日本に「ロフト」があってよかった。映画「靖国」の騒動だって、ロフトで「右翼向け上映会」と討論会をやり、一挙に解決に向かった。又、「幸福の科学」の人達と久しぶりに会いトークできた。
そして今回だ。7月21日(水)、ネーキッドロフトで、上祐史浩さんをはじめ、元「オウム真理教」の幹部達と会えたのだ。他では絶対に出来ない企画だ。怖くて出来ないだろうし、勇気がない。
その点、ロフトは偉い。平野悠さん(ロフト席亭)も偉い!感動しましたよ。予約はソールドアウト。超満員でした。ニコニコ動画でも生中継され、4万人が観た。そして、12万件の書き込みがあった。そりゃそうだろう。上祐さんが出るんだ。他のオウム幹部達も出るんだ。観るよ。
ロフトの公式案内誌『Roof top』(7月号)には、こう「案内」が出ている。〈平野悠の好奇心・何でも聞いてやろう「オウムって何?」〉。前に、「幸福の科学」を呼んだ時も、この「好奇心」シリーズだった。いい事だ。こういう場所なら、皆、安全にオウムの話を聞ける。「幸福の科学」の時もそうだった。関心はあるが、といって、そこの「集会」に行ったら勧誘されるだろう。オウムだってそう思う。又、見張っている公安に尾行される。「新しい信者」だと思われて、監視される。
その点、ロフトなら安全だ。「好奇心」だけで来て、直接、話を聞ける。「好奇心」だけで質問も出来る。そんなに生にコンタクトしたからといって、「勧誘」はされない。公安にも尾行されない。その意味では、ロフトは凄い〈場所〉だ。日本にロフトがあって、よかった。こういう場なら、どんな「危ない人々」だって呼べる。又、実際、今までに右翼、左翼を含め、本当に危ない人々を呼んできた。次は、もっと危ない宗教、そうだな統一教会なども呼んでほしい。
その点、ロフトは偉い。平野悠さん(ロフト席亭)も偉い!感動しましたよ。予約はソールドアウト。超満員でした。ニコニコ動画でも生中継され、4万人が観た。そして、12万件の書き込みがさて、『ルーズソックス』じゃないな、『Roof top』だ。こう案内されている。
〈ロフトの席亭・平野悠が各界の著名人を招いてお贈りする、タブー無き突撃トークセッション!ところで今、あの「オウム真理教」はどうなっているのか?分裂したとされる各派の幹部たちを招いての直撃トークセッション!〉
それで、出演は、
平野悠さん(ロフト席亭)、岩本太郎さん(フリーライター。オウム問題には詳しい)。この2人が司会だ。
そして、ゲストは、上祐史浩さん(「ひかりの輪」代表)、広末晃敏さん(「ひかりの輪」副代表兼広報部長)、野田成人さん(元オウム真理教幹部)、そして私だ。
これはぜひ見なくちゃ。聞かなくちゃと観客が殺到!予約はとっくにソールドアウトなのに当日券を求めて来た人で、超満員。しかし、上祐さん達が本当に来るのかな、と思った。不安だった。
だって、「あの時」だって会えなかったんだし…と、15年前のことを思い出した。(これは後述する)。でも、来てくれた。やっと上祐さんに会えたんだ。感動しましたね。「ロフトに来るのは初めてです」と言っていた。今まで、オウムの脱会信者とか元幹部といった人が何人か来たが、その人達とは格が違う。レベルが違うと思った。
「よく来てくれましたね」と上祐さんに言ったら、「僕の周りの人達には鈴木さんは評判がいいんですよ」と上祐さんは言う。それは嬉しい。あれだけの事件に遭遇し、その後も贖罪を背負いながら必死に生きている。その姿には心打たれるものがある。広末さん、野田さんには何度も会ってるし、実に真面目で、誠実な人だ。それに、この日は来なかったが、「アーレフ」広報部長の荒木浩さんとも、何度も会って、話している。皆、サリン事件を「自分のこと」として、責任を負い、被害者への賠償をやっているし、反省・自己批判をしている。
