朝、起きたら、グラグラッと目眩がした。ヤベー、立ち上がれない。仕方がない。そのまま寝た。3時間ほど寝た。もう大丈夫だろうと思った。立ったら又、天井が回る。部屋が回る。ここ数日、ロクに寝てなかったからな。貧乏でロクに食ってないし。でも、ものすごく働いている。仕事はしてるのに、さっはり収入がない。ボランティア活動ばっかりしてるようだ。それで貧血を起こしたんだろう。かわいそうな人だ。と自分で自分に同情した。
じゃ今日は一日、寝てようか。と思ったが、夜、見沢知廉氏についてのトークがある。「構わないですよ。どうぞ、ゆっくり寝て下さいよ」と、当の見沢氏が言う。ヤベー。幻覚か。「僕の苦しみも少しは分かったでしょう。ドタキャンばっかりしやがって、といつも怒っていたけど、僕だってキツかったんですよ」と見沢氏は言う。
うーん、そうだったのか。苦しかったんだ。でも今夜はどうしても行かなくっちゃ。高木氏とトークがあるし。それに、大浦さんが撮った見沢氏の映画の予告編をやる。「見沢君だって見てみたいだろう。止めてもダメだ。俺は行くよ」。と見沢氏と口論してる間に、気を失った。目が覚めたら夕方5時だ。ヤベー。まだ、フラフラする。でも、死んでも行かなくちゃ。
8月23日(月)だ。東中野から新宿に行って、京王線で明大前に。そこから井の頭線で東松原へ。やっと間に合った。駅前のBroader House(ブローダーハウス)だ。2階が芝居をする舞台と客席で、1階は展示場だ。見沢氏の出した本。未発表の原稿。手紙。見沢氏に出した、いろんな人の手紙もある。あっ、私の手紙もあった。(一緒にやるトークに)「遅れちゃダメだよ。ドタキャンしないように」と、くどいほど念を押している。日付と時間の下には赤のペンテル・サインペンで線を引いて強調している。でも、それでもドタキャンされたんだろうな。
「鈴木さんは、怒って書いてますよ」と高木氏。「それに、字が見沢さんと似てますね」。似てねえよ。「クニさんも、ドタキャンしなよ、と見沢氏に言われたんだよ」と言った。高木氏はキョトンとしていた。
写真も一杯ある。子供の時からの写真だ。オモチャのピストルや銃もある。「ゴルゴ13」になりきって、歩道橋の上から銃を構えている写真もある。格好いいね。しかし、よく警察に捕まらなかったもんだ。そうか、カメラマンがいるし、きっと反射板を持った助手もいたからだろう。
だったら、カメラマンと反射板を持った助手がいたら、本当に「テロ」や「拉致」をやれるわけだ。「あっ、これは撮影だな」と警察は思うし。そうだ。映画の撮影のフリをして、人間を1人、拉致したことがあったな。本人は「助けてくれ!」と叫んでいるが、大きなカメラは回っているし、反射板を持った人はいるし、帽子をかぶった監督が、「よーし、カット!」と叫んでいる。新宿の雑踏の中だったが、拉致に成功した。その後、査問し、殺し、埋めた。
いや、これは本当は映画の話だろう。どうも、目眩がして、頭がフラついて、正常な思考能力がない。それに、見沢氏の「スパイ査問・粛清事件」と重なったのだ。あの時のことが、フラッシュバックしてきたのだ。
しかし、見沢氏は幸せだね。死後も、こうして多くの人々に愛され、慕われている。この日も会場は超満員。名古屋から来た女の子もいた。「見沢さんの代わりに食べて下さい」と私が代理でクッキーをもらった。つい、さっきまで見沢氏と一緒だったからな。九州から来た青年もいた。元、新左翼「戦旗派」の同志、設楽氏、深笛氏もいる。ライターの山平氏もいる。あの時もライターで火を付けて、指紋を焼いたんだよな。と思い出した。そのライターじゃないか。作家の山平氏は。今度、見沢氏のことを書きたいという。カメラマンの平早さんもいる。
