今年は節目の年だ。山口二矢の浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件から50年。そして、三島事件から40年だ。それにちなんだ催しもある。いろんな本も出てるし、雑誌も特集企画をしている。私の『遺魂(ゆいこん)=三島由紀夫と野村秋介の軌跡』(無双舎)もそうだ。
9月30日、中川右介さんの本も発売された。『昭和45年11月25日=三島由紀夫自決。日本が受けた衝撃』(幻冬舎新書)だ。よく調べているし、衝撃的な本だ。「三島由紀夫没後40年」と帯には書かれている。又、「あの瞬間、日本と日本人の何かが変わった」と書かれている。
文壇、演劇、映画界、政界、マスコミの百数十人の事件当日の記録を丹念に拾い、時系列で再構築した。大変な苦労だ。
でも、40年前の「あの日」のことは皆、克明に覚えているんだ。昨日のことは忘れていても…。「あの日」だけは違う。送ってもらって一気に読んだ。
そして、若松孝二監督だ。9月26日(日)、ネーキッドロフトで、〈若松孝二の世界。最新作「キャタピラー」までを語る〉で、語ってくれました。実に、衝撃的な事を。映画「キャタピラー」の話もそうですが、次回作の話です。「山口二矢から三島由紀夫まで」の10年間の日本を撮る。と言ってました。「これを撮ったら左翼からは総スカンかもしれないが、俺はやる!」と断言してました。頼もしい限りです。
「キャタピラー」評で私も書きましたが、この映画は、決して「反戦映画」ではない。そんな小さな枠に収まるような映画ではない。若松監督を「左翼」と思ってる人がいるが、違う。メンタリティはむしろ「右翼」かもしれない。いや、右翼も左翼も超えている。そして、〈戦争〉そのものを見つめて、この映画を作った。
前々から、「17才」の3部作を作りたいと言っていた。17才は一番多感な時代だ。世の中の矛盾も、変化も一身に背負う。母親を殺して自転車で北に向かう17才の少年の話を「17才の風景」で描いた。
又、「実録・連合赤軍事件」では、参加した加藤三兄弟の一番下(17才)の目から、この事件を見る。そしてラストで叫ぶ。「俺たちに勇気がなかったのだ!」。
そして、「17才」シリーズの完結が「山口二矢」だ。初めは山口二矢だけで映画を作ろうとした。その後、構想が膨らみ、三島由紀夫や永山則夫も入るようだ。「もう初めのシーンは決まっている」と、ロフトでは話していた。
若松さんは日本赤軍の映画を作り、連合赤軍の映画を作っている。だから、「新左翼」だと思ってる人もいるが、それだけの人ではない。だって、映画『明治天皇と日露大戦争』の助監督もやってるんだ。明治天皇役の嵐寛寿郎は、休憩時間も〈天皇〉そのままだったという。貴重な話を聞かせてもらった。
この話を聞いたのが02年だから、もう8年前だ。若松さんは私を相手に「天皇論」を切々と語ってくれた。「天皇陛下には、小泉を叱ってほしい」と熱い希望まで語っていた。これは実に貴重な対談になった。
だから、ロフトの時は、対談の載った雑誌を持って行って皆に見せた。「えっ、こんな対談をしてたんですか」と皆、驚いていた。何と、30ページもある。確か、白山にある「五右衛門」という豆腐料理店で対談したんだ。
『まとりた』という雑誌の02年三月号で対談したのだ。この時が〈Vol.13〉となっている。
毎月、私の連載対談があった。「鈴木邦男の哀国者の憂鬱」だ。面白いタイトルだ。雑誌〈Vol.13〉の特集は「天皇新論」だ。他に島田雅彦、福島瑞穂、高森明勅、ピーター・バラカン…などが書いている。凄い。
若松監督と私の対談は、「天皇像をめぐって」。サブタイトルに「激論、極論、待望論」とある。若松監督は、リアルタイムの天皇体験を語る。又、2.26事件や三島事件や日本赤軍などの話も。かなり濃密な対談になった。『明治天皇と日露大戦争』の撮影の時のエピソードも面白かった。天皇役の嵐寛寿郎を1日待たせたのに結局ワンカットも出来なかったこともあった。
若松さんを含め、助監督5人全員で、嵐さんの部屋にお詫びに行った。そしたら嵐さん、「助監督さんの心中を察します」。なり切っているんですね。明治天皇に。そんな貴重な話を沢山、聞かせてもらった。
今見ても、凄い本だったな。この『まとりた』は、次のVol.14なんて、特集が「『非国』民論」ですよ。挑発的で、刺激的だ。
