「あれっ?どうして」と聞かれた。「何でお前がここにいるんだよ」と言う人もいる。保坂のぶとさんの激励会だ。「右翼が嫌がらせしに来たんじゃないの」と冗談を飛ばす人もいる。まいるな。いつまでもそんなイメージで見ないでほしい。私は社民党・保坂さんの推薦人だ。だから、来る権利がある。資格がある。義務がある!
と壇上で挨拶しましたよ。5月24日(月)「保坂のぶとの新たな挑戦を激励する会」の時だ。午後7時より、新宿のヒルトン東京だった。4F菊の間。1番大きなパーティ会場が満員だった。
亀井静香さん、辻元清美さん、阿知とも子さん、内田雅敏さん…に続いて、私も挨拶した。この日、受付で渡された『元気印新聞』にも、「推薦人」として、ちゃんと私の名前が出ている。
1か月前かな。「推薦人になって下さい」と言われた時、「僕でいいの?」と思わず聞き返してしまった。「かえってマイナスじゃないの?」と心配したのだ。「なんでこんな奴が推薦人だ」と反撥されるよ。そしたら、「そんなことはありません。保坂の幅広い交友関係も知ってもらえるし」と言う。そうか。では、幅の広さを証明しましょう、と喜んで推薦人になったわけですよ。
保坂さんとは結構、昔からの付き合いだ。よく頑張っている。最も活動的な人だ。元気印の人だ。
考えの違う人でも、キチンと聞いて、その上で話し合う。頭ごなしに抑えつけたり、怒鳴ったりしない。
それに勉強家だ。国会議員になったばかりの新人が、「うわー、新幹線がタダで乗れる」「こんな広い部屋をもらえる」と舞い上がっている人がいる。以前、私は保坂さんに聞いたことがある。「国会議員になって何が一番よかったですか?」と。即座に言いましたね。「いつでも国会図書館を自由に使えることです。必要な資料もすぐに探してくれるし」と言う。
勉強家だし、全国を飛び回っての調査能力にも定評がある。だから「国会の質問王」ともいわれるのだ。勿体ないよ。こんな有能な人材を野においておくのは。早く国会に戻すべきだ。夏の参院選には出るという。絶対に当選させなければダメだ。
「国会の質問王」について、『元気印新聞』で照屋寛徳さん(衆議院議員)が書いていた。
〈私は、同僚として長年、保坂のぶとさんの豊富な人脈に基づく情報収集力、鋭い洞察力、緻密な分析力を目のあたりにしてきました。その能力は、共に時を過ごした誰もが高く評価するものであります。
今や保坂のぶとさんは、社民党の屋台骨、国会に不可欠な存在です。何としても保坂のぶと参議院議員を誕生させて、再び国政の場で「国会の質問王」の名に恥じない仕事をしてもらいましょう〉
本当にそうですね。今、日本に最も必要な人だ。こんな有能な人を野においておくなんて、こんな日本はダメだ!ぶっ潰してしまえ。と、私も、つい過激なことを口走ってしまった。でも次の参院選がある。ぜひ国会に戻って活躍してほしい。
「こんな日本じゃダメだ」と言ったら、亀井さんは、もっと過激なことを言っていた。「『盲(めし)いたる民、世に踊り』と2.26事件の時に歌われた情況と同じだ」と言う。「昭和維新の歌」まで引いて、悲憤慷慨していた。「いやー、あれはよかったですね」と亀井さんに言った。まるで、北一輝のようだ。「一緒に話しましょう。近いうちに、ぜひ」と亀井さんに言われた。
ミュージシャンのPANTAさんも来ていた。挨拶の後、「一曲!」と言われていた。「エッ?ギター持ってないよ。事前に言ってくれなくちゃ」と言ってましたが、そこはプロですね。ギターなしで歌ってました。こんなことは、なかなかないですね。大サービスです。大スターです。
木村三浩氏(一水会代表)も前日、モスクワから帰国したばかりだが、来ていた。テレビに取材されていた。「右翼も皆、保坂さんが好きで応援してます」とつい私が口走ったからだ。「皆」ではないが、好きで(心の中で)応援している人は多い。
