2010/09/20 鈴木邦男

アウトローな人々と獄中画

①ダーティな小沢は敗れたが…

野村秋介さん、牧田吉明さんを囲んで
野村秋介さん、牧田吉明さんを囲んで
 

果たして「圧勝」なのか。違うだろう。9月14日の民主党臨時党大会で菅直人氏が勝って代表再選を決めた。菅直人氏、721票。小沢一郎氏、491票。この数字だけを見ると菅氏の「圧勝」だ。しかし、地方議員票は60対40だ。そして、一般党員・サポーター票が249対51だ。つまり、マスコミに煽られ、「政治と金」の問題をこのままにしていいのか。「旧い体質を脱しろ」というサポーターの声や焦りで菅氏は勝ったのだ。

 

でも、本来は国会議員だけで選ぶべきものだろう。サポーター、党員は誰でもなれる。(外国人でもなれる)。いつでもなれる。別に国民に「選ばれて」もいない。これは〈資格〉でもない。よく分からない存在だ。だからそのサポーター、党員は国会議員を選ぶ。国会議員がだから民主党の「顔」であり、その「資格」を持った人達だ。日々、政治をやってるのだし、サポーターとは根本的に違う。サッカーだってそうだろう。サポーターの存在はありがたいし、欠かせないが、実際に試合をするのは選手だ。点を入れるのも選手だ。サポーターが何万人いようとも、1点も入れられない。

牧田龍氏(中央)、左は山平重樹氏(9/11)
牧田龍氏(中央)、左は山平重樹氏(9/11)
 

サッカーと同じに見るのは乱暴かもしれないが、政治を実際にやるのは国会議員だ。頼りない連中が多いが、彼らが予算、法案を審議し、通す。だから、民主党の代表もまず国会議員で決めるのが筋だ。それで過半数を得られなかったら、決選投票をやるか。あるいは、ここで初めて地方議員、党員、サポーターを入れて二次投票をやってもいい。

 

ともかく、それだけ国会議員票は「重い」ということだ。さて、その国会議員票はというと、互角なのだ。菅氏は412票(206人)。小沢氏は400票(200人)だ。国会議員は1人2票だから、人数にしたら、「たった6人」の差だ。菅氏は「辛勝」だ。いや、「勝った」と言えないかもしれない。

 

これだけメディアに叩かれても、「剛腕・小沢ならこの難局を打ち破ってくれる」と信じている議員が民主党の半分もいるのだ。菅内閣がこのまま迷走したら、再び「小沢待望論」が出てくるだろう。

 

田中角栄を再評価する本も書店には並んでいる。たとえ、ダーティでも、力があり、本当に政治力、外交力のある人間でなければ、日本を引っ張って行けない。アメリカ、ロシア、中国、韓国といった国々の、したたかな政治家と太刀打ちできる人間が必要だろう。

牧田吉明氏のお兄さん
牧田吉明氏のお兄さん
 

でも、メディアに煽られて、「ダーティな小沢」よりは「クリーン(と思われる)菅」を選ぶだろう。という話をした。9月14日(火)の文化放送で。お昼の番組に出た時だ。

 

帰りはタクシー券をもらったので、久しぶりにタクシーに乗った。浜松町の文化放送から芝を抜けて行く。やけに警官が多い。装甲車が何台も停まっている。右翼の街宣車もいる。「何だ、これは!」と思った。まるで戒厳令だ。「一体、何ですか?」と運ちゃんに聞いたら、「民主党の党大会ですよ」。そうか、このホテルでやってるのか。つい今まで、その話を文化放送でしていたのに、忘れていた。

②「ピース缶爆弾」の牧田氏が死んだ!

