摩擦があるから歩ける。摩擦がないと、ツルツル滑って歩けない。人生は心配事やストレスがあるから生きていける。それをどう克服するか。又、それを人生の「テーマ」として付き合い、たわむれ、対象化できるか。そこに生きる意味がある。心配事やストレスや、人からの批判などが全くないと、人間はボーッとしてしまい、かえって「生きる意欲」を失うのだそうだ。だから、「心配事やストレスのある人は幸いである。その人は、人生をよりよく生きるだろう」と、イエス・キリストなら、「山上の垂訓」を付け加えるかもしれない。
後藤昌次郎という86才の弁護士がいる。この人の本を読んで、そう感じた。東大を出て、弁護士になり、いろんな冤罪事件に取り組んできた。人権派であり、反骨の弁護士だ。そういうと、一つのイメージが浮かぶ。子供の頃から勉強が出来、正義感が強く、精神力だけでなく、肉体的にも強い人で…と。そして、左翼的だと。この弁護士さんとは、長い付き合いだが、そう思ってきた。
ちょっと変わっている。超人だ。86才にもなって、こんなにバリバリと仕事をしてるんだ。不屈の精神だけでなく、体も頑丈なんだろう。そう思ってきた。JR東労組の集会では、よく会う。冤罪「浦和電車区事件」の弁護団に加わっている。頑張っている。「冤罪を許さない」という信念のもとに闘っている。偉い人だな。でも、近寄り難い人だな、と思っていた。
ところが、最近出た後藤弁護士の『野人の証明』(日本評論社)を読んで、「エッ?」と思った。考えが変わった。一変した。だって、若い時にカリエスという大病をし、その後もずっと、その病を抱えて生きてきたのだ。「長くは生きられない」と何度も医者に言われた。そのたびに、落ち込み、絶望し、しかし、頑張って生きてきた。そして86才だ。
後藤弁護士の若い時代は、軍国主義の時代だ。後藤弁護士は勉強家で、何とか上の学校に行きたいと思ったが、カリエスで、大病をした。何度も手術をした。少し落ち着いたと思うと、又、ぶり返す。旧制二高(仙台)に入りたいと思ったが、足が悪いのでは、入っても仕方ない。つまり、「軍人になれない人間は必要ない人間だ」と当時は思われていたのだ。国のためにご奉公出来なくては生きてる資格はないと思われたのだ。国家がまとまり、団結するというのは、いい面もあるが、悪い面もある。その流れに乗れない人間を切り捨てるからだ。そんな時、一つの〈光明〉があった。一寸先に光は待っていたのだ。後藤弁護士は書いている。
〈私は高校に行きたかった。しかし、経済的な理由で近くの二高(仙台)か弘前高校か山形高校しか行けないだろうと思っていました。ところが、ほとんどの高等学校で軍人になれない者は入学させないという軍国主義の風潮が強まっていました。
そのころ一高の校長は、夏目漱石門下の哲学者の安倍能成さんで、「一高は人間を養成する場であって、軍人を養成する場ではない」とはっきり言っておられた。ですから、足が悪くて軍人になれない私は行けるとしたら一高しかない。もう一つ、一高を選んだ理由は、一高に行けば生活が立つということです。一高は全寮制で、寮費と学費を合わせて当時は一ヶ月30円で生活できたのですが、一高生になると家庭教師の口があってそのくらいは稼げると言われていた〉
それにしても、安倍能成という人は凄い人だ。偉い人だ。一高(今の東大)の校長でありながら、「軍人を養成する場ではない」と堂々と言った。勿論、反撥、弾圧は強かった。でも、自らの信念を貫いた。それは「漱石の弟子」という文学的資質、誇りがあったからだろう。政治や軍国主義の大波に流されない〈精神の強さ〉があったからだろう。政治を超えるアーティストの矜持かもしれない。それは「野人」後藤弁護士にも言えることだ。