木村氏は、保坂氏との付き合いは私よりも長い。20代からの付き合いだろう。少々考えは違っても、2人とも行動家だし、爽やかだし、反対意見もじっくりと聞いて反論する。正々堂々の活動家なのだ。
「連日、ご苦労さん」と言いました。だって、木村氏は、前日(5月23日)の朝10時にモスクワから成田に着いたばかりで、それで、「第二言論サミット」に出て喋り、この日(24日)も、朝から動いて、夜は保坂さんのパーティだ。「ジリノフスキーさんが鈴木さんによろしく言ってましたよ」と木村氏。ロシア自由民主党のジリノフスキーさんだ。フランスや日本で何度か会っている。ジリノフスキーさんの写真が入っている「ジリノフスキー時計」をもらった。今も大事に使っている。
木村氏のモスクワ行きだが、モスクワで開かれた「世界愛国者会議」に出席するためだ。一水会の若者6人を引き連れての参加だ。凄いですね。「右翼インター」とも言われているが、各国の自主自立を尊重し、その上での〈連帯〉だ。だから、社会主義のインターよりも、緊密に、広範囲に、そして長続きしそうだ。
では、5月23日(日)の「第二言論サミット」の報告もしておこう。なかなか面白かったし、有意義な集まりだった。これ自体が、言論活動の〈革命〉になると思った。
「第二言論サミット」というのは、「言論サミット」の第2回目ではない。「大マスコミ」と比べて、もうちょっと小さい「第二言論」「ミニコミ」のことらしい。それを担っている人々が一堂に集い、思いの丈を話す。その中から現代の「言論」の問題点も、危機も見えてくる。又、展望や方向性も見えてくる。そういう壮大な企画だ。サブタイトルは、「世界は周辺から変わる」「ネットメディア、ブロガー、街宣、ビラまき、ミニコミ…大集合」だ。
2か月ほど前、実行委員の田所さんから電話があった。「第二言論」に関わっている24人の人が次々と壇上に上がって、喋る。13時45分から16時40分までだ。全体で3時間(180分)。24人が6分ずつ喋ったら144分。約3時間だ。開会の挨拶、途中休憩を入れたら、24人がひたすら喋るだけだ。
「ウーン」と私は唸りましたね。なんちゅうことを考えるんだ。そんなことをやって面白いのか。聞いてる方も退屈するよ。それも、超有名な人が来て話すのなら別だが、「第二言論人」ばっかりだ。私のように無名のライターや活動家も多い。「きっと面白くないよ」と言って反対した。
寺澤有さんとか増山麗奈さんとか木村三浩氏とか、名前の売れてる人を4人位、壇上に上げて、「第二言論の現状と展望」を語り合ってもらったらいい。他の参加者は「メール参加」にして、後ろのスクリーンに映す。それでいいだろう。私も、この「メール参加」だけでいい。そう言ったら、「それは出来ません。もう24人に6分ずつのスピーチを頼んでます」と言う。じゃ、仕方ない。それで、果たしてどうなるやらと心配して、行ったわけだ。
ところが、私が間違ってましたね。超満員なのだ。そして何と、大成功だった。私が間違ってました。自己批判します。皆6分ずつ、ピチッと主張する。スライドや動画も使いながら、レポートをする。私も知らないことが多く、勉強になった。又、「あっ、こんな方法があったのか」「これは便利だ」と思える発見もあり、実に刺激的だった。時代は変わっているし、表現方法も変わっている。進化している。そう思いましたね。実に感動的だった。
これは、その場にいて体験した人でないと分からないだろう。不思議な、エキサイティングな空間だった。私の発言する時に、思わず言ってしまったが、これは、まるで、「青年の主張」だ!
