よく出したもんだと思う。こんな怖い本を。勇気がある。と言うよりも、命知らずだ。私だって、ビビリましたよ。あのシンポジウムの時は。だって、「皇居に巨大な美術館をつくる」という。それを大真面目に、建築家やアーティストが論じる。「出席してくれ」と言われて喋ったが、落ち着かなかった。こんな〈危ない話〉をしていて大丈夫なのか。「不敬だ!」「許せん!」と襲われるかもしれない。「その時は私を盾にして逃げて下さい」と、強がりを言ったけど、生きた心地はしなかった。
でも、何とか無事に済んだ。それで「全て」は終わったと思った。ところが、その〈危ない話〉が本になった。さらに、「皇居美術館をつくったら、こんな美術品を持ってくる」「美術館は地上千メートルの巨大な建物になる」…と、論じている。新進気鋭の建築家やアーティストが全力で取り組み、提言する。ゲッと思った。
「アートだったら何でも出来る」「アート万能」「アート無罪」と思っているのだろう。でもなー、ちょっと甘いんじゃないか。楽天的に過ぎるんじゃないのか。と、私は心配だ。
5月10日(月)、出たばかりのその本をもらった。「発売は5月20日です。まだ見本誌です」と言うが、見た瞬間、背筋がゾゾーッと、寒くなった。いいのかよ、こんな本を出して。危ないな。と思った。だって、皇居の写真が表紙にドカーンと出ている。そこに「巨大な美術館」が立っている。何でも、地上1千メートルの巨大な美術館だ。私でさえ、怖くなった。本の帯にはこう書かれている。
〈これは本気の空想だ! 今世紀最大の提言! 平成随一の奇書!〉
自分で、「奇書!」だと言っているよ。なかなか、ない。「本気の空想」だと言っている。これは「予防線」なのか。バリアーを張っているのか。「これは天皇制を云々するものではありません。あくまで空想の話です。アートの話です」と。
でも「空想」だから、大丈夫とはいかない。1960年に『中央公論』に発表された深沢七郎の『風流夢譚』は、「空想」小説だった。夢の中の話だった。それでも、「許せない!」「不敬だ!」と言って、右翼に襲われた。『中央公論』には全国の右翼が押しかけ、攻撃した。それだけではない。17才の右翼少年が中央公論社の社長の家に抗議に行き、お手伝いさんを殺し、奥さんに重傷を負わせた。
50年前の事件だ。でも、この時の〈恐怖〉が、「言論の自由」を吹き飛ばした。「右翼は怖い」「右翼はテロだ」「右翼は無関係の女性をも殺す」…という恐怖となって、今も人々の記憶の中に残っている。深沢七郎は、右翼の襲撃から逃れて、全国を放浪した。又、それ以降、「天皇批判」はタブーになった。
でもまだ、活字による天皇批判は少しは出来た。しかし、「空想」や、ビジュアルなものはもう出来なくなった。出したとしても、全て右翼の襲撃にあった。たとえば、写真をコラージュして天皇制を批判した、揶揄したものは、全て襲われた。大浦信行さんの作品や、東郷健さんの作品などだ。
「襲う右翼」にしても、理屈はある。
「天皇制を批判するなら、堂々と、論文を書いてやるべきだ。それで、我々と討論したらいい。ところが、写真のコラージュで、いかがわしいものを使ったりする。又、〈夢物語〉の形で、実名をあげて、揶揄する。これは、個人の場合なら、確実に名誉毀損になる。内閣総理大臣が訴えるべきなのにやらない。だから我々が抗議するのだ」そういう理屈だ。
「こんなものは、〈文学〉でも〈芸術〉でもない。ただの猥褻、不潔な「便所の落書き」だ。だから我々が、消してやるのだ!」と言う。その作品を「消す」。書いた人間までも「消す」のだ。そういう理屈になる。
深沢七郎の『風流夢譚』は、夢物語だ。夢の中で、革命が起きた。まァ、その程度ならいいかもしれんが、皇居前広場で、皇族の方々が、次々と首を切られる。それも実名をあげている。ギロチンで切られて、クビがスッテンコロリンと転げた…と書かれている。「たとえ、夢であっても許せない!」と右翼は激怒し中央公論社に押しかけた。そして、テロが起きた。
だから、「これは空想だから」「これは夢だから」といっても、防御壁にはならない。かえって、「不真面目だ」「揶揄している」「許せん!」となる。怒りに火を付ける。この本のシンポジウムの中でも、私はその点を言った。心配して言った。でも、単行本にした。大丈夫なのかな、と思う。
