昔、テレビに出た時に、「民族派の若き論客」と紹介された。格好いいな。ちょっと恥ずかしいけど。名刺の肩書きもこれにしようかな、と思っていた。「でも、これ変ですね」「おかしいですよ」と一水会の後輩に言われた。私はこの時は一水会会長だ。会長に対しても皆、ズケズケとものを言う。自由だ。それが一水会のいいところだ。後輩は何と言ったかというと。
「国旗・国歌の法制化に反対してるし、在日の参政権も認めるし、愛国心なんていらないと言うし、最近の鈴木さんは“民族派”を軽く超えてますね。“民族派を遠く離れて”ですよ」
「いいじゃないか。“民族派を遠く離れて”か。映画のタイトルのようだ。次の本は、これを題にしよう。民族を超え、世界を視野に入れてるんだから、いいじゃないか」
「と言うよりも、民族を裏切っているというか。反民族的、反国家的、反日本的かもしれません」
「…」
「それに、“若き”も違います。もう、いい年だし。壮年というより老年に近いでしょう」
「…」
「最後の“論客”は決定的に間違っていますね。東北弁だし、ボソボソと言うし、論理的じゃないし。討論会に出ても、全然喋れなくて、オタオタしてるでしょう」
「そうだなー。話の“輪”に 入れないんだよ。何人かでやる“縄跳び”で、そこに入ろうと思うけど、入れなくて、足踏みしている。あんな感じだな。又、車で、小さな道から大きな道に合流する時、怖くて入れない。止まって、オドオドしている。あの状況なんだよ」
「自分のことをよく知ってるじゃないですか。大体、東北出身者の論客なんてあり得ないんです。論理矛盾です。氷で作った電球のようなもので、出来っこないんです。討論や論争なんて初めから無理なんですよ」
「そう?。(ガックリ)」
「事実をしっかり見つめ、そこから出発すべきです。しかし、テレビ局もひどいですね。“民族派の若き論客”なんて。本当は、“反日の老いた口下手”なのに」
ギョエ!ひどいことを言う。そこまで言うかよ。
確かに、喋るのは下手だな。でも、マスコミや、いろんな人々に、「この問題についてどう思うんだ」と聞かれたら、全て答えることにしている。又、トークや討論会に呼ばれたら全て出ている。ロクに喋れないし、論破されることも多い。「ダメだな、こいつは」と思われるだろう。でも、出て行って負けるのはいい。負けっぷりを見せたらいいと思っている。
いけないのは、「勝てそうにないから出ない」という選択だ。これは卑怯だろう。右翼・左翼・市民運動など、全ては、自らの「主張」を訴えようとしている。暴力や嫌がらせではない。〈言論〉を伝えようとしている。
だから、「どう思う?」「話を聞かせてくれ」と言われたら、どこにでも行くべきだ。それは思想運動をする人間の義務だろう。
私などは、「反日の老いた口下手」なんだ。こんな奴は簡単に論破できる(だろう)。映画「ザ・コーヴ」上映反対運動をしている人々にとっても、格好のターゲットだろう。おいしい「餌」だろう。「主権回復を目指す会」の人達は西村氏を初め、皆、若くて、情熱的で、雄弁だ。よく勉強をしている。私なんか、話し合っても、すぐに論破される。正直な話、私は、話し合うのは怖い。でも、一緒に話し合おうと呼びかけている。私も知らないことが多い。教えてもらいたい。謙虚な気持で提案している。
しかし、横浜の映画館前でも、ニコニコ動画でも、拒否された。又、渋谷の映画館前でも拒否された。ロフトで話そうと言ったのも、拒否された。「こんな奴とは話しても意味がない」と思ったのだろう。でも、「上映に賛成する反日分子」を徹底的に論破したら、見てる人が、「そうだ、その通りだ。上映すべきじゃない!」と支持してくれるだろう。せっかくの機会だったのに、残念だと思う。
「いや、鈴木の挑発に乗るな!」と言う人もいる。「こいつらは上映を前提にして話しているんだ。巻き込まれるな!」とも言う。それは違うでしょう。私が間違ってると思ったら、素直に謝りますよ。森達也さんは「映画上映反対という自由もある」とゼロホールのシンポジウムで言っていた。そうです。思想・表現は100%自由です。「主権回復」の表現の自由が侵害されたという事があったという。動画サイトで。私は、全てに表現は自由であるべきだと思う。だから、「言論・表現の自由」を求める点では、彼らとも一致する。話し合えると思う。
