5月5日(水)は、「こどもの日」です。゛たから、こどもに返って、メンコを買って遊びました。そして、「戦争ごっこ」をして遊びました。「戦争柄」の着物も着ました!
5月3日(月)は「憲法記念日」でした。「こんな憲法は認めない。アメリカの押しつけじゃないか。祝日とは認めない。だから、休まない!」と言って働いてる人もおりました。23年前のこの日には、「反日朝日を征伐する」と言って赤報隊が朝日新聞阪神支局を襲った日です。だから、5月3日、アップのHPは赤報隊特集でした。夢か現実か分かりませんが、「赤報隊」体験ゲームをやりました。赤報隊が中曽根元首相を襲った(未遂)現場「全生庵」に足を踏み入れたら、いろんな事を思い出したのです。いえ、いろんな想像、妄想が浮かんだのです。
今、憲法を改正しようという動きがあります。やがて、改正されるでしょう。そして自主憲法が制定されます。そうしたら、もう「憲法記念日」ではありませんね。じゃ、祝日をやめて、この日だけ、サラリーマンは仕事に行くのか。学生は学校に行くのか。そんなことになったら、大変です。「ゴールデンウイークの真っ只中なのに、祝日を取り上げるな!」とブーイングです。暴動が起こるでしょう。
だから、祝日は外せない。じゃ、何か理由をつけて祝日のままにするしかない。「旧憲法記念日」にするか。いっそ、「国辱記念日」にするか。「反米の日」にするか。憲法を押しつけたアメリカに抗議する日です。
でも、抗議行動は盛り上がらず、皆、ディズニーランドに行ったりする。そんで、マクドナルドを食べ、ケンタッキー・フライドチキンを食べる。これじゃ、「アメリカに感謝する日」「アメリカさん大好き日」になってしまう。
いかんな。じゃ、これしかないよ。5月3日は「赤報隊の日」だ。この記念日が出来る頃は、幕末の赤報隊の相楽総三も、朝日襲撃の赤報隊も共に、見直され、名誉回復されることでしょう。そして、『真説・赤報隊事件』も出版されることでしょう。例の黒幕が書くでしょう。そして映画化もされます。テレビドラマ化もされます。でも、「赤報隊の日」では殺伐としてるかな。
だったら、「朝日新聞征伐の日」。これもマズイか。じゃ、透明・中立的な名前で、「スズキの日」だ。日本で一番多い姓はスズキです。つまり、スズキは〈日本〉を代表します。「日本の日」の意味を込めて、「スズキの日」です。いいじゃないですか。誰も、黒幕の偉業を讃えた日だとは思わない。
今年の5月3日(月)は私にとっては「赤報隊の日」だったので、5月5日(水)は、一転して、無邪気に明るく、「こどもの日」でした。昔のこどもだった私も、新しい着物を着せてもらいました。そして記念に、七五三のように神社で撮影したのです。手には「千歳飴」を持ってます。(イメージして下さい)。
でも、写真を撮ったのは5月5日じゃないな。(この日に、写真をもらったのか)。その前だ。iPhoneに入ってるデジタル手帳を見たら、4月23日(金)の午後でしたね。浴衣のポスターを作るんで、そのモデルに頼まれたんです。でも、その浴衣が変わっているんです。面白いんです。iPhoneの人は指で拡げて見て下さい。浴衣の柄が面白いでしょう。足のあたりに大きな軍艦がおります。その横に戦闘機がいます。ゼロ戦ですね。そして大砲もあります。やけに戦闘的な柄ですね。そうです。これが、「戦争柄」なんです。
こうした戦争柄の着物は、日清・日露・大東亜戦争の頃に大いに流行(はや)ったものです。でも、今は、こうした「戦争柄」を描き、着物を作れるのは、たった1人しかおりません。世界的に有名な、着物デザイナーの芝崎るみさんです。
「どうせ新作浴衣を作るのなら、面白いことをやろう」と芝崎さんが挑戦してくれたのです。おチャメな人です。それに「戦争柄」だけでなく、「憂国柄」も作ってくれました。三島由紀夫をデザインしたものです。でも、ちょっと見には分かりません。そんな高尚な遊び心が憎いですね。「薔薇刑」をイメージした薔薇。「セバスチァンの殉教」をイメージした突き刺さる矢。そんなものがデザイン化されて描かれております。
さらには「田中角栄柄」もあります。これだって、よほどの角栄ファンでなくては分かりません。だって、角栄は出て来ない。日本列島、扇子、ブルドーザー、鯉…などが描かれています。これで角栄です。楽しいですね。高尚な遊びですね。