安倍能成という人がいなければ、後藤は一高に入れなかった。そうしたら、後の弁護士「後藤昌次郎」も生まれなかった。病に苦しみながら、働くことも出来ず、故郷の岩手で埋もれただろう。そうだ。後藤は岩手県和賀郡沢尻町(現在の北上市)に生まれた。「おっ、同じ東北人か」と気付いて、なにやら、急に身近に感じられた。東北人なら、悪い人はいない。口は重いが正直者だ。そう思う。この『野人の誕生』の初めに「編集者前注」がついてるが、こう書かれている。
〈東北人は、木訥、誠実、粘り強さで語られる。後藤先生の正義の闘いの原点である。後藤先生は二枚舌(ダブルスタンダード)を嫌われる。私は、大和朝廷の手先にだまされ続けてきた東北人の血を思わずにいられない。そういえば、先生には、、こんな一首がある。
わが父祖はアイヌなりけむ 安比なる高原の雲に何を思ひし〉
そうか。東北人は「木訥」「誠実」「粘り強さ」か。「東北人は詩人で、関西人は評論家だ」と言った人がいた。「楯の会」一期生の阿部勉だ。確かに東北には詩人が多い。宮沢賢治、石川啄木、寺山修司、そして文学者の太宰治。寒くて、口を開けるのが億劫だから人々は寡黙になる。胸にたまった鬱屈や怒りは詩になる。文学になる。後藤弁護士も、多くの歌をつくっている(後で紹介しよう)。
「大和朝廷にだまされた」というのも凄い。だから、反骨の人、反逆の人が生まれる。帝銀事件の弁護士・遠藤誠、反骨の映画人・若松孝二、日本赤軍の和光晴生…etc。
(若松監督の「キャタピラー」は今年8月の公開だ。試写を見て、ぶっ飛んでしまった。「反日映画か」と批判されるかもしれない。しかし、「反日」「反戦」などという低レベルの範疇を超えた映画だ。これこそが(戦争)だ!と叫んでいる。そんな絶叫を私は聞いた)
後藤弁護士は、ちょっと遠藤誠弁護士と似ている、と思った。遠藤弁護士は、宮城県大河原の出身だ。東大を出て弁護士になる。反体制・反権力の弁護士だ。「シャカマル主義者」を自任していた。釈迦(仏教徒)とマルクスを信奉する、「ヤマトタケル、明治維新…と何度も我々は大和朝廷に滅ぼされた」と遠藤弁護士は言う。「だから鈴木君も共に、天皇制打倒で立ち上がろう!」と言う。とんでもない事を言う人だ、と思った。思想的には対極にある。でも、優しい人だったし、よく面倒を見てもらった。「思想じゃない、人間だ」と思った。
さて、「野人」後藤昌次郎の話だ。一高の入試の時は、学科試験だけでなく、医者の診断もあった。しかし、その時は、足もそんなに悪くなく、合格した。ところが、入学後の診断で偉い校医から、「お前は入学試験で不正をやっただろう!」と決めつけられた。その校医は後の東大沖中内科の総帥、文化勲章受章者の沖中重雄さん。当時も権威があり、おっかない人だった。
〈私はびっくりしましたけれど、弁護士になって冤罪事件を担当するようになって、この時の体験が非常に役に立ちました。身に全く覚えのないことでも絶対的に権威を持った相手からにらみつけられて、犯罪を犯したろうと断定されたらどうしようもない。どんなに恐ろしいか。どんなにくやしいか、その時身をもって体験しました〉
自分の「嫌な体験」があるから分かるんですね。エリートコースを突っ走ってきた普通の弁護士なら、分からない。なぜ、「冤罪事件」が起こるか分からない。その点、後藤弁護士は、こんな体験を何度もしている。だから分かる。
それに、この人は、教条的な左翼弁護士ではない。この人は、松川事件、八海事件、青海事件、日石・土田邸事件等、歴史的冤罪事件の弁護士として活躍した。
松川事件と聞くと、ああ、あの一連の鉄道事件か。と皆、思い出すだろう。下山・三鷹・松川と続く一連の事件だ。政府、警察は当時、この三つは「共産党の陰謀」だと言った。下山総裁も共産党に殺されたと。その後、10年経ち、松本清張は『日本の黒い霧』を書き、この三つは、全て、米軍の謀略だと言った。下山国鉄総裁の事件も、米軍による他殺説だった。
