これは革命かもしれませんね。民主党の圧勝でした。「いや、全体の得票数ではそんな違いはない」と自民党は弁解してましたが、そこが小選挙区制の怖いところですね。ギリギリで勝っても、その選挙区は民主が独占。ギリギリで負けた自民の票は、厖大なものだが、全て「死票」だ。ムダな話だ。かつての中選挙区制の方がいい。又、比例代表も選挙区で負けた大物を救済する道として使われているだけだ。いっそ、全てを比例代表にしてもいいのに。
完全な比例代表なら、「民意」は一番反映される。でも、小党が乱立する。安定がない。それで「安定」を求め、二大政党制をつくろうと、「小選挙区制」になった。この選択が、そもそもおかしい。今の時代、いくら小党が乱立したって、「暴力革命」や「クーデター」を唱える政党が政権を取るわけじゃない。だから、いいじゃないか、乱立したって。「民意」を人為的に抑えて「安定」を求める方がおかしいのだ。
昔は、小選挙区制は、ずっと「悪」の代名詞だった。政権党が議席を独占するもので、ファシズムに繋がると言われた。アメリカでは、「ゲリマンダー」と呼ばれ、排撃された。鳩山一郎(鳩山由紀夫のおじいさん)が、一度、小選挙区制を導入しようとして、国民、マスコミの猛反対に遭って潰された。「ハトマンダー」といわれた。
しかし、二大政党の「安定」を求める声によって、スンナリと小選挙区制は導入された。ムードの力で。小泉劇場のように自民に大勝利をもたらしたこともある。今回は、民主に風が吹き、300以上の議席をさらった。しかし、民主だって安心していられない。そのうち、飽きられる。期待が大きいだけ、失望も大きくなる。そうすると、逆風が吹く。小選挙区制で、又、どうなるか分からない。しかし、その前に自民党が解党するかもしれない。又、「野党」として必死に攻撃するだろう。でも、民主には頑張ってもらいたい。鳩山代表は、総理になって、そのあと国連総会に出て、反核演説をするという。いいことだ。勇気をもってやってほしい。
オバマは、核廃絶に向けて「核を使用した唯一の国としての責任がある」と言っている。これは、日本も呼応すべきだ。原爆を落とされた唯一の国として、はっきりと言うべきだ。今、すぐには出来なくても、核廃絶への宣言をし、その為の努力をすべきだ。
「いや、日本も核を持つべきだ」と逆コースのことを言う人がいる。それが「国家の自立」であり、北朝鮮の核に対抗する唯一の道だという。確かに日本は核を使用された国として、唯一、「核を持つ権利」があるし、資格がある。それは、日本だけだ。でも、その権利と資格を自ら捨てるのだ。「だから、他の国も捨てろ!」と言える。もし、日本が核を持ったら、「核をなくそう」なんて言えない。
又、日本が持ったら、韓国も台湾も持つだろう。他の国も持つ。それに反対も出来ない。又、日本が核を持ったら、国際的に孤立する。原発もとまる。「それでもやるべきだ」 と言う人がいるが、それでは北朝鮮の道だ。北朝鮮を最も攻撃している人が、「日本も北朝鮮に学べ」と言っているのだ。おかしな話だろう。
世の中、「右旋回」で、タカ派の発言ばかりが目に付くこの頃だが、でも、国民は民主を選択した。これは喜ばしいことだ。小沢、鳩山の献金問題で、自民は叩きまくり、それでも自民は惨敗した。「知ってドッキリ、民主党。これが本性だ!」「民主党には秘密の計画がある」という怪文書まがいのものを配布し、ネガティヴキャンペーンを繰り返した。しかし何の効果もなかった。自民はかえって墓穴を掘った。
ネガティヴキャンペーンで票が入ると思うことがおかしい。この日本を守れるのは自民だけだ、と、その実績と責任力をアピールした。しかし、それがダメだったから、国民は自民に絶望したのだ。又、安倍、福田と首相が続けて政権を投げ出した。それでいて、「責任」はないだろう。
暴論かもしれないが、献金や事務所費の申告ミスくらいで大騒ぎすることはない。これでは、誰も首相になれない。金も女問題も何もない。クリーンだ。しかし、政治力もない。そんな政治家ばかりになったらどうする。少々ダーティでも、政治力のある人間を政治家にすべきだ。少なくとも首相はそうしたらいい。任期中は、金や女の問題があっても、首を切らせないことだ。まァ、殺人事件など刑事犯なら仕方ないが、そんなことはないだろうし、やる暇もない。金や女の問題では、引きずり下ろすな、任期一杯やらせろ。そのかわり、首相も、どんな事があっても途中で投げ出すな。病気位では辞めさせない。死んだら仕方ないが。この位の覚悟でやってもらうことだ。
では、続いて、米沢の話だ。投票の2日前だ。8月29日(土)、山形県の米沢市に行ってきた。長らく市議会議員を務めた鳥海茂太さんの「旭日小綬章」叙勲受賞を祝う会があったのだ。5月19日に皇居豊明殿に参内し天皇陛下に拝謁の栄を賜り、叙勲を受けたのだ。