民族派の友人も多かった
民族派の友人も多かった
 

では次に、「牧田吉明君を偲ぶ会」と、「獄中画」の話だ。牧田吉明氏が5月に亡くなった直後のことだった。ロフトで1人の若者に話しかけられた。背も高いし、爽やかな男だ。「父がお世話になりまして」と言う。キョトンとしていたら、「牧田吉明の息子です」と言う。「エッ、あの爆弾魔の?」と言って、シマッタと思った。「ごめん、ごめん。お父さんのことを爆弾魔なんて言って」と謝った。「いいんです。その通りですから」と息子。牧田龍君34才だった。やっぱり、「龍馬になれ!」と思って、吉明氏は名付けたのだろう。

 

吉明氏は急死だった。「追悼の集まりをやらなくちゃね」と私は言った。そう思ってる人も多かったようで、9月11日(土)、夕方4時半から、「牧田吉明君を偲ぶ会」が行われた。会場は超満員だった。狭いし、暑いし。それだけ多くの人々に慕われていたのだ。

 

牧田氏の高校(成蹊高校)の恩師も来てくれて挨拶。牧田氏は、山岳部に入っていたそうだ。やはり、左翼は「山好き」だ。山の中で訓練したり、総括したりする。大菩薩峠、連合赤軍。その昔の山村工作隊と。それに比べ、右翼は海だ。海辺の砂浜で相撲大会をやる。あるいは、藁人形を立てて、竹槍で刺殺訓練をする。

今年の1月、牧田吉明氏と
今年の1月、牧田吉明氏と
 

「偲ぶ会」では、左翼の人は勿論、右翼の人も多かった。野村秋介氏とも意気投合していたし、「極左」とか「アナーキスト」というよりは、メンタリティは「右翼」的だったと思う。学生運動をやり、爆弾を作っては、赤軍派などの実行部隊に提供していた。別に、金をもらって武器を渡していたのではない。「死の商人」グラハーとは違う。無償で、提供していたのだ。そして、時効になってからは、「実は、あのピース缶爆弾は私が作りました」と正直に告白している。偉い。

 

その直後に、結婚(2度目)した。今、34才の龍君は初めの奥さんの子供だ。2度目の結婚は28年前だ。私も出て、祝辞を述べた。「牧田氏は2度目、奥さんは3度目。合計して5度目の旧郎・旧婦です」と言ったら、「足し算なんかするな。そんなのはプチブル的発想だ!」と牧田氏に叱られた。でも、元「楯の会」の阿部勉氏はもっとひどい。「お祝いに歌います」と言って、「惜別の歌」をうたっていた。そのあと、皆で「ワルシャワ労働歌」をうたった。

 

牧田氏は息子(龍君)がいたし、奥さんも連れ子がいた。さらに、2人の間に、もう2人、子供が生まれた。だから、牧田氏は4人の父親になった(実子は3人)。ただ、阿部勉氏の「惜別の歌」の呪いなのか、2度目の結婚も破綻。その後、全国を流浪。最後は岐阜に住んでいた。最後にお世話をした人も来て、挨拶していた。

③セーフを目指して、セーフになる!

「アウトサイダーアート展」
「アウトサイダーアート展」
 

私は牧田氏とは30年以上前からの付き合いだ。最後に会ったのはいつだろう。今年1月14日(木)、一水会フォーラムで深見東州先生が講演をしてくれた。その時、聞きに来てくれた。長野の旅館で「お庭番」をやってる、と言っていた。深見先生は、大本教に詳しい。牧田氏は、元過激派、アナーキストなのに、何故か、宗教に関心を持ち、大本教に入信していた。酒を飲むと、よく喋り、そして泣いていた。という。でも、フォーラムの二次会では、明るく、楽しく飲んでいた。「大本教の話や、爆弾闘争の話をじっくり聞かせて下さいよ」と頼んだ。

そして、2月17日(水)の一水会フォーラムにも来てくれた。木村代表に聞いたから正確だ。鈴木宗男さんを講師に呼んだ時だ。この時も、楽しく酒を飲んでいた。そして、3ヶ月後に亡くなった。63才だった。今、手元に「毎日新聞」(6月3日付朝刊)がある。そこにこう書かれていた。

〈ピース缶爆弾事件:製造を証言、牧田吉明氏死亡。
 元活動家の牧田吉明氏(63)が1日、岐阜市内の自宅アパートで死亡しているのが見つかっていたのが分かった。牧田氏は、警視庁機動隊官舎にたばこ缶を使った爆発物が投げ込まれるなど69年に連続して起きた「ピース缶爆弾事件」に絡み、爆弾製造の公訴時効成立後の82年に「爆弾は自分たちが製造した」と名乗り出ていた。岐阜県警によると牧田氏は1人暮らしで、病死とみられる。牧田氏は故牧田与一郎元三菱重工社長の四男〉
植垣康博さんの絵
植垣康博さんの絵
 