では、「戦争柄」の話です。実は、私も勉強不足で、このことを知ったのは最近です。去年か一昨年だったかな。NHKでやってました。「戦争中、こんな着物の柄」が流行したのだ。と、驚きました。全く知りませんでした。長い間、右翼運動をやっていたのに…。「こんな事があったのか!」とビックリ仰天しました。着物という、こんなに日常的な生活の場で、〈戦争〉が大々的に、堂々と、大手を振って歩いていたなんて。知りませんでした。
だって、「公」的な場では、「撃ちてし止まん」「鬼畜米英」と言ってた人々も、家に帰り、「私」的な空間では、「普通の生活」を送り、「戦争も早く終わるといいね」とか子供に言ってた。と思っていたのです。「公」(外)では、竹槍訓練をやり、「一億玉砕だ!」と叫んでも、まさか「私」(内)では、家の中にそんなポスターは貼らない。家で竹槍訓練はやらない。一家全員で起立して、戦争スローガンを唱和したりしない。
そう思っていました。多分、その通りだと思います。「外」では戦争。でも「内」では家族が肩を寄せ合って、ささやかな幸せを守り、少しでも戦争の影を感じないように。そう思って生きていたのだと思います。
ところが、この「戦争柄」は、そんな私の考えを砕きました。だって着物、浴衣、手拭いなどは〈生活〉そのものです。そこにまで〈戦争〉が大々的に描かれているのです。さらに、襦袢なんかにも…。よく分かりませんが、下着のようなものでしょう。男が女性の着物を脱がしたら、下には真っ赤な襦袢が。そこには戦車や飛行機が…。「これは面白い」と思い、戦闘気分が盛り上がるのか。何もこんな時までと、萎えるのか。分かりません。
それに、どうも、「戦争柄」は女性や子供の着物に多いようです。男の着物にはない。全くないのか、少しはあったのか、それは分かりませんが、NHKでやった時は、女性と子供の着物ばかりでした。「歴史」は男中心に書かれている。だから、この「戦争柄」は歴史として伝えられてないのかもしれません。
あるいは、こうも言えます。男はどうせ兵隊に行って実際の戦争をやる。家にいる時くらい、戦争を忘れてホッとしたい。一方、女性や子供は、「私たちは戦争に行けない。申し訳ない」と思い、じゃあ、「せめて着物の柄だけでも」と思って「戦争柄」の着物を着たのでしょうか。
「戦争柄」には実に多くの柄があり、デザインがあります。実際の戦闘を描いたリアルなもの。かわいい子供が兵隊になった見立ての絵。又、桃太郎、義経などが戦争に行く「見立て絵」。さらに、三国同盟など時局的、政治的なものを扱ったもの。「君が代」などをイメージした「愛国柄」。
さらに、一見しただけでは分からない抽象的なデザイン。…などなどです。膨大なものがあったようです。それなのに私たちは全く知らなかった。俄然、興味が湧きました。しかし、いろんな人に聞いてみましたが、詳しくは分かりませんでした。
「待てよ、あの本は出版されてるのかもしれない」と私は思いました。この時、NHKには解説として乾淑子(いぬい・よしこ)さんが出てました。北海道東海大学の専任講師です。他に何人かの、研究者や作家が出て話してました。その時、戦争柄を収めた「図録」のようなものを拡げていました。もしや、これは市販されたものではないか。そう思い、ネットで調べてみました。どうせないだろうと思いましたが、ヒットしました。それで、すぐに注文して買いました。
『図説 着物柄にみる戦争』(インパクト出版社)でした。NHKに出てた乾淑子さんの編著で、2200円でした。大判の本で、オールカラーで、膨大な戦争柄が紹介されています。こんなに「戦争柄」の着物があったのかと驚きました。これで2200円では安いです。これは「着物で見る戦争」です。戦争中は、「贅沢は敵だ!」といわれ、パーマは禁止。華麗な服もダメ。女性は皆、モンペを履いてた。と思っていたのに、隠れて、こんな華麗な着物を着ていたのです。
いや、「隠れて」でもないでしょう。戦争に協力し、戦闘意欲を煽るものですから。しかし、戦争中、貧乏な中で、こんな、煌びやかな、カラフルな着物が流行ったなんて、私たちは歴史の教科書では習いませんでした。そんな頃、着物デザイナーの芝崎るみさんと知り合いました。戦争柄のことはよく知っていて、教えてもらいました。
勿論、今は誰も「戦争柄」の着物なんか作りません。でも、芝崎さんは、遊び心で作ってみたいと言ってました。そして、「こどもの日」に合わせて本当に作ったのです。「そのポスターを作るから、モデルになって下さい」と言われ、快諾したのです。芝崎さんのスタジオの近くにある吉原神社で撮りました。