つまり、どちらから見ても、下山総裁の死は〈他殺〉だった。〈自殺〉は、あり得ないという説だった。しかし、後藤は違う見方をする。松川事件、三鷹事件は「冤罪」だったし、被告は無罪になった。しかし、「下山事件は自殺であることがほぼ間違いないであろう」という。
初め、政府、警察は「共産党の謀略」で他殺であると言った。その後、松本清張や日共は、逆に、「米軍の謀略」による他殺とした。
〈事実関係の吟味、調査もせず、左翼謀略説から都合のいいところをつぎはぎして、米軍謀略説を仕立てたのである。これでは困るのであり、政治に「真理」が仕えるのではなく、政治が真理に仕えるのでなくてはならない。これが科学的社会主義というものである〉
〈予断や偏見は危険である。実際に危険なのはそれに気がつかないことであり、気がついてもあらためないことである。予断偏見から自由になるためには、自分の手と足と目と頭で事実を調査し検証しなければならない。「史観」とはその中に生きる洞察力なのであって、その代用物でもなければ、補完物でもない〉
そして、こう断定する。
〈われわれは、権力犯罪ともいうべきデッチ上げによって、多くの人民の真実と人権がふみにじられた例を知っている。しかし、これに対決する方法が別のデッチ上げであってはなるまい〉
凄い。なかなか言えない言葉だ。下山国鉄総裁は、国と労働組合の板挟みになっていた。大量首切りを上からは迫られ、労組からは突き上げられる。そのあげくに自殺したのだろう。科学的証拠ではそうなっている。それでは我慢が出来ず、「他殺」にし、「謀略」にしたい人々がいる。初めは「共産党」が犯人といわれ、後には松本清張によって「米軍」が犯人といわれた。三鷹・松川は無罪だったんだし、下山事件も「一連の事件」として、セットで考えられることが多い。だから、「清張史観」も人々を魅了した。しかし、そうした〈予断〉を持って見ることを後藤は強く戒める。
今、読むと「松本史観」は、かなり強引だし、政治的な予断がある。それは、いろんな人が指摘している。下山は米軍と、彼らに雇われた日本人によって殺され、レールの上に横たえられたという。しかし、近くの宿屋に前日、下山は泊まった。しかし、松本は、それは「謀略だ。下山があたかも直前まで生きていたかのように偽装した」と言う。つまり、下山になりすました男がいたという。まさに、推理小説だ。しかし、こんな事をしたらかえって、「謀略」を見破られる危険性がある。有名な鬼刑事の平塚八兵衛は、「この泊まった男は下山本人だ」と言っていた。別人ではないと。下山は、靴を履く時、靴のヒモをほどいてから、結び直す癖があった。旅館に泊まった男はそうした。そんな小さな「仕草」から平塚は断定したのだ。怖いね。こんな鬼刑事に調べられたら、赤報隊事件だって、一発で捕まっていた。
と思っていたら、5月18日(火)ネットのニュースを見て驚いた。「「俺が赤報隊だ」と言っていた島村征憲氏(66)が自殺したという。自分が赤報隊だ。朝日の記者を殺した」と、「週刊新潮」に何週間にもわたって衝撃の告白記事を書いた人だ。しかし、嘘だった。その中で、「野村秋介とも知り合いで、野村から聞いた話」も語っていた。又、他の右翼の名前も出した。それで右翼の人からも抗議され、「週刊新潮」も〈誤報〉を認めて謝罪した。
その島村氏が自殺したという。19日の産経新聞にも出ていた。
〈朝日襲撃「実行犯」を名乗った男性自殺?〉
と、自殺に「?」が付いている。もしくは「他殺」なのか。松本清張ならば、又、謀略説を書くところだろう。この島村征憲氏(66)は、北海道富良野市で遺体で見つかったという。
〈北海道警によると、島村氏は4月13日、富良野市郊外の資材置き場で遺体が見つかった。死後数ヶ月が経過し、白骨化していた。現場の状況などから道警は自殺とみている〉