見沢氏の遺品を見ていたら、7時になった。あわてて2階に行く。第1部は映画だ。大浦信行監督が撮った映画「天皇ごっこ・見沢知廉=たった一人の革命」の予告編上映だ。最初は、5分位の、本当の予告編を流す予定だった。でも、こうして皆が集まってくれたのだ。少しまとまったものにして見てもらおうと、「30分」にまとめて、上映だ。もはや「予告編」ではない。
これじゃ、全体の3分の1位かな、と思った。ところが、監督は、「本編は多分、4時間位になるでしょう。来年公開します」という。これは楽しみだ。
だって、「30分」だけでも、立派な映画になっていた。見事な映画だった。思想映画だった。ドキュメンタリーだが、〈ドラマ〉も入っている。見沢氏の双子の妹がいて、兄の死の謎を解こうと、いろんな人を訪ねる。そこから映画はスタートする。雨宮処凛さん、野村秋介事務所の蜷川正大氏、「査問事件」の共犯者・設楽氏、「民族の意志」同盟の委員長さん。多くの人が妹(「劇団再生」のあべあゆみさん)に見沢氏のことを語る。あ、そうだ。私も話している。みやま荘で、あの事件について、この妹と。
今から考えたら、愚かな選択だった。逃げ切れるはずはなかった。すぐに自首させたらよかった。でも、あの時は、「逃がそう」と思った。そして、「死体を埋め直したい」という見沢氏の願いを聞き入れて、一水会の若者に、「やってやれよ」と言った。死体さえ無ければ、共犯者が自供しても、〈事件〉にはならない。見沢氏はそう言う。そんなことはあり得ないのに、見沢氏を助けたいばっかりに、それをやった。
見沢氏は「地下に潜る」という。新左翼だってやってるんだ。我々だって出来ないはずはない。やってやろうじゃないか、と思った。中核、革マル派のように、「合法部隊」と「非合法部隊」を2つ持って、使い分けてやれると思った。地下に潜った非合法部隊には、非合法運動をやってもらえばいいだろう。
…そんなことを、漠然と考えていた。ところが、甘かった。僕らの考えは根本的に甘かった。でも、あの時は、「こんな優秀な男を敵権力の手に渡してなるものか。何とか助けたい」と思ったのだ。
あべあゆみさんを相手に、そんな話をした。映画の中で。そしたら、突然、あべさんが、ポロポロと大粒の涙を流す。ビックリした。あれ!どうしたの、と私は狼狽して口走ってました。そんなシーンも、しっかりと映画には入ってました。
雨宮さんは、「小説家になる上での手ほどきを見沢氏にしてもらった。活動も仕方を含め、全てを見沢氏から教わった」と言っていた。そうなのか。見沢氏なしには「雨宮処凛」はなかったのか。
蜷川正大氏の話も印象的だった。見沢氏は、「獄中から出たい。出してくれ。恩赦の誓願を出してくれ!」と毎日のように連絡をよこす。お母さんに、弁護士に、我々に。いくら言い聞かせ、なだめてもダメだった。このままでは気が変になるのではないかと思った。そんな時、野村秋介さんが手紙を書いてくれたのだ。いや、『新雑誌X』に「獄中のS君へ」という長い原稿を書き、それを獄中に入れたのだ。
手紙にはこう書かれていた。「熱い湯に入った時は、暴れて掻き回すと、かえって熱くなる。その時はジッと我慢して耐えろ!」と。その説得というか、一喝があって、見沢氏も落ち着いた。「今、君がやることは早く出ようと思うことではない。中で、じっくり勉強することだ」と、野村さんは諭した。これがなかったら、その後の「作家・見沢知廉」はなかっただろう。野村さんの言葉は大きかった。