芝崎さんに聞いたのですが、戦争中、「戦争柄」を着る人たちは、何も、「戦争に協力しよう」「お国の為にこれを着て、思想宣伝するのだ」という切羽詰まった気持はなかったようです。ある意味、ゆとりというか、遊び心があったのでしょう。さらに、着物を作る職人たち(主に京都の)にしても、「贅沢品禁止」で仕事がない。
だから、女性や子供用の着物や、浴衣、手拭いなどに「戦争柄」を描いて、生き延びようとしたようです。どんな時代でも職人やアーチストは、自分の芸、仕事を残したいと思う。そう考えて、腕を振るったのがこの「戦争柄」だったのでしょう。
NHKで初めて「戦争柄」を見た時は、「何だこれは!」と思いました。女性や子供までが、こんな形で戦争に協力し、戦闘精神を煽っている。ヒドイなー。残酷だなーと思いました。でも、そうではないようです。ただ、「戦争に勝ってほしい」「兵隊さん、頑張って」という気持はあるでしょう。感謝の気持ちはあるはずです。でも、それだけではないようです。
だって、今だって、Tシャツのプリントなんて、「戦争柄」が沢山ありますよ。ゲバラや毛沢東を大きく描いてます。革命家であり、軍人ですよ。トロツキーの顔もありますね。
だからといって、実際にTシャツを着ている人たちが、人民戦争や革命をやるわけではありません。だったら、すぐに警察に捕まります。「龍馬」の顔もあります。皆、カッコいいと思ってるからです。「戦争柄」だって、当時は軍艦も飛行機もカッコよかったのです。その意味では、今も全く変わっていません。
『図説 着物柄に見る戦争』の「オワリに」で乾淑子さんはこう書いてます。
〈そもそも、戦争柄は明確なプロパガンダ意識によって始められたものではない。珍しいものを着たい消費者、売れるものを開発したい業者、技術や意匠の新しい展開に挑む職人などのそれぞれの意向や努力の交わった所に生まれた新しい作品群であった〉
なるほど、そうか。「戦争画」や「軍歌」と同じかもしれない。しかし、描き、作った本人たちは「仕事」として、「芸術」としてやったにしても、優れた作品は、人々に大きな影響を与えた。
それは「戦争柄」にしても同じだ。「珍しいものを着たい」という無邪気な女性や子供の気持ちは分かるが、その〈結果〉や〈影響〉も忘れるわけにはいかない。乾さんは、さらにこう書いている。
〈しかし、その結果として登場した戦争柄は青少年に「好ましいものとしての戦争」のイメージを補強するのに貢献しただろう。日常に潜むものとしてさりげなく〉
ウーン、難しいですね。芸術家の苦悩がここにあります。どんな時代でも芸術家は自分の腕を振るいたい。暗い、絶望的な状況ではなおのこと、「こんな時代に出会えるなんて、滅多にないことだ」と思い、その〈暗い状況〉さえもアートにしようと思うでしょう。
乾さんの本に出てますが、「肉弾三勇士」さえも、抽象的に、デザインにしてしまいます。又、芝崎さんは「三島柄」「憂国柄」を作ってみせました。「角栄柄」までやってくれました。
あるいは、「戦争画」や「軍歌」も、似た宿命を負ったのかもしれません。「戦争協力」「時局便乗」でやった人は沢山います。
しかし、下らないものは、いくら大量に作っても〈残らない〉。藤田嗣治のように、力量のある戦争画は、それだけ人々を動かし、感動を与える。だからこそ〈残る〉。それがために、戦争犯罪だと批判される。軍歌を作った古関裕而もそうですね。いいもの、力量のあるものは、どんな時代にも人々に訴えるし、どんなテーマを扱っても〈大作〉を作る。後まで残るし、だからこそ、人々の目につき、「批判」されることも多いのでしょう。
時局に便乗し、金のためにセッセと戦争協力画を描き、軍歌を作りまくっても、力量のないものは〈作品〉として残らない。その悔しさもあって、自分のことは棚に上げて、藤田や古関を「戦争協力者だ」「戦犯だ」と批判したようです。
今、「戦争柄」は、もう一度、見直されるべきです。そして、職人・芸術家たちの抵抗の精神を見るべきでしょう。勿論、抵抗だけではなく、好奇心や、面白いものを作りたいという気分もあったでしょう。さらには、これで「戦争に協力できるなら」と思った人もいたでしょう。
そうした、諸々の思い入れと意向と努力とを「戦争柄」に見ることが出来ると思います。私も、これから又、考えてみます。皆さんも、ぜひ乾さんの本を買って、読んでみて下さい。そして考えて下さい。その考えた結果を、私にも教えて下さい。
