果たして「圧勝」なのか。違うだろう。9月14日の民主党臨時党大会で菅直人氏が勝って代表再選を決めた。菅直人氏、721票。小沢一郎氏、491票。この数字だけを見ると菅氏の「圧勝」だ。しかし、地方議員票は60対40だ。そして、一般党員・サポーター票が249対51だ。つまり、マスコミに煽られ、「政治と金」の問題をこのままにしていいのか。「旧い体質を脱しろ」というサポーターの声や焦りで菅氏は勝ったのだ。
でも、本来は国会議員だけで選ぶべきものだろう。サポーター、党員は誰でもなれる。(外国人でもなれる)。いつでもなれる。別に国民に「選ばれて」もいない。これは〈資格〉でもない。よく分からない存在だ。だからそのサポーター、党員は国会議員を選ぶ。国会議員がだから民主党の「顔」であり、その「資格」を持った人達だ。日々、政治をやってるのだし、サポーターとは根本的に違う。サッカーだってそうだろう。サポーターの存在はありがたいし、欠かせないが、実際に試合をするのは選手だ。点を入れるのも選手だ。サポーターが何万人いようとも、1点も入れられない。
サッカーと同じに見るのは乱暴かもしれないが、政治を実際にやるのは国会議員だ。頼りない連中が多いが、彼らが予算、法案を審議し、通す。だから、民主党の代表もまず国会議員で決めるのが筋だ。それで過半数を得られなかったら、決選投票をやるか。あるいは、ここで初めて地方議員、党員、サポーターを入れて二次投票をやってもいい。
ともかく、それだけ国会議員票は「重い」ということだ。さて、その国会議員票はというと、互角なのだ。菅氏は412票(206人)。小沢氏は400票(200人)だ。国会議員は1人2票だから、人数にしたら、「たった6人」の差だ。菅氏は「辛勝」だ。いや、「勝った」と言えないかもしれない。
これだけメディアに叩かれても、「剛腕・小沢ならこの難局を打ち破ってくれる」と信じている議員が民主党の半分もいるのだ。菅内閣がこのまま迷走したら、再び「小沢待望論」が出てくるだろう。
田中角栄を再評価する本も書店には並んでいる。たとえ、ダーティでも、力があり、本当に政治力、外交力のある人間でなければ、日本を引っ張って行けない。アメリカ、ロシア、中国、韓国といった国々の、したたかな政治家と太刀打ちできる人間が必要だろう。
でも、メディアに煽られて、「ダーティな小沢」よりは「クリーン(と思われる)菅」を選ぶだろう。という話をした。9月14日(火)の文化放送で。お昼の番組に出た時だ。
帰りはタクシー券をもらったので、久しぶりにタクシーに乗った。浜松町の文化放送から芝を抜けて行く。やけに警官が多い。装甲車が何台も停まっている。右翼の街宣車もいる。「何だ、これは!」と思った。まるで戒厳令だ。「一体、何ですか?」と運ちゃんに聞いたら、「民主党の党大会ですよ」。そうか、このホテルでやってるのか。つい今まで、その話を文化放送でしていたのに、忘れていた。
では次に、「牧田吉明君を偲ぶ会」と、「獄中画」の話だ。牧田吉明氏が5月に亡くなった直後のことだった。ロフトで1人の若者に話しかけられた。背も高いし、爽やかな男だ。「父がお世話になりまして」と言う。キョトンとしていたら、「牧田吉明の息子です」と言う。「エッ、あの爆弾魔の?」と言って、シマッタと思った。「ごめん、ごめん。お父さんのことを爆弾魔なんて言って」と謝った。「いいんです。その通りですから」と息子。牧田龍君34才だった。やっぱり、「龍馬になれ!」と思って、吉明氏は名付けたのだろう。
吉明氏は急死だった。「追悼の集まりをやらなくちゃね」と私は言った。そう思ってる人も多かったようで、9月11日(土)、夕方4時半から、「牧田吉明君を偲ぶ会」が行われた。会場は超満員だった。狭いし、暑いし。それだけ多くの人々に慕われていたのだ。
牧田氏の高校(成蹊高校)の恩師も来てくれて挨拶。牧田氏は、山岳部に入っていたそうだ。やはり、左翼は「山好き」だ。山の中で訓練したり、総括したりする。大菩薩峠、連合赤軍。その昔の山村工作隊と。それに比べ、右翼は海だ。海辺の砂浜で相撲大会をやる。あるいは、藁人形を立てて、竹槍で刺殺訓練をする。
「偲ぶ会」では、左翼の人は勿論、右翼の人も多かった。野村秋介氏とも意気投合していたし、「極左」とか「アナーキスト」というよりは、メンタリティは「右翼」的だったと思う。学生運動をやり、爆弾を作っては、赤軍派などの実行部隊に提供していた。別に、金をもらって武器を渡していたのではない。「死の商人」グラハーとは違う。無償で、提供していたのだ。そして、時効になってからは、「実は、あのピース缶爆弾は私が作りました」と正直に告白している。偉い。