又、戦旗派以来の同志、設楽秀行氏の言葉も重い。例の事件の時、話を聞いて、すぐに行動を共にする。普通なら、こんな無謀な企ては、止めるだろう。しかし、止めない。一緒にスパイを「査問」し、殺害し、埋める。さらに、見沢を逃がすために、「埋め直し」に参加する。その結果、逮捕され、10年の刑務所暮らしだ。普通なら、悔やむはずだ。でも悔やまない。「あの時は、どちらにつくかだった。自分は見沢を守る側についた」と言う。究極の「男の選択」だ。
これは究極の〈友情〉かもしれない。映画の「予告編」が終わって、トークセッションがあった。大浦信行監督、高木尋士さん(劇団再生代表)、映画の主演のあべあゆみさん、そして私だ。「後から冷静になって考えると、愚かな選択だった」と私は映画の中で言った。しかし、その「愚かさ」で、見沢氏は救われ、「作家・見沢」も生まれたのかもしれない。今、同じ状況があったら、同じ選択をしただろう。
事件直後、関係者たちが銀座のホテルに集まった。どうするか話し合った。皆、「自首させるべきだ」と言った。私だけが、「いや、見沢を逃がす」と主張した。「あの言葉には感動しました。ありがたいと思いました」と設楽氏は言う。興奮状態で、又、極限状態で、私も言ったようだ。冷静に考えたら、逃げ切れない。その場で自首させた方が、罪も軽くなる。たとえば、見沢氏は12年、刑務所にいた。それが、すぐ自首していれば、10年になったかもしれない。しかし、「仲間を自首させた」という悔いは残る。彼の怨みも残る。
「逃げたい。そのために、死体の埋め直しをやりたい」と言われた時、断って、自首させる。あるいは、110番して、逮捕させる。そんなことは考えもしなかったが、やっていたら、やはり、罪はもう少し軽くなった。もっと早く、シャバに戻れた。しかし、〈友情〉は失われた。「裏切られた」という気持ちだけを残す。見沢氏は、12年の獄中生活を耐えられたどうか分からない。「大作家・見沢知廉」も生まれなかったろう。その点では、設楽氏と同じ「決断」を私はしたのかもしれない。
映画「悪人」では、「一体、誰が悪人か」と問う。勿論、人を殺し捕まった主人公が「悪人」だ。一般的に言ったら、そうだ。しかし、それだけでは終わらない。この男は善人だからこそ、事件に巻き込まれ、殺人を犯すハメになったのではないか。では本当の悪人とは誰か。『キネマ旬報』(9月号)では、私も、この問題について真剣に考えて、原稿を書いた。
大浦監督の映画「天皇ごっこ」では見沢氏の「たった一人の革命」を描く。それと共に、では〈友情〉とは何か!を問う。世の中の人を、善人と悪人に分けたら、見沢氏は人を殺しているのだし、「悪人」の分類になるだろう。でも、刑務所にいる時も、出てからも、誰も見沢氏を「悪人」とは思わない。又、「悪人」だと思い恐怖もしない。それどころか、この男との〈友情〉をめぐる映画まで出来た。
この大浦監督の映画は、では、「友情とは何か」を問う映画だろう。そんな感じがした。設楽氏に言われたが、あの時の私の「決断」は間違ってなかったのかもしれない。この映画を見て、そう思った。たとえ、間違っていても、他に方法がなかったかもしれない。余りに犠牲の多い「決断」ではあったが、今となってはそう思う。
山平氏は、見沢氏のことを書きたいという。私も又、もう一度、じっくり考えてみて、〈見沢物語〉を書いてみたいと思う。
ここまで書いて、一眠りしようと思った。8月27日(金)の早朝だ。その時、ポトリと新聞受けに、産経新聞が入った。さっと見てから寝ようと思った。2面に、大きく広告が出ていた。『文芸春秋 SPECIAL』(季刊秋号No.14)だ。表紙の写真も出ている。アッ、私の名前も出ている。エッ、なんだ。そうか。もう発売になったのか。