①「浴衣のポスター」のモデルを頼まれました。吉原神社で撮った一枚です。帯の下を見て下さい。戦闘機、軍艦、戦車がおります。闘っております。昔、流行った「戦争柄」を、今に復元してみたのです。有名なデザイナーの芝崎るみさんが描き、作ってくれました。日本に一枚しかないオリジナル浴衣です。モデルも日本に一枚しかないオリジナルです。
③芝崎さんが手にしている「三島由紀夫」柄をアップにしてみました。分かりますか。「薔薇刑」「セバスチァンの殉教」などを表しています。かなり高尚な、文学的デザインです。「戦争柄」に続いて「三島柄」が、これから流行するかもしれません。
④やはり芝崎さんデザインの「田中角栄」柄です。ゲタをはいて、扇子でパタパタ扇ぎ、「よっしゃ、よっしゃ」と言いながら、日本列島改造をした人です。家には大きな鯉を飼っていました。だから、日本列島、鯉、扇子、ゲタなどを散りばめて〈田中角栄〉を図案化しています。凄いですね。芝崎さんは、天才デザイナーです。
⑤この本は素晴らしい本でした。乾淑子編著『図説 着物柄にみる戦争』(インパクト出版社)です。ぜひ、買ってみて下さい。〈戦争〉と〈庶民生活〉に関するイメージが変わります。私は今でも、読み耽っております。
⑥この本に紹介されていた「戦争柄」の服です。背中一面、〈戦争〉です。飛行機があり、軍艦があり、日の丸があり、皇居まであります。さぞかし、煌びやかだったことでしょう。
なお、⑥〜⑧は、乾淑子編著の『図説 着物柄にみる戦争』から紹介しました。他にも子供柄、三国同盟柄、愛国柄…と、膨大な写真が紹介されています。全く知らない世界でした。ただただ驚きました。
⑧ところが、これになると、「三勇士」の顔も姿もありません。高度に抽象化し、デザイン化しております。凄いですね。鉄条網、「三」という数字、「勇」という字、爆発をデザイン化したのか、花のマーク。驚きです。かなり高度なアートだと思いました。
⑨4月30日(金)、谷口貴康さんの『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)の出版記念パーティです。赤坂の四川飯店で。谷口貴康さん(中央)。四川飯店の社長であり、コックさんでもある陳健一さんと。陳さんはNHKの料理教室にも出ている名コックさんです。
この日は、特別に皆の前で、「麻婆豆腐」の実演をしてくれました。とてもおいしかったです。貴康さんと陳さんは玉川学園の同級生だそうです。いいですね。
⑩右は歌舞伎役者の板東三津五郎さんです。板東さんも貴康さんの青学の同級生なんです。いいですね。この日は歌舞伎座を取り壊して、新しく建て直すために、最後の日。名残を惜しむ人で、もの凄い人出だったそうです。そこをやっと脱出して来たと言ってました。「あさってからは大阪なので、これから最終で大阪に行きます」と言ってました。私も歌舞伎はよく見ているので感激でした。
⑫和田一夫さん(中央)。右は「月刊日本」発行人の南丘喜八郎さんです。
和田一夫さんは熱海のスーパー「八百半」の社長でした。お母さんは和田カツさんで、NHKのテレビ小説『おしん』のモデルです。和田一夫さんの一番下の弟は慶應生で、「生長の家」学生道場で私は一緒でした。そんな話をしました。懐かしかったです。
⑭「劇団再生」代表の高木尋士さんが見沢知廉氏(作家)のお墓参りに行ってくれました。「その時、鈴木さんの新著を2冊、見せてあげました」と言ってました。『鈴木邦男の読書術』と『右翼の掟・公安警察の真実』(北芝さんとの共著)です。
見沢氏は一瞬にして読了したそうです。時差があるから、アッという間に読めるのでしょう。
そして、悔しがってたそうです。そうでしょうね。私のように才能のない人間が本を出して、見沢氏の本は出ない。私も申し訳ない気持で一杯です。
じゃ、高木氏に降りてきて、「自動書記」して下さいよ。『続天皇ごっこ』とか。『この人を見よ 見沢知廉の死闘』とか。ぜひ書いて下さいよ。
⑮『FLASH スペシャル』(2010年初夏号)に出てました。誌上「朝まで生激論。私だけの安保闘争50年」。
50年前、私は田舎の高校2年で、大学に入ることしか頭になかった利己的な高校生でした。あまり政治的なことも分からないし、山口二矢の事件で衝撃を受け、ただ、オロオロしていました。だから、私は不利ですね。佐高信さん、田原総一朗さんに比べ、私だけが、政治的意識がなく、阿呆のようで…。今でもそうですけど。