だからなのか、徹底して、「アート」であり、「空想」であることを強調する。くどいほど強調する。たとえば「新刊のご案内」にはこう書かれている。
〈アートであり、
アートでしかなく、
アートでしかなし得ない、
提言〉
うまいキャッチコピーだ。苦心のあとが読み取れる。「アート」なんだから、「政治」の世界に引きずり下ろして攻撃しないでくれ! と言ってるようだ。「アートでしかない」のだし。それに対して、「政治」が文句を言ったら、大人げないだろう。そう言ってるようだ。
私が出たシンポジウムの時は、あくまで本気に、「皇居美術館」についての激論だった。ところが、単行本になると、『空想 皇居美術館』になっている。「空想」が付いた。気を遣っている。いろいろと配慮しているのだ。
「こんな危ない本を、よく朝日新聞社から出しましたね」と言う人がいる。私もそう思う。でも、実は、朝日新聞社が出したのではない。よく見てほしい。「朝日新聞出版」なのだ。朝日新聞社からは独立した。孤立した出版社だ。だからこそ出せた。と言う人もいる。
これは、あくまでも「アート」だ。「空想」だ。だったら、空想の土地に美術館をつくってもよかった。瀬戸内海に人工島をつくるとか、どっかの無人島につくるとか。普天間の基地跡につくるとか。でも、それでは、ただの空想になる。面白くない。と考えたのか、皇居につくろうとした。この辺の発想が、リアルというか、危ない。でも、「新刊のご案内」には、その辺のことを、こう書いている。
〈このたび、朝日新聞出版より『空想 皇居美術館』を刊行いたします。日本には大英博物館やルーブル美術館のような巨大美術館がない。だったら、それを広大な敷地をもつ皇居に作れないだろうか。展示する美術品は日本中の超一流作品を集める。法隆寺も鎌倉の大仏もみんな持ってきて展示してしまおう--。
こんな奇想天外な「空想」をもとに、美術や建築の専門家、政治学者から右翼までが集まって、どんな美術館を作るか、“大真面目に”議論する前代未聞の美術・建築/思想書。〉
「思想書」だと言っている。凄い。単なる「空想」じゃないよ。それに、右翼までが、集まってとある。私のことらしい。「馬鹿野郎、こんなの右翼じゃねえぞ!」「左翼だよ! 売国奴だよ!」と言われそうだ。
さらに、こう書いてある。
〈CADによる皇居美術館の設計図、エスキース、完成イメージの3DCGから、収蔵予定作品のトレース画像も掲載。皇居という空間がはらむVOID(空虚)という問題や東京という都市のイメージをめぐる論考など、美術、建築、思想、政治をまたぐ一冊。空想からはじまり、その空想をめぐって本気で構想した、現代社会への提言〉
「空想でしかない」と言いながら、結構挑発してるし、挑戦的だ。又、もし、抗議、攻撃されたらどうする。という〈理論武装〉を、しっかりやっている。
私も、この本の中で、シンポジウムに参加したから、分かるが。世界の巨大な美術館というのは、元「王宮」だったところが多い。ロシアのエルミタージュも王宮だ。イギリスの大英博物館も。中国の故宮博物館もそうだ。だから、「皇居に」という「空想」も、ありうる。
でも、皇居に住んでる人々はどうするのか。「京都にお帰りになってもらいたい」と言う。ちょっと危ない提言だが、これは、右翼の中でも言ってる人がいる。少なからずいる。天皇の御所は、もともとは京都だ。いや、今も、京都だ。明治維新の時、「ちょっと江戸へ行ってくる」と言われて、天皇は行き、そのまま、京都に帰っていない。本来の御所の京都に戻ってきてほしい、と言う京都人は多い。
それに、皇居は、元々は江戸城だ。天守閣があり、石垣があり、お濠がある。闘う武将の居城ではあっても、本当の御所ではない。本当の御所にするなら、石垣を取り、お濠を埋め、城も取り払う。そうすると、京都の御所のような「東京御所」になるだろう。でも、そうはしなかった。だから、中途半端なものになり、呼び方も二転三転した。はじめは江戸城だ。そこに天皇が入ったので、皇城だといったり、宮城といったりした。あくまで「城」に入っている。これでは〈武士〉〈将軍〉のイメージがある。だから戦後は「城」をとって、「皇居」にした。