伝統・文化に関して、アメリカ観について、など、一致できる点も多いと思う。だから、毛嫌いせずに、私とも話し合い、そこで論破し、そのことで、「もっと大きな言論の場」を獲得したらいいじゃないか。そう思いますね。
ともかく、弱い映画館に押しかけたり、個人の家に押しかけるのはやめて下さい。確かに、それも「言論」でしょう。でも、関係のない一般の人(映画館の従業員、家族)が怯えてます。恐怖にかられます。それで、「こんな怖い思いをしてまで上映する必要はない」と思い、上映を止めるかもしれません。しかし、それは決して〈勝利〉ではありません。恐怖を与えて、暴力で止めさせたのです。
その証拠に、いくら「正論」を言っても、単なる「妨害」「嫌がらせ」と思われてしまいます。そして、「妨害に屈するな!」という声が上がり、「ザ・コーヴ」の上映館も次々と名乗りを上げ、前よりも増えています。一般の人も、「そんなに騒ぐのなら、ぜひ見てみたい!」と思います。あなた達は、皮肉なことに「上映」に貢献しているのです。そして、「何故、反対しているのか」の理由は忘れ去られ、「そういえば、何か妨害があったな」と思われ、忘れられるだけです。
これでは困るでしょう。マズイでしょう。あなた達の大事な「思想」「考え方」が伝わりません。だから、私は、一緒に話し合おうと提案しているのです。「鈴木のペースに巻き込まれるな!」「挑発に乗るな!」というのなら、どんな〈条件〉でも飲みます。あなた達が1000人で私が1人でもいいです。あなた達が90%喋り、私が10%でもいいです。その場を利用して、あなた達の主張を多くの国民に伝えたらいいでしょう。その手伝いを私はやります。
穏やかに話し合い、反対意見にも謙虚に耳を傾ける。それが大事だと思います。私も、「ザ・コーヴ」については「思い込み」や「偏見」もあるでしょう。それは教えてもらいたいと思います。又、その機会を持ちたいと思います。でも、その機会を全て、叩き潰されています。残念です。
「君の意見には反対だ。でも、君がそれを言う自由は命をかけても守る」とヴォルテールは言いました。格好いい言葉ですね。なかなか出来ません。私だって、実行できていません。でも、少しでも、そこに近づこうと思っています。
昔は、私も、「これが一番正しい」と思ったら、他の意見には一切、耳を貸さず、反対意見は、ただ、潰すことを考えていました。〈読書〉についても同じで、「自分の好きなもの、自分の理論武装に役立つもの」だけを読んでました。それで〈強くなれる〉と思ってました。しかし、今は違いますね。全く考えの違う人の本、今まで全く知らなかった分野の本を、積極的に読むようにしています。
その結果、自分のやってきたこと、信じてきたことが覆されることもあります。でも、それはかえって気持いいです。心地いいです。「おっ、こんな見方があったのか」「俺も浅はかだったな」と思います。それは多分、多くの人に出会い、多くの人から学んできたからでしょう。
昔は、「同じ考えの人が集まり、その人達が増えれば日本はよくなる。世界はよくなる」と単純に信じてきました。
しかし、右翼運動を40年間もやってると、いろいろ考えます。「反対意見の人の中でも、立派な人がいます。やはり〈人間〉なんだと思います。それで、ヴォルテールの心境に近くなったのです。
昔、早大で、「いい敵」に出会い、闘った。という体験も大きいです。「敵ながら天晴れ」という人達を見てきました。それと、「全集読み」です。唐突に何を言うかと思われるかもしれませんが、本当です。好き嫌いなく、いろんな本を読む。むしろ、嫌いな人、反対の意見の人の本を読む。それは、いろんな「思想全集」で学んだことだと思います。