名門なんです。お父さんは三菱重工の社長だ。「三菱重工の天皇」と言われていた。じゃ、吉明氏は「皇太子」だ。でも、企業社会には入らず、アウトロー、学生運動をやり、爆弾を作り…。

 

今年、1月と2月に会った時、「今度、じっくり話を聞かせて下さい」と言った。「いいですよ。大本教の話でもいいし、爆弾の話でも、運動の話でもいいです」と言っていた。

 

〈運動論〉では、前に野球に例えてこんなことを言っていた。「左翼はセーフを目指して、セーフになる」。たまには、アウトになることもあるが、あくまでも、セーフを目指す。ところが右翼は、初めから、「アウトを覚悟で、アウトになる」と。そう言われればそうだ。名乗りを上げ、声明文を出して、逮捕覚悟で突っ込む。これじゃダメだ。活動家が皆、いなくなる。左翼を見習って、「セーフ」を目指すべきだと。

 

牧田氏は爆弾を作っても、全て「セーフ」になっている。そして、時効になってたら、「実は、私が作った」と告白している。したたかだ。右翼は、余りに正直で真面目過ぎるのだという。その点、「赤報隊は立派だ」と言う。全て、セーフになっている。「もう時効になったんだから、僕のように、鈴木さんも記者会見をして発表すべきですよ」と言う。ギクッとした。

④2日連続で〈獄中画〉を見た

永田洋子さんの絵
永田洋子さんの絵
 

では、続いて、「獄中画」の話だ。何と、2日間も続けて、獄中画を見たのだ。

 

9月11日(土)午前10時半、町田市文化交流センターの6階ギャラリーに行った。

 

「獄中者作品。絵画・短歌・詩の展示・即売会」だ。死刑囚、無期の人、有期刑の人、30人ほどの獄中者の絵画、短歌、詩などが展示されている。

 

実は、昨年、「獄中者の絵画」展を初めて見た。今までそんな機会はなかったのだ。死刑廃止の会が開催した集会だった。そう思って見るせいか、暗い作品が多いような気がした。でも、中には、ミッキーマウスやアニメの主人公を描いたものもあった。

 

「昔は、死刑囚は仏像を描いたり、写経したり…。それしかなかった。最近は、いろんな芸術活動が出来るのです」と安田弁護士は言う。

 

今年は、9月11日(土)の他、次の日、12日(日)は、谷中の「ギャラリーTEN」に獄中画を見に行く。こちらの方は9月10日(金)から19日(日)までだ。「アウトサイダーアート展」と銘打っている。12日(日)は午後5時からオープニングパーティ。その前3時から、「獄中画の世界」と題する特別対談がある。宇賀神寿一さん(連続企業爆破事件の元被告)と植垣康博さん(元連合赤軍兵士)だ。2人とも20年以上、獄中に過ごし、獄中画を描いている。それに急遽、足立正生さん(映画監督・日本赤軍)も加わる。足立さんはレバノンで捕まり、そこの刑務所で絵を描いた。映画監督だから、絵のコンテはよく描いてたという。そうなのか。

「獄中画の世界」を語る(9/12)
「獄中画の世界」を語る(9/12)
 

私は対談を聞きに行っただけなのに、「じゃ、鈴木さんも入って下さいよ」と言われて、4人でトーク。植垣さんのボールペン画はうまい。永田洋子さんも植垣さんに習って描いている。かわいい絵が展示されている。重信房子さんの絵もあり、荒井まり子さんの絵もある。死刑を執行された長谷川敏彦さんの絵もある。植垣さんの絵に似ている。影響を受けて描き始めたようだ。

 

「愛犬家殺人事件」の死刑囚・風間博子さんの絵もある。うまい。プロ級だ。元々、「絵を描いてたんでしょう」と植垣さんは言う。「この人は冤罪ですよ」と司会の山中幸男さんは言う。