今でも、年取った人は、「宮城(きゅうじょう)」と呼ぶ人もいる。島倉千代子の歌でも、「あれが宮城よ」という歌詞がある。今は、宮城と言っても、若者は「宮城(みやぎ)」と読んでしまうだろう。
昔、「宮城(きゅうじょう)」と呼ばれていた頃、宮城(みやぎ)県の知事は、「間違えられては申し訳ない。わが県の名を変えましょう」と国におうかがいをたてた。「仙台県」にでもしようとした。でも、「それには及ばない」ということで、「宮城県」はそのまま残った。「宮城(きゅうじょう)」の方はなくなり、「皇居」になった。そして、天皇が京都に帰られたら、今度はそこが「皇居美術館」になる。
でも、天皇がいなければ、もう皇居ではない。だから、「江戸城美術館」でいいではないか。と私は主張した。1千メートルの天守閣をつくる。そこに日本の美術品を集める。何なら、何千人かをそこに住まわせる。刀とチョンマゲで、完全な〈武士〉をそこに住まわせる。いいじゃないか。「生きた江戸」を再現するんだ。
ついでに、政治も徳川家に返す。逆「大政奉還」だ。県も元の「藩」にする。どうせ小選挙区制の区割りなんて、昔の「藩」と同じだ(ほとんど同じだ)。だから、昔の殿様が再び藩主になればいい。政治の大枠は彼らがやり、その上で、最後に決めるのは国民だ。「国民投票」にしたらいい。これだけネットが普及してるのだから、一瞬で出来るだろう。
藩主がおり、将軍がおり、その上に天皇がいる。そういう「日本本来の姿」に戻したらいい。その上で、天皇にはもっともっと自由になってもらいたい。「でも、京都に帰られたら」というのは失礼ではないか、と言う人もいる。
その点は、シンポジウムの中で、原武史さん、御厨貴さんたちに詳しく聞いた。明治天皇は、帰りたいと思われた。大正天皇、昭和天皇になると、皇居が御所のように思われたのでは、と言っていた。さて、現在はどうだろう。「いや、ここがいい」と言われたら、勿論、そのままだ。その時は、京都に「京都御所美術館」をつくったらいい。
「京都に帰りたい」と思われたら、京都に帰られたらいい。そんなことを言うのは不敬だ、と言う人もいる。しかし、御所は1カ所で、不変なものではない。歴史上、何度も何度も「遷都」している。「東京のようなゴミゴミとした所はいやだ」と言われたら、京都に帰られたらいい。「もっと空気のいいところがいい」と言われたら、北海道でも沖縄でもいい。そこは、天皇も、もっと我が儘に言われたらいい。これだけ大変なお仕事をされているのだ。もっともっと自由気儘に言われたらいい。
こう見てくると、「空想 皇居美術館」は決して「不敬」ではないし、単なる「遊び」でもない。硬直した「政治」を打ち破る「アート」の挑戦だろう。「政治」が勝つか、「アート」が勝つかの、死闘でもある。
又、「アート」であり「空想」でありながら、政治へ向かっての大胆な提言もある。たとえば、この巨大美術館を作ることによって、日本を「美術立国」にする。そして、「芸術憲法」を作る、という。これは驚きだし、大賛成だ。「平和憲法」などというただの〈受け身〉のものではなく、もっと積極的な価値を持った「芸術憲法」を作るというのだ。これは、この本の第3部「大シンポジウム・皇居×東京」で彦坂さんが主張している。
この大シンポジウムの参加者は以下の8人だ。これが、この本の目玉だ。
御厨貴(政治評論家)、原武史(歴史家)、鈴木邦男(右翼活動家)、暮沢剛巳(美術批評家)、南泰裕(建築家)、彦坂尚嘉(現代美術家)、五十嵐太郎(建築評論家)、新堀学(建築家)。
私は「右翼活動家」になっている。まあ、何だっていいや。そのうち、「皇居美術館建築家」になるかもしれない。あるいは「キュレーター」か。
この大シンポジウムは18ページから63ページまで、45ページもある。確か、去年、新宿でやったと思った。ところが本を見たら、2年前だった。
〈「リスボン建築トリエンナーレ2007日本帰国展」記念シンポジウム(協力・リビングデザインセンターOZONE、2007年11月25日)を大幅に再構成した〉
と書かれていた。2年半前か。あの時は、緊張した。こんな危ないシンポジウムをやっていいのか。と思った。襲撃されるんではないかと、ハラハラしながら参加した。何を言ったか、よく覚えてない。