その直後に、結婚(2度目)した。今、34才の龍君は初めの奥さんの子供だ。2度目の結婚は28年前だ。私も出て、祝辞を述べた。「牧田氏は2度目、奥さんは3度目。合計して5度目の旧郎・旧婦です」と言ったら、「足し算なんかするな。そんなのはプチブル的発想だ!」と牧田氏に叱られた。でも、元「楯の会」の阿部勉氏はもっとひどい。「お祝いに歌います」と言って、「惜別の歌」をうたっていた。そのあと、皆で「ワルシャワ労働歌」をうたった。
牧田氏は息子(龍君)がいたし、奥さんも連れ子がいた。さらに、2人の間に、もう2人、子供が生まれた。だから、牧田氏は4人の父親になった(実子は3人)。ただ、阿部勉氏の「惜別の歌」の呪いなのか、2度目の結婚も破綻。その後、全国を流浪。最後は岐阜に住んでいた。最後にお世話をした人も来て、挨拶していた。
私は牧田氏とは30年以上前からの付き合いだ。最後に会ったのはいつだろう。今年1月14日(木)、一水会フォーラムで深見東州先生が講演をしてくれた。その時、聞きに来てくれた。長野の旅館で「お庭番」をやってる、と言っていた。深見先生は、大本教に詳しい。牧田氏は、元過激派、アナーキストなのに、何故か、宗教に関心を持ち、大本教に入信していた。酒を飲むと、よく喋り、そして泣いていた。という。でも、フォーラムの二次会では、明るく、楽しく飲んでいた。「大本教の話や、爆弾闘争の話をじっくり聞かせて下さいよ」と頼んだ。
そして、2月17日(水)の一水会フォーラムにも来てくれた。木村代表に聞いたから正確だ。鈴木宗男さんを講師に呼んだ時だ。この時も、楽しく酒を飲んでいた。そして、3ヶ月後に亡くなった。63才だった。今、手元に「毎日新聞」(6月3日付朝刊)がある。そこにこう書かれていた。
〈ピース缶爆弾事件:製造を証言、牧田吉明氏死亡。
元活動家の牧田吉明氏(63)が1日、岐阜市内の自宅アパートで死亡しているのが見つかっていたのが分かった。牧田氏は、警視庁機動隊官舎にたばこ缶を使った爆発物が投げ込まれるなど69年に連続して起きた「ピース缶爆弾事件」に絡み、爆弾製造の公訴時効成立後の82年に「爆弾は自分たちが製造した」と名乗り出ていた。岐阜県警によると牧田氏は1人暮らしで、病死とみられる。牧田氏は故牧田与一郎元三菱重工社長の四男〉
名門なんです。お父さんは三菱重工の社長だ。「三菱重工の天皇」と言われていた。じゃ、吉明氏は「皇太子」だ。でも、企業社会には入らず、アウトロー、学生運動をやり、爆弾を作り…。
今年、1月と2月に会った時、「今度、じっくり話を聞かせて下さい」と言った。「いいですよ。大本教の話でもいいし、爆弾の話でも、運動の話でもいいです」と言っていた。
〈運動論〉では、前に野球に例えてこんなことを言っていた。「左翼はセーフを目指して、セーフになる」。たまには、アウトになることもあるが、あくまでも、セーフを目指す。ところが右翼は、初めから、「アウトを覚悟で、アウトになる」と。そう言われればそうだ。名乗りを上げ、声明文を出して、逮捕覚悟で突っ込む。これじゃダメだ。活動家が皆、いなくなる。左翼を見習って、「セーフ」を目指すべきだと。
牧田氏は爆弾を作っても、全て「セーフ」になっている。そして、時効になってたら、「実は、私が作った」と告白している。したたかだ。右翼は、余りに正直で真面目過ぎるのだという。その点、「赤報隊は立派だ」と言う。全て、セーフになっている。「もう時効になったんだから、僕のように、鈴木さんも記者会見をして発表すべきですよ」と言う。ギクッとした。
では、続いて、「獄中画」の話だ。何と、2日間も続けて、獄中画を見たのだ。
9月11日(土)午前10時半、町田市文化交流センターの6階ギャラリーに行った。
「獄中者作品。絵画・短歌・詩の展示・即売会」だ。死刑囚、無期の人、有期刑の人、30人ほどの獄中者の絵画、短歌、詩などが展示されている。
実は、昨年、「獄中者の絵画」展を初めて見た。今までそんな機会はなかったのだ。死刑廃止の会が開催した集会だった。そう思って見るせいか、暗い作品が多いような気がした。でも、中には、ミッキーマウスやアニメの主人公を描いたものもあった。