巻頭の対談は、竹田青嗣さんと私です。テーマは、「思想を死なせないために」。「右翼と左翼、在日問題、天皇制、資本主義の可能性をめぐって」。他に、大林宣彦、中村敦夫、コリーヌ・ブレ、鎌田慧が書いている。共産党の穀田恵二さんも書いている。
驚いた。こんな濃い対談を毎回、やっていたのか。編集者の松本麻子さんが優秀だったのだ。若松さん、竹田さんと対談し、その後は、誰と対談したのだろう。どうも、本の整理が出来てなくて、探せない。それ以前のは、5冊だけ出て来た。若松監督との対談以前は、対談ではなく、私が巻頭論文を書いていた。錚々たる人々がいるのに、私ごときが巻頭では申し訳ないと思う。
今まで、加藤典洋、枝野幸男、川田悦子、渡辺喜美、岡田克也…と、いろんな人が書いている。今はこの雑誌は休刊中だ。惜しい。今、手元にある5冊の特集を見ただけでも、その衝撃度は伝わるだろう。
〈Vol.7〉 〈口に出すのも恥ずかしい。「愛国心のサジ加減」〉
〈Vol.8〉 〈金権・厚顔・老害…。日本の恥問題〉
〈Vol.9〉 〈絶滅寸前?!「日本の“左翼族”」〉
〈Vol.10〉 〈誰も書けなかった素顔。「韓国を侮るな」〉
〈Vol.12〉 〈死ねる人、死なない人〉
うーん、センスがいいですね。この『まとりた』は題字の下に、〈日本の矛盾に迫る!〉と書かれている。その心意気が嬉しい。
それにしても、勿体ない。私が必死で勉強し、原稿を書き、対談したのだ。出来たら本にしたいな。椎野礼仁さんに頼んでみようかな。一度、全体を見て下さいよ。助手の高橋さん、取り寄せて椎野さんに見せて下さい。
話が、『まとりた』から、まとまらずに飛んじゃったが、若松監督の話だ。ロフトのトークの時は、もう1冊、私は紹介した。若松監督を知る上で、いい本だと思ったからだ。
【写真説明】でも紹介してるが、小嵐九八郎さんが日本赤軍ゆかりの5人に聞いてまとめた本だ。5人とは、若松さんの他、重信房子さん、和光晴生さん、足立正生さん、塩見孝也さんだ。『日本赤軍!世界を疾走した群像』(図書新聞・2500円)だ。
若松監督は、「表現者には時代の権力を監視する役割がある」というタイトルだ。なぜ映画監督になったのか。何を撮りたかったのか。これから何を撮るのかが赤裸々に語られている。
若松監督は私と同じ、宮城県出身だ。日本赤軍の和光晴生さんも宮城県出身だ。若松監督の映画を見て、和光さんは手伝いたいと入り、そのうちにアラブに行って、日本赤軍に入った。和光さんのプロフィールを見たら、
〈若松監督の下で演出助手として働く。
72年、若松監督作品『天使の恍惚』で撮影助手を務め、ゲリラ戦士役で出演〉
そして、73年。アラブへ出国。本当のゲリラ兵士になったのだ。
では、若松さんの話だ。1936年、宮城県湧谷(わくや)町生まれ。極貧の中で育つ。中学校の時、初めて見た映画が黒沢明の『姿三四郎』だった。「影響されやすいから、すぐに柔道部に入った。初段を取ったという。中学で初段じゃ強いよ。私なんて、51才で初段だよ。
高校に行ったが、喧嘩ばかりで退学になる。それで上京。家出したのが17才だったという。だから、17才にこだわるんだ。
あの山口二矢も17才だったし…。
上京してからは菓子職人や新聞記者などをやり、ニコヨン(日雇い労働者)から、ヤクザになる。そして、何度か捕まる。
その後、映画の群衆整理をやり、そこで認められて助監督。そして監督になる。昔、捕まった時、警官に苛めまくられた。
それで、「映画で警察官を殺しまくろう」と思った。国家権力への復讐だ。そして足立正生などの脚本の影響もあり、「濃密性愛」映画から、続々と、「社会派」「反体制的」な映画を撮るようになる。
〈俺は「お巡りを殺すシーンがあれば、あとは何でもいいから」というわけです。
そのへんと、あとは小さい時の、メシを食えなかった思い出。何で百姓はこんなに国に持っていかれなければならないんだというのが、どこか皮膚で覚えていたんじゃないですかね〉
そうなのか。それから、子供時代を回顧して、「かわった子供」だったという。多分、それが後に大監督になる萌芽になってるんだろう。こんなことを言う。
〈小さな時は、想像をするのが好きでした。
「あの家の子は頭がおかしいんじゃないか」とよくいわれたらしいですよ。夕方になると川原で、魚に話しかけていたらしいです。風景と話していたりしたらしい。風景が喋っているように聞こえたんでしょうね。やっばり少し頭がおかしいんでしょう(笑)〉
