかし、その原点となるものは「阪神支局襲撃」だと思われている。「赤報隊事件」と一般的に言う時は、この「記者殺し」の事件だけを言うことも多い。しかし、違うのだ。本当は「中曽根暗殺(未遂)」が本命だったし、これが原点だったのだ。

黒幕にしても、この直後によもや記者殺しに方向転換するとは思わない。だから、安心して、「中曽根殺し」の指南をした。中曽根には元テロリスト(血盟団)の四元義隆が付いている。「黒幕」と「黒幕」の闘いだ。そして黒幕同士は生涯、会うこともなく、すれ違い、生を終えた。「近世名勝負物語」かもしれない。あるいは、「影」と「影」が闘う、忍びの世界のようでもある。

④あの頃は、「政界の黒幕」に敵対していた

最後は皆で「インター」を歌った
最後は皆で「インター」を歌った

一般の人には知られない、そんな闘いがあった。その〈現場〉の全生庵に行ったのだ。そんな「黒幕」「指南役」同士の暗闘など全く知らない。でも、「犯人は必ず犯行現場に戻る」と言われている。しかし、私ではない。今までの話だって、「推測」だ。関係者のまた関係者から聞いた話から、推測したのだ。

「あの時は大変でした」とご住職さんも言う。「声明文にある通り、裏の階段から昇れるし、下見に来たことは間違いないでしょう」と言う。中曽根は、首相在職中から、よく全生庵には座禅に来た。地方に行って帰京し、その足で、急に寄ることもある。しかし、警備のお巡りさんは大変だ。お寺の周りをびっちりと警備し、「私でも入れなかった位です」とご住職さんは言う。その当時は高校生だったらしい。

そんな激動の現場、昭和史の現場で、私は呼ばれ、「愛国心」について講演したのだ。しかし、よく私ごときを呼んでくれたと感謝している。「赤報隊」の容疑者なのに…。それに、今までの講演者は、錚々たる人々だ。政治家、作家、ジャーナリスト、大学教授…と。私のようなドロップアウトした人間はいない。私よりも、聞いてる人の方が日本の政治、経済についてよく知っている。その人たちに話してもらった方がいい。そう言ったのだが、ダメだった。

私は献杯の音頭を…
私は献杯の音頭を…

それで覚悟を決めて喋った。社会のエリートの人ばかりだから、生きてる「右翼」を見ることもないだろう。見てみたい、話を聞いてみたい。そんな関心もあるのかもしれない。だから、私が右翼のバリバリだった頃の話からやった。又、60年安保、70年安保の話。三島事件と森田必勝。そして一水会などの歴史も話した。

「なぜ右翼はテロを肯定するのか」「なぜ右翼は怒鳴るのか?」という素朴な質問もあった。「現場で怒鳴っていては、かえって誰も聞いてくれないだろう」と言う。考えてみると当然だ。でも、昔は、そんな当然のことすら分からなかった。「右翼はこうあるべきだ」と、自分で自分を型に嵌めていた。又、あえて「理解」など求めてなかったのかもしれない。そんなツッパッテいた若き日を思い出しながら話した。

中には、私と同じ位の年の人がいた。「1960年の山口二矢(おとや)の事件の時は中学3年でした」。という。「それから、二矢(おとや)とあだ名が付きました」と言う。当時、中、高生だった「山口君」は皆、「二矢」と呼ばれたのだろう。1960年は右翼少年・山口二矢が浅沼社会党委員長を刺し殺した年だ。その時から、社会党の凋落は始まったのか。だとすれば、テロは効果があったのか。

金子遊監督とトーク(4/27)
金子遊監督とトーク(4/27)

三島由紀夫は「民主主義にテロは必要だ」と言った。テロがあることで政治家は身を正すと。そんな効果はあるかもしれないが、だからといって「テロが必要」だとはいえない。全生庵に関係のある人で四元義隆という人がいる。元血盟団の人だ。

…と、四元の話をした。そして、四元の同志、重信末夫(重信房子の父)の話もした。その四元は、戦後は、テロを否定し、「政界の黒幕」「首相の指南役」になった。テロを否定しても、偉くなる人もいるし、ダメになる人もいる。さまざまだ。