これらの人々は、オウムの犯したサリン事件や殺人事件に関係はない。関係のある人、実行犯は皆、逮捕され、獄中にいる。死刑を求刑された人も多い。今回、ロフトに来た人々は、当時、オウムにいたが、事件に関与していない。薄々、感じたとしても、「まさか、そんなことをやらないだろう」と思っていた。だから、サリン事件以後、辞めて、「1人の人間」になり、出直すことも出来た。
「自分だって被害者だ!騙されていた!」と言って、仲間からも遠く離れて、そこから出直すことも出来た。又、そうした人もいた。しかし、ここに来た人々は、初め、「アーレフ」をつくり、出家、在家の信者達が集まり、反省し、被害者への謝罪、賠償をずっと続けている。そして、元オウムということで、24時間、警察、公安調査庁に監視されている。
オウムの「負の遺産」だけを引き受けている。私はそう思って、同情していた。初めは「アーレフ」だけだったが、麻原家からのリモートコントロールもあるし、麻原の呪縛も解けてない、と反発し、上祐、広末氏らは、そこを辞めて、「ひかりの輪」をつくる。
野田成人さんは「アーレフ」の代表だったが、今はそこを追われて、ワーキングプアー対策などをやっている。荒木さんは、「アーレフ」に残った。
この日、荒木さんにも呼びかけたが、来れなかったという。
この日、「ひかりの輪」のHPを見せてもらったが、凄い。充実している。これを見ただけで、上祐さんの考えが分かるし、ヨガも出来る。又、「聖地巡礼」も出来る。ヨガや、仏教の素晴らしい点は、どんどん取り入れて、修行している。完全に麻原色は脱却している。オウムの時なら、「他の宗教はニセモノだ!」と言われ、神社やお寺に行くなんて考えもつかなかった。
又、東大や京大を初め、若い優秀な人がなぜオウム真理教に入ったのか。その理由が分かった。霊能力、超能力を見せつけられ、神秘体験を通して、オウムに取り込まれたのだ。理科系の人々が多かったし、この世の全ては科学的に説明出来ると思っていたのに、科学では説明出来ない「超能力」を突然、見せられる。それで今までの「自分の世界」が崩れ、オウムにはまる。又、ノストラダムスなどの終末的予言、ハルマゲドンが言われ、ユリゲラーのブームもあった。そんな不安な中で、オウムにすがった人も多かった。
「霊能力や超能力を持つ人はいる。しかし、その人を〈神〉と思ったことは間違いだった」と上祐氏は言う。これは印象的な話だった。「だって、超能力を持つ人は凄いだろう」と思ってしまう。それも、苦しい修行をして、超能力を身につけた人は〈神〉だと思ってしまう。「でも、人格とは別です」と上祐氏は言う。人間も大昔は自然と共に生きていて、自然の動きを予知できた。ある意味、超能力があったのだ。動物は、地震や災害を予知できる。それと同じだ。
だから、超能力は〈進化〉ではなく、人間の〈退化〉なのかもしれない。と私は思った。少なくとも、この文明から脱け出し、大昔の「自然と一体」の生活をしていたら、再び獲得できるものかもしれない。「超能力があるから神だ」と思っては危険なのだ。
そういえば、以前、ロフトで、スプーンを曲げる人を見た。目の前でやっていた。本当だ。それも、気持を集中してやってるのではない。酔っ払って、戯れに、そこに出ていた食事のスプーンを使ってやった。だから、本当だと思った。スプーンをねじったり、折ったりもしていた。
これは凄いと思った。しかし、この人は、よく風邪をひいている。「超能力者なのに!」と言うと、「それとこれとは別だ」と言う。奥さんにも逃げられた。「超能力で引き戻せよ」と言っても、出来ない。仕事もない。出来るのは「スプーン曲げ」だけだ。だから、世の中には、理解できないことはあるんだ。そう知ったらいい。しかし、「科学で解明できないことはない」と頑なに信じていると超能力者に出会い、その人を全て信じてしまう。それが危ないのだ。