いやいや、心がきれいなんです。想像力があるし、普通の人が見えないものが見えるんです。若松さんも、和光さんも、宮城県出身の子供たちは皆、そうなんです。私だって、枝豆やキノコに話しかけてました。「ところで、魚に話しかけたら、魚は何と答えたんですか」と聞きましたよ、私は。小嵐さんの後を継いで。ロフトのトークの時に。
「さあ、魚は何と答えたかな。忘れたよ。でも、夕陽や波は、ちゃんと答えてくれた。それは覚えている」と言う。
夕陽さん、夕陽さん。どうして沈んでしまうのと、若松少年が聞くと、「大丈夫だよ。孝二君。明日、又、会えるんだから」と答えたそうだ。又、海の波は、どうして、ザブンザブンと寄せるのか。どこから来るのか。そんなことも波さんに聞いたんだそうな。
いいですね。夢見る少年ですね。若松さんは今、74才だ。まだまだ撮りたい映画はあるというし、いつまでも夢見る少年ですよ。
この日のトークを終わってからは、残って、打ち上げをやりました。ロフト席亭の平野悠さんは、「明日も凄いよ。河野太郎のライブだけど…」と耳打ちしてくれる。
民主党の細野豪志さんと、長島昭久さんが来るが、「この2人を自民党にオルグする」と河野太郎さんは言っている。その歴史的な〈瞬間〉が見れるよ。と言う。
じゃ、と私は、次の日もネーキッドロフトに行きましたよ。細野さん、長島さんにも久しぶりに会えるし。細野さんはやけに忙しそうだった。来たのも、かなり遅れてきた。そして、1時間ほどで、そそくさと帰ってしまった。
本当はロフトに来る余裕はなかったんだよね。あとで考えると。だって、次の日、中国に飛んでいる。細野さんが中国を訪れたら、捕まっていたフジタの社員3人が釈放された。「私は菅首相の親書を持って行ったわけではない」と言ってるが、これは細野さんの力だ。おそらく、小沢さんの力だ。中国には100人以上の議員を連れて中国に行っているし、今、中国に一番強いのは小沢さんだろう。そのコネクションだろう。
やっぱ、こういうチャンネルがないとダメだよ。その点、小沢、細野氏もたいしたものだ。マスコミや保守派は、「弱腰だ!」「土下座外交だ!」と言うばかり。そして、「中国漁船など、撃沈しろ!」と言うばかり。馬鹿な。戦争になるよ。そけだけの覚悟はないだろう。
無責任に煽るのは犯罪的だよ。ロシアにしろ、北朝鮮にしろ、チャンネルを持つことだ。話し合いの出来る政治家がいないのが一番の不幸だ。鈴木宗男さんだって、あれほどロシアに強い人はいない。ロシア全権大使にしたらいいんだ。牢屋に入れておくなん「日本の損失」だよ。だったら、ロシアに送って、ロシアで、日本のために働いてもらえばいい。
北朝鮮で捕まった人がいると、アメリカはクリントン元大統領が行って連れ戻してきた。裏では、いろんな事があったのだろう。しかし、連れ戻すんだから凄い。
少し前中国で、麻薬で捕まった日本人が死刑にされた。日本は、何度も抗議したが、ダメだった。アメリカだったら、元大統領が飛んでいって、きっと連れ戻したよ。
日本はただ、口で言ってるだけだ。元首相だって一杯いるし、中国にチャンネルのある人もいる。超党派で協力したらいい。それがない。
周りの国々はしたたかな政治家ばかりなのに、日本の首相はコロコロ替わる。外相も替わる。「政治家」はいない。それでいて、マスコミや保守派の人々は「脅しに屈するな!」とただ叫ぶだけだ。じゃ、お前が中国に行って闘えよ。と言いたい。
中国のやり方は卑劣だ。しかし、船長1人を助けるために、政治、経済、外交を総動員して、あらゆることをやった。その執念は凄まじい。国家の意志を感じる。
又、日中の関係がいい時は、「尖閣は今は解決できなくても次の世代は賢くなって解決できるようになるでしょう」と言っていた。「いや、それは時間稼ぎだ」と言う人もいる。でも、向こうには「政治」があり、「政治家」がいる。
日本も国際社会に向かって、もっともっと発信し、領土問題の正当性を主張し、理解してもらうべきだ。細野さんも長島さんも、「それが必要だ」と言っていた。
昔、自民党の政治家は「話し合いで解決できないのなら、国際司法裁判所に持ち込んだらいい」と言っていた。その位の気概がほしい。〈理想〉を掲げて、全世界を説得するだけの行動力がほしい。
①9月26日(日)夜7時、ネーキッドロフト。〈若松孝二の世界。最新作「キャタピラー」までを語る〉