それだけ皆、真面目に、ひたむきに語り、主張する。それが決して教条的、ひとりよがりになってない。これは凄い事だと思った。実行委員会の田所さん、中田さん、林さんたちの力だろう。それに、よくこれだけ24人の人を、うまく集めたものだと感心した。「これは是非、毎月やったらいい!」と口走ってしまった。
喋る人は、実は年輩の人もいる。本当は「中年の主張」もいる。でも言ってることが〈若い〉のだ。動画で一部は、ネットにも流れただろうが、全部を流したらいい。あるいはDVDにして売ったらいい。
木村三浩氏は、この日の朝、成田に着いて、そのまま会場の東京ウイメンズプラザ・ホール(渋谷)に駆け付けた。「眠い、眠い」と言っていた。疲れただろうし、「控え室で寝てたらいいよ。発言の時は起こしに行くから」と言った。「じゃ、そうします」と言っていたが、パネラーの発言が面白くて、とうとう、最後まで聞いていた。
では、ザッと紹介してみましょうか。発言者もいいし、内容も実に良かった。
コーナーは6つだ。「大マスコミとの闘い」「反戦&街へ」「個別テーマから」。ここで10分の休憩。そして、「プレカリアート系(新しい労働運動)」「政治文化」「第二言論」。
こういうテーマ分けというか、区分、仕切り方がうまい。各章が面白いし、1冊の刺激的な〈本〉のようになっている。
【大マスコミとの闘い】
①林克明(ジャーナリスト)「自民・大マスコミ連合軍vs自由民権運動」
②三宅勝久(ジャーナリスト)「記者クラブ」というアパルトヘイト(えこひいき)政策と御用新聞の100年」
③寺澤有(ジャーナリスト)「国家公安委員長の記者会見に出席させろ」
④黒藪哲哉(「新聞販売黒書」主宰者)「読売による言論弾圧」
(面白かった。このコーナーの人、4人が壇上に座り、1人ずつ、発表する。各自の活動している分野の話を6分ずつ、まとめて話す。皆、うまいし、勉強になった)
【反戦&街へ】
⑤志葉玲(ジャーナリスト「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」事務局長)「ジャーナリスト・政治家・市民活動家によるイラク戦争検証」
⑥阿部めぐみ「新宿西口 反戦スタンディング」
⑦西田まりあ(市民の意見30の会)「政策提言から発した反戦を訴える市民メディア」
⑧園良太(元編プロ・今アクティビスト)「落書き、張り紙、街宣、デモ、路上上映 —閉塞メディアよ街へ出よう」
⑨早川由美子(自主映像製作者)「ビデオカメラで自己発信~自主映像制作のすすめ~」
⑩増山麗奈(画家)「育児とエロスと芸術~人生まるごと革命!桃色ゲリラの挑戦」(アメリカで原爆の図を前にしたアクションの報告)
(オッ!こんなに頑張っている人がいるんだと驚いた。増山さんは前から知ってたが、他の人たちの活動もユニークだ。映像もふんだんに使っていたので、新しい「表現、主張の可能性」を感じた。大マスコミに対して、小さい「第二言論」かと思ったが違った。既成のメディア、硬直したメディアに対し、〈新しい表現〉(次世代の表現)の意味での「第二言論」なんだ。そのことを痛感した)
【個別テーマから】
⑪太田光征(「平和への結集」をめざす市民の風)「日常の中に食い込むメディアアクションと主権者独自の調査・分析活動」
⑫永野厚男(教育ライター)「取材・分析・発信で、文科省等国家権力による、教育の国家統制に歯止めをかける」
⑬伴英幸(原子力資料情報室共同代表)「原子力政策の転換を求め続けてー430号を超えた私たちの月刊誌ー」
⑭宇賀神寿一(救援連絡センター「救援」編集長)「司法改革、裁判員制度だけではない。刑事公判前手続き、国選弁護」