6月25日(金)発売の「週刊読書人」では、そのことを喋りました。そんなチャンスを与えてくれたこの新聞には、とても感謝しております。上野昂志さん(評論家)と、「全集を読む」ことをテーマにして、対談しました。4面から6面まで、大々的に取り上げてくれました。
総合雑誌でも、オピニオン雑誌でも、こんな企画はやってくれません。政治的な新聞ならば、なおさらやってくれません。「そんなことより、選挙だ」「この日本をどうするかだ」「呑気に読書の話なんかしている場合か!」と叱られるでしょう。そんな時に、「全集を読む」対談です。ありがたかったですね。ちくまの思想全集。中央公論社の『世界の名著』『日本の名著』。講談社の『人類の知的遺産』。河出書房の『世界の大思想』『世界思想教養全集』などについて、思う存分、話し合いました。
上野さんは平凡社の『世界教養全集』がよかったと話し、私も、その中に収められたフレーザーの『悪魔の弁護人』の話をしました。とても楽しく、知的刺激を受けた時間でした。2時間がアッという間に過ぎてしまいました。
「読書人」の小見出しでは、こう出ています。上野さんの発言では、
〈僕は左翼的な人間ですが、むしろ「国家主義」とかそういったもので、目を開かれた部分があります〉
〈社会に出ていく手掛かり。
読まなくては済まないある種の切迫感〉
〈よく考えるために本を読む。
全集はそのために待機しているようなもの〉
学生時代は左翼だったという上野さんも、ちくまの思想全集などを読み、その中にあった「国家主義」に、初めは「何だこれは」と思ったんでしょう。でも、読んでみて、目を開かれたといいます。私も同じですね。「全集」を読むんだから、「仕方なく」「ついでに」「いやいや」左翼の本も読む。オッ!と思う。でも、その時は「敵ながら凄い人がいる」と思っても、口では言えない。全共闘と闘っていた日々だったからです。
今になれば、そのことも自由に言える。「左でもいいものはある」「右でも下らないものはある」と言える。しかし、そうなるまで長かった。今まで、そう発言する「勇気」がなかったんだ。そのことを私は言っている。
〈三、四十年経った今だから。
その時の自分の立場や考え方では収まらないもの〉
今、昔の左翼の人達が「ナショナリズム」や「愛国心」について語っている。それも、昔の「全集読み」をしたからだと私は思う。昔は、「これはいい」と思っても、「思想的立場上」そう言えなかった。それに、今は言えるようになった。「集団の論理」ではなく、「個人の論理」を貫けるようになった。そうも言える。私はさらに、
〈ひとつの体系だったものを読むことで、
山を越えたような満足感があると思うんです〉
と言っている。又、これが大事だが、
〈読むことで世界が広がる。
思い込みの粉砕される読書は一番の醍醐味〉
と言っている。
これが一番、言いたかったことですね。討論でもそうでしょう。お互いが、相手の言うことを聞かず、自分の主張をぶつけるだけなら、討論する意味はない。お互いの人の本を読めばいい。2人がわざわざ会って話すのは、そのことによって、新たな「化学反応」が起こるからだ。それを期待するからだ。違いますかね。
ところで、「全集を読む」対談の補足です。この対談の時、私は、「情報ダイエット」の話をした。対談した時は、筆者が思い出せなかったが、ある人が新書で言ってたのだ。「情報ダイエットが必要だ」と。肉体だって、メタボにならないように、無駄な脂肪を落とし、ダイエットする。そのことで体も動きやすくなり、仕事もできる。健康にもなる。同じように「情報」の洪水に溺れていてはいけない。不必要な「脂肪」は燃やし、捨て去る必要がある。 そんなことも書いてあった。
うん、そうだよな、と思い、対談の時、言った。そしてゲラの段階で、この人の名前と書名を書き入れた。とてもいい本だ。こう言っている。
〈今後もっとも重要なのが、情報ダイエットである。実際のダイエットでもそうだが、余分なものを摂らずに、バランスの良い身体を目指すことは、とても重要となる〉