「じゃ、その四元義隆をどう思ってますか?」と質問された。私が、バリバリの右翼の頃は、「敵」だと思っていた。少なくとも戦前はテロリストだったのに、それを否定して、政治の世界に入り込み、〈黒幕〉になるなんて許せないと思っていた。児玉誉士夫のように、右翼を集めて、その集団の圧力をバックにして政治家に睨みを効かす、というのなら分かる。これなら現役の活動家だ。ところが四元にしろ安岡正篤にしろ、右翼からは遠く離れてしまった。そして、政治家とくっついて、その黒幕、指南役になっている。これはおかしい。初心を忘れてると思った。だから、会いたいとも思わなかった。

佐高信さんとトーク(4/28)
佐高信さんとトーク(4/28)

しかし、今は、少し違ったことを考えている。四元、安岡は、戦前の非合法闘争をやるだけやった。トコトンやった。そして、それではダメだと思った。だから、下手に未練を持たずに、方向を変えた。本来ならば、右翼テロリストとして倒すべき政治家たちだ。でも、その政治家たちの内部に飛び込み、内部から変えようとした。政界の〈黒幕〉と言われてもいい。「首相の指南役」と言われてもいい。そんな覚悟だったのではないか。そんな風に、彼らの核心を推し量っている。だから私も、勇気を持ってそうした〈黒幕〉たちの内部に飛び込み、話を聞いておくべきだったと思う。本音を聞いておくべきだったと思う。重信末夫さんには会って聞いたのに…。

血盟団の小沼正や、2.26事件の末松太平などには会って聞いたのに。それに、テロリスト、運動家として、彼らは「一本の道」を進んだ、と思ったからだ。でも、四元、安岡は違う。方向転換した。そう思った。彼らの方向転換を理解できなかったのだ。それは返す返すも残念だと思う。そして、赤報隊事件では心ならずも敵対してしまった。