 

帝銀事件の平沢貞通さんの絵もある。この人は、元々画家なのだから別格だ。「獄中画」には、風景や、鳥などの題材が多い。その中で、植垣さんの絵だけが異色だ。乳をあらわにした女性の絵だ。「これは奥さんですか」と会場から質問があった。「いえ、結婚する前に描きました。あくまでも想像です」。ところが宇賀神さんは、「これは美保純ですよ」と言う。ヘエ、ファンなのか。「間違いありません。僕も美保純が好きだから」と…。あまり説得力のない話だが。

⑤植垣さんの「危な絵」展もぜひやってほしい

オープニングパーティで
オープニングパーティで
 

「実は、植垣さんは、もっときわどい絵も描いていた。獄中で囚人に頼まれて、「ズリネタ」を描いてたという。どういうものか知らんが、エッチな絵だ。「危な絵」だ。見つかったら、懲罰だ。でも、一度も見つからなかったという。使い終わった後は、食べたのだろう。証拠隠滅だ。

 

昔は、獄中で絵を描くことは許可されなかった。「囚人のくせに」と思われていた。それを植垣さん達は条件闘争をやり、少しずつ勝ち取っていった。「気持ちを鎮めたり、精神鍛錬にもなる。もっと認めてもいい」と3人の元被告は言う。習字、俳句、短歌、写経などは推奨されるが、絵は贅沢だと思われる。それに、指導してくれる人もいない。じゃ、外部から派遣してもらったらいい。たとえば「一水会」という絵の団体がある。あそこなら、協力してくれるだろうに。

 

そうだ。この日の展覧会は、「アウトサイダーアート展」と銘打っていた。でも、むしろ「アウトロー展」だろうと思ったが、主催は救援連絡センターだ。だから、事務局長の山中幸男さんが司会をした。去年だったか、平沢貞通さんの展覧会もここでやり、その時は、針生一郎さんと私が対談をした。その針生さんも亡くなった。

同じく、パーティで
同じく、パーティで
 

こうした「獄中画」も、もっともっと知られていい。美術雑誌に出すとか、あるいはNHKの「日曜美術館」で取り上げてもらうとか。姜尚中さんも見て欲しい。「ギャラリーTEN」だけでなく、ロフトなどいろんな所で展示し、トークしたらいい。そして植垣さんなどが、『獄中画の歴史』について本を書いたらいいのに。獄中者の「更正」という面では、大いに効果がある。その中から新しい才能も生まれる。

 

環境としても、こけだけ〈集中〉して、取り組める場はない。野村秋介さんの俳句も、獄中で生まれた。見沢知廉氏の小説も獄中で生まれた。外部からの雑音もない。携帯やパソコンもない。自分1人になって集中して、自己表現できる世界だ。そこで生まれた獄中画は、もっともっと知られていいし、評価されていい。そんなことを感じた。