「文芸春秋」は月刊の他に、季刊のSPECIALを出している。その「秋号」の広告だ。第1特集は「ゼロからはじめる幸福論」。第2特集が、「60年代の青春」だ。こちらの方に私は書いている。「60年代」というのは、もう50年前なんだ。「50年前は今とつながる」と鶴見俊輔が巻頭に書いている。そして、唐十郎、三枝成彰、内田樹、川本三郎、森村泰昌さんらが書いている。
60年代といえば、60年安保だ。山口二矢であり、樺美智子であり、風流夢譚事件であり、激動の時代だ。1960年は私は高校2年だった。そこから私の〈闘い〉も始まったんだ。61年は高校3年だ。卒業間際に教師を殴って退学になった。
どう考えても愚かな決断だし、愚かな行動だ。カーッとなると、周りが見えなくなる。自分の欠点だ。そう思ってきた。その「愚かな行動」さえなければ、東北大学に入り、地元の新聞社か銀行に就職し、輝かしい人生だったろう。でも、あの「愚挙」があったがために、全く別の局面が開けた。別の人生を歩んだ。
見沢氏の事件に直面し、「愚かな決断」をしたが、〈友情〉から考えると、他に道はなかった。あれでよかったんだろう。同じように、高校生の時の「愚挙」も、その後の私の人生をつくる上では、必要だったし、よかったのだろう。
『キネマ旬報』には〈悪人〉論を書いた。『文芸春秋SPECIAL』では、高校時代の〈決起〉考を書いた。大きな、初めての舞台で、原稿を書かせてもらった。大きな挑戦だった。そして、『遺魂(ゆいこん)=三島由紀夫と野村秋介の軌跡』(無双舎)も近く出る。これも苦労して書いた。能力はないけど、でも必死に書いたんですよ。暑い夏に、へたばりながら、悪戦苦闘しながら書いた。その結果が少しずつ出てくる。それはありがたいし、嬉しい。でも、もっと勉強しなくっちゃな。と痛感している。
梁石日の『めぐりくる春』(金曜日)に続いて、今、『終わりなき始まり』(朝日新聞社)を読んでいる。いい本だ。私も、終わりなき「始まり」だ、と思った。よし、梁石日の本は全部読もう。それと、今、松本清張の本を読み直している。全巻読破しよう。でも清張は、全巻読むとなると大変だな。どうしようかと思っている。又、高木尋士さんと思想全集の対談もしなくてはならんし…。あーあ、頭が痛い。又もや、目眩がしてきた。もう寝よう。
①8月23日(月)、7時。大浦信行監督『天皇ごっこ 見沢知廉=たった一人の革命』の予告編上映後のトークセッションです。左から、高木尋士氏(劇団再生代表)、大浦監督、鈴木、あべあゆみさん(映画の主演女優)。
③1階の展示室には私の送った本『格闘プロレスの探求』(エスエル出版会)がありました。その横には、私の出した手紙が。「時間を守れよ」「ドタキャンするなよ」と書いてました。きれいな字で。恥ずかしいですね。
⑨「アエラ」(8月30日号)です。
〈「愛国者の集い」で来日。ルペンが見た靖国の真実〉
藤生明さんが記事を書いてます。さすが、詳しいし、鋭い問題提起もしております。藤生さんは、前に「現代の肖像」で私のことを書いてくれた人です。
⑪『キネマ旬報』(9月号)。映画「悪人」特集号です。私も書いてます。映画は9月11日封切りです。小説(朝日文庫)は120万部突破の大ベストセラーです。「悪人」とは誰か、考えさせられました。「悪人だから、悪人の気持ちが分かるだろう」と私は原稿を依頼されたようです。
⑬8月19日(木)の夜、西武新宿線に乗った。隣りに座っていたユカタ美女を見てビックリ。去年の生徒でした。今年から女子大生です。「おっ、きれいじゃんか」と写メしたら、「こんな所で、恥ずかしい」と顔を覆いました。その瞬間の写真ですね。