8月29日(土)午後6時半より、東京第1ホテル米沢で行われた。大ホールには市長、県議会議長をはじめ米沢の名士が駆けつけた。又、東京からはイラン全権大使もわざわざ来てくれた。さらに全国から多くの人がお祝いに駆けつけた。
政治家だけでなく、民族派運動関係者も多い。東京からは犬塚哲爾氏、木村三浩氏、「フィボナッチ」ママ、そして京都からは維新政党「新風」の魚谷哲央さん。岡崎一郎さんなどが参加した。250以上の豪華なお祝い会だった。
鳥海さんは米沢市議を7期務め、その間、市政に多大な貢献をした。それが表彰されたのだ。それと同時に、民族派運動への貢献も大きい。今から33年前。1976年6月に米沢で第1回の『新しい日本を創る青年集会』を開いた。米沢市の置賜文化センターだった。鳥海さんと野村秋介さんが中心になってやった。
野村さんは、この1年前に、千葉刑務所を出所したばかりだ。だから、〈運動〉のスタートは米沢になった。鳥海さんと野村さんは、三上卓さん(5.15事件のリーダー)の門下生だ。それで、「東北の地から新しい運動を始めよう」と話し合ってスタートさせたのだ。その詳しい話は、去年、このHPにも書きました。08年2月11日にUPした分です。この時は、鳥海さんが「米沢市功労者表彰」を受け、その祝賀会でした。同じ会場でした。「2年続けて、来てもらう人に申し訳ない」と言ってましたが、天皇陛下から叙勲を受けたのだ。ぜひ、やらなくてはならない。
その時、詳しく書きましたが、この米沢集会がスタートで、それから、仙台、会津若松、福島…とやりました。又、合宿も何度もやりました。右翼の先生だけではなく、新左翼の太田竜さんや、朝日新聞の編集委員などにも来てもらって勉強しました。
1976年にスタートし、活発な運動を展開しました。三上卓門下の野村、鳥海さんが話し合って始めたのです。だから、この「運動」は5.15事件の三上さんが始めたようなものです。歴史の連続性を感じます。
しかし、米沢で、よくこの集会がやれたものだと思います。出所したばっかりの右翼の大物、野村さんが来る。全国から、右翼の活動家が大挙して来る。「会場を貸すな!」と警察が動くかもしれない。しかし、地元の鳥海さんがいたんです。議員の鳥海さんがいたので、その信用で会場も借りられたし、無事に集会も出来たのでしょう。
でも、今から考えると、かなり無理をしたようです。8月29日の叙勲受賞を祝う会で、近くにいた市議会議員などに聞いたら、警察や反対派からの圧力が随分とあったそうです。又、この米沢集会の次の年、1977年3月にあの経団連事件が起きてます。事件に参加した、森田忠明氏も米沢に来てました。「去年来た人間たちが事件を起こした!」と警察などは言って回り、それが元で選挙に落ちたという。
鳥海さんに怖ず怖ずと聞いたら、「いや、そんなことはないですよ」と言ってました。心配かけまいとする心遣いです。でも、実際に、米沢集会の直後に、1回、落選しています。しかし、それから又、頑張って、計7期務めたのです。たいしたものです。
議員は今は辞めて、息子さんが継いでます。又、最近は息子さんと共にイランに行き、山形県とイランの友好のために、スポーツなどを通じた友好を進めています。この関係で、イランの全権大使もわざわざ来てくれたのです。
祝賀パーティは、偉い人が多いせいか、挨拶が長い。6時半から始まって8時近くまで続く。それから、祝宴。地元の議員の人、拓大の卒業生(鳥海さんは拓大なのだ)、などと話をした。又、イランの全権大使ともお話をした。
そうだ。イラン全権大使も祝辞を述べたが、まず、冒頭、「おばんでございます」と言う。うまい!他の人たちも皆、「おばんでございます」から始まる。米沢らしくていいですね。皆、鳥海さんの人柄を讃えて、人間的な大きさを讃える。実にいい会だった。
鳥海さんは76才だが、何と鳥海さんの恩師も参加していた。小学校で習った先生だ。今年101才だ。元気で参加し、何と、去年まで自分で車を運転していたという。でも、電柱にぶつけて、家族に免許を取り上げられたそうな。もう運転なんかしなくていいよ。しかし、うらやましい。この年で恩師が健在なんて。私なんて、もう誰もいない。お墓参りに行かなくちゃ。いや、いるかな。
維新政党「新風」の魚谷さん、岡崎さんに久しぶりに会った。魚谷さんは、学生運動の「同志」だ。私より5才位若い。私は生学連(全国学協)でやってたが、魚谷氏は日学同だった。とても真面目な活動家だった。昔と変わらず若いし、活動に熱心だ。私など不真面目だから、魚谷さんには本当に頭が下がる。パーティが終わってから、場所を移し、今後の運動について、話し合った。「新風」は今回の衆院選には候補者を出さない。来年の参院選に賭ける。30日の選挙では自民は大敗するだろう。激動の時代になり、その時こそ「新風」の出番だ。行く先のない、有為な議員の「受け皿」になってもいい。…と、いろいろ話し合った。