大いに盛り上がりました。「ニコ動」の生中継もありました。写真は左から、園子温監督、切通理作氏。鈴木、若松孝二監督。平野悠氏(ロフト席亭)。
(写真では見えませんが、右端に司会の多田遠志さん(ライター)がおります)
②トーク終了後、お酒を飲みました。左が若松監督。私は焼きソバを食べました。食べ終わった皿があります。
右は椎野礼仁さん。川本純基さん、平野悠さんです。(写真に写ってませんが)傍には若松ファンの女の子が沢山おりました。
③これで千円は安いです。ロフトでも完売でした。若松孝二『キャタピラー』(游学社)です。映画館だけでもう3万部以上、売れてるそうです。
『キャタピラー』の台本、若松監督や主演の寺島しのぶさんらのインタビューも載ってます。半藤一利さんの詳しい時代解説もあります。田原総一朗、鳥越俊太郎、おすぎさんなども書いてます。ついでに私も書いてます。素晴らしい本です。
④これもいい本です。若松監督をはじめ、重信房子、和光晴生、足立正生、塩見孝也の5人が語ってます。聞き手は小嵐九八郎さんです。『日本赤軍!世界を疾走した群像』(図書新聞・2500円)です。いい本です。ちょっと値段は高いのですが、それだけの価値はあります。私も、一気に読みました。
⑤これは若松監督の、今まで知られなかった面が出ています。だって、「天皇像をめぐって」です。それもサブタイトルが、「激論、極論、待望論」です。若松さんの「待望論」も語っています。来年映画を撮るという三島由紀夫、山口二矢の原点もそこにあるのかもしれません。『まとりた』(第13号)に載ったものです。2002年の発売です。
⑥渋谷のアップリンクでドキュメンタリー映画「ANPO」が上映されてます。「60年安保」を撮った力作です。政治家、活動家の証言だけでなく、当時、表現された絵画なども紹介され、実に面白い映画になってます。
9月20日(月)、見に行ったら、終わって「ANPO」監督のリンダ・ホーグランドさんと阪本順二監督のトークがあった。その後、2人と話しました。リンダさんの前作「Tokko(特攻)」も凄い映画でした。その時、リンダさんにインタビューして「創」に書きました。阪本監督とは、「闇の子供たち」(梁石日原作)のトークなどで会ってます。
⑦中森明夫さんと9月21日(火)の昼、四谷の天ぷら屋「若水」で対談した。10月7日発売の「創」(11月号)に載ります。9月末に出た中森さんの小説『アナーキー・インザ・JP』(新潮社)について話しました。アナーキスト・大杉栄が100年後の現代日本に甦って大活躍する小説です。
「見沢知廉を意識した場面もあるんですよ」と言ってました。それを聞いた見沢氏が「ぜひ、対談の場に連れて行ってくれ」と言うので連れて行きました。超高感度のカメラですから写っています。エーテル体も写るんです。よく見て下さい。ジーッと。ほら、見えるでしょう。(詳しくは10月7日発売の「創」を読んでみて下さい)
⑪作家の景山民夫さんと。多分、20年ほど前でしょう。とてもお世話になりました。景山さんから、「幸福の科学」の本を沢山もらい、集会にも連れて行ってもらいました。
「信者になれ」と勧誘はしないし、とても明るくて、寛容で、いい人でした。教えられたことが多いです。広報局局長の里村さんとは、その頃からの知り合いで、よく飲み、カラオケに行きました。
⑭小嵐九八郎さんの『日本赤軍!世界を疾走した群像』(図書新聞)の出版記念会が9月24日(金)夜、行われました。神田の「薩摩ししゃも」で。中核派、解放派、赤軍派などの出身者ばっかり。右翼出身は私だけ。
写真は左から。鈴木。早大全共闘議長だった大口昭彦氏(元社青同解放派。今は弁護士)。木下道彦氏(元中核派)。早大で「おい鈴木、メシを食わせてやるよ」と学食に連れて行かれました。「鈴木、中核派に入れ!」と熱心にオルグされました。すみませんでした。入らなくて。タダ飯を食ったようで、気が重いです。『紙の爆弾』で対談しましょうよ、と言った。
その隣は、『日本赤軍!世界を疾走した群像』の著者・小嵐九八郎さんです。やはり元活動家です。
⑮9月23日(木)、地下道から新宿東口に出たら、何と、巨大な綾瀬はるかがいました。群衆を見下し、カメラをかまえて撮っていました。凄いですね。ガリバーのようです。
「ネットで知って、わざわざ見に行ったのとちゃうの?」と編集者に言われました。失礼な。私は、そんなミーハーではなかとよ。ただ、綾瀬はるかのカレンダーは持ってるけど。