(私も知らない分野の話で、とても刺激的だった。こんな活動があったのかと知った。この事実は大きい。⑭は、初めは山中幸男さん(救援連絡センター事務局長)がやる予定だった。それが急に来られなくなって、宇賀神さんになった。
普通なら、「事件があり、急遽、その対策で飛んでいった」とか、言うだろう。もっと大切な事態が起こったのだと説明する。
でも、違う。「山中さんが家族サービスで大相撲の観戦に行ったので、私が代わりに来ました」。いいねー、こういうのは。会場も大爆笑。温かい雰囲気に包まれた。でも、この日は千秋楽だ。皆、起立して君が代を歌う。「それだけはやってほしくない!」。
実際はどうだったのでしょうか。又、宇賀神さんは、テーマも変えて、20年間住んでいた「故郷」の刑務所の話をする。劣悪な医療状況を報告し、告発する。ほとんど「無医村だ」という説明には、驚かされた)
【プレカリアート系(新しい労働運動)】
⑮小林蓮実(インディユニオン書記長)「インディーズのための労働・生存組合活動」
⑯清水 直子(ライター、フリーター全般労働組合執行委員、派遣ユニオン執行委員、自由と生存の家実行委員会)「ライターとプレカリアート運動を往復しながら書く」
⑰コールさとう(学芸家・大学非常勤講師)「非常勤ブルース!~教育の貧困と貧困の教育をつなぐ~」
(こんなに頑張っている人々があるんだと、思いましたね。大変な現場なのに、明るさ、ユーモアを忘れず闘っている。それも、昔の市民運動のように、「独善的な、押しつけがましさ」がない。ジメジメした暗さがない。これは凄いことですね。この集会に来て初めて知ったことだ。「非常勤ブルース」もよかった。ギターを持って歌っていた。私も、専門学校、予備校で、非常勤講師をしている。(専門学校はなくなったけど)。
でも皆、「非常勤講師」と言ってくれない。「お前なんて、非常識講師だ!」と言われてる。生徒からもそう言われている。よし、じゃ、私も「非常識ブルース」を作って、歌ってやる。高校の時はギター青年だったんだし)
【政治文化】
⑱木村三浩(一水会代表)「映画『靖国』の上映を巡る顛末」
⑲中田順子(戦場体験放映保存の会事務局長)「名も無き声の結集~戦場からの歴史証言~」
⑳わかち愛(詩人・レイバーネット川柳班)「文化のないたたかいなんて・・鶴彬から学ぶ川柳」
(木村氏は、モスクワから帰り、そのまま、駆け付けた。ロシアでの「世界愛国者会議」の様子も話す。共産党はアメリカを訪問し、右翼はモスクワに行く。時代も大きく変わっているんだ。木村氏の話には、皆、感銘を受けた様子だ。
サイバーネット川柳も面白い。鶴彬(つる・あきら)は反戦川柳作家だ。素晴らしい川柳を残している。この人を取り上げた映画も見たが、感動的だった。「戦場体験」を残そうと、全国を回り、活動している中田さんたちも偉い。成果を上げている。戦争体験者がどんどん少なくなってるし、貴重な行動だ)
【第2言論】
㉑鈴木邦男(著述家)「右翼は言論の敵か」
㉒山崎康彦(ブロガー 『杉並からの情報発信です』)「大本営発表世論」VS「草の根ネット世論」
㉓矢崎栄司(ジャーナリスト、アースワークルーム代表)「ジャーナリズムとミニメディア(微小)の可能性」
㉔村岡到(プランB編集長)「マスコミの責任――石橋湛山の闘いの意義」
(これが最後のコーナーでした…。テーマの分け方、見出しの付け方がうまいですね。時を忘れて、面白い本を読んだ感じがします。実行委員の皆さま、大変でした。お疲れさまでした)
24人の発言者が終わり、解散。何度も言うように、これは〈革命〉ですな。こんなやり方があったのかと、驚きました。実にいい集まりでした。このあと、場所を変えて、打ち上げ会。こちらも楽しかったです。とても有意義でした。