上祐さんは、昔のように、ペラペラと喋り、他人を論破する上祐さんではなかった。「ああ言えば上祐」なんて昔は言われていた。テレビに出ては、一方的にまくしたてていた。自分達の疑惑を書いたフリップを「こんなものは全て嘘だ」と、ポイと後ろに投げ捨てていた。そんなパフォーマンスをよく見ていたし、覚えている。
でも、逮捕され、苦しみ、地獄を見たのだろう。大きく脱皮していた。実にバランス感覚のある人になっていた。誠実だと思った。過去のことも謝罪し、反省し、そして今も自分を戒めている。謙虚な宗教家だと思った。
凄い体験をした。修行もした。「世界史的大事件」を体験したのだ。その中で知ったことも多い。何が間違いで、何が正しいかも知った。優秀な人だし、「宗教」として、大きくするノウハウも知ってるだろう。「宗教家」として大成する道も知っているだろう。しかし、それを敢えてやらない。自分が傲慢にならないように自戒している。宗教家として厳しく戒めている。これはなかなか出来ないことだと思った。そこまで自分を責めなくてもいいだろう、と私などは思った。もしかしたら、一般の宗教という概念を超えたものを目指しているのかもしれない。そんな感じがした。
では、20年前の「あの時」の話をする。「朝生」始まって以来の高視聴率を取った「オウムvs幸福の科学」の時だ。1991年(平成3年)だから、今から19年前だ。
実は、この前の年、1990年(平成2年)の2月23日、「朝生」で「日本の右翼」をやった。右翼が初めて、大挙して「朝生」に出たので評判になった。私も、「朝生」デビューだった。この日から、「右翼」も激変した。
この時、始まる前までは「右」の人と、「左」や一般の評論家の人は控え室も遠く離れていた。本番の時に初めて「合流」し、「さあ、闘え!」となる。闘牛場のようだった。激しいバトルが展開された。中にはキレて怒鳴る人もいた。しかし、終わってからは、一緒に食堂に集まり、ビールを飲み、サンドイッチを食べて、和気藹々と話をした。「いやー、あの時は怖かったですね」「あの攻撃は鋭かったですね」と。試合の終わった格闘家同士がお互いの健闘を讃え合うようだった。
しかし、次の年の「オウムvs幸福の科学」は、それすらもない。初めから終わりまで、「激論」に次ぐ「激論」。終わってから、食堂で話すこともない。これは「朝生」史上、この1回だけだ。始めから終わりまで、「シュート」だし、「真剣勝負」だ。
この時は、5時間だった。文字通り、朝まで見ていた。そして、『オウム』は修行している。修行が深いと思った。日本中の多くの人が思っただろう。そして、「この人達は、坂本弁護士の事件とは無関係だ」「やってない」と思った。そう思わせる真剣さ、迫力があった。
又、この前後、オウムは、マスコミからも大きく好意的に取り上げられていた。東大、京大では麻原の講演会があり、多くの学生が集まった。大学が許可したのだから、「お墨付き」を与えたようなものだ。又、ビートたけし、とんねるずの番組にも出たし、「超能力者」として、大々的に持ち上げられていた。だから、マスコミも、それを信じた私らも、社会も、全てが「共犯」だ。今となっては、そう思う。
それほど持ち上げられ、社会現象になり、若者はドッと入ってきたのに、オウムは何故か選挙に出る。そして惨敗する。この「敗戦」は陰謀だ、と思う。又、アメリカから攻撃されている。闘わなくては…と思い込む。そして、1995年(平成7年)のサリン事件になる。
1991年の「朝生」で、日本国民を「洗脳」したオウムが、4年後の1995年にサリン事件を起こす。この「暴走」の理由が分からなかった。いや、「朝生」の時はすでに「暴走」していたのだ。だって坂本弁護士一家を殺していたのだし。