でも、こんだけアートで武装されると、攻撃する方も、やりづらいのだろう。当日だって、皆、難しいことを言っていた。建築家やアーティストの話には私は付いて行けなかった。「不敬」だとか、「反日」だとか、簡単に決めつけられない。巨大美術館を作るなら、皇居しかない。そういって皇居にこれだけこだわり続ける彼らの方が、ずっと〈尊皇〉なのかもしれない。よく分からない。
ともかく、2年半前の「大シンポジウム」はエキサイティングだった。終わって、ホッとした。
ところが、それが、単行本になった。さらに世の中を挑発しているよ。怖い。いや、それだけではない。あの「大シンポジウム」を再度、やろうというのだ。これも怖い。6月19日(土)、7時からだ。千駄ヶ谷のビブリオティックでやるという。どこなのか全く分からない。襲撃され難い場所を選んだのか。でも、出席者の私だって行けない。ただ、あの時と、少々メンバーは入れ替わっている。案内状にはこうある。
〈「皇居美術館」の構想は、建築、美術、天皇制、政治…と、様々な角度からニッポンを考える。今世紀最大の提言です。
今回のシンポジウムでは、右翼活動家の鈴木邦男さんや、「皇居ウォッチャー」の辛酸なめ子さん、雑誌『BRUTUS』で多くの美術特集を手がけてきた鈴木芳雄さん、建築家の倉方俊輔さんなど多彩なゲストを招いて、皇居美術館の可能性を徹底討論します!〉
「右翼活動家」がトップに出てきてますね。プレッシャーがかかりますね。その他、「仕掛け人」の3人(彦坂尚嘉、五十嵐太郎、新堀学)も勿論、出ます。さて、どんな激論になるのでしょう。楽しみです。いや、不安です。
②この本は、彦坂尚嘉(現代美術家)、五十嵐太郎(建築評論家)、新堀学(建築家)の3人による共編著です。この3人に、政治学者、作家、漫画家、右翼がからんで、壮大な奇書になっております。その仕掛け人の彦坂さんと。5月10日(月)、発行記念レセプションで。月島で。彦坂さんの後ろにあるのが、「皇居美術館」の模型です。
③日本の国宝級の美術品を持って来ます。その写真の説明は…
〈鎌倉の大仏を、皇居美術館の中に収蔵します。それは仏教と神道を再び合体することです。明治維新後の「神仏分離令」や「廃仏毀釈」を否定し、再び神仏を統合して《美術立国》として再出発を計るのです〉(彦坂尚嘉)
④皇居の外側に巨大な美術館を作る案もあった。本文より。
〈巨大なヴォイド(空虚)を形作る皇居美術館の全景。「触れえぬもの」を「力の場」として可視化する。大きな空虚と、人の営みを収める巨大なボリューム、そして拡張された壕の向こう岸に、場所に対しての思いを巡らせます〉(新堀学)
⑤彦坂さんの出した著書。『彦坂尚嘉のエクリチュール=日本現代美術家の思考=』(三和書籍)。頼まれて、帯の推薦文を書きました。
〈この奇才の前には日本も世界も余りに小さい。300年先を行っている。その高みから、この日本を壊し、造り直す。皇居美術館、アート立国、芸術憲法。こんなこと、誰も思いつかなかった。こんな男が日本にいたのだ。驚きだ〉
⑦山口二郎さん(北海道大学大学院教授)と。初対面ですが、『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)を初め、何冊も読んでると言ってました。ありがたいです。「やっと話し合いの出来る右派の思想家が出たか、と思いました」と言う。私なんて、とても思想家じゃないが。でも、嬉しかったです。私は、山口さんのことは気鋭の政治学者だと以前から注目していたので、会えて感激です。
⑪5月29日(土)、午後2時から文京区民センター。「東アジア反日武装戦線・さそり」の宇賀神寿一さん(右)、アレフ(元オウム)広報部長の荒木浩さん(中央)と。写真を撮ってたら、「おっ!日本の三悪人か!」と言われました。オウムと爆弾と右翼。だからでしょう。失礼な話です。真面目に、考え詰めたから、そうなったのです。それに3人とも、悔い改めて、今は「善人」三人組です。
⑬6月2日(水)午後6時30分、ジュンク堂新宿店。『鈴木邦男の読書術』(彩流社)の出版記念トークです。佐藤優さん(作家)とのトークです。2ヶ月前に、ジュンク堂が「予告」を出したら、5分で満員になったそうです。佐藤さんの力です。当日券を求めて人も並び、超満員でした。実に充実したトークでした。私もとても勉強になりました。