「昔は、死刑囚は仏像を描いたり、写経したり…。それしかなかった。最近は、いろんな芸術活動が出来るのです」と安田弁護士は言う。
今年は、9月11日(土)の他、次の日、12日(日)は、谷中の「ギャラリーTEN」に獄中画を見に行く。こちらの方は9月10日(金)から19日(日)までだ。「アウトサイダーアート展」と銘打っている。12日(日)は午後5時からオープニングパーティ。その前3時から、「獄中画の世界」と題する特別対談がある。宇賀神寿一さん(連続企業爆破事件の元被告)と植垣康博さん(元連合赤軍兵士)だ。2人とも20年以上、獄中に過ごし、獄中画を描いている。それに急遽、足立正生さん(映画監督・日本赤軍)も加わる。足立さんはレバノンで捕まり、そこの刑務所で絵を描いた。映画監督だから、絵のコンテはよく描いてたという。そうなのか。
私は対談を聞きに行っただけなのに、「じゃ、鈴木さんも入って下さいよ」と言われて、4人でトーク。植垣さんのボールペン画はうまい。永田洋子さんも植垣さんに習って描いている。かわいい絵が展示されている。重信房子さんの絵もあり、荒井まり子さんの絵もある。死刑を執行された長谷川敏彦さんの絵もある。植垣さんの絵に似ている。影響を受けて描き始めたようだ。
「愛犬家殺人事件」の死刑囚・風間博子さんの絵もある。うまい。プロ級だ。元々、「絵を描いてたんでしょう」と植垣さんは言う。「この人は冤罪ですよ」と司会の山中幸男さんは言う。
帝銀事件の平沢貞通さんの絵もある。この人は、元々画家なのだから別格だ。「獄中画」には、風景や、鳥などの題材が多い。その中で、植垣さんの絵だけが異色だ。乳をあらわにした女性の絵だ。「これは奥さんですか」と会場から質問があった。「いえ、結婚する前に描きました。あくまでも想像です」。ところが宇賀神さんは、「これは美保純ですよ」と言う。ヘエ、ファンなのか。「間違いありません。僕も美保純が好きだから」と…。あまり説得力のない話だが。
「実は、植垣さんは、もっときわどい絵も描いていた。獄中で囚人に頼まれて、「ズリネタ」を描いてたという。どういうものか知らんが、エッチな絵だ。「危な絵」だ。見つかったら、懲罰だ。でも、一度も見つからなかったという。使い終わった後は、食べたのだろう。証拠隠滅だ。
昔は、獄中で絵を描くことは許可されなかった。「囚人のくせに」と思われていた。それを植垣さん達は条件闘争をやり、少しずつ勝ち取っていった。「気持ちを鎮めたり、精神鍛錬にもなる。もっと認めてもいい」と3人の元被告は言う。習字、俳句、短歌、写経などは推奨されるが、絵は贅沢だと思われる。それに、指導してくれる人もいない。じゃ、外部から派遣してもらったらいい。たとえば「一水会」という絵の団体がある。あそこなら、協力してくれるだろうに。
そうだ。この日の展覧会は、「アウトサイダーアート展」と銘打っていた。でも、むしろ「アウトロー展」だろうと思ったが、主催は救援連絡センターだ。だから、事務局長の山中幸男さんが司会をした。去年だったか、平沢貞通さんの展覧会もここでやり、その時は、針生一郎さんと私が対談をした。その針生さんも亡くなった。
こうした「獄中画」も、もっともっと知られていい。美術雑誌に出すとか、あるいはNHKの「日曜美術館」で取り上げてもらうとか。姜尚中さんも見て欲しい。「ギャラリーTEN」だけでなく、ロフトなどいろんな所で展示し、トークしたらいい。そして植垣さんなどが、『獄中画の歴史』について本を書いたらいいのに。獄中者の「更正」という面では、大いに効果がある。その中から新しい才能も生まれる。
環境としても、こけだけ〈集中〉して、取り組める場はない。野村秋介さんの俳句も、獄中で生まれた。見沢知廉氏の小説も獄中で生まれた。外部からの雑音もない。携帯やパソコンもない。自分1人になって集中して、自己表現できる世界だ。そこで生まれた獄中画は、もっともっと知られていいし、評価されていい。そんなことを感じた。
③9月11日(土)「牧田吉明君を偲ぶ会」で。挨拶する牧田吉明氏のお兄さんの祐治さん。9人兄弟の一番上で、吉明氏は一番下。「あんなことをしでかしたのに、でも、誰からも愛された弟でした。かわいい奴でした」。
④牧田氏は、新左翼過激派、アナーキスト、爆弾魔…と言われたが、実は右翼・民族派の友人も多かった。メンタリティは右翼的だったと思う。息子の龍氏を囲んで。犬塚氏、蜷川氏、山浦氏、木村氏、藤本氏などがおります。