【だいありー】
自分の絵の前で、宇賀神寿一さん
自分の絵の前で、宇賀神寿一さん
  1. 9月13日(月)国立劇場(小劇場)で午前11時から文楽を見る。「良弁杉由来」と、三島由紀夫作の「鰯売恋曳網」をやっていた。面白かった。文楽も久しぶりだ。満員で、補助椅子だけが空いていた。
  2. 9月14日(火)午前11時、文化放送へ行く。「寺島尚正のラジオパンチ」に出る。ライターの山田美保子さんと一緒。民主党の選挙、玉置浩二、押尾被告の話など、多岐にわたる。
     終わって家に帰って仕事。夜、柔道。9日から11日まで講道館は休みだった。世界柔道大会のためだ。テレビで世界柔道をずっと見て、自分なりに悟るところがあった。そして、先生に聞いて、納得した。そして闘った。
     今まで全く勝てなかった5段の先輩からも3本ほど取った。「急に強くなったね」と言われた。「世界柔道を見て勉強しましたから」と言った。
  3. 9月15日(水)昼、取材。夜7時から一水会フォーラム。富岡幸一郎さん(文芸評論家)の「私の文化防衛論」。とても勉強になりました。骨法道場の堀辺正史先生も聞きにいらしていた。
     終わって、二次会で、お2人にいろいろ話を聞きました。大阪から来た紀ノ崎剛氏が、「笠原氏の店に行ってるから」と言うので、11時過ぎから合流する。昔、運動を一緒にやっていた笠原正敏氏が南長崎で、お店をやっている。木村代表らと駆け付ける。本当に久しぶりだ。30年以上前、野村さんと初めて会った時の話や、米沢や仙台でやった「新しい日本をつくる青年集会」の話などで盛り上がった。
植垣さん、宇賀神さん、荒木浩さん、鈴木邦男
植垣さん、宇賀神さん、荒木浩さん、鈴木邦男
  1. 9月16日(木)前夜、遅くまで飲んだので眠い。昼、打ち合わせ。3時から河合塾コスモ。現代文要約。「文化放送を聞いた」という人もいた。5時から「基礎教養ゼミ」。今週は牧野剛先生の選んだ本を読む。松本剛『略奪した文化=戦争と図書=』(岩波書店)を読んで話し合う。
     6時半で中座して、ホテルオークラに行く。村上正邦さんを囲んでの一席だ。他にも政治家、新聞社幹部、雑誌社幹部など錚々たる人々がいた。でも、公表しちゃマズイだろう。だから書かない。オフレコだろうと思い、写真も撮らなかった。でも面白い会だったし、日本の政治の中枢の話を聞けた。
     この日の朝、朝刊を見て驚いた。田代まさしさんが又、捕まった。4度目だ。今度はコカインだった。ロフトでも何回も会ってたし、今度こそ順調に行ってると思ったのに。残念だ。
  2. 9月17日(金)、朝まで原稿を書いていた。午後2時、デニーズで山平重樹氏(ライター)に取材を受ける。今度は、「見沢知廉物語」を雑誌に連載するそうだ。それで、見沢氏の話を喋る。山平氏は連合赤軍のことを取材し、連載してるし。今度は見沢氏か。頑張っている。たいしたものだ。私もやりたいテーマだったのに、ちょっと悔しい。
     夜、雑誌の対談。
  3. 9月18日(土)昼から靖国神社に行く。参拝して、その後、1時から靖国会館偕行の間。「第1回里見日本文化学研究所学術研究大会」に参加して、聞く。「甦る里見国体学の現代的可能性」が統一テーマ。4時まで。とても勉強になりました。そのあと懇親会に参加した。
  4. 9月19日(日)早朝の新幹線で新神戸に。10時半に着いて、原和美さん、岩井正和さん、吉本さんらと会う。2時から西宮で私のゼミだが、原さんは、それに出られないので、その前に会いたいというので。一緒に昼食をしながら、先の参院選の話をなどを聞く。
     午後2時から、西宮の喫茶店「カフェ インティ・ライミ」で私のトーク。鹿砦社主催。下中忠輝さん一周忌記念。「鈴木ゼミin西宮」。最近の私の動向、運動、考えを中心に話し、そのあと飛松五男さんと対談した。楽しかった。その後懇親会に出て、最終の新幹線で帰京した。会場は超満員だった。全く初めての人も多い。半分位だ。HPを見て来たという。ありがたいです。オフ会のようでした。
【写真説明】
野村秋介さん、牧田吉明さんを囲んで

①20年ほど前の写真でしょうね。野村秋介さんと牧田吉明さん(中央)はとても仲が良かったです。(左から)鈴木、田中いずみさん、野村秋介さん、牧田吉明さん、木村三浩さん、高田君。

牧田龍氏(中央)、左は山平重樹氏(9/11)

②牧田吉明氏の長男・龍氏(中央)。左はライターの山平重樹氏。

牧田吉明氏のお兄さん

③9月11日(土)「牧田吉明君を偲ぶ会」で。挨拶する牧田吉明氏のお兄さんの祐治さん。9人兄弟の一番上で、吉明氏は一番下。「あんなことをしでかしたのに、でも、誰からも愛された弟でした。かわいい奴でした」。