身の回りには〈情報〉が溢れている。インターネットにつながれたコンピュータ、携帯、写メール、テレビ、ラジオ、新聞、それをどう「ダイエット」するか。時間を区切って制限する。あるいは思い切って、そのどれかを捨ててみる。それを考えたらいいと言う。又、単なる広告や宣伝、娯楽でしかないものを〈情報〉と思っているかもしれない。
今、「情報収集能力」の高さが必要だといわれるが、それは違うという。それよりも、「情報選択力」が必要だという。これにも驚いた。
〈今日インターネットに載っている情報は、すでにその時点でBクラスな情報と言える。確かに、僕の周りでも、本当にいい情報はメールで来ても、WEBで見られるようなところは載ってない。
また、いい情報をいっぱい入手したら、今度は選択力をつけなくてはいけない〉
そして、「情報選択力」のつけ方について詳しく書いている。これは、参考になった。
「週刊読書人」の校正を終えて、2日後、JR山手線に乗っていた。読書ノルマのために、山手線を3周して本を読んだ。この時、中吊り広告を見た。沢尻エリカという芸能人がいるそうだ。歌手なのか、女優なのか、知らないが、その人のことが出ていた。エリカ様といわれている。最近、旦那と離婚したそうだ。あれっ、「別れ」を言い出しただけかな。ともかく、そんな記事らしい。
でも、旦那の名前を見て、アレッ?と思った。高城剛と出ていた。どっかで聞いたことがある。友人ではない。最近、これと似た人間の名前を見た。あっ、そうだ。「情報ダイエット」について書いた人の名前に似ている。フーンと思い、一応、メモした。
家に帰って調べてみた。ヒャー、同姓同名だわ。こんなことがあるんだ。エリカ姫に追い出された旦那と、情報革命について本を出してるライターと。
そうだ、本の名前と筆者を紹介してなかったね。えーと、高城剛の『ヤバいぜ!デジタル日本=ハイブリッド・スタイルのススメ=』(集英社新書)だ。
うーん、同姓同名の人じゃ、誤解されるよな。マズイな。じゃ、校正は元に戻して、「誰かが言ってたが、情報ダイエットは必要ですよ」とでも書こうか。でも、もう校正の〆切は過ぎてる。それに、こんなことで電話するのも変かな。と思ったが、思い切って「週刊読書人」に電話した。「あとで校正で入れた分ですが、取った方がいいですかね?」「どうしてですか?」「だって、沢尻エリカの旦那と同姓同名でしょう。誤解されるでしょう」
そしたら、「同一人物ですよ!」と言う。ヒャー、驚いた。女優の別れた旦那だったのか。あの新書を書いたのは。だったら、なおのことマズイんじゃないの。
「クスリを2人でやってたんでしょう?」
「それはノリピーです」
「でも、ラリってる女を放っておいて逃げ出したんでしょう?」
「それも別の人です」
そうか。女優の「元夫」というと、皆、同じに見えちゃう。違うのか。
この「エリカ様の旦那」は別に悪いことはしてない。いい人だ。本も沢山書いてるし、インテリだし、学者だ。それなのに、エリカ様の旦那になってる。不思議だ。
それで、高城剛の本を買った。(前は図書館で読んで、メモしていたんだ)。本の帯にはこう書かれている。
〈日本人が生き残る最後の手段は、スタイルである。と僕は確信している〉
〈ルイ・ヴィトンのアニメーション、ソニーのAIBOなど商品の立ち上げや総務省の国家プロジェクトなどに数多く関わる映像作家。DJ、高城剛。世界を舞台に活躍する著者が、「国を動かす勢いで書いた」預言の書!〉
うーん、凄い人なんだ。知らなかった。申し訳ない。総務省「次世代放送コンテンツの振興に関する調査委員会」委員。「『地域文化デジタル化事業』の推進に関する構想委員会」委員。なんだという。凄い、凄い。国家的プロジェクトに携わっている偉い人なんだ。エリカ姫に追い出された元亭主としか思ってなかったのに。「思い込み」を叩き潰された。これも読書の効力ですね。
でもなー。贅肉を落としてダイエットだ。情報選択力をつけ、「情報もダイエットだ!」と言ってんでしょう。なのに、エリカ様からは、「お前が余分な脂肪だ」と思われ、ダイエットされてしまった。かわいそうだよね。これが「生き残るスタイルだ」と言っても、生き残れなかった。ヨメに追い出された。