今、『新右翼』(彩流社)の巻末年表を見て驚いた。1995年(平成7年)は、激動の年だった。大事件の集中した年だった。1月17日、阪神大震災があった。3月20日、地下鉄サリン事件があった。4月23日村井秀夫(オウム真理教最高幹部)が刺殺された。「犯人は右翼」と報道され、「背後関係」が調べられた。
(一水会では、この年1月に見沢知廉が『天皇ごっこ』で新日本文学賞をとった。4月29〜30日に、木村三浩、見沢知廉らが北朝鮮を訪問した。私はビザが下りなかった)。
サリン事件で、「朝生」も「シマッタ!」と思ったはずだ。こんな殺人集団を「朝生」に出し、宣伝をさせてしまった!と。ところが、この後も、「朝生」はオウム問題を何回もやっている。この年は、4月と8月にオウム問題をやり、私は両方に出ている。「年表」には、こう出ている。
〈4月28日。「朝まで生テレビ」でオウム問題。鈴木邦男も出る。他に遠藤誠、鳥越俊太郎、浅野健一など。鈴木の発言が「警察批判的」で、「オウム寄り」だとして抗議・脅迫の電話が殺到する。「村井と共に地獄におちろ!」「死ね!」「鉄砲玉を飛ばすぞ!」と〉
思い出した。お経を延々と流してた嫌がらせもあった。実は、この「朝生」に上祐さんが出る予定だったのだ。しかし5日前に村井秀夫が殺され、「犯人は右翼」といわれた。こんな状況では出れないと、断ったのだ。上祐さんに会えると思い、楽しみにしてたのに、会えなかった。残念だった。それから15年。やっと会えたわけだ。
この年(1995年)は、「朝生」で、もう一度、オウムの特集をやる。
〈8月5日。「朝まで生テレビ」100回記念スペシャル。「戦後ニッポンと天皇制とオウム」に鈴木邦男が出演。他に大島渚、舛添要一、西部邁、宮台真司他〉
又、この年は、見沢知廉と共に立命館大学へ行き、「サリンとオウムと戦後50年」という講演をやってるし、松山大学でも講演してる。又、大阪や地方のテレビにも出ている。さらに、9月27日には、ガサ入れを受けている。オウムとは関係ないが、「週刊SPA!」で赤報隊について、「会った」と書いたら、それだけで、ガサ入れされたのだ。警察も私もピリピリしていた。
もしかしたら、赤報隊だけではなく、オウムで発言してるから、「懲らしめてやろう」という警察の意図もあったのかもしれない。
今回は、上祐さんのことばかり書いてしまった。初めて会ったので、感情が昂ぶってしまったのだ。広末さんや、野田さんについても又、書きたい。又、何らかの形で、対談か、インタビューをしてみたい。
野田さんは、『革命か戦争か』(CYZO)という本を出している。私は感動した。その本についても書きたい。又、広末さんは、オウムに入る前に「一水会に入ろうか」と思っていたという。又、今、本を書いてるが、「鈴木さんの『失敗の愛国心』にならって自分の体験を書きたい」と言っていた。そんな話も、今度、じっくりと聞いてみたいと思う。
⑧二次会で。右は下中忠輝君のお父さんです。忠輝君は、森田必勝、高野悦子に憧れ、去年の9月、自ら命を絶ちました。22才でした。今年の9月には忠輝君と、森田必勝、高野悦子を考える集いをやろうと思ってます。
⑪林眞須美さんの本です。『死刑判決は「シルエット・ロマンス」を聴きながら』(講談社)。林眞須美さんと家族との愛の書簡集です。この話をもとにして、「支援集会」の時、神田香織さんは講談を作って、披露してくれました。
⑫本が汚れないように、カバーをかけたり、紙袋に入れたりする人はいます。でも、この女性は本を風呂敷で大事に包んでおりました。何の本かと思ったら、森達也さんの『死刑』(朝日出版社)でした。風呂敷をほどいて、森さんにサインをもらってました。森さんもいたく感動しておりました。
⑬『kamipro』(紙のプロレス)の8月号で私が喋りました。〈『ザ・コーヴ』とプロレス〉について。プロレス雑誌が、この上映中止騒動に注目して、私に喋らせる。目の付け所がいいと思いました。感動しました。