民族派の友人も多かった

④牧田氏は、新左翼過激派、アナーキスト、爆弾魔…と言われたが、実は右翼・民族派の友人も多かった。メンタリティは右翼的だったと思う。息子の龍氏を囲んで。犬塚氏、蜷川氏、山浦氏、木村氏、藤本氏などがおります。

今年の1月、牧田吉明氏と

⑤今年の1月14日(木)、一水会フォーラムで。牧田氏はわざわざ長野から来てくれた。これが最後の写真になった。

「アウトサイダーアート展」

⑥「25人のアウトサイダーアート展」。9月10日(金)より19日(日)まで。谷中の「ギャラリーTEN」で。画期的な展覧会だった。

植垣康博さんの絵

⑦獄中画の中でも、この1枚だけは異彩を放っていた。植垣康博さん(元連合赤軍)の美人画。

永田洋子さんの絵

⑧永田洋子さん(連合赤軍。死刑囚)のボールペン画。植垣さんの指導を受けて上達した。

「獄中画の世界」を語る(9/12)

⑨9月12日(日)3時から、「獄中画の世界」を語る。左から鈴木、植垣康博氏、足立正生氏、宇賀神寿一氏。

オープニングパーティで

⑩トークが終わった後の、オープニングパーティで。植垣さんがボールペン画の描き方を説明していた。
 その右には、「アーレフ」広報部長の荒木浩さんがいる。

同じく、パーティで

⑪同じく、オープニングパーティで。左に荒木浩さん。足立正生さんと、奥さん、子供。山中幸男さん。右端は「人権110番」の千代丸健二さん。

自分の絵の前で、宇賀神寿一さん

⑫自分の絵の前で説明する宇賀神寿一さん。ピカソのような絵です。なかなかいい。昔から絵は好きだったという。ぜひ個展を開いたらいい。画集も出したらいい。

植垣さん、宇賀神さん、荒木浩さん、鈴木邦男

⑬日本最凶のアウトローでしょう。連合赤軍の植垣康博さん。連続企業爆破〈さそり〉の宇賀神寿一さん。元オウム(現「アーレフ」)の荒木浩さん。元赤報隊容疑者の鈴木。

【お知らせ】
  1. 9月26日(日)午後7時、ネーキッドロフト。映画「キャタピラー」が大ヒット上映中です。若松孝二監督を迎えて、〈戦争〉〈平和〉〈映画〉について語ります。平野悠さん(ロフト席亭)、園子温さん(映画監督)、そして私です。
  2. 私の新しい本、『遺魂(ゆいこん)=三島由紀夫と野村秋介の軌跡』(無双舎)は9月15日発売とamazonに出てましたが、編集作業が手間取っていて、9月29日(水)、店頭に並ぶそうです。よろしくお願いします。「月刊タイムス」に4年間連載した65 回分のうち、3分の1をまとめて、訂正、加筆したものです。かなり苦労しました。いい本になりそうです。
  3. 10月4日(月)午後7時より、一水会フォーラム。サンルートホテル高田馬場です。講師は、中国人の評論家で、メディアでも大活躍中の石平さん(拓大客員教授)です。
  4. 10月30日(土)奈良前衛映画祭で、「ベオグラード1999」が午後6時から上映され、その後、金子遊監督と私のトークがあります。
  5. 11月6日(土)新潟県新発田市の生涯学習センターで午後6時半より、「三島由紀夫と蕗谷虹児=うたと講演のつどい」が行われます。斎藤徹夫さんが企画しました。蕗谷は新発田市出身の偉大な叙情画家で「花嫁人形」の作詞家でもあります。
     第1部は、ソプラノ歌手の柳本幸子さんによる「三島由紀夫と蕗谷虹児の世界を歌う」。
     第2部は私の講演で「三島由紀夫と蕗谷虹児=一枚の挿し絵にこめた想いとは」です。
  6. 11月7日(日)午後1時より、新潟市駅前のジュンク堂で私のトークがあります。終わって、サイン会をやります。
  7. 11月13日(土)、14日(日)劇団再生の公演です。APOCシアター(小田急線千歳船橋駅)で。『交響劇第二番 嬰イ短調』です。お芝居の前に、代表の高木尋士さんと私のプレトーク「劇場論」があります。