いやいや、そう考えちゃマズイんだろう。思想は常に、ギリギリの所で勝負するのだ。勝つか負けるか。死ぬか生きるか。ダイエットするか、されるか。安全地帯で闘うのは、本当の闘いではない。崖っぷちで闘うことこそが、真の闘いですよ。頑張りましょう。
①『週刊読書人』(6月25日号)です。「特集。全集・講座・シリーズ」で、上野昂志さん(評論家)と私が対談しました。「全集を読む意義について」です。タイトルは、「新たな思考のために」。4〜6ページまで、大々的に取り上げられました。思想的・文学的「全集」について、その読み方、意味、効用などについて。たっぷりと話し合いました。
②今村均将軍のご長男、今村和男さんを訪ねました。92才ですが、とても元気です。記憶もしっかりしてるし、将軍のことを、いろいろと教えてもらいました。6月26日(土)の午前10時に世田谷区豪徳寺のお宅に訪ねました。4時間も話してくれました。感動しました。
③実は、斎藤徹夫さんに連れて行ってもらったのです。斎藤さんは新潟県新発田で「大杉栄メモリアル」を開催している責任者です。元全共闘です。大杉栄と今村均将軍は、ほとんど同じ年です。(大杉が1歳上)。それに2人とも、子供時代に新発田にいたことがあり、同じ教会に通っていました。多分、知ってたはずです。「よど号」の田宮高麿さんや、多くの人が新発田には縁があります。斎藤さんはそれを調べて、今村均さんのご長男を訪ねたのです。私も連れて行ってもらいました。
④今村均将軍について書かれたこの本は、とてもいい本で、昔読んでました。今回、もう一度、読み返しました。角田房子の『責任 ラバウルの将軍・今村均』(ちくま文庫)です。角田房子さんは、今年の1月1日に亡くなりました。残念です。
⑥6月29日(火)午後2時、東京外国語大学に行きました。前北美弥子さんのゼミに呼ばれて、木村三浩氏と私が行きました。外大教授の伊勢崎賢治さん(平和構築学)も参加し、4人でトークをしました。テレビカメラも入ってます。左から、前北さん、鈴木、木村三浩氏、伊勢崎賢治さん。
⑧6月20日(日)「連合赤軍事件の全体像を残す会」に行きました。関係者の他、漫画家の山本直樹さんも来てました。山本さんは現在、『イブニング』(講談社)に、『レッド』を連載しています。連合赤軍事件を扱った漫画です。この日は、単行本『レッド』の第4巻をもらいました。ありがとうございます。山本さんの左隣りの2人も、山本さんに似てますね。「三人兄弟ですか?」と聞いたら、違いました。講談社の編集スタッフだそうです。
⑨6月16日(水)、夜、一水会フォーラムがありました。講師は秋山祐徳太子さんです。秋山さんは芸術家で、MXテレビ西部邁ゼミナールレギュラーです。講演のテーマは、「元都知事候補が語る勇者たちの心意気」。私は用事があったので、二次会に合流しました。秋山さん(中央)、木村三浩氏(右)です。
⑩学校に行ったら、机の上に貼ってました。「ゴミはゴミ箱へ」と。ギャ!私のことか。と叫んでしまいました。「ザ・コーヴ」上映反対派に、「ゴミはゴミ箱へ!」「鈴木邦男は北朝鮮に帰れ!」と言われてるからです。でも、学校の張り紙は、「本当のゴミ」のことでしょう。どうも、あらゆることに過敏になっています。いけない、いけない。
⑪若松孝二監督の話題の映画「キャタピラー」は6月19日から沖縄で封切られて、大変な評判を呼び、人が入ってます。8月6日に広島、8月9日に長崎で公開され、8月14日(土)から東京はじめ全国の劇場で公開されます。この本は遊学社発行で、今は沖縄の上映館でしか売ってません。もうすぐ全国の書店にも出る予定です。詳しい解説、年表、データ、監督のインタビュー。その他、田原総一朗さん、鳥越俊太郎さん、おすぎさん、そして私も書いてます。とても充実した本です。千円です。
⑫6月13日(日)午後1時から、阿佐ヶ谷ロフトで、中野ジロー氏の出版を祝い、激励する集会が開かれました。私も出ました。そしたら、その「お礼」の気持なのか、奥さんと2人で、過激なダンスを踊ってくれました。これには、ただただ驚きました。