【だいありー】
終わってサイン会をしました
終わってサイン会をしました
  1. 4月26日(月)昼、対談。その後、打ち合わせ。夜6時から谷中の全生庵に行く。「谷中政経塾」で講演する。銀行、官僚などのエリートばかりだ。そこで、「愛国心」について語りました。全生庵は明治16年(1883)、山岡鉄舟が幕末、明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために、富山国泰寺より越叟禅師を迎えて開山とし建立された寺だそうです。三遊亭円朝のお墓もあります。とても由緒のあるお寺で、そこで講演できたなんて感激です。
     それに又、〈赤報隊事件〉でも一躍脚光を浴びたお寺でもあります。だから、赤報隊の話もしました。前に「SPA!」にも書きましたが、今回は〈新事実〉も含めて話しました。2時間ほど講演し、その後、質疑応答がありました。
「鈴木宗男を叱咤激励する会」で(4/22)
「鈴木宗男を叱咤激励する会」で(4/22)
  1. 4月27日(火)午前中、図書館。午後、京橋。東京国立近代美術館フィルムセンターに行く。「映画の中の日本文学Part3」をやっている。何げなく携帯を見てたら出ていた。何と、高橋和巳原作の『日本の悪霊』がやっていた。高橋作品の中では唯一、映画化されたものだ。高橋ファンとしては、何としても見なくてはと思った。かなり原作は変えてるような感じがした。小説の方も、もう一度、読み返してみよう。
     午後6時から新宿でNGOの人たちと会談。それから、渋谷のアップリンクに行く。7時半から、一水会のドキュメント映画「ベオグラード1999」の上映があり、そのあと8時50分から9時50分まで、トーク。一水会の木村代表を追ってイラクに、ベオグラードに…。又国内での一水会の過激な活動も紹介されていた。雨宮処凛、見沢知廉、私も出ていた。いい記録映画になっている。懐かしかったし、ありがたかった。司会はジャナ専の私の生徒だった岩崎春正君がやってくれた。超満員だった。もったいない。いい映画なんだから、劇場にかけて、長期間やったらいいのに。見た人は得をした気分だろう。
鈴木宗男さんを囲んで
鈴木宗男さんを囲んで
  1. 4月28日(水)1時、週刊誌の取材。近くのファミレスで会う。6時、神田の東京堂書店に行く。『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)の発刊記念トーク。第3弾。佐高信さんとの対談も慣れてきた。だから、かなり突っ込んで、濃密な話が出来た。終わって、サイン会をした。そのあと、佐高さんと「金曜日」の社員2人と、食事。うなぎをごちそうになりました。ありがとうございました。
     この日発売の『週刊新潮』(5月6・13日号特大号)に、山口文憲さんが「60年安保から50年。ドキュメント、200日闘争」を書いてます。力作です。私も取材され、コメントが載ってます。
  2. 4月29日(木)午前10時半。打ち合わせ。午後3時、河合塾コスモ。「現代文要約」。午後5時、「基礎教養ゼミ」。今週は私が選んだ本をテキストにして読む。松本健一『わたしが国家について語るなら』(ポプラ社)を読み、話す。先週この本の書評を「アエラ」に書いたので、それも生徒に見せる。
     終わってから、皆でカレー屋に行く。
  3. 4月30日(金)連休前に〆切の原稿が何本かあって、必死に書いていた。夜6時から、赤坂四川飯店。谷口貴康さんの『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)の出版記念会に出る。前にこのHPにも紹介したことがある、とてもいい本だ。今、増刷中だという。貴康さんは「生長の家」総裁・谷口雅春先生のお孫さんで、清超先生(二代目総裁)のご子息だ。現在は長崎で整体治療院をやっていて、この日は、「生長の家」の先輩や仲間が沢山来て、お祝いしていた。村上正邦氏、和田一夫さん、山谷えり子さんも来ていた。私も祝辞を述べた。歌舞伎役者の板東三津五郎さんも来てたので驚いた。貴康さんの青学時代の同級生だという。
  4. 5月1日(土)、朝まで原稿書いていた。
     昼から、スポーツ。
  5. 5月2日(日)朝まで原稿書いていた。
     昼、図書館。
【写真説明】
谷中政経塾で講演(4/19)

①谷中の全生庵で行われた「谷中政経塾」で講演しました。4月19日(月)です。「愛国心」について話しました。
 「来週は“赤報隊体験ゲーム”をやる」と書かれてましたが、その通りになりましたね。いろんなことを思い出しました。いい体験でした。「SPA!」記者も知らなかった話かもしれません。

全生庵の講堂で

②大手銀行、証券会社に勤めている人、若手官僚など、多くの人が聞いていました。緊張しました。

全生庵の門前で

③由緒ある全生庵の門前です。

山岡鉄舟居士の墓で

④山岡鉄舟居士の墓前で。その他、三遊亭円朝のお墓もあります。

「鈴木宗男を叱咤激励する会」で(4/22)

⑤「新党大地 鈴木宗男を叱咤激励する会」で。4月22日(木)、午後6時、ホテル・ニューオータニ。まさに立錐の余地のないほどでした。壇上で獅子吼する宗男さんです。

鈴木宗男さんを囲んで

⑥鈴木宗男さんを囲んで。左は木村三浩氏。その後ろは、ムルワカ氏。

プロレスラーのサスケさんと

⑦格闘家のサスケさんに久しぶりに会いました。又、国政にチャレンジしてほしいですね。

塩見孝也氏(右)の「生前葬」で宮台真司さん(中央)と(4/24)

⑧4月24日(土)6時15分より、総評会館で塩見孝也さんの「生前葬」が行われました。「もしや、本当に死ぬのでは?」という大方の人々の不安や期待をよそに、元気で生きてました。白い装束で棺桶に横たわり、そこから突然、目覚めて立ち上がる。
 …という筈でしたが、それすらもやらない。全く芸のない死人でした。(馬鹿!)。中央は宮台真司さん。