1か月以上も前に発見してるのに、なぜ今頃、発表したのだろう。誰か分からなかったのか。それに数ヶ月経ってたというと、死んだのは冬だ。資材置き場で酒を飲み、そのまま眠って凍死したのかもしれない。あるいは、本物の赤報隊が「口封じ」のために殺したのかも知れない。しかし、これはない。暴露されてマズイ(秘密)を島村氏は持ってない。(これは例の「黒幕」から聞いた話だから、本当だろう)
しかし、不思議だ。虫の知らせなのか。島村氏に何とか会いたいと思い、最近、「週刊新潮」の記者などに頼んでいた。「私たちも分からないんです」と言っていた。騙されたので、彼らも怒っているのだろう。でも、天下の「週刊新潮」を騙すほどの男だ。大したもんだ。日本の政府を騙すより難しい。こんな大胆・有能な男は外務大臣にして、中国、北朝鮮、ロシアを相手に交渉してほしいと私は思った。もったいない。私一人が島村氏を「評価」していたし、そのことは本人も知っていた。だから連絡してくれ!とサインを出したのに。何とも残念だ。
島村氏は、「実行犯」と名乗りを上げる前は、網走刑務所にいた。それから、私に手紙をよこした。何度も手紙のやりとりをしたし、私も本を贈った。その本を読んで、「赤報隊」のことに関心を持ち、「実行犯だ」と言ったのかもしれない。だったら、私にも責任はある。(しかし、島村氏も昭和18年生まれなんだ。山口二矢、小森一孝、常石敬一、奥浩平、黒幕…と。凄い人ばかりがいる)
で、『野人の誕生』に戻る。中核、革マル内ゲバ戦争の時、革マル派が中核派の集会を襲い、そこにいた弁護士をも襲撃した。その時、後藤は、革マル派を批判しながらも、同じ体質を持つ中核派をも批判していた。なかなか出来ないことだ。勇気がある。普通なら、どちらにも加担したくない。
又、この本の第三部、「故郷の先人たち」では、石原莞爾、宮澤賢治、高村光太郎を取り上げ、3人への尊敬を語っている。石原といえば(右)で、後藤は(左)じゃないか、と思うかもしれないが違う。石原には実際に会って、感動し、影響を受けている。高村にも会っている。これは単なる「左翼弁護士」ではない、ユニークな人だ。「野人」たる所以か。
又、第二部は「短歌」が収められている。たとえば、こんな政治的な歌がある。
米国の覇道なくんばシンボルの同時爆破は起こらざりしを
ブッシュなる戦争狂の狂を断て 人のいのちは何よりも重し
腰低く志高き師らは皆 天皇の叙勲を直ぐに拒みき
他には、もっとさりげない、日常的な歌がある。私はこっちの方が好きだ。
里日チャン一つになったねおめでとう こわがらないでおじいちゃんだよ
ふたりして熱い雑煮を食べている 倅よいっしょに食べに来ないか
露草に小っちゃな蜂がキッスする。コバルトブルーの大空がある
ともかく、いい本だ。私も、偏見、思い込みがあった。〈真理〉を見ずに、政治的立場で人を見てたのかもしれない。反省する。
皆さんも是非、読んでみたらいい。『この人を見よ 後藤昌次郎の生涯』のシリーズで、日本評論社から3冊が出ている。1冊目が今回紹介した『野人の誕生』で、2冊目が『原点松川事件』。3冊目が『冤罪の諸相』だ。その他、岩波新書から『冤罪』、『労働者の法律問題』なども出ている。「草笛を吹く」と、本の「著者紹介」に書いてあった。これもユニークだ。
木の葉を唇に当てて、曲を奏でる。何でも若い時に、先輩から教わったらしい。「これが出来ると女にもてるぞ」と言われて、必死になって練習し、マスターしたという。努力の人だ。人間味ある人だ。「草笛を吹く弁護士」だ。でも、動機は不純だ。
5月8日(土)、この本の出版記念会があった。てっきり草笛を演奏してくれると思ったのに、それはなかったと。リクエストすればよかった。草笛を吹いて、今さらオバちゃんたちがゾロゾロ付いて来られても、迷惑なのかもしれないし。