③ロフトの店長・平野悠さんも来てました。PANTAさんは急遽、歌を歌わされてました。「数日前にベイルートから帰ったばかりだ」と言ってました。木村三浩氏は、「昨日、モスクワから帰ったばかりだ」と2人で国際的な話をしてました。
⑤5月25日(火)7時、ホテルニューオータニ。「恵観塾」で。池口恵観さん(中央)と。左は、ロシアのコンスタンチン・サルキソフさんです。山梨学院大学教授で、一水会でも前に講演してもらいました。「木村氏たちはモスクワに行って世界愛国者会議に出て来たんですよ」と言ったら、「それは素晴らしい!ハラショー!」と言ってました。「ズドラストヴィチェ(こんにちは)」と挨拶しました。
別れる時は、「ダスビダーニア(さようなら)」と言いました。
⑥5月25日(火)「目が優し過ぎる」「顔が軟弱だ」と、よく言われるので、思い切って、ベルサーチのグラサンを買って、対談に臨みました。好評でした。「キャー!本物の右翼のようだ!」と編集者の女性が言ってました。
⑦5月23日(日)午後1時45分より、「第二言論サミット」。東京ウイメンズプラザ・ホールで。【政治・文化】のコーナーで木村三浩氏(一水会代表)が発言をしました。「映画『靖国』の上映を巡る顛末」。この日、ロシアから帰ってきたので、その報告も。あわせて6分でまとめました。さすがプロですね。
⑨増山麗奈さん(画家)は、ネットテレビをやってるそうです。動画サイトだったかな。この「いかす!チャンネル」がそうかな。そこで一緒に出ました。子供も連れてきてました。「顔出しちゃマズイでしょう。子供だけ目線を入れましょう」と言ったら、「いいですよ」と言ってました。しかし、「役者」ですね。子供も、しっかり演技してます。「可愛いね」と喉をなでたら、「ネコじゃない!」と叱られました。スンマシェン。
⑪5月14日(金)、昼に、鳥海茂太さんが一水会事務所に来ました。木村三浩氏以下、一水会の人たちは、皆、モスクワに行っている。私が駆け付けて、お話をしました。鳥海さんは元米沢市市会議員。34年前、野村秋介さんと「新しい日本を創る青年集会」を立ち上げた人です。その頃の話を聞きました。最近は、イランとの友好に力を入れてます。
⑫この日の夜、新宿の「フィボナッチ」で鳥海さん歓迎会を開きました。ここのママさんも34年前に「米沢集会」に行きました。中央は鳥海さん、右は大野康孝さん、後ろが犬塚哲爾氏、鳥海さんの隣が、森田忠明氏。その左は笹井宏次朗氏。皆、34年前の「米沢集会」に集まったメンバーです。期せずして「米沢集会」の同窓会になりました。
⑬左が笹井宏次朗氏、右が鳥海茂太さん、全員が集まる前に、笹井氏が犬塚氏にそっと聞いてました。(でも、声が大きいから、店中に響く)「大野さんてガンなんですか。本人は知らないんでしょう。言ったらマズイでしょうね。まだ大野さんが来てないから聞くんですけど」
犬塚氏「お前の隣にいる人が大野さんだよ」。
笹井氏「ギャー!顔が全く変わってたから気がつかなかった」
大野氏「俺ってガンなのか…(ガックリ)」
笹井氏「いや、その。違います…(と動揺)」
まるで、マンガのようですね。
でも、大野氏は知ってたんです。手術も成功し、無事、生還したんです。宏次朗氏、「いやー、口は災いの元ですね」としきりに恐縮してました。
でも、鳥海さんに会うなり、「あっ、奥さんは元気ですか?」。「バカ!なに聞いてるんだ!」と私は思わずポカリ。「えっ、聞いちゃダメなんですか」。「ダメだよ。ほら、逃げた奥さんを思い出して鳥海さんが涙ぐんでるじゃないか」。ダメだな、宏次朗も。「どうなるか分からんのだから、家族と病気の話はタブーだよ」と犬塚氏。そうですよね。