若松孝二さん(中央)と

⑨若松孝二さん(映画監督)も出席し、真面目に「弔辞」を読んでました。「沖縄の米軍基地は東京湾に誘致しろ!」と言ってました。

雨宮処凛さんと

⑩雨宮処凛さんと。いつも若くてお美しいですね。と感嘆している私です。

最後は皆で「インター」を歌った

⑪「生前葬」のラストは全員肩を組んで「インター」を歌いました。「おっ!クニオも歌ってる」と言われましたが、早大闘争の時は毎日聞いてたから、覚えた。それに「歌声喫茶」でもよく歌っていた。「カラオケにインターを入れろ!と要求する人民の会」の代表ですよ、私は。

私は献杯の音頭を…

⑫よく分からんけど、「献杯の音頭」をさせられた。「こんな茶番はやめろ!」と叫んでやりました。「死ぬなら本当に死ね!もう、この世に迷って出るな!馬鹿野郎。もう、あんなアホにわずらわされなくていい。スッキリした。乾杯!」と言ってやりました。ウケました。皆も同じ気持ちだったんでしょう。全世界の人民を代表して演説したんですな、私は。

金子遊監督とトーク(4/27)

⑬4月27日(火)、夜7時半から、一水会・木村三浩氏主演の映画「ベオグラード1999」が上映され、その後、金子遊監督と私のトークがありました。渋谷アップリンクで。司会は 岩崎春正氏です。

佐高信さんとトーク(4/28)

⑭佐高信さんとトークしました。4月28日(水)6時から、神田の東京堂書店です。『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)出版の記念トーク(第3弾)です。なかなか濃い話が出来ました。

終わってサイン会をしました

⑮トークのあとはサイン会です。大勢が並び、かなりの数、サインしました。佐高さんの横に立っているのが、噂の「美人すぎる週刊誌記者」です。「週刊金曜日」の赤岩さんです。

【お知らせ】
  1. 5月7日(金)月刊「創」(6月号)発売です。私も連載しています。頑張っています。
  2. 5月8日(土)6時半、ネイキッドロフト。伊勢崎賢治さんとトークをします。
  3. 5月9日(日)午後1時より、阿佐ヶ谷ロフト。増田俊樹監督の『危険な隣人』の上映とトークがあります。この映画には赤城智弘さんと私も特別出演しております。
  4. 5月10日(月)午後7時、サンルートホテル高田馬場一水会フォーラム。講師 は前田哲男さん(評論家)で、「日米安保50年」です。
  5. 5月19日(水)午後7時。阿佐ヶ谷ロフト。『鈴木邦男の読書術』(彩流社)の発刊記念トークです。ゲストは斎藤貴男さん(作家)、森達也さん(映画監督)、高木尋士さん(「劇団再生」代表)、そして私です。司会は中川文人さんです。本についての楽しい話、スリリングな話が聞けるでしょう。
  6. 5月23日(日)午後1時45分。。東京ウィメンズプラザホール。「5.23 第二言論サミット=世界は周辺から変わる」。ネットメディア、ブロガー、街宣、ビラまき、ミニコミについて考え、訴える集会です。私も参加して、発言します。 急遽、木村三浩氏(一水会代表)の参加も決定しました。力強い演説が聞けるでしょう。
  7. 6月2日(水)午後6時30分。ジュンク堂新宿店。『鈴木邦男の読書術』(彩流社)が4月中旬に発売されました。その刊行記念トークです。佐藤優さんと私が行います。読書を通じての「知の形成」について。「情報蒐集について」「情報活用術について」「日本の現状について」…などを話し合います。
  8. 6月6日(日)午後1時、阿佐ヶ谷ロフト。北芝健さん(元刑事)のトークがあり、私も出ます。2人の対談本『右翼の掟・公安警察の真実』(日本文芸社・1400円)の「その後」の話や、そこで語れなかった話。又、本では伏せ字になっていた部分などについて危ない話もします。お楽しみに。
     石原伸司さん(作家)もゲストで出ます。
  9. 6月13日(日)午後1時、阿佐ヶ谷ロフト。中野ジロー氏(作家)の出版記念と激励の集いがあり、私もゲストで出ます。