この日は、皆、米沢に泊まった。翌、30日(日)、「せっかくだから小野川温泉に一泊して下さいよ」と鳥海さんが言う。小野川温泉は、ひなびた温泉宿で、「新しい日本を創る青年集会」の合宿を何度もやった所だ。運動をスタートさせた場所で、33年ぶりに、原点に戻り、〈運動〉を反省し、今後のことを考えるのもいい。
この日、昼に東京から、犬塚哲爾氏とフィボナッチのママが駆け付けてきた。本当は前日の祝賀会に出たかったが、外せない勉強会があったらしい。それで「小野川の合宿だけでも」と来たのだ。鳥海氏、木村氏などと小野川温泉に行った。初めは、魚谷氏なども出る予定だったが、会議があるとのことで早朝に発った。又、笹井宏次郎氏なども来る予定だったが、選挙の手伝いで、急に来れなくなった。
小野川の同じ旅館かと思ったら、前に泊まった「うめや」ではなく「扇屋」だった。ここしかなかったようだ。ただ、客間には頭山満さんの書が掲げられている。由緒ある旅館で、頭山さんが来たのだ。三上卓さんも来て、さらに司馬遼太郎も来ている。そのことを『街道をゆく』で書いている。その時、案内したのが三上卓さんの門下生で尾崎周道さんだ。旅館には、その時の写真も掲げられている。電話だってダイヤル式の黒電話だ。穴に指を入れて、ジーコ、ジーコと回す電話だ。今時、あるんだね、歴史だ。感動です。
尾崎さんは司馬さんを案内し、米沢市内を歩いた。上杉神社、博物館…と。そして、「愛」の字の書かれた直江兼続の兜も見せた。『街道をゆく』にはそのイラストも描かれている。それが発端となって、「愛」の兜が全国に知られるようになり、今回のNHK大河ドラマの「天地人」になるのだ。
だから、米沢は、どこに行っても「天地人」のポスターが貼られている。「観光客もドッと増えました」と鳥海さんが言う。
皆で、小野川に泊まり、「これからの運動」について話す。泊まって、ゆっくり話し合おうと思ったが、木村氏は「選挙についてのテレビに出なくちゃ」というので、3時頃帰った。私は泊まるつもりだったが、次の日、早朝から学校の会議があるので、この日の最終(9時14分米沢発)で帰った。
そうだ。フィボナッチのママが何故、来たかだが、実は33年前の米沢集会に来ている。阿部勉氏が連れて来て、「受付」をやってくれた。「33年前とちっとも変わらねごど」と鳥海さんも驚いていた。
前のHPにも書きましたが、鳥海さんの家は親子三代にわたる「勤王の志士」です。おじいさんは自由民権運動をやり、お父さんは三上卓さんと同志。そして東京の「木村屋のパン」に修業に行き、米沢にパン屋を開きます。そして、動物作家の戸川幸夫氏と知り合います。戸川さんの小説『高安犬』は鳥海さんのお父さんが出てきます。2人で、幻の日本犬を探すのです。
今、全国で映画「ハチ公物語」をやっている。いや、アメリカ版のハチ公だ。リチャード・ギアが主演だ。このハチ公のことを書いた斎藤弘𠮷さん(日本犬研究家)を戸川幸夫に紹介したのが鳥海さんのお父さんだという。凄い。いろんなことがあるんだ。5.15事件、三上卓、街道をゆく、直江兼続、戸川幸夫『高安犬』、ハチ公…と、この全てが米沢にある。そして鳥海さんに関連している。ともかく、有意義な米沢行きでした。米沢については又、書いてみたい。
そうだ。必要があって私の父のことを兄貴に聞いた。父は税務署に勤めていたので東北各地を転々とした。私は福島の郡山に生まれた。しかし、記憶はない。記憶があるのは幼稚園からだ。秋田県横手市だ。それから秋田市、湯沢市、仙台市と移った。しかし、生まれてから幼稚園まで、どこにいたのか分からない。兄貴のメモによると、会津若松、黒石、米沢だという。初めて聞いたよ。私も米沢にいたのか。じゃ、「木村屋のパン」を食べたのかもしれない。鳥海さんたちとも赤ん坊の頃、会ってたのかもしれない。全ての原点は米沢にあったのだ!今度、兄貴にも、詳しく聞いてみよう。
⑩扇屋旅館のすぐそばに「うめや旅館」があった。1976年に、ここで「新しい日本を創る青年集会」の合宿をやった。世界三大美女の1人・小野小町はここに長く居たので、「小野川温泉」の名前が付いた。ここに来る人は皆、美人になるそうな。
〈戦争は残酷だ。全てを奪う。
聖戦だ、正義の戦いだ、という言葉も空しい。兵士だった彼らは、その欺瞞、空しさを糾弾する権利がある。資格がある。
戦後、彼らは、帰国を拒んだ。何があったのか。重い問いだ。国家か個人か。僕も答えが出ない。現代に生きる全ての人に見てもらいたい映画だ。大作だ〉
〈戦いの中で人は「兵器」となる。人間であることを忘れる。今も繰り返される悲劇だ。他人事ではないと思った〉
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