でも、何十年か前は、この草笛で「婚活」したという。それで見事、美人の奥さんをゲットした。その奥さんが女優の草笛光子さんだ!(違うかな)
①後藤昌次郎弁護士と。5月8日(土)午後1時より後藤弁護士の出版記念会。目黒さつき会館で。正式な名称は、「反権力・反冤罪、反戦・平和、人間解放を闘う『若き仲間』のつどい」。日本評論社より発行された『野人の誕生』『原点 松川事件』『冤罪の諸相』の出版記念会だ。冤罪と闘う弁護士だ。土佐の志士・後藤象二郎を思わせる、名前も似ている。
⑥5月12日(水)夜、中野ゼロ視聴覚ホールで。ドキュメンタリー映画「死んどるヒマはない。益永スミコ86歳」の完成上映会がありました。死刑廃止、憲法9条を守る運動をやっている。「東アジア反日武装戦線〈狼〉」の片岡利明氏の養母にもなっている。それで片岡氏は、今は益永利明氏だ。映画のあと、89才の小山一郎さんと益永さんの「反戦対談」があった。
左が小山一郎さん。中央が益永スミコさん。
⑦5月15日(土)夜7時から、新宿ハイアットホテルで、新宿の文壇バー「風花」の30周年パーティが行われました。私はあまりお酒が飲めないし、貧乏なので、あまり行ったことはありません。それでも、康さんなどに何回か連れて行ってもらいました。「鈴木さんは20周年パーティの時も来てましたよ」と島田雅彦さん(作家)に言われました。そうだっけ?。島田さんは挨拶のあと、何と、オペラまで歌ってました。凄い才能です。
⑨中森明夫さんと。『新潮』(5月号)に載っている中森さんの500枚の小説「アナーキー・イン・ザ・JP」はいい! 大杉栄が現代に甦るのだ。凄い小説だ。これには感激しました、と言ったら、「ラストは見沢知廉をイメージした」と言ってました。「それに鈴木さんも新発田に行って大杉栄について講演したりしてるでしょう」と言う。よく知ってる。でも中森さんの方が大杉について、ずっと勉強してる。それに、現代に甦らせてくれたんだ。是非、皆も読んでほしいですね。この日の挨拶でも、この初めての小説を書く上での苦労話をしてました。
⑩康芳夫さんと。それに新宿の「猫目」のママと。「風花」には康さんに連れられて何度か行った。康さんは、猪木vsアリ戦の仕掛け人だ。その時の裏話をNHKで5月末にやると言っていた。歴史の生き証人だ。それに、三島由紀夫とも親交があったし、森田必勝氏は康さんの出版社でアルバイトをしていた。いろんな〈歴史〉を知ってる人だ。
⑪神足裕司さんと。「週刊SPA!」の連載は長いですね。1番長いんじゃないの。私が、「夕刻のコペルニクス」を書いてた時も、やっていた。私は連載が終わって10年近くなるのに、神足さんは、ずっと続いている。偉いね。
⑫新宿の文壇バー「風花」は何と30周年なんですね。広いパーティ会場が満員でした。文壇人ばかりでした。オーナーの滝沢さん、ママさんの滝沢紀久子さんも最後に挨拶してました。私なんて30年の間に数回しか行ったことがないのに、「あっ!鈴木さん」と覚えていてくれました。恐縮しました。
⑬5月19日(水)7時から。阿佐ヶ谷ロフト。『鈴木邦男の読書術』(彩流社)の出版記念トークイベントで。左から司会の中川文人氏。私、ゲストの斎藤貴男さん(作家)、森達也さん(映画監督)、高木尋士さん(「劇団再生」代表)。この本をタタキ台にして、皆さん、読書の仕方、原稿の書き方などを話してくれました。 それがよかったですね。とても楽しいイベントになりました。
⑮終わって、打ち上げをしました。その時、お客さんで来ていた宮崎美乃利さんが、リクエストに応えて歌ってくれました。実は、彼女は、元プロの演歌歌手なのです。中国語も交えながら、プロの歌を聴かせてくれました。さすがは演歌歌手と皆、感動しました。